2013/7/7
早くも梅雨明け
沖浦氏から長文のコメントが寄せられている。相変わらずの沖浦節なので一々を取り上げることはしないが、しかし、腑に落ちないところがあるので指摘しておきたい。
沖浦さん、戒壇本尊本懐は嘘なんですか?
私は御書を引用し、嘘であることを説明致しました。
少しショックを受けられ、それでも、
わかりました、戒壇本尊本懐論は、この場で捨てました。
そう言ってお帰りになられました。
この部分が腑に落ちないのだ。
沖浦氏は話を作っているのではないか、ウソをでっち上げているとは言わないけれども、相当に潤色された話のように思えるのである。
私の本部長さん・・・
長野県の教宣のトップだった人・・・
こういう人がである。たとえ沖浦樋田法論を見て、沖浦氏に信頼を寄せたとしても、その場で直ちに戒壇本尊本懐論を捨てることを宣言するとは考えられないことだ。イヤミを言えば、創価学会から沖浦教に改宗するも同然の話だからである。
さらに、話がややこしくなることを承知で書けば、創価学会は戒壇本尊との決別という選択肢をかなり早い段階から模索していた。それはフェイクの記事を丹念に調べればわかることだし、ネット上においては宿坊というハンドルネームの人物がかなり早い時期から戒壇本尊を誹謗するような言動をしており、これらは沖浦樋田法論よりも先行するのだ。ゆえに、まさか長野県の教宣のトップだった人が、これらの事実をまるで知らないとは考え難いことである。そんな純粋無垢な人が教宣のトップのはずがない。このように見るのが普通の感覚ではないかと思う。
たぶん前にも書いたはずだが、沖浦氏は創価学会の中枢に知らず知らずのうちに利用されているのではないかという気がする。
創価学会は戒壇本尊から決別するタイミングを窺っているが、ご存知のごとく古くからの会員には物凄く抵抗があることなので、なかなか踏み切れずにいるのだ。この意味で沖浦氏の存在は好都合である。沖浦氏がネット上で戒壇本尊本懐論を否定することに対し、他の創価学会員たちがどのようなリアクションを示すか、観察することができる。ようするにリサーチができるのだ。そして現状では無理というのが創価学会中枢の判断ではないかと思う。
ある意味、沖浦氏は宗門の功労者である。創価学会にではなく、宗門に貢献しているのだ。
なぜか沖浦氏は他の創価学会員たちに不人気である。ゆえに、言っていることが正しいか間違っているかではなく、沖浦氏が言っているから気に食わないという、感情的な反応を他の創価学会員たちが示しているようにも見えるのだ。これが事実であれば、沖浦氏が戒壇本尊本懐論を否定すればするほど、他の創価学会員たちは反発する・反発せざるを得ないという図式が成り立つことになる。何とも皮肉な結果である。
以上、沖浦氏がいる限り、創価学会はいつまで経っても戒壇本尊との決別に踏み切れない、というのがわたくしの分析である。
さて、顕正新聞第1278号から話題を拾おう。
株高に騙されている国民救わん
証券業界の一員として奮い立つ
女子部支区長補の記事であるが、ひじょうに悩ましい。この人は証券会社に勤めている。こういう人が株高に騙されている云々と書くことに疑問を拭えない。
アベノミクス効果で株が上がった。顕正会ではこれを批判しているわけだが、証券マンとしては今が稼ぎ時と考えるのが普通ではないかと思う。上がった株はいつかは下がる。株価の急激な暴騰を見れば、これは危ないと感じるのも経験則である。その辺の見極めをするのが証券マンの仕事であろう。ところがこの人は、ややもすれば株の取り引きそのものを否定するかのごとく言ってしまっているのだ。
金融事情を知るプロでさえ目先の利益しか頭にない・・・
じゃあ、どうするのよ、という話なのだ。わたくしにはこの人が証券会社で働いている意味がわからない。少なくとも証券マンとしての自覚があるならば、顧客に損失を与えないように売り抜けるタイミングを教える、それが当面の仕事だろう。繰り返しになるが、しょせん株とは上がりもすれば下がりもするものだ。それを商売にしているのが証券会社なのだ。それがイヤなら転職するしかないだろう。
さて、次は婦人部延岡支区部長だ。
また以前、川に流した有機水銀により奇形の魚が見つかっても、河川事務所に持って行けばおカネが支払われるため楯突く者はおらず・・・
有機水銀で有名なのは水俣病であるが、延岡でも同様のことが起きたのだろうか?
記事では会社名を明記した上で批判的なことを書いている。旭化成のことだ。しかし、わたくしのイメージではそれほどブラックな企業とは思えない。ましてや今は環境問題に率先して取り組んでいるのが一流企業の一流企業たるゆえんである。いつものことだが、どうも顕正会の記事は極端なものが多い。これもその一つだろうと思う。
八方塞がりの社長がお題目を
婦人部筑波支区班長の記事だが、次のくだりが凄まじかった。
社長の家の外壁には「死ね!」「給料払え!」等と、すでに辞めていった従業員たちによりペンキで落書きされ、ビニールハウスは滅茶苦茶に壊わされ、娘さんの黒い車はスプレーで真っ白にされた上で、傷だらけになっていました。
この後、社長は顕正会に入信し、その功徳によって会社を立て直すことができた、メデタシメデタシという話である。
わたくしの疑問は、はたしてこれが国家にも当てはまるのだろうか、ということである。浅井先生は学者や評論家などの意見を参考にして安倍政権を批判している。当然ながら学者や評論家は独自の対案を持っている。しかし、浅井先生は必ずしもそれには同調しないはずである。なぜならば、仏法を立てない以上はすべての施策が裏目に出る、という考えだからである。だったら政策批判は無意味ではないか、ただひたすら仏法を立てることだけを訴えるべきではないか、と思えてしまうのである。たぶん、この辺は微妙なところなのだろう。仏法のことだけだと底が浅いと思われてしまう。ゆえに世法のことを交えて論ずる。しかし、最終的には仏法を立てなければダメであるというのが結論なのだ。だったら最初からそれだけ言っていればいいじゃないかと。こういうのを堂々巡りと呼ぶのだろう。
成人式の指導で母に報恩の思い
音大を中退、経済苦の母を支える
男子部支隊副長であるが、この人は前にも取り上げたことがあるはずだ。名前がいかにも芸名みたいで印象的である。
作曲・小説が成功、年収800万超!
おお、これは羨ましい。大学中退は残念だが、作曲と小説でこれだけ稼げれば文句はないだろう。
沖浦さん、戒壇本尊本懐は嘘なんですか?
私は御書を引用し、嘘であることを説明致しました。
少しショックを受けられ、それでも、
わかりました、戒壇本尊本懐論は、この場で捨てました。
そう言ってお帰りになられました。
この部分が腑に落ちないのだ。
沖浦氏は話を作っているのではないか、ウソをでっち上げているとは言わないけれども、相当に潤色された話のように思えるのである。
私の本部長さん・・・
長野県の教宣のトップだった人・・・
こういう人がである。たとえ沖浦樋田法論を見て、沖浦氏に信頼を寄せたとしても、その場で直ちに戒壇本尊本懐論を捨てることを宣言するとは考えられないことだ。イヤミを言えば、創価学会から沖浦教に改宗するも同然の話だからである。
さらに、話がややこしくなることを承知で書けば、創価学会は戒壇本尊との決別という選択肢をかなり早い段階から模索していた。それはフェイクの記事を丹念に調べればわかることだし、ネット上においては宿坊というハンドルネームの人物がかなり早い時期から戒壇本尊を誹謗するような言動をしており、これらは沖浦樋田法論よりも先行するのだ。ゆえに、まさか長野県の教宣のトップだった人が、これらの事実をまるで知らないとは考え難いことである。そんな純粋無垢な人が教宣のトップのはずがない。このように見るのが普通の感覚ではないかと思う。
たぶん前にも書いたはずだが、沖浦氏は創価学会の中枢に知らず知らずのうちに利用されているのではないかという気がする。
創価学会は戒壇本尊から決別するタイミングを窺っているが、ご存知のごとく古くからの会員には物凄く抵抗があることなので、なかなか踏み切れずにいるのだ。この意味で沖浦氏の存在は好都合である。沖浦氏がネット上で戒壇本尊本懐論を否定することに対し、他の創価学会員たちがどのようなリアクションを示すか、観察することができる。ようするにリサーチができるのだ。そして現状では無理というのが創価学会中枢の判断ではないかと思う。
ある意味、沖浦氏は宗門の功労者である。創価学会にではなく、宗門に貢献しているのだ。
なぜか沖浦氏は他の創価学会員たちに不人気である。ゆえに、言っていることが正しいか間違っているかではなく、沖浦氏が言っているから気に食わないという、感情的な反応を他の創価学会員たちが示しているようにも見えるのだ。これが事実であれば、沖浦氏が戒壇本尊本懐論を否定すればするほど、他の創価学会員たちは反発する・反発せざるを得ないという図式が成り立つことになる。何とも皮肉な結果である。
以上、沖浦氏がいる限り、創価学会はいつまで経っても戒壇本尊との決別に踏み切れない、というのがわたくしの分析である。
さて、顕正新聞第1278号から話題を拾おう。
株高に騙されている国民救わん
証券業界の一員として奮い立つ
女子部支区長補の記事であるが、ひじょうに悩ましい。この人は証券会社に勤めている。こういう人が株高に騙されている云々と書くことに疑問を拭えない。
アベノミクス効果で株が上がった。顕正会ではこれを批判しているわけだが、証券マンとしては今が稼ぎ時と考えるのが普通ではないかと思う。上がった株はいつかは下がる。株価の急激な暴騰を見れば、これは危ないと感じるのも経験則である。その辺の見極めをするのが証券マンの仕事であろう。ところがこの人は、ややもすれば株の取り引きそのものを否定するかのごとく言ってしまっているのだ。
金融事情を知るプロでさえ目先の利益しか頭にない・・・
じゃあ、どうするのよ、という話なのだ。わたくしにはこの人が証券会社で働いている意味がわからない。少なくとも証券マンとしての自覚があるならば、顧客に損失を与えないように売り抜けるタイミングを教える、それが当面の仕事だろう。繰り返しになるが、しょせん株とは上がりもすれば下がりもするものだ。それを商売にしているのが証券会社なのだ。それがイヤなら転職するしかないだろう。
さて、次は婦人部延岡支区部長だ。
また以前、川に流した有機水銀により奇形の魚が見つかっても、河川事務所に持って行けばおカネが支払われるため楯突く者はおらず・・・
有機水銀で有名なのは水俣病であるが、延岡でも同様のことが起きたのだろうか?
記事では会社名を明記した上で批判的なことを書いている。旭化成のことだ。しかし、わたくしのイメージではそれほどブラックな企業とは思えない。ましてや今は環境問題に率先して取り組んでいるのが一流企業の一流企業たるゆえんである。いつものことだが、どうも顕正会の記事は極端なものが多い。これもその一つだろうと思う。
八方塞がりの社長がお題目を
婦人部筑波支区班長の記事だが、次のくだりが凄まじかった。
社長の家の外壁には「死ね!」「給料払え!」等と、すでに辞めていった従業員たちによりペンキで落書きされ、ビニールハウスは滅茶苦茶に壊わされ、娘さんの黒い車はスプレーで真っ白にされた上で、傷だらけになっていました。
この後、社長は顕正会に入信し、その功徳によって会社を立て直すことができた、メデタシメデタシという話である。
わたくしの疑問は、はたしてこれが国家にも当てはまるのだろうか、ということである。浅井先生は学者や評論家などの意見を参考にして安倍政権を批判している。当然ながら学者や評論家は独自の対案を持っている。しかし、浅井先生は必ずしもそれには同調しないはずである。なぜならば、仏法を立てない以上はすべての施策が裏目に出る、という考えだからである。だったら政策批判は無意味ではないか、ただひたすら仏法を立てることだけを訴えるべきではないか、と思えてしまうのである。たぶん、この辺は微妙なところなのだろう。仏法のことだけだと底が浅いと思われてしまう。ゆえに世法のことを交えて論ずる。しかし、最終的には仏法を立てなければダメであるというのが結論なのだ。だったら最初からそれだけ言っていればいいじゃないかと。こういうのを堂々巡りと呼ぶのだろう。
成人式の指導で母に報恩の思い
音大を中退、経済苦の母を支える
男子部支隊副長であるが、この人は前にも取り上げたことがあるはずだ。名前がいかにも芸名みたいで印象的である。
作曲・小説が成功、年収800万超!
おお、これは羨ましい。大学中退は残念だが、作曲と小説でこれだけ稼げれば文句はないだろう。
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