2013/10/11

前稿の反響を受けて  
前回の拙稿はいつもより反響が大きかったようである。それは顕正新聞の内容もさることながら、わたくしの姿勢に原因があったのだと思われる。ようするに前回は顕正会の批判を一つも書かなかったわけで、ややもすれば一方的に創価学会だけを悪者にしているようにも読めるのだ。おそらくはそこに創価学会員たちが反発を感じたのだろうと想像する。

そこで今日はいよいよ顕正会批判を書こうかと思っていたのだが、取りやめることにする。その前にもう少しだけ前回の続きというか、敷衍のようなものを書きたいと思う。

まず、読み間違えてもらっては困るのだが、わたくしは前回、いわゆる不当捜索については是とも非とも断定していないのだ。不当捜索そのものを云々しているのではなくて、不当捜索特集号を云々したのである。あの新聞を一般人が虚心坦懐になって読んだならばどのように感じるか、おそらくは顕正会に対する誤解が払拭されるというか、相当の程度において、報道のイメージとは違ったものが得られるに違いないのだ。一方、創価学会に対するイメージは悪くなるはずで、その意味で会長講演はそこそこ成功していると書いたのである。

その上、顕正会はこの新聞を大量配布するそうである。

ゆえに、くだんの家宅捜索とそれに伴う報道が創価学会の謀略に起因するものであるならば、謀略は失敗というか、謀略そのものは成功したと言えるのかもしれないが、そのシッペ返しがひじょうに厳しく、結果的には失敗に等しいことになると書いたのである。

妙信講作戦

K対策


先ほど、不当捜索の是非を云々していないと書いた。つまり、客観的には現時点で今回の一件が創価学会の謀略であるとするだけの証拠がないので、厳密には謀略であるかどうかも定かではないし、警察の動きもそれが正当であるか不当であるか、俄かには判断できないのだ。ゆえに、ただ単に特集号を読んでどのように感じるかという、その一点に絞って書いたわけだが、そこには創価学会の謀略体質が見事に活写されていて、こればかりは否定できない厳然たる事実なのではないかと思われるのだ。

特集号ではK対策のことが取り上げられているが、その淵源は妙信講作戦である。これは山崎正友氏などの著作を読めば、その存在を否定できる人はいないだろう。わたくしの思うに、当時の状況からして妙信講の動きに敏感にならざるを得なかったのは頷けるところである。だが、しかし、今の顕正会を相手にしても仕方がないのではないか、放って置くのが最善の策ではないかという気がするのだ。しかるに今はK対策なるものが存在するという。顕正新聞には証拠写真として当該文書が掲載されている。それには日付も明記されており、なんと驚くことにはごく最近のことなのである。

妙信講作戦はすでに終了して久しい。しかし、その延長線上にはK対策が存在する。

創価学会の内部事情にはまったく疎いのでわからないが、妙信講作戦以降も継続的もしくは断続的に作戦が続いていたのか、それとも三年前になって久々に復活したのか、うろ覚えであるが前に週刊誌か何かで顕正会対策の存在を云々する記事を読んだ記憶があるので、それを信用すれば今回のK対策以前にも何らかの対策が採られていたことになるだろう。

放って置くのが最善策と書いた。しかし、創価学会側としては困ることがあるのだろう。その理由は次の一文に明らかだ。

 この文書は、顕正会の折伏によって学会員が続々と御遺命の正義にめざめてしまうので、組織崩壊の危機を感じた学会本部が密かに作成した内部文書です。

放って置いたら大変なことになる。次から次へと正義にめざめてしまって、創価学会の人材をごっそりと持って行かれてしまう。となると、まさしく組織崩壊の危機である。

これは以前にも何度となく書いていることだが、創価学会から顕正会へ行く人はそれこそ無数にいるけれども顕正会から創価学会へ行く人は皆無に等しいという事情がある。このことは現役の創価学会員たちも認めていることであり、確か拙ブログのコメント欄にもその意味の記述がどこかに残っているはずである。これはまた、フェイクの存在そのものが、傍証の意味を持っているとも言えるだろう。

フェイクの記事を読めば、主には宗門に対する批判、そしてオマケ程度に顕正会の批判を書いている。申すまでもなく、彼らが恐れているのは創価学会員の大量脱会であり、その移籍先となるのが一つには宗門、そしてもう一つが顕正会なのだ。わたくしの知る限り、フェイクは正信会の批判を書かない。なぜならば脅威ではないからだ。すでに終わっている。よって恐れるに足らずということなのだろう。

話が前後するようだが、妙信講作戦をより正確に表現するならば、次のごとくなるだろう。

妙信講潰滅作戦

つまり、創価学会としては妙信講の潰滅を狙っていたのだ。ゆえに浅井先生は後に何度も繰り返し言っている。潰れて当たり前だったと。

ところが顕正会は潰れなかった。それどころか徐々に勢力を強め、未だに折伏弘通の手を緩めることなく前進している。勢力が増せば必然的に創価学会員に対するアプローチも多くなる。これは彼らにとって物凄く脅威のはずだ。

不当捜索と戦って

これは男子部第四十隊支隊副長の登壇記事のタイトルである。次回の拙稿ではこれを中心に顕正会批判を書くつもりだが、今日はやや擁護の立場から書いてみようと思う。

あれ? 不当捜索? なぜ不当逮捕ではないのか?

のび太氏がご苦労にも過去の顕正会関連の事件を網羅しているが、その大半は逮捕事件である。ところが今回はまだ逮捕されていないし、おそらくは今後も逮捕されないだろう。たぶん警察側もそれは百も承知というか、これ以上のゴリ押しは無理と考えているに違いない。

そこでせっかくなので、のび太氏に質問してみたい。

過去の事件の顛末は如何?

これをぜひ聞いてみたいと思う。

回答を待っていても仕方がないので話を進めてしまおう。たぶん、その大半は無罪放免である。そもそもが起訴されず、不起訴に終わっているはずである。ようは逮捕報道だけがクローズアップされているというか、いわばそれのみを列記して顕正会のイメージダウンを画策しているに過ぎないのだ。

ところで、ここ数年は逮捕報道がなかった。たぶん顕正会員の逮捕そのものが皆無に近い状況だったのだろう。

この理由を想像するに、わたくしはとっさに二つのことが思い浮かぶ。一つには顕正会員たちが用心堅固になったこと。そしてもう一つは弁護士の活躍である。

一つ目は特に説明するまでもないだろう。ある意味、活動会員たちが巧妙になったわけであり、悪く言えば法の網の目をうまく潜り抜ける術を覚えたことになるのだろう。まあ、しかし、それは言い過ぎであり、おそらくは少しばかり成果が落ちてもいいから節度ある折伏を心掛けようというのが顕正会全体の方針なのだと思われる。余談になるが、この意味では近年の弘通の伸びが鈍化していることは、それほど深刻な問題ではないのかもしれない。

二つ目の弁護士云々がやや面倒な話である。

先ほど、のび太氏の貼り付けた顕正会事件簿について、実はその大半が無罪放免なのだ、という意味を書いた。ここに重大な問題が存するのである。もし法律に照らして無罪が相当であるならば、警察のやっていることは明らかに不当である。度が過ぎているのだ。たぶん弁護士ならば過去のさまざまの事件との比較において、警察のやり口がいかに横暴であるかを訴えるに違いない。

ある日突然、顕正会の活動会員が逮捕され、そのまま勾留されてしまうのだ。しかも勾留期間がメチャクチャ長い。それに伴い顕正会本部や各地の会館に家宅捜索が入る。その物々しさは報道に見るごとくである。

さて、これが過去のさまざまの事件との比較において、はたして相当であるか不当であるか、これは司法関係者であれば容易に判断がつくことだろう。前例のないことはやらない。これが官僚たちの処世術である。警察官僚も同じだろう。ゆえに、弁護士から過去の事件との比較の上から、警察のやり口がいかにも度の過ぎたものであることを指摘されれば、彼らも正気に返らざるを得ないはずなのだ。

よって、今回はいきなりの逮捕勾留を見送り、とりあえずは任意の事情聴取を行ない、そこで自白を取ろうと狙った。しかし、熱心な活動会員が自白するはずもなく、おそらくはこのまま沙汰止みになることだろう。それが今回の一つの結論である。

以上、折伏関連のトラブルでいきなり逮捕というのはいかにも度の過ぎたことであり、警察も安易には逮捕に踏み切れない。これが物の道理であろうと思う。

だが、しかし、顕正会側にも問題はある。

すでに拙ブログでは何度も指摘していることだが、次回は重複を恐れずにそのことを書いてみたいと思う。

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