2013/11/4

超楽天的な日々  
興味深いコメントが種々寄せられている。まずは直近の沖浦氏のコメントから紹介しよう。

 私は聖教新聞に、カトリックの聖霊が普通に取り上げられることを、素直に嬉しく感じます。

さしずめ謗法容認路線といったところか?

これこそ顕正新聞の格好のネタであり、いずれは記事になるかもしれない。謗法化の一途を辿る創価学会。こんな見出しが想像される。

振り返ると、田中将大が大将軍であった。

のび太氏の観戦記はひじょうに心地のよいものである。ただし、上掲の部分がやや気になった。普通は監督が大将軍に相当すると思われる。なぜに一選手を大将軍になぞらえたものか、そこが疑問だった。

いずれにしても、参加される方は昨年のような悲劇がないように、体調管理にはじゅうぶん気をつけて参加されてください。

女子部大会については顕正新聞の報道を待って取り上げるつもりだ。

いずれにしてもフェイクの連中に悪く書かれないためにも無事故で終わらせたいものである。もっとも、連中のことだから、無事であろうがなかろうがケチをつけるに違いないのだが・・・

 双方、大聖人の教えを持って、民衆を救いましょう。
 今後は、宗派同士争うのではなく、民衆救済合戦を致しましょう。


これはしかし難しい話である。仮に理想がそうだとしても現実はひじょうに困難だ。

ご存知のごとく、創価学会から顕正会へ移籍する人が相当数いる。顕正会側に言わせれば、これこそが民衆救済なのである。一方、顕正会から創価学会に移籍する人はほとんどいない。これが事実だとすれば、創価学会側は堪ったものではないだろう。

ゆえに最終的な理想形は、日蓮正宗を中心に大同団結することである。そして移籍については一定のルールを設けて、安易な移籍を認めない。ようは内輪で引き抜き合戦をやっても意味がないので、外部への折伏を推進するのだ。これこそが沖浦氏の言う民衆救済合戦に他ならないだろう。

しかし、沖浦氏は顕正会に対して一定の理解を示しているものの、宗門に対してはボロクソである。ゆえに理想はかくのごとしであるが、やはり話はご破算である。

2013/11/2 15:32
投稿者:昔の名前
こんにちは

詳しい説明といわれても 書いたまんまですし 私がそう感じたと言うだけの事です

価値観にたいする判断力が求められると言う事でしょう
顕正会の折伏が自分にとって価値があるなら そこには当然社会常識が備わっていなければなりません
正当であれ不当であれ 警察が捜査したくてもできない
創価学会が陰謀を企てたくても企てられない
そんな折伏を堂々とすれば良いだけの事です

厳虎さんにはわかりきった事でしょ


やや意味不明のところもあるが、全体的にはきわめて常識的なことを書いているのだと思う。わたくし自身もまったく同じつもりであって、一見すると突飛なことを書いているように思われがちなところがなきにしもあらずであるが、実際には常識の範疇か、もしくは常識ではないにしてもよくよく考えてみればそれが道理に適っている、という切り口の文章を書いているつもりである。

顕正会は何か事件が起こるたびに創価学会のせいにする。これはまさに得意のパターンである。
創価学会側にしてみれば、何でもかんでも自分たちのせいにされたら、堪ったものではない。これもまさにそのとおりだろう。
では、これを顕正会側の悪辣な常套手段であると一方的に決め付けられるかと言えば、そうではないだろう。

おそらく整理すれば、二つの問題に集約されるのだと思う。

・教義上の問題
・事件そのもの

まず、事件について言えば、ケースバイケースであって一様ではない。つまり、個々の事件を精査していく必要がある。そこには創価学会の関与を認められるものもあれば、そうではないものもあるだろう。顕正会員といえども一定の良識を持っていれば、さすがにぜんぶがぜんぶ創価学会のシワザであるとはなかなか言い切れないだろう。逆に創価学会側が完全無罪を言い切ることも難しいのではないかと思う。過去の創価学会が起こしたとされる事件の数々、あるいは妙信講作戦やK対策の存在がある以上、一方的な自己正当化は難しいはずである。

よって、事件そのものは個々の事件において是々非々を論じていくしかないのであって、その結果がどうなるかは少なくとも現段階ではわからないことである。

そこでクローズアップされるのがもう一つの問題、すなわち教義上の問題である。

これに関しては顕正会側が絶対的な自信を持っている。一方の創価学会側は不利を自覚している。わたくしが書いてもあまり説得力はないのだろうけれども、これは客観的な事実であろう。何しろ浅井先生は池田大作氏に何度も法論を申し込んでいる。しかし、法論は実現していない。さりとて、過去の話をしても仕方がないし、今さら浅井対池田の法論を期待しても詮無いことなので、ならばそれに準ずる人物が法論したらどうかと思うが、それもたぶん実現しないだろう。

そして現在のテイタラクをありのままに言えば、教義上の問題について熱心なのは顕正会側であって創価学会側はきわめて消極的である。その代わりと言うべきか、何かしら顕正会にまつわる事件報道があれば、それをフェイクが書き立てる。おおむねこんな感じである。

顕正会の折伏が強引で、さまざまの社会的軋轢を生んでいるのは事実であって、これは大いに反省しなければいけないことだが、創価学会との関係性においては別に考えなければいけないことがある。ようするに、個々の事件の真相がどうであれ、それとは別に教義上の問題が常にあって、このことは避けては通れないことなのだ。

つまり、最終的には教義上の問題で決着をつけなければならない。顕正会が暴走・暴発でもしない限りは永遠に続く問題である。これを創価学会の首脳部は自覚しなければいけないだろう。

せっかくなので、もう少し書こう。

ところで以前私が書いた国立戒壇の根拠の書の真偽、日興、日目、熱原三烈士の正墓など真実はお調べましたでしょうか?

これはバーズ氏のブログのコメント欄から拾ってきたものだが、投稿者は「通行人」を名乗っている。この手のハンドルネームは自分の立場を隠したい人がしばしば用いるところで、その代表格が「通りすがり」だろう。

ともかく、これに対しバーズ氏は「限りなく学会員臭い」と書いている。

これで話は見えただろう。上掲の記述はさすがに今の創価学会員には書けない。顕正会的に言えば、まさしく邪教化の一途である。つまり、くだんの投稿者がバーズ氏の睨んだごとくの正真正銘の創価学会員であるならば、もはや終わっているに等しい。

話の見えない人のために、もう少し噛み砕いておこう。

上掲の記述は日蓮正宗の伝統教義に反する。沖浦氏みたいな人がいるので今さら驚くに値しないのかもしれないが、くだんの「通行人」がもし創価学会員ならば、これは顕正会に勝てないことを認めたに等しいのだ。つまり、従来の日蓮正宗の伝統教義のままでは勝てない。だから、その枠から外れる形で勝負を挑んでいるのだ。

たぶん、これは対日蓮正宗の意味でも有用だと考えているのだろう。

この際、創価学会の首脳部に言っておこう。無理だって。やっていることが支離滅裂である。暗中模索・試行錯誤の段階なのかもしれないが、教義上の変節は命取りであることを自覚すべきである。少なくとも日蓮正宗とか顕正会が存在する以上、ヘタは打てない。彼らを完全に抹殺できればいいのだが、それも無理な話である。

もっとも、こんなことはわたくしが言う遥か以前に承知していることだろうが・・・

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