2005/5/31

再構築  
国立戒壇という名称にこだわりつづける以上は、現時における最新の理論を構築しないことにはいずれ通用しなくなる、というより、すでにそうなりつつあると思う。
ようするに、昭和四十年代にあった国立戒壇の放棄というのはその経緯からして如何にもだらしがない、顕正会のほうが筋が通っている、ということだったとしても、そもそも国立戒壇とは何ぞや、という基本にたちかえって説明できなければ意味がないのだ。御書にそのままの名称がない以上、時の猊下が国立戒壇の呼称を禁止した、そして今もそれが踏襲されている以上は、国立戒壇は使わないのが筋なのである。

これもタラレバの話であるが、平成十年に顕正会は御遺命守護の完結を宣言した、この時点で国立戒壇に終止符を打つという選択肢はあったのではなかろうか?
つまり、創価学会の国立戒壇放棄は世間の批判をかわすために大事の御遺命を引っ込めてしまったという印象がぬぐえないので妙信講は異義を唱えた、しかし、今は国立戒壇の名称にこだわる必要はなくなった、ゆえに・・・という展開である。

2005/5/30

袱紗  
かつてはしばしば創価学会員宅を訪問したものである。
その頃、学会員宅には猊下の写真と池田会長の写真が額に入れられて飾ってあった。当時は無知であったためにその写真の順列、つまり猊下と会長をどのように並べていたか、気にして見るだけの目を持っていなかった。ゆえに、気になるところではあるが、今となってはまったく思い出せない。

色紙なんかも額に入れたものが飾ってあって「池田先生から貰った」というようなことを言っていたような気がするけど、はっきりは覚えていない。

あるいは、古い学会員宅には正本堂の写真を飾ってあるところが多かったと思う。
で、そのとなりに並べるようにして、何かの文字が書かれた布のようなものが額に入れられていた。それについても学会員は何か言っていたような記憶があるが、何を言っていたかまるで覚えていない。
あれは袱紗だったのだと、今にして思うところである。

2005/5/29

袱紗を賜ったことを嬉しそうに発表?  
わたくしはその当時に在籍していた人間ではないので微妙なアヤというものをなかなか理解できないでいるが、若手僧侶を名乗られる方々も同じことがいえるのではなかろうか?
猊下から袱紗を賜ったことを浅井先生は嬉しそうに発表したという。嬉しそうというのはどこから導き出されるものであろうか?

まず、世間の一般的な常識として、袱紗を賜ったことを会員(講員)に報告するのは当然であり、何ら問題ないことであろう。
そして、次がポイントだと思う。
妙信講では御供養を集めたはいいものの、どうしたわけかそれを宗門では受け取ってくれなかったのだ。ようやく四年後に決着がついた。その間、先生がどれほどヤキモキしたことであろうかと、わたくしは思う。講員もあらぬ疑念を懐いたかもしれぬ。
してみれば、嬉しそうに報告したとして不思議はなかろう。ようするに、邪義破折班文書のこのくだりは、まったく法義上の問題とは関係ないことを結びつけてしまっているように思える。

2005/5/28

宗門の失策?  
今頃どうこう言ってもしょうがないが、妙信講が昭和四十八年に「御登山御内拝」を願い出た時に、宗門側はこれを許可するべきだったのではあるまいか?

ようするに、これが実現していれば、「顕正会はかつて正本堂に参詣しているではないか」というツッコミを入れることができたわけである。
正本堂の御供養以上に苦しい弁明(?)を先生はしなければならなかったはずなのだ。

というよりも、悪い言葉で言えば「金を握らせる」・・・いや、もっと適切が表現があるだろうけど、さしあたって思いつかないので、・・・ともかく、顕正会は一度たりとも正本堂に入っていないわけであるが、もし先生を先頭にして一度でも入っていれば、その後において「正本堂の誑惑」ということはなかなか言い難かったのではあるまいか、と思うわけである。

もっとも三十年後の今日を想定して手を打てる人はいないだろうが。

2005/5/27

邪義破折班文書の問題点  
顕正会(妙信講)は正本堂の御供養に参加していた。

このことを宗門でも言うし、創価学会でも指摘している。けっこう昔から言われていたのかもしれない。ゆえに先生は「試練と忍従の歴史」であのようなことを書いたのだろう。ただ、ちゃんと素直に全文引用すればよかったのだ。
いわゆる先生の「広宣流布」発言などを受け取って、ようは、正本堂の意義について充分理解していたし賛同していたから御供養したのだろう、後になって異義をさしはさむのは怪しからん、・・・一口に言えばこんなところであろうか?

簡単な話である。いろいろ会通はあるだろうがひとつ書いておくと、妙信講も日蓮正宗の一員であれば御供養に参加するのは当然である、しかし、その後の創価学会のあまりの異常なるはしゃぎ様を見て、それは「行き過ぎ」ではないのかと意見したまでのことであり、ゆえに問題がいちおうの解決を見た後に、御登山の申請をしているわけである。

2005/5/26

邪義破折班文書の感想  
若手僧侶の中からこうした動きがあることは日蓮正宗も捨てたものじゃない、ということのあらわれかもしれないし、逆に言葉遣いの荒々しさがマイナスイメージを助長するだけかもしれない、とも思う。
今のところは、正信会や創価学会、そして顕正会を相手にしているけれども、まったくの他宗・他門から日蓮正宗攻撃が大々的に行われるような・・・まあ、その可能性は少ないように思うが、ともかくその時には同じ面々が破折を担当するのであろうか、という心配がある。ようするに頼りにならない、というのでなくて、あまりにも言動が過激に思えるのである。

顕正会破折はわたくしの知らないことがいくつもあった。例えば、試練と忍従の歴史という、わりと浅井先生の心情がストレートに書かれたものがあるわけだが、これに都合の悪い文言をうまく切り取ってある箇所があるのだ。いま書いたように先生の心情がストレートに表現されていると思っていただけに、あのような意図的な切り文はひじょうに残念である。
わたくしには大して都合の悪い文言とは思えない。むしろそのまま出すべきだったと悔やまれる。

2005/5/25

社会運動的見地  
基本的には浅井先生の主張を支持している・・・これがわたくしのスタンスである。
どうひっくり返したって、かつて創価学会が盛んに国立戒壇を叫んでいたことは疑いようのないことであり、政治進出の根拠でもあったのである。これは文証顕然である。そして世間からの批判の声が大きくなるにつれて国立戒壇をいわなくなった。その最終局面が昭和四十五年である。
こうした経緯がある以上、先生の御遺命守護の戦いは永久に不滅である。
いや、抹殺されんとした。そして今もなお、歴史を捻じ曲げるかのごとき浅井批判が渦巻いている。

世の中にはいろいろな事件・事故があり、そのひとつの問題だけに一生を費やす人もいる。世間は移ろいやすい。みんな過去のことは忘れていく。そうした中で、「この問題は風化させてはならない」といって、一生をささげる人もいるわけである。
先生もそのひとりである、といったら矮小化も甚だしいであろうか?

2005/5/24

修羅と悪竜と○○の合戦  
顕正会では宗門・学会の抗争を修羅と悪竜の合戦と呼んできた。
まさに泥沼の抗争であり、報恩抄の御文を彷彿とさせるものがあって、一頃は先生が頻りに口にされていたものだった。
ところがここに来て、久しくそれを聞かない。俗な言葉でいえば「マジギレ」である。ようするに、いまの先生は他人の喧嘩を論評している余裕を失くしているように見える。
今回の対決申し入れについてはおいおい書いていこうと思っているが、いわば先生の「参戦表明」であり、実は対決実現の如何にかかわらず、現時点においてすでに参戦しているということなのだと思う。
直接対決を回避する=逃げる、ということはいささか不名誉な印象を受ける。しかし、勝負の世界では「逃げ切り勝ち」という言葉がある。高等戦術だと思う。というか、これはチャンピョン側の常套手段である。ボクシングなどでは防衛という表現を使うが、王者のひとつの側面をあらわしていると思う。
対する挑戦者は、やはり「捨て身」でいくしかないのだろう。

2005/5/23

御遺命守護に始まり御遺命守護に終わる  
浅井先生はまだ健在であり、先生および顕正会が今後どのように動いていくか、それは未知数であるが、しかし、おおよそ見えてきたような気がしないでもない。
表題のとおりである。
かつては、何のために御遺命を守護したのか、それは御遺命を達成するためである・・・というシナリオを描いていたはずなのに、そして百万以降の戦いがまさにそれであったはずなのに、いま現在の顕正会はまるでそれとは逆行しているように見える。
結局、元に戻ってしまったのである。

いちおう、「一凶」を禁ぜんことには日本は救えない、という論理を用いているので内部的には納得させられるのだろうけど、しかし、先生ご自身がいちばんわかっているだろう・・・すなわち、今後の三百万を目指す戦いと一凶追放の戦いは両立しないことを。
つまり、御遺命守護の戦いは過去の、いわば古い話であって、これから新しく入信してくる人々には容易に理解しがたい。よって、御遺命守護にこだわり続けるうちはメジャーたり得ない。「現代人に仏法をわかりやすく」というなら、今こそ新しい理論構築が必要なのである。

2005/5/22

独白開始  
わたくしは昨年末まで各所の掲示板にて駄文を投稿していたのだが、ゆえあって一切の掲示板から撤退した。(本当は某掲示板に投稿している)
そろそろ復活しようかなとも思っているけど、充電期間を経たわりにはあまりにも進歩がないので、おそらく板を汚すだけの駄文を弄するだけになりそうなので躊躇している。
そういうことで、いま流行のブログならば駄文だろうが拙文だろうが他人から文句をいわれることもないだろうし、こちらとしても多少の自己顕示欲を満たせるメリットがあるので好都合だと思う。
ようするに、掲示板でやりとりする元気はないけど、万に一つでも拙文を読んでもらってコメントが戴ければ嬉しいという、ひじょうに甘ったれた考えなのである。

どういう方向性の文章となるかは、自分でもさだかではない。


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