2005/6/4

顕正会用語と摂折論  
摂折論争というのがある。一般に大聖人の仏法は折伏であるといわれているが、実は摂受なのである、いや、折伏である、いや、摂受である、いや・・・というような論争である。もちろん簡単な話ではない。

顕正会では当然のごとく折伏をとる。で、折伏誓願だとか折伏成果だとかいうことが日常的に使われているわけである。
しかし、御書を拝見するに、そのような用語は見当たらない。つまり、大聖人が折伏正意であったとしても、すでに顕正会の使用法は間違えている可能性があるのだ。
逆に、摂受正意だとして、摂受誓願とか摂受成果などと使おうものなら、やはり間違いという可能性が高い。

一般人の感覚からすると、シャクブクもショウジュも同じく異様な言語に映るだろう。
よって折伏大行進でも摂受大行進でも、どちらにして世間にとっては迷惑だということに変わりはなさそうなのである。


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