2005/6/17

長野法論・飯山対決 観戦記  
結論から言うと、創価学会が劣勢であることには変わらないが、法華講側にもおかしなところがあるように思えてならない。

白蓮華広告の捉え方はかなり無理があるように思う。一般紙にしても、広告を載せる前には事前チェックがあるわけで、何でも無条件に掲載されるものではないだろう。これがすべてである。法華講の弁士は、日有上人の御指南に基づけば原理的に問題ないという意味を述べているが、広告の内容が好ましいものかどうかと聞けば、好ましいとは言わないだろう。つまり、好ましくない広告を載せてしまったことは落ち度だったのではないか?

また、天生原・六万坊の問題は顕正会員のわたくしにとって興味深いものだった。
創価学会の弁士は、日達上人が先師の御指南の中にも間違いがある、という趣旨をおっしゃっていることを捉えて、ゆえに歴代上人を三宝の内には含めないという論理を言わんとしていたものと思われる。
これに対して法華講の弁士は、法門に内証・外相・教相・観心などの立て分けがあるとして、歴代上人の間違いというのは内証・観心にかかわるものではない、と言っていたようである。
わたくしが思うに、内証・観心においては謬りなしとするならば、況んやそれ以下をや、ということにならないかと思うのだが。

いずれにしても、天生原・六万坊説は宗門も学会も否定するわけである。顕正会はこれに反論しなければならないのだが、出来ていないというのが現状である。


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