2005/7/31

逮捕事件は創価学会の謀略か?  
法華講系のあるサイトで、今回の顕正会員逮捕事件は創価学会の謀略だ、という説が持ち上がっている。

きわめて大雑把に書けば、最近の創価学会は不祥事つづきで内部的にはガタガタだという。これを挽回することは簡単ではない。そこで当面は創価学会員の意識を他に向けてしまうのが得策となる。ちょうど顕正会員逮捕がかっこうの材料だった。そこでマスコミをたくみに扇動して一連の報道をなさしめた。

また、顕正会が冨士大石寺を自称していること、日蓮正宗の信徒団体とも自称していること、これが全国的に報道されれば宗門のイメージダウンにもつながるという一石二鳥のねらいも考えられる。

・・・というような憶測が流れているのである。

わたくしの見解はすでに示したように、むしろ警察独自の判断であろうと思っている。
警察の裏事情などはまったく知らないが、事件の内容・性質から極秘に捜査をするケースもあれば公開捜査にする場合もあるだろう。この辺は警察が恣意的に公開したり、いつまでも極秘にしたりしていることもあるのではないか?
恣意的というのはあまりいい意味ではないが、ようするに公開するかしないか明確なガイドラインがあるわけではなく、そのつどケースバイケースで警察が判断するものだと思う。
今後の捜査に有利と見れば、意図的にマスコミに情報を流すこともあるだろうし、その逆もあるわけだ。

今回は横浜会館などを家宅捜索して資料を押収したという。組織犯罪の疑いがあるということだろうが、これは本丸の本部会館ではないにしても顕正会でも有数の地方会館であるからして、これはもうすでに、ただの逮捕事件を通り越しているのではないか?

結局、個別の事件としては大したことないとはいえ、神奈川県内だけでも年間に百件以上の被害が報告されているというのだから、看過できないという判断があったとして当然であろう。

まるで顕正会員にあるまじきことを書いているようだが、むしろ顕正会の立場では学会の謀略ではないとすべきが道理だと思う。
なぜなら先生がかつて言っているのである。学会みたいなケチな連中ではなくて日本一国から悪口中傷されるようにならなければ本物ではない(取意)。

今さら学会の謀略説を持ち出すようでは、うろたえている、としか言いようがないであろう。

2005/7/30

顕正会員はうかつな行動を慎むべき  
すでに書いたとおり、テレビ映像として容疑者二名がはっきりと映し出されていることは衝撃的である。

いわゆるリークというのであろうか、事前に警察の動向をマスコミがつかんでいたからこそ、用意周到にカメラをまわすことができたのだろう。これまでにも逮捕事件はあったが、そういうことはなかった。
これはまた、警察の側に相当の決意そして確信があってのことだろう。もし、これが完全なデッチアゲ・不当逮捕という結論になってしまったら、警察の面目丸つぶれとなる。

ということは、この事件は起訴になる可能性が高いということか?

あるいは見せしめか?

ちょうど夏休みに入ったばかりのこの時期である。これで顕正会の折伏は停滞せざるを得ないだろう。
国家が顕正会を潰しにかかることはありえない。信教の自由を奪うという自家撞着になるからだ。
しかし、顕正会の強引な折伏は是認できない。
そこで警察ができることは、機械的に被害者の訴えに基づいて捜査をして立件できるものはするし、できないものはしない、ということだけなのかもしれない。

ここでのマスコミの役割は顕正会への牽制である。
顕正会側がヘタな対応にでれば、ますますカルト教団のイメージを増長してしまうという墓穴を掘ることになりかねない。
会員は行動に注意を要するし、そのためには本部が的確な指導をしなければならない。

ここに来て、まさに顕正会の真価が問われているのだと思う。

2005/7/29

冬柴発言はどうなった?  
kane氏のブログにテレビニュースのリンクが貼り付けられていたので開いてみた。

なにしろ、わたくしの家にはテレビがないので、ひじょうに情報に疎い。ゆえに、掲示板で大騒ぎするほどのことはあるまいと思っていたが、映像を見て大騒ぎの理由がよくわかった。

まさに逮捕されて警察に連行されるその瞬間が映し出されているのである。これは衝撃的である。

わたくしは逮捕された会員と面識をもたないが、ひとりは顔をよく見知っている。はっきり言って、おとなしい印象であり、組織的にはそれほど活躍している人物ではなかったはずである。それほど悪い人間には見えないと思うのだが、一般人がどのような印象を持つかはわからない。
逆に言うと、こうしたおとなしそうな人物を狂気の行動に走らせてしまう宗教の恐ろしさ・・・というような論評が出てくるかもしれないと思った。

しばらくはこの話題がつづきそうである。

しかし、冬柴幹事長の発言はどうしたものか、掲示板では・・・といってもわたくしが見ている掲示板はごく狭い範囲ではあるが、ともかく学会系でも法華講系でも取り上げていないようである。
もっとも、公明党がやることは皆さんよくご存知のようで、民主党が政権をとったらそちらに鞍替えするみたいなことは言い古されてきたことで、今さら驚くにあたいしないのかもしれない。

2005/7/28

顕正会員逮捕の報道  
直接、ニュースを見たり聞いたりしたわけではないが、すでにあちこちの掲示板に顕正会員逮捕と会館の家宅捜索が行われたことが書き込まれている。

これについては、もやは弁護の余地はない。

前にも書いたと思うが、「折伏の段取り」という顕正会用語がある。変な言葉なので、最近は折伏の約束を取るというふうに言い換えている人もいる。

折伏をするためにはいわゆるアポを取らなければならない。これを段取りといっているわけだが、顕正会を長くやっていると、折伏の段取りが取れなくなってくる。それは片っぱしから折伏しつくしてしまって対象者がいなくなってしまうからでもあるが、それ以前に○○が変な宗教にハマっているというウワサが広まってしまってアポが取れなくなるというパターンも少なくない。

もうこうなると街頭折伏しかない。けれども、これまでにもたくさんトラブルを起こしているので、どうしても街頭折伏はダメということになっている。
そこで、ワンクッションおくのである。
つまり、街頭でいきなり折伏するのではなく、電話番号などを聞き出して後日あらためて会う約束をするわけである。

これはこれで、ひじょうに問題だと思う。
むしろ、それならばいきなり折伏するほうがマシだと思うのだ。

わたくしのつたない人生経験をいえば、大人になってから新しい友人をつくることはけっこう難しい。仕事が忙しくなれば、仕事以外の出会いはほとんどないし、仕事上の友人というのはどこか遠慮があるというか、完全には打ち解けないことのほうが多い。
そんなわけで、大人になってからはなかなか本当の友達はできにくいと思う。

結局、このような事情を踏まえるならば、いきなり折伏するほうが相手に失礼がないと思うのだ。相手は新しい友達ができたと思って喜んでいるのである。ところが顕正会員側はあくまで折伏の対象者として相手を見ているのである。
このギャップが相手をして騙されたという思いを懐かしめる結果となるのではあるまいか?
たとえ顕正会員に騙しているという認識がなかったとしても、相手にその思いを懐かしめてしまうという落ち度は免かれないと思う。

もし、この手法・・・すなわちワンクッション作戦を是認する場合、このワンクッションは最低でも一年以上としなければダメだと思う。
すなわち出会ってから一年は折伏しないというルールを顕正会で決めるくらいのことをしないと、今後も逮捕事件は繰り返されるに違いない。

ようするに、相手が監禁だと認識するのは、そこに信頼関係が存在しないことを意味しているわけであり、まだ充分に友達の関係ができていないことなのである。
自分の家にも顕正会の幹部が夜遅くまで居座ってなかなか帰らないことがあったけど、その幹部というのは友人でもあったので、まあ、しょうがないかっていう気分だった。
他のあまり面識のない幹部だったとしたら、キサマは幹部のくせに常識を弁えぬのかって、一喝していたかもしれない。

話を戻して、折伏に関するトラブルは今後もつづくだろう。
顕正会は当面の目標として三百万を目指している。この数字を達成するためにはどうしても折伏の勢いを増していかなければならない。
今の手法のままでは勢いに比例してトラブルも増加していくことは目に見えていることである。
そして何ら改善の方向性を示さないところから察すると、あるいはこれが浅井先生の意図するところなのかもしれない。

ようするに、善につけ悪につけ顕正会の名前が知れ渡ることは喜ばしいことだというのが、先生のかねてよりの発言である。

2005/7/28

kane氏へのお返事  
破邪顕通信のkane氏であるとお見受けしました。

本門宗要抄ならびに四十九院申状についてのご教示、ありがたく拝しました。他にもお気づきのことがございましたら、何なりとご教示いただければ幸いに存じます。

ところで、貴掲示板は顕正会破折以前に無宗教者の破折にオオワラワの様相ですね。
ある意味、法華講系・学会系の各種掲示板の中で、貴掲示板が最先端を担っているのではないか、という気がします。

2005/7/27

浅井先生に引退はあるのか?  
結論から言うと、先生に引退の二文字はない、と思われる。
日目上人の御跡を慕って・・・というのだから最後の最後まで戦う覚悟なのだろう。

しかし、現実問題として、病気などさまざまの理由で引退を余儀なくされることはあり得る。近年、池田大作氏の重病説がたびたび取り沙汰されているが、浅井先生だっていつまでも元気でいられるものでもなかろう。

いまだによくわからないことがある。
それは顧問先生と浅井先生の力関係である。父と息子の関係ではあるが、先生の著作によれば、妙信講再建の当初から実質的には先生が指揮を執っていたらしいのである。
まだ、先生は二十代半ばであり、顧問先生は五十代だったはずである。
現代の感覚では考えられないが、五十を過ぎれば隠居というのが一般だったのであろうか? いや、しかし、そんなことはないだろう。とすると、いつの段階で力関係に変化があったのだろうか?
これがいまだによくわからないのである。

ようするに、年齢的にはすでに先生は引退して、息子に後を譲ってもおかしくない・・・もちろん、息子に限った話ではないが、ともかく遅かれ早かれそういう時がやってくるわけである。

ただし、顕正会は先生の存命中に広宣流布を達成しようと思っていて、その後は解散するというのだから、引退だの後継だのということはまったく眼中にないのだろう。

それはそれでけっこうなことである。
しかし、現実的ではない、といわざるを得ない。

2005/7/26

日蓮正宗や創価学会よりも手ごわい相手  
顕正会にとっていちばん手ごわい相手は一般人であろう。

顕正会員の教学レベルは低く、法華講員や学会員にやっつけられている、ということを今まで書いてきたが、もっとも手ごわい相手は彼らではないようである。

最近、学会系の顕正会批判サイトでちょっとした事件(?)があった。
ここはあくまで顕正会撲滅を目指すサイトであって、ゆえに学会員だけでなく一般人というか無宗教の立場の顕正会批判者などもよく出入りしているところである。ようするに、顕正会撲滅という目的のために創価学会と無宗教者が共闘するようなスタイルが定着していた。
ところが、どうも最近は、両者の関係がギクシャクしてきた。
ぶっちゃけていえば、創価学会員は創価学会の正義を主張する、がしかし、無宗教者は顕正会を嫌いなのはもちろんであるが創価学会だって好きじゃない、顕正会批判だけに限定するなら学会と共闘できるけど、学会の宣伝みたいなことを学会員がするのならば、もはや共闘はできない、それどころか創価学会も批判せざるを得ない、というようなことになってきたのである。

あるいは、法華講員の運営する顕正会批判サイトでは、しょせん法華講も顕正会も同じ穴のムジナである、といってはばからない無宗教者(?)が居ついてしまっている。

彼らにとっては大聖人すら批判の対象である。ゆえに、対法華講・対学会では起こりえないような、いわばタブーを平気で犯してくるわけである。

わたくしだって、もし彼らと議論するはめになってしまったら、おそらくタジタジにならざるを得ないだろう。

2005/7/25

四十九院申状は御書にあらずか?  
わたくしは大石寺の平成新編御書を使わせていただいているが、四十九院申状が掲載されていないことには驚いたものである。

「・・・第三の秘法今に残す所なり、是偏に末法闘諍の始・他国来難の刻・一閻浮提の中の大合戦起らんの時・国主此の法を用いて兵乱に勝つ可きの秘術なり、」

かつては先生もこの御文をよく引用したものである。
平成新編ではなぜに不掲載にしたものか、その説明がなされておらず、まるでこっそり引っ込めてしまったようにも思えるのだが、その理由をいまだに聞いたことがない。
ただ、いわゆる学会版で確かめると、滝泉寺申状には「御代作」とあって、他にも有名なところでは下山御消息や頼基陳状などが同じく「御代作」となっているのに対して、四十九院申状にはそれがない。ゆえにもともと御書ではなかったのかもしれない。
そうすると、これはどなたの書なのか?
日興上人の御書きになったものであろうか?
それならば、それで相当の価値を持つとは思うのであるが、ともかく詳しいことはまったくわからない。

さて、顕正会で御書を編纂するとなると、これをどうするかも課題である。

2005/7/24

真偽問題の難しさ  
法華本門宗要抄は早くから偽書と言われてきた。それゆえか、さすがに先生も引用されることはなかった。しかし、昨年だったろうか、拝読こそしなかったが、内容を一部引用した。顕正会員なら記憶に新しいであろう、いわゆる空中唱声のくだりである。
残念ながら、わたくしは本門宗要抄の本文を知らない。ゆえに偽書の根拠ということもわからない。ともかく古くから偽書ということになっているらしい、という程度の知識である。

顕正会で御書を発刊するとなると、こうした偽書あるいは真偽未決書をどのように捌くか、これが大いに注目されることになる。
大石寺の平成新編では、本門宗要抄を偽書としている。
さて、先生はどうするであろうか?

ところがややこしいことには、先代の日達上人はこの書に肯定的であられたらしい。というのは、現時点で日蓮正宗の末寺が開いているサイトに、日達上人が宗要抄を引用あそばした御指南が掲載されているのだ。
つまり、平成新編では偽書として掲載しなかったけれども、現在も真書として扱っている人々が日蓮正宗に存在することになる。

2005/7/23

計画倒れの御書発刊  
これは法華講系の顕正会破折サイトでよく話題になることである。

顕正会版の御書はいつになったら出来するのか?

おそらくその気になればすぐにでも出来るのではあるまいかと思う。ようするに、既存の御書を踏襲すればいいのだから。
しかし、どうせ作るのならばいいものを作りたい。そうすると、なかなか先に進まないのである。

いわゆる系年であるとか、真偽であるとか、いろいろな課題があって、既存の御書を踏襲するといっても丸写しするわけにはいかない。

結局、御書発刊には多くの人材を投入しないといけないし、先生だって当面はそれに専念する必要があるだろう。
はたして、それだけの人材がいるかという問題と、先生にそれだけの時間的余裕があるのかという問題があって、どうにも進捗しない状況にあることは明らかである。

おそらく今のままでは永遠に御書発刊は不可能であろう。


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