2005/8/31

一体不二の御事績  
浅井昭衛著「南無日蓮大聖人」には、「日興上人は全く御本仏大聖人と一体不二の御境界であられた」として、その事例を二つ挙げている。

ひとつは滝泉寺申状のこと。
この御書は「その三分の二を大聖人がお書きになり、残りは日興上人が書き添えられている」という。

もうひとつは日蓮正宗の末寺である仙台・仏眼寺の飛曼荼羅について。
この曼荼羅は「日興上人の御書写で、御判形だけが大聖人というまことに不思議な御本尊である」としている。

滝泉寺申状の他筆部分は日興上人の御筆にあらずして富木殿の筆跡である・・・という説が正信会系の研究者から出ていることは前に書いたのだが、仏眼寺の飛曼荼羅については御当代の日顕上人が偽作の可能性を示唆する御説法をしている由である。

なんということか、浅井先生の書いたことは日蓮正宗系列の中で悉く否定されてしまったかのごとくである。他門ならまだしも・・・一つ目は研究に定評のある正信会に、そして二つ目はなんと時の御法主からである。

ところが面白いことに、法太郎なる法華講員とおぼしき人物は、この飛曼荼羅を御真筆であると論じているのである。
その論拠の詳細は知らないが、ともかく在俗の一信徒が御当代に異論を構えるのだからすごい。しかも他の法華講員からたしなめられることもないのである。
見るところ、法太郎氏はネット上における法華講の代表的論客であり、話によると日蓮正宗の御僧侶方も法太郎氏の所論には一目も二目も置いているらしいのである。

いや、実際はこの人物、何を言い出すかわからない危険人物であり、おそらく御僧侶方も心配で仕方がないのであろう。

2005/8/30

大石本門寺? 石山本門寺?  
いわゆる本門寺と呼ばれる寺はいくつもある。

北山本門寺、西山本門寺、讃岐本門寺、池上本門寺くらいなら、わたくしのような無教養でもすぐに思い浮かぶ。
これをもってこれを思うに、大石寺を富士山本門寺と改称しても、一般的というか通称としては上野本門寺とか上条本門寺、あるいは大石本門寺、もしくは石山本門寺ということになるのではないだろうか?
今となってはまったくの他門であるところの北山や西山から、「大石寺だけが富士山本門寺とは認めない、うちも富士山本門寺である」と言われると、ひじょうに困ることになると思うのだ。おそらく世間一般・・・例えば地図の表記などでも他が北山本門寺だの西山本門寺だのとなっているならば、それに準じた表記にならざるを得ないだろう。

いわゆる大本門寺構想というのが本来の富士門流にはあると聞く。

当然、広宣流布の時には大本門寺が建立されてしかるべきである。しかし、それは大石寺ではない。顕正会員のわたくしがこのように書くと、天生原だの天生山だのを言うのかと思われるだろうが、そうではない。
近・現代建築というのは、前代の建築物をすべて撤去して新しい建物を建てるのが主流というか、このようにして古きよき時代の景観をぶち壊してきた面がある。しかし、昨今は歴史的建造物を保存しようという流れに変わってきた。首相の官邸だか公邸だかは、古い建物を壊さずにわざわざ丸ごと移動させたという。他にも同様の事例がたくさんあるようだ。
これをもってこれを思うに、正本堂などもそっくりそのまま八王子にでも信濃町にでも持っていけばよかったのだ。まあ、それは冗談にしても、今の大石寺の敷地に大本門寺を建てようというならば、ずいぶん料簡の狭いことだと思うのである。そういう発想で次々に新しい建物をこさえていくものだから、大石寺は七百年の古刹でありながら、なにやら新興宗教の施設のような雰囲気にもなってしまっているのである。
もし、どうしても大石寺の寺域に戒壇堂を建立しなければならないというならば、今の大石寺をそっくりそのまま移動させて保存するべきだと思う。また、大本門寺が建立されたからといって北山や西山の諸堂宇が破却されるべきではなく、歴史的建造物として保存されるべきである。他宗は謗法だから云々は論外である。つまり、既存の建物を壊して新しく建てるという発想ではなく、まさにその時における最勝の地を選んで建立すればいいのである。
大石寺がいわゆる四神相応の勝地であることを否定するものではないが、今の大石寺のみが四神相応の勝地なのではないと思う。

もちろん富士山に本門寺の戒壇を建立すべきであることは動かない。その時、富士山のいずくに戒壇堂が建立されようとも、それが正しく本門寺の戒壇であり、いわゆる大本門寺なのである。
大石寺がそのまま大本門寺なのではない。
思うに、大石寺は永遠に大石寺でいいのである。

2005/8/29

本門寺問題つづき  
なぜ正信会の立案と言いきることが出来るのか、疑問に思う方もいらっしゃるだろう。答えは 簡単である。当時の顕正会に、この情報をもたらしたのは正信会だった。単純にそれだけのことである。
 その証拠は何か、これまた単純である。当時の顕正新聞は、顕正会本部に届く『継命』紙を元に作成していたのである。いわゆる「焼き直し」なのだ。


昨日の引用の一部である。

浅井先生の打ち出した本門寺改称陰謀粉砕の戦いが正信会のパクリ、もしくは正信会から得た情報が元になっているという指摘であるが、こちらも単純に疑問に思うことがある。もし下野氏の言う通りなら、この件に関して正信会サイドから何らかのコメントがあるのではないだろうか?
「パクリである。人の情報をあたかも己れの発見のように言うのは怪しからん。」
というようなことを正信会のほうで表明しているかどうかである。

もちろん下野氏の認識では正信会と顕正会はつながっていたわけだから、わざわざ正信会のほうで抗議めいたことを言う必然性はないのかもしれない。
が、しかし、それは平成二年当時のことであり、現在のことではない。つまり、現時点では正信会と顕正会の仲がいいとは言えないのだから、いわゆる暴露話があってもおかしくないだろう。わたくしの耳にはそのような話は届いていない。

まあ、このブログは独白が基本であるから、ここまでである。どうしても必要とあらば、下野氏に直接メールで問うなり、彼の出入りしている掲示板にでも投稿すべきところであるが、今のところそのつもりはない。

なお、今さら紹介するまでもないが、下野正信氏のサイトはいわばネット上における顕正会批判の老舗であり、元顕正会本部職員ということもあって注目度がきわめて高い。
これを閲覧して、顕正会から法華講に移籍したというケースが少なくないようである。

2005/8/28

独自性のない報道と本門寺問題  
元顕正会本部職員・下野正信氏のサイトより、「顕正会からの脱出」の一部を転載させていただく。この一段に付された小見出しは「独自性のない報道と本門寺問題」である。


 原島氏に面会するようになってから、継命新聞社と顕正会との仲が急速に接近していった。 その頃、顕正会と正信会が、手に手を取って協調したのが本門寺問題≠ナある。
 本門寺問題とは、正信会が原案を書き、顕正会がド派手に脚本を書いて演出し、なおかつ主演したドラマでもあった。
 シナリオはこうだ。
 「大石寺開創七百周年を期に、総本山大石寺を富士山本門寺に改称しよう、との大陰謀が行なわれようとしている。顕正会はこれを断固阻止せん」として、ありもしない話をねつ造し、 「陰謀粉砕の戦い」として、会員の士気高揚(しきこうよう)をはかったのである。
 すなわち「広宣流布の暁に総本山大石寺の寺号を富士山本門寺とすることが、日興上人以 来の悲願である。しかるに、広宣流布したわけでもないのに、池田大作の圧力に迎合した日顕猊下が、大石寺を本門寺に改称して、自動的に正本堂を究極の戒壇と認定しようとしている。 これを断固阻止しなければならない」という架空のストーリーを設定して、会員の闘争心を駆り立てたのだ。
 なぜ正信会の立案と言いきることが出来るのか、疑問に思う方もいらっしゃるだろう。答えは 簡単である。当時の顕正会に、この情報をもたらしたのは正信会だった。単純にそれだけのことである。
 その証拠は何か、これまた単純である。当時の顕正新聞は、顕正会本部に届く『継命』紙を元に作成していたのである。いわゆる「焼き直し」なのだ。
 笑ってしまう話がある。
 『継命』紙の焼き直しをするのだが、その中には改装中の総本山の写真があった。顕正会では、どうしてもその写真が欲しくなり、何と、継命新聞社に写真を貰いに行って、顕正新聞に掲載したのだ。その写真を取りに行ったのは、私であり、当時本部職員であったK隊長である。
 何と間抜けな話だろうか。情報も、写真も、何一つ独自の経路で取材出来ないのだ。その写真を、血脈相承を否定する輩に頭を下げて貰っているとは、何とも情けない。
 自分の手を汚さないつもりかも知れないが、そうした行為を本部職員に命令する権限も、その責任も、どなたが有するのか。
 それはそうと、最近でも、総本山攻撃をする創価学会の謀略文書やねつ造写真を、浅井会長自ら熱心に、集会の席で解説し、これを踏襲(とうしゅう)して誹謗している姿をみると、体質は全く変わっていないようだ。無惨としかコメントのしようがない。


いわく、「ありもしない話をねつ造」ないし「架空のストーリーを設定」と。

昨日、日顕上人の御指南について疑問点をあげさせていただいた。
もし、下野氏の言うとおりなら、ますます日顕上人の仰せがわからなくなると思うのであるが、如何だろうか?

上人の云く、

しかし池田は、おそらくあの大石寺開創七百年慶讃大法要の時に、この私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。

と。
これは「ありもしない話」ないし「架空のストーリー」ということにならないだろうか?

大石寺開創七百年という慶事を境にして、なぜに深刻なる宗創戦争が勃発したのかを考えれば、本門寺問題にはまだ語られていない部分があるのだろうと思わざるを得ない。
恐れながら、日顕上人の御説法に不透明感があるのは、そのためだろうと拝される。

2005/8/27

第五十三回全国教師講習会の砌  
妙観講ビデオにいささか衝撃を受けて、このところそればかりを取り上げていたけれども、その前に触れた「トチロ〜の日記」に掲載されている日顕上人の御指南について一点だけ疑問を書いておきたい。
以下、必要な部分に限って引用させていただく。

さて、私が昭和五十四年にお跡を受け、それからずっと来た平成二年の夏に、法華講の大集会を開きました。あれは「三万総会」という名目で行ったのだけれども、実際には四万人以上が集まったのです。それからさらに、その年の十月十三日には大石寺開創七百年の慶讃大法要が行われ、私はこの時の「慶讃文」で、
  「一期弘法抄ニ云ク 国主此ノ法ヲ立テラルレバ富士山ニ本門寺ノ戒壇ヲ建立セラルベキナリ。時ヲ待ツベキノミ。事ノ戒法ト云フハ是ナリト。コノ深意ヲ拝考スルニ仏意ノ明鑑ニ基ク名実共ナル大本門寺ノ寺号公称ハ事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於テ一天四海ニ光被セラルベキ妙法流布ノ力作因縁ニ依ルベシ(大日蓮・平成二年一一月号八六ページ)
ということを言いました。少し難しい言葉だけれども、これを簡単に言えば、本門寺の公称は未来だということを言ったのです。この時の池田大作は、怒りたくても怒れないような、なんとも言えない顔をしておりました。大客殿では、私はちょうど東を向いているから見えたのです。そのあと彼も出てきて挨拶したけれども、その時の顔はなんだか見ていられないような顔でした。
 けれども、私は信念を持っているのです。いくらなんでも、あのような間違った流れや様々な形のあったなかで、しかも池田のわがまま勝手な姿の色々と存するなかにおいて、今現在、直ちに「本門寺の戒壇」と称すべきではないと思っていました。しかし池田は、おそらくあの大石寺開創七百年慶讃大法要の時に、この私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。それなのに「未来のことだ」と言ったものだから、怒ったのでしょう。だけど色々な状況上、私は一宗を統率させていただくという意味において、安易に「本門寺と改称する」などとは言えないし、また、あそこで「本門寺にする」とか、「本門寺になる」というような意味のことを言わなくて、私はよかったと思っておるのであります。


以上である。

しかし池田は、おそらくあの大石寺開創七百年慶讃大法要の時に、この私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。

この部分がどうにも解せない。
池田氏が本門寺改称を期待していたという根拠がどこにも述べられていないのである。換言すれば、日顕上人がどうしてそのように思われたのか、それが文脈上きわめて唐突であって判然としないのである。

具体的に池田氏より本門寺改称の要求があった・・・とすれば、これほどわかりやすい話はないのであるが、そのようにはおっしゃっていない。

この点、法華講員はどのように拝しているのであろうか?

2005/8/26

法義論争が原点  
ナレーションの「汚名挽回」が気になったのは、用法の不適切だけのことではなかった。

あの大阪法論は顕正会が名誉挽回のために申し入れたものではなく、当時大阪方面を担当していた隊長が妙観講側の詐術に引っかかって法論の約定書に署名捺印してしまった、という経緯があったと記憶している。確か法論のための文書に署名捺印したのではなく、別件の署名捺印だったものを妙観講側が法論の約定にすり替えてしまったのだと思う。そして顕正新聞には、それが有印私文書偽造にあたるむね、書かれていたはずである。

しかし、そんなことは今さらどうでもいいことである。問題は法義論争の中身である。例えば、妙観講ビデオにも出てくる顕正新聞の御遺命守護特集号の中で、先生は大坊棟札に論及している。ようは日達上人がこの大坊棟札を偽作であるとしたことに反論しているのだが、すべて論じ尽くしたわけではなかった。いずれ詳しく破折するといいながら、すでに十七年もの歳月を経ているにもかかわらず、沈黙したままなのである。

まあ、しかし、ややこしい話である。
持ち主が偽物だと認めているものを、外部の人間が本物だと主張しているのである。このねじれ現象をどう考えればいいのであろうか?
ともかく内部で偽物というものを外部から本物であると論証するのは至難の業である。

この際、大坊棟札を顕正会にくれてやったらどうかと思う。

2005/8/25

自身の不勉強を恥ず  
一昨日の文章に錯誤があった。

確かに平成元年前後に顕正会と妙観講でいろいろあったことはわたくしも承知している。しかし、その後はまったくの沙汰止みになってしまって、それがどうしてなのかよくわからなかった。
結局、妙観講ビデオによれば、法義論争的には顕正会側が回答不能になってしまったということなのだろう。ゆえに、これ以上はヤブヘビなので妙観講の話題に触れなくなったということのようだ。


「まったくの沙汰止み」というのは間違いである。

当時、顕正会男子部のナンバー2で「冨士」の編集兼発行人だった人物が、妙観講破折の論陣を張っているのである。
わたくしが確認できたところでは、「冨士」三百四十九号すなわち平成五年の十一月号にも妙観講とりわけ大草氏を破折する文章が載っている。つまり、平成二年の大仏事を前にして、もはや妙観講ごときを相手にしているヒマはない、というようなことで直接的な行動は行われなくなったが、機関誌においてはたびたび破折論文が掲載されているのである。そのすべてはくだんのナンバー2氏が執筆者となっている。

ところがこの人物はその後、顕正会から姿を消してしまった。その理由をわたくしは知らない。

なお、「冨士」の当該号における先の論文のタイトルは、

「キリスト教神父正本堂招待事件」についての学会の遁辞を粉砕する

である。

ようするに、創価学会破折がメインなのであるが、そのついでに妙観講を破折するという構成になっている。

2005/8/24

浅井大草電話会談  
妙観講ビデオには、浅井先生と大草氏との電話会談の模様が出てくる。

これを顕正会員はどう受け取るであろうか?

わたくし自身は顕正会員でありながら、先生に批判的な立場である。そのわたくしの率直な感想を書いておこう。

この電話でのやりとりを聞いて、先生に幻滅したということは微塵もない。逆に先生の魅力がよく出ていると思う。決して先生のイメージダウンにはなっていない。

途中、大草氏を馬鹿者呼ばわりしているところがあるけど、それほど不自然な感じはしなかった。大草氏のほうにも挑発の意図がありありと見えるので、べつに先生だけが悪いとは言えないだろう、どっちもどっちである。

末端の顕正会員は、言うならば普段は演出された先生しか見ていないわけである。ゆえに、裏側を見せて幻滅させようというねらいが妙観講側にあるのかもしれないが、わたくし自身はむしろ普段の超然とした先生の姿だけでなく、こうした当意即妙のやりとりをしている生々しい先生の姿を知ることが、さらなる好感度を増すことになると思っているくらいである。

演出された先生よりは無作本有の先生・・・ああ、これはマズイ表現だろうなあ、会長本仏論だとか批判されそうである。
わたくしが言いたいのは、先生はもっと肩の力を抜いてもいいのではないか、ということである。

もうひとつ書いておくと、電話の内容よりも何よりも、最初の「はい、はい。はい、はい。」というのがすばらしかった。

これもまた、普段の超然たる姿とはだいぶん趣きを異にする、ひじょうに庶民的というか、そこらの小商いをやっているオヤジのような、あるいは普段は伝法なしゃべりをする姐御さんが電話の応対の時だけはまるで別人のようなヨソユキの言葉遣いになるみたいな・・・まあ、例えはうまくないがそんな感じである。

結論として、浅井大草問答は先生の好ましい一面を垣間見ることができるので、その意味で貴重な音源だと思う。

2005/8/23

傑作ビデオ  
妙観講のビデオは傑作である。よく編集されていると思う。
ただし、やはり恣意的という批判は免かれないのではないか?

例えば樋田ビデオでは、埼玉対決だったであろうか、これなどはまったくの無編集ノーカットであり、恣意的も何もあったものではない。それにくらべると、妙観講ビデオは胡散臭いと言われても仕方がないと思う。

まあ、それはそれとして、確かに平成元年前後に顕正会と妙観講でいろいろあったことはわたくしも承知している。しかし、その後はまったくの沙汰止みになってしまって、それがどうしてなのかよくわからなかった。
結局、妙観講ビデオによれば、法義論争的には顕正会側が回答不能になってしまったということなのだろう。ゆえに、これ以上はヤブヘビなので妙観講の話題に触れなくなったということのようだ。

であるから、昨年、浅井先生が妙観講のことに触れたのは意外だった。
結果的には眠れる師子を起こしてしまったようなもので、それ以降、妙観講員の活動がより活発化したのは衆目の一致するところであろう。

平成元年に戻って、ビデオの中で絶叫する浅井克衛男子部長(当時)はすごいと思った。
いわゆる総領の甚六とはまったく違う。逞しいし、頼もしい。お飾りの男子部長ではなく、名実ともに当時の男子部を率いていた。みずから先頭に立って戦っている勇姿がビデオによくあらわれていた。
しかし、これは身贔屓である。傍から見れば、やはり尋常とは思えないだろう。
ただし、第三者が公平に双方の言い分を聞いてどう判断するか、これはわからないと思う。

面倒なので結論だけ書こう。
このビデオのタイトルに「崩壊の夜は明ける」とある。そして終わりのほうで克衛の「激ヤセ」を指摘し、これを挙一例諸として顕正会がすぐにでも崩壊するかのようなことを言うのである。
これは平成元年のビデオである。そして今が平成十七年。
妙観講の予言は外れたようである。

う〜ん、なんだか顕正会と同じみたいではないか?

2005/8/22

妙観講と顕正会の対決映像集  
平成元年に妙観講が作ったビデオを初めて拝見した。

正直ショックだった。自分はすでにその頃から顕正会員だったが、当時は顕正会サイドの情報しか知らなかった。まったくの井の中の蛙だった。

揚げ足取りをするならば、「汚名挽回」というナレーションはいただけないと思った。逆にいえばそれくらいしかすぐには思い浮かばなかったということである。

これに関してはしばらく頭を冷やしてから、何かしらコメントしたいと思う。
何に感応したものか、けっこう頭に血が上っている。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ