2005/8/11

顕正会用語の特殊性  
少し前に顕正会用語の基礎知識というタイトルで書いた。

顕正会員の口からは「証拠」という言葉がやたらと頻出するが、これがひじょうに違和感のある用法なので、最近は「証拠」を「証(あかし)」に言い換えているのではないだろうか・・・というような論旨である。

ところが直近の顕正新聞を読んでみたら、ひとつの記事の中に三回も「証拠」が出てくるのだった。これには驚いたというか恐れ入ったものである。

「四名の証拠を表わすことができました」
「五名の証拠に表わしており」
「二十七名の証拠を以てお応えできました」

もっとも、この「証拠」をただ単純に「証(あかし)」に書き換えてみたところで、違和感は拭えないだろう。

2005/8/10

引き続き選挙の話題に絡めて  
過去の顕正新聞には創価学会の動向だけでなく、公明党のこともあれこれ書かれている。

で、ある年の総選挙では公明党の得票数が激減して、いよいよ(創価学会は)滅びの時を迎えたみたいな記述が顕正新聞に残っていたりする。
つまり、公明党=創価学会であり、選挙の結果がそのまま創価学会の伸張をあらわすバロメーターということなのだろう。
結局、この予言(?)もハズレということになる。
旧社会党のように、いわゆる凋落傾向に歯止めがかからないという例ももちろんある。ところが公明党はこれまで、勝ったり負けたりを繰り返してはいるものの、平均すると安定しているのである。大きく伸びてもいないけど、逆に大幅に後退している様子もない。

であるからして、創価学会が滅びの時を迎えた云々は、一見すると状況分析による客観的判断のようであるけれども、早い話が顕正会サイドの願望を述べているに過ぎないとも思われるのである。

先日、創価学会員に見習うべき点が少なくない、という意味を書いた。
これは教義上の正邪云々を抜きにして、現実問題として創価学会員は選挙という形でまさに一国レベルの戦いを行っているのであり、それが得票数という客観的な数字であらわれてくるのだから、ごまかしようがない。一方、顕正会の一国諌暁はたとえ諫暁書を全国民に配ったとしても、その段階に止まっているうちは自己満足に過ぎない。
折伏成果もまた然りである。

その意味でいえば、三百万の実現以前に、当面は五万人の大総会・十万人の大行進を実現しないことには、自己満足のレベルからは一向に脱却できていないことになるだろう。

2005/8/9

背水の陣  
浅井先生の予言は外れっぱなし・・・という批判がある。

そもそも先生の発言が予言なのかどうか、それがわからない。まあ、しかし、かなり断定的な物言いを先生がしているのは事実であり、その通りにはなっていないことが多いのも否定できない事実であろう。

昨年、諫暁書が出来して、小泉首相あてにも発送したという。
ところが小泉首相は諫暁書を無視して、直後に川崎大師に参詣したという。この現罰がただちにあらわれた。福田官房長官の辞任である。
福田氏は影の総理といわれるほどの実力者だった。これが辞任ということは実質的に小泉内閣の崩壊を意味する。小泉内閣もいよいよ終わりである。

・・・というような指導があったのであるが、どうやらハズレのようである。わたくしの思うに、小泉首相はそんなヤワな人物ではなかった。今日まで政権を維持できたことからすれば、先生の予言(?)はハズレタといわざるを得ないであろう。
今度の選挙がどのような結果になろうとも、小泉首相がここまで来れたことは驚異的なことであり、すでにじゅうぶんに歴史的な人物として確定したと思われるのである。
並みの総理大臣だったならば、とっくの昔に腰砕けになっていたに違いない。

ものすごい精神力である

で、顕正会でも好きな言葉であろう、いわゆる背水の陣を小泉首相は取ったわけであり、これがまた、けっこうカッコいいので、にわかに小泉人気が復活しているとも言われているのである。

2005/8/8

顕正会と選挙  
まるでふさわしくないタイトルである。
顕正会は創価学会のような選挙活動をしない。それは政党を持っていないのだから当然でもあるが、話によればかつてある政党が顕正会に接触してきたそうである。つまり、顕正会の組織票をあてにしてのことだろうが、浅井先生は返事もしなかったという。
まあ、これは活字になっていないので、よくはわからない話である。

将来、国立戒壇建立の是非が政治課題になる、その時に国立戒壇賛成の議員は応援するし、反対の議員は応援しない、選挙でも賛成か反対かによって投票を決めればいい、というようなことは顕正新聞に載っていると思う。

しかし、現実問題として、そのような時代がいつ到来するともわからない。顕正会では、遠い未来の理想として語る時代は終わったといい、もうすぐやってくるみたいにいうけれども、どうも現実は遠い未来としか思えない。

いずれにしても、それまでは政治に無関心なのが顕正会のスタンスなのであろうか?

変な話、わたくしはある意味で創価学会の選挙活動を評価している。
というのは、国立戒壇ではないにしても、郵政民営化などはまさに国民的関心事であって、今それが総選挙という形で国民の信を問うという段階に至っているわけである。ここで静観していて、国立戒壇の時だけ動くというのでは国民としてどうかと思う。

もちろん、顕正会が顕正会員個人の投票を禁じているわけではないので、ようは仏法以外のことはおおむね個人の判断が尊重されている、というのが顕正会のスタンスである。
しかし、実際の話であるが、現場では、つまり末端では、選挙なんてくだらないから行かなくてもいい、というような指導がなされているのである。

この点では創価学会のほうが社会的というか、会員個人の資質として顕正会員より学会員のほうがすぐれている、社会性を身に付けている、ということができるのではあるまいか?

しばしば取り沙汰される顕正会員の非常識な行動というのは、言い換えれば社会性の欠如以外のなにものでもないであろう。

結局、創価学会は政治野心のために大事の御遺命を曲げた、という顕正会の立場では政治に真っ正面から向き合うことは難しいのかもしれない。
しかし、立正安国論をもってすれば、大聖人は立宗初期においてすでに幕府に深く関わらんとあそばされたことは明白である。そうであれば、顕正会が今の段階で政治に介入したとして問題はなかろう。もちろん、具体的にどうするか、これが難しいのであるが。

ある意味、創価学会員は政治活動をすることで相当の社会性を身に付けることができたのではないかと思う。
この点は見習うべきところが少なくないのかもしれない。

2005/8/7

顕正会の体質改善は可能か?  
一ヵ月後に男子部幹部大会が行われる。

この集会を創価学会でも法華講でも注目していることだろう。なぜなら、この集会の結集がどの程度のものになるかで、現在の顕正会の実力がわかるからである。

今から十二年前に男子部大会があって七千名を集めた。これを基準にすれば、顕正会が伸びているか、あるいは後退しているか、わかってしまうわけである。

それはさておくとして、平成五年の男子部大会は一国広布の出陣式といわれるものだった。
大会直前の総幹部会だったであろうか、ある男子部幹部の登壇があった。わたくしはこれがやけに印象に残っている。

ひとことでいえば、この男子部大会を男子部の体質改善の好機と捉え・・・云々ということだった。

今でこそ、折伏成果において女子部に完全に負けてしまっている男子部であるが、まだ当時は互角くらいだったと思う。
ただし、デタラメな折伏をやっていて数字はあがっても内容がともなわないものだった。つまり、男子部では形だけの入信者ばかりを増やしていたのである。

ようするに折伏成果はあがっても結集にはつながらないのだった。
これをかの男子部幹部は男子部の体質であると指摘していたわけである。

ところが今となっては男子部だけの話ではなく、顕正会そのものの体質となりつつあるのではないか? あるいは、なりつつあるのではなく、すでになってしまっているのではないか? という気がするのである。

しかも逮捕報道があって、これからいよいよバッシングが強くなっていく時である。折伏の伸びもどうなるかわからない。
これで結集も伸びないとなれば、顕正会は明らかに後退期に入ったとみなされるだろう。

まさしく今こそ顕正会の体質改善が必要なのではあるまいか? とわたくしは思うのである。

2005/8/6

顕正会の首脳部には間者がいるのか?  
某掲示板を閲覧したら、克衛失脚説の真相なるものが書かれていた。情報源は顕正会の首脳幹部であるという。

そもそも主任理事が失脚したのかどうか、どうもはっきりしない話である。
確かに昨年の秋頃、突如として壮年部から手を引いている。これの理由を聞いたことはないが、もともと他の組織では部長が最高責任者であるにもかかわらず、壮年部だけは部長の上に主任理事が乗っかっているという変な組織形態だった。ゆえに、今のほうがすっきりしているというのがわたくしの実感である。ただ、今なお部長はお飾りであり、副部長が実権を握っているような印象は拭えない。

ある意味、壮年部は成果のあがっていない組織であり、責任上、部長の交代が頻繁に行われている、という見方もできると思う。
その意味で行けば、主任理事だけ別格ということはできないわけで、それで責任を取った、あるいは取らされたという見方はあって当然だろうと思う。

もちろん、わたくしは真相を知ることのできる立場ではないので、上記はあくまで常識的な範囲で推測を書いただけの話である。

それにしても顕正会の首脳幹部なるものが法華講員に真相を漏らすものであろうか?
むしろそれは真相ではなく、もっと深刻な真相があって、それをカモフラージュする意味のリーク情報ではあるまいか、などと勘ぐってしまいたくもなる。
例えば、浅井先生と主任理事の間に深刻な亀裂が生じていて、にっちもさっちも行かない状態であるとか。

いやいや、もちろんこれは常識を逸した妄想の類である。

2005/8/5

三段論法的私論  
すでに摂折論については、自分の考えをおおまか述べている。特に変更することもないし、付け足すこともないのであるが、不軽菩薩=折伏の可能性を次の御文から導きだせるかもしれないとは思っている。

「又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に。軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。」(聖人知三世事)

開目抄の摂折を論ずる段では文句の「此の経は偏に摂受を明かせども、頭破七分といふ。折伏無きに非ず。」とあるが、では具体的に法華経のどこに頭破七分とあるのかといえば、おそらく陀羅尼品であろう。
ところが大聖人は聖人知三世事で上記のように仰せである。
つまり、不軽菩薩と頭破七分の関係をはっきり御述べになっているのだ。
他の御書では勧持品と不軽品をイコールのような意味で仰せになっているものもある。そして、ここではいわば不軽品と陀羅尼品をミックスさせているわけで、この辺がまさに大聖人の大聖人たるゆえんであろう。

ただし、注意を要するのは、「軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん」でワンセットとなっていることである。
これを顕正会的にいえば、罰と功徳の説法ということになる。つまり、相反するものを並べて提示しているわけで、ここが「各一端を挙げて時に適ふのみ」ということであり、「取捨宜きを得て一向にすべからず」ということなのである。

2005/8/4

開目抄の異本  
昨日、紹介した日蓮大聖人の思想(山上論文)では、当然のごとくというべきか、開目抄における「常不軽品のごとし」をめぐる問題にも触れている。

開目抄のこの前後の部分は法華経安楽行品と大経との対比を用いて摂折を論じられているわけであり、「常不軽品のごとし」というのはおかしいという指摘がある。しかも身延曾存の開目抄にはこの文は存在しなかったとされているわけで、そうすると、はたして不軽菩薩の振る舞いを折伏といえるのかどうか、という問題が生じてくるわけである。

そこで山上氏は彌蘭陀三問経・勝髪経・大日経などから折伏の原義をさぐり、さらに天台・妙楽などの釈を詳細に検討し、結論として「三段論法ながら不軽菩薩の逆化が折伏であるとの見解を抽出することができる」と述べている。

「三段論法ながら」というのは、大聖人の御指南からは、不軽=折伏という結論を直接には導き出せないということなのであろうか?

それからいわゆる身延曾存の開目抄には「常不軽品のごとし」がないことについて、日興上人の開目抄要文も同様であることからなかったことは確実であるとしている。
しかし、流布本と身延本では流布本のほうが整束しているとして、未再治(身延本)→再治(流布本)の関係ではないかと推測している。
開目抄は複数の本が存在した・・・ということらしいので、そうであれば上の推論はけっこう説得力を持つと思う。

ちなみに、どなたから聞いたものか失念してしまったが、撰時抄も現存の本と身延曾存ではずいぶんと内容に違いがあるという。
つまり、こうした重要御書は大聖人御自身が何度も推敲を重ねられ、書き直されたということができるのだと思う。
言うまでもなく、立正安国論がその最も典型的な例であろう。

2005/8/3

引き続き正信会関連の話題  
下記は新潟県大会での浅井先生の講演である。

「この開目抄のお文字ですが、四百余篇の御書の中で最も気魄に満ち、堂々たるお文字だそうです。いま御真蹟はありませんが、御真蹟が存在した当時拝見した者の記録が、残っているのです。一文字が三センチ四方の堂々たるお文字。大聖人様の天馬空を行くような雄渾のご筆跡が、瞼に浮んでまいります。」(顕正新聞第1001号)

この「御真蹟が存在した当時拝見した者の記録」というのは何を指しているのか、ご存知の方がいればご教示ねがいたいと思う。

山上弘道氏の論文には、日乾目録に記録されている報恩抄や撰時抄の紙数と開目抄の紙数を比較して、「あるいは表裏に書かれていたかもしれないし、もしくは通常より小さな字で書かれていたことになるだろう(取意)」とある。

もし浅井先生のいう「記録」がそのとおりなら、わざわざ山上氏がこのような推論をする必要はないだろうと思うのである。山上氏ほどの人物が資料を見落としているとは考えにくい。そうすると先生の話は何だったのかという疑問が湧いてくる。そこで出典を知りたいと思ったのである。

2005/8/2

御書システムのコラム  
先日、法華本門宗要抄について書いたところ、kane氏よりコメントをいただくことができて大変ありがたかったものだが、ちょうどタイミングよく御書システムのコラムでも宗要抄について論じていて大いに勉強になったものである。

御書システムは正信会系の興風談所が開発した御書のデータベースで、ひじょうによくできたものらしい。
わたくしは機械オンチである。そのため、インストールの仕方がよくわからないこともあって導入していないが、そもそも学問に王道なしともいうから、あまり便利なものは使わないほうがいいとも思っている。

それはともかく今回のコラムで気になったのは、いわゆる二月十六日という大聖人の御誕生日について、ようはこの宗要抄が初出であって大聖人の御書には二月十六日を明記するものがないということと、それから御伝土代を日時上人の御執筆とされていることである。

この辺のことは、わたくしのような素人にわかることではない。
ただ、御伝土代は日道上人の御筆であるというのが大石寺の見解のはずであるから、この興風談所の新説に対しては何か反論のようなものを用意しているのか、あるいはすでに発表しているのか、その辺がひじょうに興味深いところである。

そういえば滝泉寺申状の異筆部分は従来、日興上人の御筆跡とされてきたわけで、顕正会で出している「南無日蓮大聖人」でもそのように記述している。
ところがこれは富木殿の筆跡だという。
これが本当なら興風談所はいわば定説をくつがえしたことになるが、はたして宗門ではどのように反論しているのであろうか? これもひじょうに興味深い。

もちろん顕正会でもそれなりの見解を示さなければならないところである。


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