2005/8/5

三段論法的私論  
すでに摂折論については、自分の考えをおおまか述べている。特に変更することもないし、付け足すこともないのであるが、不軽菩薩=折伏の可能性を次の御文から導きだせるかもしれないとは思っている。

「又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に。軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。」(聖人知三世事)

開目抄の摂折を論ずる段では文句の「此の経は偏に摂受を明かせども、頭破七分といふ。折伏無きに非ず。」とあるが、では具体的に法華経のどこに頭破七分とあるのかといえば、おそらく陀羅尼品であろう。
ところが大聖人は聖人知三世事で上記のように仰せである。
つまり、不軽菩薩と頭破七分の関係をはっきり御述べになっているのだ。
他の御書では勧持品と不軽品をイコールのような意味で仰せになっているものもある。そして、ここではいわば不軽品と陀羅尼品をミックスさせているわけで、この辺がまさに大聖人の大聖人たるゆえんであろう。

ただし、注意を要するのは、「軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん」でワンセットとなっていることである。
これを顕正会的にいえば、罰と功徳の説法ということになる。つまり、相反するものを並べて提示しているわけで、ここが「各一端を挙げて時に適ふのみ」ということであり、「取捨宜きを得て一向にすべからず」ということなのである。


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