2005/8/21

都合の悪いことには触れないのが人情=摂受か?  
「法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる。人の理をかくせる者なり。」

数日前に開目抄を拝読した。こうした長文御書は拝読するたびに新たな発見がある。今回は上記の御文が目に留まった。

簡単に説明すれば、法華経は末法の衆生の機根には合わないというのが法然などの主張であるが、伝教・慧心は明確に「法華一乗の機、今正しく是其の時なり」「日本一州円機純一」等と示されている。わたくしは法然の選択集を読んだことはないが、大聖人の仰せにしたがえば、法然はこうした都合の悪い釈には一切触れないで法華経誹謗をしていることになる。

これは現代でもまったく同じことが言えそうである。
我が顕正会でもそうであるが、法華講でも創価学会でも大差はないように思う。自分たちに都合のいいことは繰り返し宣伝する、都合の悪いことはなるべく触れない、というのが実相である。

昨年の全国教師講習会における日顕上人の御説法がトチロ〜の日記に全文掲載されている。

浅井先生がいわゆる幕引き云々で強く日顕上人を批判した例の話である。
やはり顕正会員はいちおう全文読んでおくべきだろう。
わたくしの感想は、けっこう正直に書いていらっしゃるではないか、というものである。はっきり言って、この件は宗門にとって都合の悪いことがたくさんあると思う。これは顕正会員なら当然そう思うだろう。ところが日顕上人はこれらのことをかなり正直に書いていらっしゃるのである。宗門が全面的に正しいという論調ではない。むしろ反省の御言葉が各所にある。これはもう、これで充分ではないか、という気分にもなるのである。
ゆえに、浅井先生のほうが憎悪をあおりすぎている、と思えなくもないところがある。

もちろん判断は人それぞれであるが、ともかく顕正会員は一読すべきであろう。


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