2005/9/4

明治は遠くなりにけり  
どなたの言葉だかよく存じ上げないが、明治は遠くなりにけり、というフレーズがある。

ふと思ったのは、御遺命守護の戦いは遠くなりにけり、ということである。

今現在、ネット上で活躍している人の大半は、顕正会を批判する側にしても批判される側にしても、あの時代をじかに経験しているわけではないと思う。まだ生まれてすらいなかった人も少なくないだろう。
そういう世代の人たちが浅井先生の御遺命守護の戦いを云々しているのである。
先生の立場から見れば、何も知らない若造が何を言うか、という思いにもなるに違いない。
だからといって、わたくしは、こうした若者たちの言論を封殺するつもりはない。というか、わたくし自身も御遺命守護の戦いをじかには知らないのであるから、五十歩百歩なのである。

浅井先生は凡夫である。

先生は、わたくしよりも遥かに人生経験が長く、教学にすぐれ、世間的な見識もあって、立派である。しかし、先生は凡夫である。
なぜならば、さすがに今日のような時代は想像すらできなかったと思うのである。
先生いわく、インターネットは便所の落書きである、と。
確かに、何もわかってないような若者が言いたい放題できる、無責任な世界である。しかし、そうは言っても、もはやそれを止める手立てはない。

すでにネット慣れしている人たちはよくわかっている、この世界が玉石混淆であることを。
であるから、ひとつの情報を鵜呑みにせず、反対意見の書かれているサイトなどもよく参考にした上で、自分なりの判断を下すわけである。こうした習慣が身に付いている者の意見であれば、たとえ若輩たりといえども、その当事者でなくとも、決してあなどることはできないと思う。

むしろ、先生に間違いはない、先生は絶対である、先生の指さされるまま、みたいなことはナンセンスと言われても致し方がないであろう。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ