2005/9/12

「地涌」第879号  
「地涌」というのは宗創問題勃発以降、不破優なる正体不明の人物によって書き続けられてきた日蓮正宗批判記事である。
今からちょうど十年前の記事に興味深い記述がある。
以下はその記事の一部である。

日達上人の民衆立の戒壇論を否定し、国主立の戒壇論などという前代未聞の面妖な教義を持ち出し、顕正会の国立戒壇論に接近している。日顕は、つぎに現在の奉安殿や御宝蔵を壊し、新宝蔵を建て、戒壇の大御本尊を正本堂から遷座するとも噂されている。
 その前後に予想されるのは、顕正会の宗門復帰である。だが、顕正会の宗門復帰はありえないと宗門人の多くは考えるだろう。しかし、考えられないことをするのが日顕である。日顕は独断でものごとを決し、秘密裡に計画を進めることを常道とする。
 思えば、池田名誉会長の総講頭職よりの宗規変更にことよせた実質的罷免も唐突であったし、二百七十八本におよぶ桜の伐採、六壺、大化城、大客殿の破壊も思いがけないことであった。
 正信会の復帰工作も意外であった。正信会側で反対の意見が噴出しなければ、同会の宗門復帰は実現していただろう。また、この件を含めた宗門に関わる重大問題を、犬猿の仲と思われていた山崎正友と内密に相談していたのも、大方の予想を超えた出来事であった。
 日顕が、宗門人の考え及ばないことをどうしてここまでつぎつぎとなし得るのか。日顕の心の内に、故・日達上人や池田名誉会長への尋常ならざる妬みが宿っているからである。
 この日顕の傾向性からすれば、顕正会の復帰は大いにあり得る。故・日達上人と池田名誉会長を憎む顕正会会長の浅井昭衞と日顕は共感し合えるからである。


この段階ではまだ望みがあったということか?

ある意味、こうした記事が牽制球となって、顕正会の復帰が阻まれたという見方もできるかもしれないが、もはや今となっては絶望的である。

十年の歳月をうらめしく思う。


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