2005/9/14

敷衍と曲会の狭間にて  
トチロ〜の日記に日顕上人の御指南「第五十三回全国教師講習会の砌」全文が掲載されていることはすでに書いたのだが、有名な妙音のほうにも掲載されていた。しかも文末に、三大秘法開合の相を図示したものが載っているので、顕正会員はぜひ見ておくべきだろう。

http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/SHIRYO2/A04.htm

ようするに、事の戒壇には「事相の戒壇」と「根源の事の戒壇」があるというのが宗門の主張であり、顕正会は事相と根源の区別がわかっておらないということなのだろう。
その説明に、日寛上人の法華取要抄文段と日顕上人の御言葉を並べているわけである。

「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」

一番最初に言ったように、戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、『事相』なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確性が顕れません。よって『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。


しかし、わたくしの思うに、日寛上人の御指南は奉安堂ないし旧正本堂などを根源とはしていないのではないか?
「正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」をもって論拠とするのは短絡であろう。なぜならば「広宣流布の時至れば」云々だからである。文脈上、ここでの枝葉・根源は広宣流布の後のことを御指南あそばしていると読むのが自然である。

恐れながら、わたくしなりに意訳させていただくと、

「広宣流布の時になれば、今は阿弥陀や大日などを本尊としているような寺々も、すべて歴代上人書写の御本尊が安置され、正しくそこに戒壇の義が具わるのである。しかし、あくまで義(枝葉)の戒壇であって事(根源)の戒壇ではない。事の戒壇は正しく本門戒壇の大御本尊所住の処、すなわち御付嘱状の本門寺の戒壇だけが根源の事の戒壇である。」

日寛上人は当然のごとく一期弘法抄・日興跡条々事を御承知であられる。
つまり、広宣流布の暁には弘安二年の大御本尊が本門寺の戒壇に懸け奉られる・・・これを前提とした上で、一閻浮提のすべての寺院と大本門寺との関係を御示しになっていると拝するべきだと思う。
ゆえに、日寛上人の当該御指南からは、奉安堂・旧正本堂を根源の戒壇とすることはできないとわたくしは拝するものである。

ただし、一閻浮提のすべての寺院と大本門寺の関係がなぜに枝葉と根源の関係になるかといえば、そこにまします御本尊の相違によるわけであり、これは広宣流布以前にも当てはまることではある。つまり、日蓮正宗の各寺院と本山大石寺との関係である。ここにもおのずと枝葉と根源の関係が存在する。
そこから敷衍して、日開上人や日達上人が「戒壇の大御本尊まします処は、いつでもどこでも事の戒壇」と仰せになったことは道理に適っているとわたくしは思う。

繰り返しになるが、日寛上人の御指南からは直接に大石寺(奉安堂・旧正本堂)を事の戒壇とすることはできないが、日寛上人の御指南を敷衍していけばやがては日開上人・日達上人等の御指南にたどりつくのではないか、というのがわたくしの考えるところである。

しかし、どうだろう?

ここで敷衍という言葉を使ったが、浅井先生なら「それは敷衍ではなく曲会だろう」と言いそうである。


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