2005/9/24

初歩的な問題提起  
須弥山は上下十六万八千由旬の山なり。何れの山か肩を並ぶべき。法華経を大日経に劣ると云ふ人は、富士山は須弥山より大なりと云はん人なり。

この御文の意味は明瞭である。

すなわち山の譬えをもって諸経(ここでは大日経)と法華経の勝劣を判じているわけであるが、図示すれば次のごとくなるだろう。

  須弥山>富士山
  法華経>大日経

富士山といえば、顕正会員ならば誰しも一期弘法抄を想起するのではあるまいか?

富士山に本門寺の戒壇を建立すべし云々。

しかし、どうだろう? 先の聖愚問答抄での用法とはかなり趣きが異なるという印象を受けないだろうか?
つまり、聖愚問答抄では法華経を須弥山になぞらえ、大日経を富士山に当てているのである。申すまでもなく須弥山が勝であり、富士山が劣である。
あえてイヤラシイ書き方をすれば、富士山=劣に戒壇を建立せよ、ということになる。
どうせなら、須弥山に戒壇を建立すべきではないのか? あるいは霊鷲山か?

今の顕正会幹部でこの問題にすらすらと答えられる者がどのくらいいるのだろうか?

これはまだ初歩的な問題である。
さらに先がある。富士山は通称であって本当は大日蓮華山というそうである。これを聖愚問答抄に当てはめると、大日経=大日蓮華山となる。わたくしは「大日蓮」ないし「日蓮」という意味で捉えていたが、読みようによっては「大日(如来)」+「(八葉)蓮華」の山ということになる。
そして不動・愛染感見記には、大日如来から嫡々相承を受けた意味が記されている。

はっきりいって、これはわたくしにもさっぱりわからない。


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