2005/12/11

敬語表現の難しさ  
浅井先生の反日感情

報恩抄の一節から

御法主上人と浅井の関係はあくまで主従・上下であって、それが逆転することはあり得ない。

わたくしが浅井先生を呼び捨てにしている理由を書いておきます。

当ブログにおいては一貫して浅井先生と書いているつもりですが、例外的に呼び捨てになっているところもあるかもしれません。わたくし自身で自覚している箇所は上記のごとくです。これはうっかりミスではなくて、文脈上これが適切だろうと判断したもので、敬語表現としては間違っていないと思っています。
「御法主上人と浅井先生の関係」としたほうが無難ではありましょう。
この辺は言語感覚の違いによって受け止め方が変わってくるところでしょうから、絶対的に片方だけを正しいとは言い切れないだろうと思います。
わたくし自身は、まさか「阿部日顕と浅井先生の関係」とは書けませんし、「阿部と浅井の関係」とも書けません。

申すまでもなく、わたくしが「浅井」と書く場合は、おおむね外部に向かって書いている時です。これも敬語表現としては間違っていないと思っています。
ただし、顕正会員は日本人全員を折伏するつもりでいますからね、確かに全員入信して顕正会員になれば、日本人全員がイコール浅井先生の弟子ということになりますね。そのつもりで最初から先生と呼ばせる方向性にあるのだろうという気がします。これはいちおう理に適っていると思います。
けれども、わたくしが思うには、何も「浅井先生」を広宣流布するわけではないのです。また、全員が顕正会員でなくてもいいと思います。広宣流布の時に創価学会があってもいいですし、正信会だってあってもいいだろうと思います。
理想はですね、顕正会員が創価学会員に向かって「池田先生はお元気ですか」と挨拶できるようになることではないでしょうか?
もちろん創価学会員も顕正会員に向かって「浅井先生もお元気そうで・・・」と返せるようにならなければいけません。

これが世間の常識だと思います。
現在の姿はまさに先生の言うとおり、世間の嘲笑を買っているに他ならないでしょう。何とも恥ずかしいことです。

少なくともわたくしがこれまで書いてきた文章からは、憎悪に類するものは感じられないだろうと確信しています。つまり、わたくしが浅井先生を呼び捨てにしたとしても、それは憎悪を意味するものではまったくないのです。それは文章を読めばわかることだろうと思います。


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