2006/1/31

皇室問題は日蓮正宗にとってもタブーなのか?  
また汝は、日本は三大秘法有縁の妙国であれば、仏法守護の本有の王法が久遠より存する。これが皇室であり、別しての「王法」である≠ニ主張する。しかし現実には天皇は、古代国家の専制君主の時代から、鎌倉・室町・江戸という封建時代の公武二元体制を経て、明治・大正・昭和の戦前まで立憲君主となり、現在は国の象徴となっている。このように、時代によって天皇の立場には変遷があった。それは今後もあらゆる可能性を含みつつ、時代とともに推移していくのであり、将来の姿は全く予想がつかないのである。

邪義破折班のこのあたりの考え方はちょっと意外な感じがする。

あくまでインターネット上での話であるが、平均すると法華講員には尊皇主義的な人たちが多いように、わたくしには感じられるのである。
例えば、武家の身延に公家の富士、というような言葉が古くからあるのだと、どなたかが言ってらしたことがある。あるいはごく最近の話であるが、法華講員の運営する掲示板において、「皇室におかれましては今上陛下のお婆様にあたられます、貞明皇后陛下、並びに秩父宮殿下は日恭上人猊化よりご本尊様を下付いただいた日蓮正宗の信徒であらせられました」云々との書き込みがあった。

ゆえに、こうした法華講員の方々には、どちらかと言うと邪義破折班の論述よりも浅井先生の「本有の王法」説のほうが親和性があるのでは? とわたくしには思えるのであるが違うだろうか?

しかし当然に、ネット上で法華講員が書き散らしている(と言ったら語弊があるが)くらいのことは、邪義破折班だって承知していることだろう。

ここに重大な疑惑がある。

邪義破折班の論述ではことさら皇室を軽視しているようにも感じられるけれども、それは単なるポーズであって実は浅井説にほぼ同意なのではなかろうか? という疑惑である。
ようは、むやみやたらに顕説すべからざる秘奥の法門がそこにはある、ということではなかろうかと。

もし、このとおりだとすると、おそらくは御法主上人が言及しない法門について青年僧侶のブンザイで勝手に言うわけにはいかないこと、さらになぜ御法主上人が言及しないのかといえば、「時を待つ可きのみ」との大聖人の御制誡に抵触するからではなかろうか?

将来を嘱望されているであろう青年僧侶といえども、御相承を受けたわけではないのだから、いまだあずかり知らぬ法門がそこには存するのであろう。してみると、皇室については、「それは今後もあらゆる可能性を含みつつ、時代とともに推移していくのであり、将来の姿は全く予想がつかない」とするのがもっとも無難な回答なのかもしれない。

宗門で公式にというか大っぴらに公表していないようなことどもがネット上に出回っている。法華講員には失礼ながら、さしずめこれは、人の口に戸は立てられぬ、といったところであろう。転じて浅井の口に戸は立てられぬ、と。

それにつけても、顕正新聞掲載の日曜勤行指導といい、あるいは直近の総幹部会でもそうらしいが、浅井先生はいわゆる女系天皇大反対を表明している。皇室問題はただでさえヤッカイなのに、ここに仏法上の問題が絡んでくるのだから大変である。この点についての日蓮正宗側の見解もうかがいたいところであるが、またしても「予想がつかない」と言うのであろうか?

2006/1/30

王法本来のあり方とは?  
しかしこれらの解釈は、現代社会に即して王法本来のあり方を述べたものである。『四条金吾殿御返事』に、
夫仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に仏をば世雄(せおう)と号し、王をば自在となづけたり。(新編一一七五頁)
と説かれているように、王法とは王の法である。つまり主権在民の現代にあっては、国民の総意に王の意義が存するのであり、その生活上の善悪に対する賞罰の法なのだから、王法に「あらゆる生活の原理」を含むことを教示されたのである。すなわち原理とは、善悪に関する因果の理法であり、これに一切を含むことは当然である。故に汝の「あらゆる生活の原理」などの意は微塵もない≠ネどの言が欺瞞に過ぎないことは、この御金言に明らかである。日顕上人の説かれる「王法イコール政治をふくむあらゆる社会生活の原理」とは、王法の語が仏法すなわち出世間法に対する世間法の全体に通じていることを示されているのである。


わかったようなわからないような微妙な説明だと思う。

御書を引用して、「・・・と説かれているように王法とは王の法である」というのだが、え? この御書のどこに「王法とは王の法」と説かれているのかしら? と思って当該御書の全文を拝読してみたところ、そのような御指南は見当たらなかった。

また現在における「王法」の義を「王の法」ととらえる上からは、現在の「国主」乃至「王」たる国民全体の法則・原理には、一切が含まれるのであり、国家統治にかかわる概念≠焉Aその中の一部に過ぎない。

すぐ後にもご覧のように「王の法」が出てくる。なんだろう、よくわからない。

浅井先生は、あらゆる生活の原理などの意は微塵もない、と言ったわけだが、邪義破折班では、これが欺瞞であることは御金言に明らかだ、と言っている。
はたしてこの御金言の意味するところが破折班の説明どおりなのかどうか、わたくしにはわからない。現代社会に即して、とか、主権在民の現代にあっては、という断りが入っていることからすれば、ひとつの解釈に過ぎないという気がする。

いちおう、これを正当な解釈だとしよう。
しかしながら、「国民全体の法則・原理には、一切が含まれるのであり、国家統治にかかわる概念≠焉Aその中の一部に過ぎない」というのはどうか?
ここはむしろ総別の二義でさばくところではないかと思う。すなわち、総じて言えば「あらゆる生活の原理」であり、別しては「国家統治にかかわる概念」である。ゆえに「その中の一部に過ぎない」というのは矮小化以外の何ものでもないだろう。

四条金吾殿御返事の当該御文はやや難解である。
現在のわたくしの理解を申し上げれば、ここでの仏法・王法は対立概念ではない、ということである。
減劫御書や白米一俵御書には仏法世法一体の御指南がある。また日興上人の御指南に仏法王法本源体一がある。してみれば、「あらゆる生活の原理」とは仏法そのものに当てはめてしかるべきだと思う。
世間・出世間ないし王法・仏法をわけて考える必然性がどこにあるのか、邪義破折班の説明では見えてこない。王法を「あらゆる生活の原理」としてしまったら、仏法もまた「あらゆる生活の原理」なのだから、なんだ本源体一ではないか、ってことで話は終わってしまうのである。

まさに王法が国家権力にかかわる概念ゆえに、現代においてはよりいっそう仏法との関係が注目されるのではないだろうか?

2006/1/29

非情に情を見るのが仏法の眼力ではなかったか?  
そもそも「国家意志」って、何のことでしょう。

「国主」の意志を離れて、国家が独立した生物のごとく意志を持つことなどがどうしてありえましょうや:-)


kane氏より久しぶりにコメントを頂戴した。

これは、国家意志の正しい表明方法に付けてくださったものであるが、その翌日に補足説明の投稿があるので、それをあわせて読んでいただければと思う。すなわち、未来の大理想がそれである。

国家意志というのは無機的なものではなく有機的なもの、つまり、具体的には国主に相当する人物の意志なのである。ゆえに、国主に相当する人物が戒壇建立の意志を持たなければ話にならない。

これがわたくしの考えである。それほど議論を要するところではないと思っている。

そもそも国会意志という言葉は浅井先生の造語でもなんでもなく、わりとポピュラーな言葉のようである。検索すれば、べらぼうな数がヒットする。ちなみに国会意志よりも国家意思のほうが多い。
いずれにしても検索結果をみるならば、それほど特殊な用語には感じられないところである。ひじょうに汎用性の高い言葉なのではと思う。よって国家意志を問題視する必要はないのではないか?

「国」とは果して非情の国土か。いま石綿禍が社会問題となって、連日新聞紙上には「国の不作為」「国が調査」「国を訴える」「国が救済」等の言葉が飛び交っているが、この「国」とは、果して非情国土の意か。ことごとく国家を指しているではないか。

これは「最期に申すべき事」の一節であるが、つまり一般的にも「国」ないし「国家」という言葉に人格的な意味を付与して使用することが当たり前に行われていると考えられるのである。それは言うまでもなく、国ないし国家がその構成人員と表裏一体の関係にあるからに他ならない。

「法人」という言葉がある。何だかヘンな言葉であるが、これがまたひじょうに好例だかもしれない。
すなわち法人とは、会社をはじめとした諸の組織・団体等に人格を付与する考え方である。ヘンな言葉ではあるが広く一般に流通している事実はゆるがない。
これまた言うまでもないことだが、あくまで組織・団体等は人間が構成しているのである。

しかし仏法を持つのは、あくまでも王法の当事者としての正報たる能持の人であって、能動の主体者である。それに対し、依報たる国土や国家機構は所動の客体であって、こちらに仏法の受持をあてはめるのは誤りである。

これは「砕破す」からの引用であるが、能動の主体であるとか所動の客体などと難しい言葉を使って、あたかも煙に巻こうとしているかのごとくである。
すでに書いたごとく、主客は表裏一体なのである。少なくとも現代人の言語感覚では国ないし国家に人格的な意味を含んでいることは疑いようのないことであるからして、国家が仏法を受持するとの表現にしても、あながちに誤りとはできないと思う。

邪義破折班では、戒壇建立の時を一国広布の暁と拝信する、とも書いている。
立正安国論の主客になぞらえるならば、まさに主体から客体に広く仏法が行き渡った時こそが広宣流布であり、戒壇建立の時だということだろう。主客一体すなわち王仏冥合である。

こうしてみると、国家受持という表現にそれほどの違和感はないと思うのであるが、どうやら邪義破折班では顕正会と結論が同じになってしまうと困るので、何とかして違いを出そうと努力しているらしいのである。


同日追記:「最期に申すべき事」は申すまでもなく「最後に申すべき事」の間違い。最期はまだ早すぎる。

2006/1/28

顕正会に広告塔は存在するのか?  
昨日の富士川氏のコメントを拝見して、さもありなん、との思いを強くしたものである。

わたくしは三島由紀夫をよく知らない。彼の小説はほとんど読んだことがないし、事件についても詳しいことを知っているわけではない。
ゆえにあてずっぽうではあるが、三島由紀夫は当時における日本文学界のスーパースターだった、いわゆる寵児だったのである。その彼があのような壮絶な最期を遂げたわけである。ゆえに日本国民の多くが何らかの影響を受けたと考えていいだろう。
浅井先生も例外ではなかったということだと思う。

有名人の影響力はものすごく大きい。

創価学会あたりはそのことを熟知しているのであろう、多くの人気タレントをいわゆる広告塔として利用しているように見受けられる。また、逆にタレント側にしても創価学会に入れば組織票が得られるわけであるから、浮き沈みの激しい芸能界においてある程度の安定が約束されるということがあるかもしれない。

clean-my-mind氏によれば、櫻井よしこ氏は法華講員なのだそうである。まあ、こうした話はネット上にいろいろ出ているようであるが、トチロ〜氏もご自身のサイトで書かれているように、宗門では有名人などを使って宣伝するようなことは一切していないようである。ここにホンモノとニセモノの違いがあるのかもしれない。

では、顕正会はどうなのか?
はっきり言えることは、顕正会員の中には宣伝に使えるほどの有名人は存在しない、ということだろう。
実は組織の中で、○○は顕正会員である、みたいな話をいくつか聞いたことがある。けれども信憑性は低い。仮に入信しているとしても、自覚のない顕正会員である場合がほとんどだろう。ようは百万顕正会といってもその実数は高が知れている。ゆえに活動会員から有名人をさがすとなると皆無に近いと言わざるを得ないと思う。

つまり、顕正会では広告塔を立てたくとも、広告塔になるような人材がいないのだ。そこで業者に頼んで広告塔を建ててもらった。それが青年会館前の大標識である。

ちょっとイヤミが過ぎただろうか?

2006/1/27

切腹は譬喩表現か?  
富士川氏によれば、「刀杖を帯びる」は問題ないという。
だったらなおさら、削除しなければよかったのだ。今現在、刀杖云々よりも、それを削除したという先生の隠蔽体質が問題になっているわけであるから、ようは墓穴を掘ったようなことになる。いずれにしても、書いた本人がみずから削ったのだから、やはりマズイという自覚があったのだろう。
まして氏の伝聞によれば、浅井先生には刀剣の趣味があるという。なるほど、余計に「流血の惨」が現実味をおびてくる。

昭和四十七年四月十七日の臨時班長会で先生は、

されば、公場対決の結果、もし妙信講の云うこと誤りなりとすれば、妙信講は直ちに解散して、私は腹を切る。

と言っている。

ここでの公場対決は池田氏に向けられたものであるが、ともかく先生の発言は過激である、腹を切るというのだから。
わたくしがこの本をはじめて読んだのは、まだひじょうに幼かった頃である。ゆえに言葉を知らなかったので、本当に腹を切るものだと思っていた。
後年、いわゆる慣用句として、責任を取って辞めるくらいの意味で一般にも広く使われている言葉であると知った。

だが、しかし、どうなんだろう?
浅井先生という人は本当に切腹しそうな人である。そのように思わせるものがある。ましてや刀剣の趣味があるというのだから・・・
また、時期的には三島由紀夫の影響なども考えられる。あるいは当時の講員たちは三島事件と重ね合わせて、先生は本当に腹を切るつもりなのだ、と思っていたかもしれない。

これらを踏まえて「刀杖を帯びる」の意味を考えるとどうだろう?
かつて先生は、御遺命守護の戦いの時にいちばん恐れていたことは黙殺である、と述懐したことがある。これからすると、確かに御遷座を実力で阻止しようとしたのは事実であろうが、それはあくまで最後の手段であって、基本的には言論戦を想定していたものと考えられる。

さらに昭和四十九年五月十九日には、

また妙信講の行動は出所進退正々堂々と、仏法の上にはもちろん、世間の法においても一分のあやまちも犯さない、但し、もし自分の不明により、国法の落し穴あらば、一切の責任はこの私にある。

とあるし、さらに後年の平成二年七月八日には、「全顕正会員は大石寺に総登山し信心の力を以て断固粉砕」(取意)とも発言している。

「信心の力」という言葉の響きは「刀杖を帯びる」と隔絶しているように感じられる。
常識的にも顕正会の組織が大きくなるにつれ、その組織の長たる者の社会的責任が重くなるのは当然である。よって表現ひとつ取っても、後になるほど慎重を期していることがうかがえると思う。

いずれにしてもいまだにわたくしは、先生が腹を切るといえば本当に腹を切るつもりなのでは? という思いを捨て切れないでいる。

2006/1/26

上書き=洗脳か?  
 また池田は、正本堂落成の翌四十八年、正本堂を御遺命の戒壇と証明するための「賞与本尊」を、細井管長に求めて授与されている。その本尊の脇書には
 「賞 本門事戒壇正本堂建立」
 と認められていた。この脇書だけで誑惑の意は充分である。しかし池田は「事の戒壇」というだけでは、細井管長のいう大御本尊ましますゆえに≠ニの意もあって不明確であるとし、もっと明確に
 「この本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇たることを証明する本尊也」
 との文を、裏書として加筆するよう要求した。昭和四十八年八月二十七日のことであった。
 さすがに細井管長も躊躇して、早瀬総監等にこのことを相談している。宗務院記録文書(49.5.6藤本メモ)によれば、細井管長は役僧らに
 「『この御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇であることを願って建立されたのを証明する本尊なり』と加えてみた。向うから来たままでは、また問題」
 と述べている。「向うから来たままでは、また問題」とは、妙信講の強き諫めが、細井管長の脳裏から常に離れなかったことを示している。
 そして実際の裏書は
 「此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇に準じて建立されたことを証明する本尊也」
 と認められた。この「準じて」の意をめぐって、現在、阿部日顕管長は「なぞらう」の意といい、学会は「のっとる」の意であるとして争っているが、いずれにしても池田ごとき悪人に「賞与本尊」を与え、しかも、あたかも御遺命の戒壇と思わせるような脇書・裏書を、この期におよんでなお認めた細井管長の諂曲こそ、責められてしかるべきであろう。
 この事件は、まさしく池田の誑惑の執念を証明する一件であった。



先日、投稿不能は大聖人の御裁断か? と題して書いたところ、S@法華講氏からコメントが寄せられた。
ようは、ちょっとやそっとのことで功徳だの罰だのと一喜一憂しているのは信心がニセモノの証拠である、法華講員はホンモノの信心ゆえに些細なことでは動じない、ということだと思う。
ホンモノかニセモノかの基準としてはどうかと思うが、信心が重厚であるか軽薄であるかの差がそこに出てしまっている、ということは言えるかもしれない。

さて、上掲の引用文であるが、この出典が何なのか、わかるだろうか?

これは、「学会・宗門」抗争の根本原因 である。

奥付が平成三年十月十三日になっている。もうずいぶん時間が経ったものであるが、ようはこの頃から宗門と創価学会は抗争を続けているわけだ。ご苦労なことである。

いやいや、今日はそういうことではなかった。
先日、トチロ〜氏より賞与本尊についてのご教示をいただいた、また、邪義破折班の文書でも賞与本尊についての言及がある。
実はわたくしは、浅井先生が著作の中でこの賞与本尊について論及していることを、すっかり忘れていたのである。たまたま「奉安殿の前で会おう」が気になって、その部分だけを拾い読みしていたところ、幸運にも見つけることができたのだった。ゆえに完全に記憶から飛んでしまっていた、というのが本当のところである。

先生の見解と宗門側の見解をつき合わせて、ここでどうこう言うつもりはない。いちおう公平を期して、先生もこのように書いているという意味で紹介させてもらった。

さて、S@法華講氏のコメントとこれといったいどういう関係があるのかといえば、直接には関係ない。
わたくしが御裁断という言葉を使ったのは、いわばこれが現在の顕正会における流行り言葉みたいなものだから、タイムリーをねらってタイトルに入れたわけであるが、ふと思うことがあった・・・それは、もしかしたら顕正会員というのは上書きされやすい人たちが多いのではあるまいか? ということなのである。

次から次へと新しい指導が打ち出されていく。すると、仮に今までの指導と矛盾することであっても、それがすんなりと受け入れられていく。これはとりもなおさず上書きを意味するのではなかろうかと。
従来の指導をしっかりと憶えていれば、矛盾に気がつくし、その矛盾によって苦しむはずなのである。
しかし顕正会で熱心に活動している人にはそれがない。矛盾に気がつかないということは、どんどん過去の指導を忘れていっているから、つねに現在の指導しか頭の中にはないから、ということではないのだろうか?

2006/1/25

完全主義者の悲しさ  
妙信講は学会暴走の抑止力になっていたのか?

わたくしは先日、「創価学会の暴走の抑止力となった妙信講」と題して書いたのだが、これを受けてトチロ〜氏がお書きになったものが上記のリンク先である。

思いっきり端折って書けば・・・妙信講が創価学会暴走の抑止力になっていたかといえば、昭和四十五年の時点では一面においてそのように言えなくもないが、それ以降はとても言えたものではない、実は暴走してしまったのは妙信講のほうだったのだ・・・ということなのだと思う。

文中、とりわけショックだったことは、いわゆる脅迫状の件で都合の悪い文言を削除しているという点である。

しかし、浅井昭衛は、『御遺命守護の戦い』の137頁では、「男子精鋭二千の憤りは抑えがたきものがあります」として、「仏法守護の刀杖を帯びるに至りました」という文があったことを隠しています。

ひじょうにマズイことをしたものだと思う。

まず、わたくしは先だって、先生の書籍には広略要がある、「御遺命守護の戦い」と「試練と忍従の歴史」は広に当たるだろう、と書いたのである。しかし文言を削っている以上は広とは言えないことになる。「試練と忍従」の時にも書いたように、わりとこの二書は先生の心情がストレートに出ていると思っていたので、こうした作為的なことがあるとガッカリしてしまう。

また、いかに顕正会の幹部といえども顕正会の書籍しか読んでいない人はこうした事実を知らないわけだから、もし現場において法華講員からこれを指摘されたらどのように対応していいものかわからないだろう。直情径行の人ならばこれを知った時点で、騙されたと思うかもしれない。法華講員だって言うだろう、あなた達は浅井さんに騙されているのですよ、と。

もうひとつ、山崎正友氏によれば、あの常泉寺法論において議論が決裂して「奉安殿の前で武装して会いましょう」という言葉が発せられたようである。これが「盗聴教団」では秋谷氏のセリフなのか浅井先生のそれなのか、はっきりしないけれどもどうやら先生が言ったらしいのだ。
顕正会員はよく知っているだろう、このセリフは顕正会の書籍にしばしば出てくるからである。しかし「武装」という言葉は出てこない。

これは文字どおり発言であって文書になっているものではないので真相はわからない。そうではあるけれども、さまざまのことを重ね合わせて考えるとやはり都合が悪いから「武装」を隠しているとしか言いようがないと思う。少なくともそのように思われても仕方がないくらい、先生は自著においてさまざまの作為を施していることが立証されてしまっているように思われるのである。

最後に先生の弁護をしておこう。
脅迫状は違うと思う。わたくし自身はこれまで何度も読んできたけれども、一度たりとも脅迫状だと思ったことはない。
猊下の御本意ひいては御遺命という大義名分があった。その脈絡で読む時に、あの時はあのようにせざるを得なかったという必然性が感じられるのである。
先生は黙殺されることをいちばん恐れていたとも、いつだか述懐していたことがある。
「御遺命守護の戦い」を最初から読んでいくと、あの辺りは確かに過激であるとは思っていたが、もうこうする以外にないという切迫感にはむしろ共鳴することはあっても、けっして違和感を覚えるものではなかった。

惜しむらくは改竄である。
確かに「刀杖を帯びる」云々はマズイだろう。不穏当である。また、だからこそ削除したわけでもあろう。
しかし、そのまま書けばよかったのだ。そしてそれは若気の至りだったと反省の文言を添えてもいいではないか。

完全主義者は不完全であることを自覚しなければならない。完全主義者というのは存在しても完全な人間は存在しないのだから・・・

もしかしたら完全主義者は素直になれない人の異名なのかもしれない。

2006/1/24

下野正信氏のコメントに思う  
今日もあまり意味のない投稿なので、忙しい人は読まないほうがいいだろう。

因みにこの日の日記は、以前の自身の日記からのコピペに過ぎないのではないか?
私が指摘したとおり、日達上人は有師化儀抄のごとくに振舞われた。さらには大慈大悲の上からのお振る舞いであったことを有難く思えない輩につける薬は無い。
 「衣座室の三軌」"通りすがり"某には理解できまいが、仏様のお振る舞いとは平等なのである。
 なお、筆者殿はまことに語彙拙劣ではないか? PCで「セイテイ」と打ってみなさい。また、文学書もたまには読むものだ。
 少しは幼稚な文書がまともになってくるだろう。
 一年、二年と駄文をつづるより、「継続は力」などと自慰的になるよりは、「文章の構成も成長し、語彙も豊富になったものだ」と思えたほうがよかろう。


大量のコメントを寄せてくださった下野正信氏には、まだちゃんとした挨拶をしていなかった。

よって、ここに御礼申し上げるものであります。

さて、わたくしのことを幼稚だの稚拙だの拙劣だの、あるいは大戯けであるとか、頭が七つに割れているとか、何やかやと書いてくださった。ひじょうに直截であり、裏のない腹のきれいな人物であることが文章から伝わってきたものだった。実際はどうだか知らないが・・・

大量のコメントといっても、一回の文章はひじょうに短い。一言二言には過ぎずということかもしれない。

もともとは、わたくしが日顕上人の御説法と下野氏の記述との齟齬について書いたものを、氏はヤフーだかの検索サイトで見つけたのだそうである。ゆえにそれに限ってコメントを付けてもおかしくなかったはずであるが、ようは木を見て森を見ずの過ちを犯さないためであろう、順番に目を通してくださったのである。
あるいは他にもわたくしのブログを最初から読んでくださっている人がいるかもしれないが、下野氏はその一々にコメントを残しているので、ああ、ちゃんと読んでくださっているのだなあ、ということをこちらも実感できた分、ひじょうにありがたい気持ちになったのである。

昨日の投稿で、ネタに詰まるとか筆が進まないとかのことを書いた。
自分ではあらかじめ愚癡日記として、しょせんは同じことを繰り返し書くだろうこと、ひとりの人間の持ちネタなどは高が知れているから、最後は必ずそうなるだろうことを承知の上で書き始めたのである。逆にいうと、このようなことを自覚しているということは、できればワンパターンを脱却したい、マンネリの文章にならないようにしたい、という願望がそこには存するのであり、そこに留意しながら文章をつづってきたつもりでもあるのだが、どうやら下野氏から見るとワンパターンに陥っているらしいのである。

冒頭に掲げた氏のコメントに、「以前の自身の日記からのコピペに過ぎないのではないか?」とあるのがその証拠である。
はっきりしていることは、コピペではないことである。しかしながら、氏をしてそのように言わしめてしまうわたくしの文章の拙さ、これを直視しないわけには行かないだろう。つまり、下野氏は短期間のうちにわたくしの文章の大半を読んだわけで、そうすることによってわたくしの思考パターンであるとか文章構成や文体みたいなものを把握したわけなのだ。ゆえに、いわゆるコピペではないにもかかわらず、氏の眼識からすればすでにわたくしの文章は過去の文章のコピペ同然と映じるのだろうと思われる。

わたくしは過去に有名な作家の著作を全巻読破しようと思って挫折したことがある。
早い話が途中で飽きてしまったのである。
最初に読んだ作品が面白すぎた。あとになるほどつまらなくなっていく。
あるいは作品の完成度にそれほど差はないのかもしれないが、あとになるほどその作家の手の内が見えてしまってつまらなくなってしまう、ようはその作家のパターンが見えてしまう、ということだったと思う。
プロの作品にしてもかくのごとしである、いわんやわたくしの文章は申すに及ばないだろう。

昨日今日と、いかにもグチっぽい、いよいよ愚癡日記らしくなってきたものである。

最後はふたたび下野氏のコメントで締めくくろう。

鼻から牛乳を噴出させてしまいそうだ。

およそ二年前であろうか、浅井主任理事が日曜勤行で、鼻からコーヒーを噴出させてしまったと語っていたのを思い出した。

2006/1/23

投稿不能は大聖人の御裁断か?  
あらかじめお断りしておくが今日はざっくばらんに書く。よって忙しい方は読むだけ損すると思うので読まれないほうがいいだろう。

一昨日、わが地方に大雪が降ったことを書いた。これでわたくしの住んでいるところがわかってしまう可能性が出てきた。
しかし、S@法華講氏のところでも大雪だったそうである。わたくしは氏がどこに居住しておられるか知らない。つまり、この程度のことでは、わたくしの居住地域を割り出すことは不可能であろう。というか、それを見越して書いたのである。

まあ、それにしても危なかった。何が危なかったかというと、更新をし損ねるところだったのだ。

わたくしは毎日のように投稿を続けている。よほどヒマなのだろうと思われる人もいるかもしれない。じつはそのとおりなのである。こういうのを顕正会では、時間的に自在を得る境界などと表現するが、時間はあっても金がない、金があっても時間がない、というのが世の実相であって、経済的・時間的の両方において自在の境界になることは難しいものである。

それはともかく話を戻して、わたくしがわりと時間に余裕のある生活をしているのは事実である。けれども、だからといって毎日のように更新をしていくのは、そんなに簡単なことではない。
ようはネタに詰まるのである。何を書いていいかわからない。あるいは書きたいことはあるのだが、うまく表現できないこともある。筆がなかなか進まないというわけだ。

実際のところ、わたくしの一回の投稿に要する時間は、最近では一時間をこえてしまっている。前にも書いたが最近は少し読者を意識してしまっているところがあって、それで表現に神経を使っているところがなきにしもあらずなのである。
しかし、当ブログの基本はあくまで独白である。ゆえに好きなことを好きなように書けばいい。これが原点である。思ったことを素直に思ったとおりに書けば、それほど難渋することはないのである。

ただし、戒めていることもあることはある。例えば筆が走るというのだろうか、いくらでも書けてしまう時があるのだが、そういう場合でも一日一回の投稿を心掛けている。そうすることでネタ切れをなくすことにもなるのである。
あれも書きたい、これも書きたいと、ネタがどんどん溜まっていく。まったく別々のネタであっても、いわゆるコラボレーションが可能なこともある。それもネタが豊富に揃っているからこそできる芸当なのである。
出し惜しみをするということではなくネタを熟成させるのである。もちろん、ネタを寝かすほうがいい場合もあれば、即行・即興がいい場合もある。一向にすべからずということだ。

さて、一昨日は危なく投稿をし損ねるところだったのであるが、それはネタに詰まったとか、筆が進まなかったからではない。ようは物理的に投稿不能の状態に置かれていたのである。
わたくしは深夜ないし早朝に投稿することがよくある。それはその日は出掛ける用事があって、帰りが遅くなるかもしれないという場合なのである。
別に何が何でも更新しなければならないわけではない。休んだっていい。ただ時間があるのに手をこまねいて投稿しないというのは避けたいと思っている。どんなくだらない低レベルな投稿でもかまわないから、ともかく投稿しようというつもりでいるのである。

ところが一昨日は大雪のため、ヘタするとその日のうちに帰宅できないかもしれない、という状況になってしまった。
どうにかこうにか帰ってくることはできたものの、さすがに疲れ切ってしまって書く気がしなかった。時間も少なかった。あわてて書いてもロクな文章にならないだろうと思って、休みということにさせてもらったわけである。

2006/1/22

櫻川忠氏ついにブログ本格始動か?  
いつの間にやら「冨士大石寺顕正会 向上委員会」なるブログが立ち上がっていた。

なんとこれは櫻川忠氏のブログだった。

驚いたものである。なにしろ今現在、櫻川書林を開いてもブログについては何も書かれていないのである。まるでひっそりと立ち上げたかのようだ。

ところが逆にブログのほうには櫻川書林のブックマークが入っている。そして顕正会の公式サイトのブックマークもある。
さらには、何を血迷ったのであろうか、なんとわたくしのブログまでリンクしてくださっているのである。

わたくしとしてはたいへん光栄なことである。
しかしながら、かえって櫻川氏にとっては不名誉なことではないのだろうかと心配になってくる。巌虎ごとき落ちぶれ顕正会員と同列視されたら迷惑なはずなのである。

なにしろ、わたくしのは「零落れ顕正会員の愚癡日記」である。
対する氏のブログは「しなやかで逞しい顕正会を目指して」というコンセプトの「向上委員会」なのである。
委員会ということはすでに組織的というか集団的な意味が込められていると考えられる。ところがわたくしのは独白である。もっと端的にいえば、彼はポジティブ此はネガティブといったところであろう。

そういうわけで櫻川氏とわたくしでは月とスッポンなのであるが、内心では少しばかりわたくしにも自慢がある。
自慢というのは、わたくしは昨年の五月ごろから今日まですでに八ヶ月、コンスタントに投稿を続けてきた、もしや、わたくしのブログが櫻川氏にとっていい刺激材料になったのではないか、ということなのである。
もちろんこれは勝手な妄想であって、氏がどのように思っているかはまったくあずかり知らぬことである。

櫻川氏の近年の動向を見ると、どうやら著述業のほうに本格的に専念するようにも感じられたものだった。ゆえにまさかブログを立ち上げるとは思いもしないことだった。
そのブログの内容たるや、冨士の創刊号をはじめとして今の顕正会員ではとうてい目にすることのできないような貴重な資料が豊富に出てくる。しかも画像付きである。

これはすごいブログの登場である。

日出でぬれば云々。
・・・そろそろわたくしも店じまいを考えよう。


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