2006/1/31

皇室問題は日蓮正宗にとってもタブーなのか?  
また汝は、日本は三大秘法有縁の妙国であれば、仏法守護の本有の王法が久遠より存する。これが皇室であり、別しての「王法」である≠ニ主張する。しかし現実には天皇は、古代国家の専制君主の時代から、鎌倉・室町・江戸という封建時代の公武二元体制を経て、明治・大正・昭和の戦前まで立憲君主となり、現在は国の象徴となっている。このように、時代によって天皇の立場には変遷があった。それは今後もあらゆる可能性を含みつつ、時代とともに推移していくのであり、将来の姿は全く予想がつかないのである。

邪義破折班のこのあたりの考え方はちょっと意外な感じがする。

あくまでインターネット上での話であるが、平均すると法華講員には尊皇主義的な人たちが多いように、わたくしには感じられるのである。
例えば、武家の身延に公家の富士、というような言葉が古くからあるのだと、どなたかが言ってらしたことがある。あるいはごく最近の話であるが、法華講員の運営する掲示板において、「皇室におかれましては今上陛下のお婆様にあたられます、貞明皇后陛下、並びに秩父宮殿下は日恭上人猊化よりご本尊様を下付いただいた日蓮正宗の信徒であらせられました」云々との書き込みがあった。

ゆえに、こうした法華講員の方々には、どちらかと言うと邪義破折班の論述よりも浅井先生の「本有の王法」説のほうが親和性があるのでは? とわたくしには思えるのであるが違うだろうか?

しかし当然に、ネット上で法華講員が書き散らしている(と言ったら語弊があるが)くらいのことは、邪義破折班だって承知していることだろう。

ここに重大な疑惑がある。

邪義破折班の論述ではことさら皇室を軽視しているようにも感じられるけれども、それは単なるポーズであって実は浅井説にほぼ同意なのではなかろうか? という疑惑である。
ようは、むやみやたらに顕説すべからざる秘奥の法門がそこにはある、ということではなかろうかと。

もし、このとおりだとすると、おそらくは御法主上人が言及しない法門について青年僧侶のブンザイで勝手に言うわけにはいかないこと、さらになぜ御法主上人が言及しないのかといえば、「時を待つ可きのみ」との大聖人の御制誡に抵触するからではなかろうか?

将来を嘱望されているであろう青年僧侶といえども、御相承を受けたわけではないのだから、いまだあずかり知らぬ法門がそこには存するのであろう。してみると、皇室については、「それは今後もあらゆる可能性を含みつつ、時代とともに推移していくのであり、将来の姿は全く予想がつかない」とするのがもっとも無難な回答なのかもしれない。

宗門で公式にというか大っぴらに公表していないようなことどもがネット上に出回っている。法華講員には失礼ながら、さしずめこれは、人の口に戸は立てられぬ、といったところであろう。転じて浅井の口に戸は立てられぬ、と。

それにつけても、顕正新聞掲載の日曜勤行指導といい、あるいは直近の総幹部会でもそうらしいが、浅井先生はいわゆる女系天皇大反対を表明している。皇室問題はただでさえヤッカイなのに、ここに仏法上の問題が絡んでくるのだから大変である。この点についての日蓮正宗側の見解もうかがいたいところであるが、またしても「予想がつかない」と言うのであろうか?


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ