2006/2/11

邪義破折班の目は節穴か?  
 汝が主張する「国立戒壇」とは、今日象徴天皇においては不可能とされている勅宣発布を、憲法を改正して可能にし、その上で「勅宣」を発布して行うべきであるとするものである。
 しかし、先にも述べたが大聖人が「勅宣」「御教書」と仰せになられたのは、鎌倉時代の政情を汲まれての御指南である。比叡山の戒壇は天皇の「勅許」のみで建立された。それに対し、鎌倉時代には権力が朝廷と幕府に分散したため、大聖人は「勅宣」「御教書」と仰せられたのであり、それは時代に応じての御指南なのである。即ち、大聖人は、鎌倉時代の政治形態を将来にわたって固着すべしとされておられたのではない。


邪義破折班はこの一段において勅宣不要論を唱えている。
この後にも同趣旨のことが繰り返し出てくるが、面倒くさいのでとりあえず省略して、いきなり結論を書いてしまおうと思う。

わたくしは言いたい、破折班よ、汝の目は節穴か? と。

有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります。(以下省略)

断っておくが、これはどこか別のところから引っ張ってきたわけではなく、邪義破折班がこの段のいちばん最後に引用している文章なのである。
申すまでもなくこれは日達上人の御説法である。
ここに「必ず勅宣並びに御教書があって・・・」とあるではないか!

三大秘法抄には「必ず」の御文字は存しない。にもかかわらず、日達上人は「必ず」としている。これはすなわち、大聖人の御金言は絶対である、だからこそ「未来の大理想として信じ奉る」わけであろう。
日達上人が信じ奉るとおっしゃるものを、邪義破折班は信じていないのであろうか?

繰り返し述べるが、鎌倉時代における「勅宣」「御教書」の意味は、すでに現代社会では失われている。

 汝は現代社会においても国民の意思を表すものとして「勅宣」が必要であるという。しかし、それら間接的な手法を用いずとも、直接的に国民の意思を表す方法として現今では、様々な手段が考えられる。したがって国主たる国民の意志を何らかの形で表すとしても、それを今日において「勅宣」や「御教書」によって表す必要は全くないのだ。
 要するに、封建社会にあって、国主たる天皇や執権が帰依し、本門寺の戒壇を建立する手続きとして、大聖人は「勅宣」「御教書」と仰せられたのであり、主権在民の現在、国主たる国民の意思を表すものは「勅宣」「御教書」とはならないのである。


「それら間接的な手法を用いずとも、直接的に国民の意思を表す方法として現今では、様々な手段が考えられる。」

間接的な手法とまで言ってしまっている。ようは、わざわざ憲法を改正して御書にあるとおりの勅宣・御教書を実現するなどという回りくどいことをする必要はない、という意味で間接的手法と言っているのだろう。わたくしはそれならばそれでけっこうだと思うが、だったら直接的手法とやらを具体的に説明してもらいたいものである。

いつものことながら、邪義破折班は「直接的に国民の意思を表す方法として現今では、様々な手段が考えられる」と書いておきながら、その後に何も答えを書いていないのである。結局は勅宣・御教書を否定するだけが目的のような、そういう文章になっていると思う。

ようは「現時から未来を予想して論ずることなど全く不毛の論」ということで、未来のことはわからないから論じられないわけであろう。

しかし、逆ではないかと思う。
日達上人は「未来の大理想」と御指南あそばされたのである。邪義破折班はこれを現時の社会情勢から論じてしまって、勅宣や御教書によって表す必要は全くない、勅宣・御教書とはならない、などと断じてしまっている。

未来のことはわからないというならば、広宣流布の時には必ず勅宣・御教書があることを未来の大理想として信じ奉るべき、これが本来のあるべき姿ではなかろうかとわたくしは思う。


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