2006/3/1

未驚天聴御書を拝し奉る  
未驚天聴御書 本文

未だ天聴を驚かさヾるか。事、三箇度に及ぶ、今諫暁を止むべし。後悔を致す勿れ。

浅井先生口語訳

未だ天子への上奏を遂げていない。鎌倉幕府への諫めはすでに三度に及んでいる。今は諫暁を止める。後悔をしてはいけない。

浅井先生は一月度の総幹部会で未驚天聴御書を引用し、かつ現代語に翻訳している。
だが、これには若干の問題があると思う。それを説明するために、同御書を平成新編から引いてみる。

之を申すと雖も未だ天聴を驚かさヾるか。事三箇度に及ぶ。今諫暁を止むべし。後悔を致す勿れ。

句読点の違いはさしたる問題ではないので、実質的にはほとんど同じと言えるだろう。何が問題かといえば、「之を申すと雖も」なのである。
御書を持たない顕正会員はネット御書でもいいから確認してほしい。この未驚天聴御書はこれで全文なのである。
ゆえに全文引用してもよさそうなものである。わざわざ「之を申すと雖も」を切ってしまう必要があるのかどうか、わたくしには疑問がある。

というのは、これがあるのとないのとでは、文意に多少の違いが生じてくると思われるからである。
その前にこれで全文だと書いたが、正確には断簡御書と申し上げるべきであって、この前後には何らかの御文があったものと考えられる。少なくとも最初の「之を申すと雖も」の「之」がある以上は、この前に文章があったと考えなくてはおかしいだろう。

つまり、浅井先生の訳では「未だ天子への上奏を遂げていない」としているが、わたくしにはちょっと違うように感じられるのである。
単純に言えば、文末が「か」で終わっている、ということである。これは三大秘法抄の「か」とも関連する、ひじょうに悩ましい問題である。

この際である。稚拙を承知の上で、わたくしなりの意訳をここに書かせていただく。

立正安国論をはじめとして、これまで鎌倉幕府を三度にわたって諫めてきた。はたしてこれが天子の耳に届いたことであろうか? いずれにしても今は諫暁を止めて国を去ることにした。しからば「聖人去らん時は七難必ず起こる」の道理にまかせて、必ず蒙古の襲来は起こるであろう。後悔してはならない。

大聖人は三度目の諫暁において鎌倉の殿中で平左衛門と対面していらっしゃる。しかし、北条時宗には会っておられないのではないか?
時の執権にすら面会できないのである、いわんや天子をや。

大聖人はすでに立宗当初から勅宣を視野に入れて御化導をあそばしていらした。
承久の乱以降の時代状況をどのように捉えるか、これにはさまざまの見解があるのかもしれないが、なんだかんだいっても朝廷は鎌倉幕府の上位概念として不動だったのではないか、少なくとも大聖人はそのような御認識でいらしたと考えられると思うのである。

その意味でいくと、幕府への諫暁というのはいわば朝廷への足掛かり、すなわち一丈の堀を越えられないものがそれ以上の堀を越えられるわけがない、との道理にもとづくものであろう。
大聖人の御出生地と鎌倉と京、この位置関係からしても、まさに一丈の堀にあたるのが鎌倉と言える。

御文に立ち返って、「之を申すと雖も」の「之」は幕府への諫暁である。そして大聖人は時宗に直接の面会を遂げていらっしゃらない。けれども時宗の耳にはじゅうぶんに大聖人の諫暁が届いていた。だが、はたして大聖人の諫暁が朝廷にまで波及していたかどうか、それはわからないということだろう。

まことに恐れ多いことを申し上げるが、天子から見れば大聖人などは地方の一介の僧侶に過ぎない、流罪になろうが死罪になろうが天子には驚くに値しないことだろう。
大聖人が御自身の身分をことさら低めて御表現あそばされていたことには仏法上の重大な理由があるとされているけれども、ある意味では事実をありのままに仰せになられていたとも言えるわけであって、まさに一介の僧侶が天子の耳目を驚動せしめることは難事中の難事である。
してみれば、現実思考としては当然に、朝廷には鎌倉幕府を介してアプローチすべきところであるし、大聖人の御化導もそのようにあそばしておられると拝せられる。

未驚天聴御書はこのような拝し方においてこそ文意を正しく捉えることができるのではないかと思う。


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