2006/3/5

大聖人は北条時頼との対面を御遂げになられたか?  
日蓮大聖人は北条時頼と会見している・・・という話がある。

しかし本当だろうか、という疑問がわたくしにはある。
これについてはそれほど理詰めで考えているわけではなく、今まで顕正会に在籍していて一度も聞いたことがなかった、浅井昭衛著・南無日蓮大聖人にも記されていない、ということがあるので何となく受け入れ難い気分になっているだけなのかもしれない。

そうではあるが、いちおう体裁よく、大聖人と時頼との会見には疑問があるとする、理由らしきものを書いておこう。

天魔の所為たるの由、故最明寺入道殿に見参の時之を申す。又立正安国論之を挙ぐ。

故最明寺入道に向かひて、禅宗は天魔のそいなるべし。のちに勘文をもてこれをつげしらしむ。

故最明寺入道見参御書と法門申さるべき様の事に会見があったとする文証を見るわけだが、はたしてこれだけで断定できるのか?
また、内容的に見ても、やや疑問が感じられる。というのは、この二書では時頼に対して禅宗破折をし、それから立正安国論を奏した旨を御認めであられるが、安国論は念仏破折の書であるから、整合性に欠けるのではないかと思うのである。

おもにはこの二点である。
さらに補強材料として、次に撰時抄の御文を端折って引用させていただく。

余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かって云はく、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。(中略)
二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、(中略)
第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語って云はく、(後略)

あまり説明する必要性を感じない。
いわゆる諫暁というのは文書提出だけを指すものではなく、このように「向かって云はく」ないし「語って云はく」が諫暁そのものとなることは御文のとおりである。すると、拝し方によっては、一番目の諫暁も「宿谷の入道に向かって云はく」が諫暁なのではないかとも思われてくる。

つまり、もし時頼と対面なされたのであれば、それを三度の高名のひとつとして書くべきはずではなかったかと思われるのである。あるいは他の御書においても、時頼との会見のことが頻出してもおかしくないはずであろう。

平左衛門とのカラミは御書のいたるところに出てくる感がある。だが、時頼とのカラミはあまりにも少なすぎるのだ。
ゆえに、件の二書だけでは断定までには至らないのではないか、というのがわたくしの意見である。


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