2006/3/9

立正安国論における国主は誰を意味するか?  
1、囗構えに「民」の字体 56箇所
2、囗構えに「玉」の字体 11箇所
3、囗構えに「或」の字体  4箇所
4、囗構えに「王」の字体  1箇所
   合計         72箇所


最初に出典を明記しておこう。
上掲は「からぐら文庫」の中にある、立正安国論の「国」字体分析から引用させていただいたものである。

ようするに、大聖人は「国」という字ひとつ取っても何種類もの字体を使い分けていらっしゃるわけであるが、では、ここに法則性を見いだすことができるのだろうか?

漢字はいわゆる表意文字であるから、それぞれに意味があるはずなのだ。
前に邪義破折班の提示している資料に「もとずく」と書かれていた。これは「もとづく」が正しい。では、「なかんずく」はどうだろうか? 本来ならば「なかんづく」が正しいと思われる、というのは漢字で書くと「就中」であるが、書き下すとしたら「中ん就く」となるだろう、つまり「就く」は「つく」であるから、「なかんづく」が正しいはずなのである。ところが現代表記では「なかんずく」としている。

ひらがなはまだいいのである。
漢字の場合はもはや意味が違ってきてしまうから、本来の意味を考えるならば、大聖人の表記どおりに出版しないといけない。実際に、檀弥羅王の例では御真蹟に忠実たらんとして、檀弥栗や檀弥利などと書き分けてある。だったら当然に、国の文字も書き分ける必要があるはずなのだ。

もっとも、檀弥羅王の羅が栗や利になっているのは大した意味のことではないだろう、当て字といっても差し支えないと思われる。問題は立正安国論での国字体である。これは当て字、わたくし流にいえば当てずっぽう、まさか国主諫暁の書すなわち勘文においてそんなことはあるまいはずなのだ。

からぐらネットの山中講一郎氏はこれに関して、何の意見も書いておられない。ただ純粋にデータとして数字を上げるのみであり、あとは該当する御文を順番に並べてあるだけなのである。

残念ながら、現在のわたくしには大聖人がどのような御意をもって国字体を使い分けていらっしゃるか、それはわからない。
ただし一箇所だけ、ひじょうに対照的な使い分けをあそばしていると思われる部分がある。

国主国宰の徳政を行なふ

これである。
国主の国は、内側が王になっている。そして国宰のほうは、民になっている。
これは大聖人が明確に使い分けていらっしゃることの典型であり、誰もが首肯せざるを得ないと思うのだがどうだろうか?

さて、問題はここでの国主国宰を具体的にどのように当てはめるか、である。
わたくしは国主を天皇、国宰を執権(もしくは幕府実力者)としたい。あるいは対告衆の上から考えて、北条時頼を国主とする意見もあるのだろうか?
わたくしとしては、それはないだろう、と思っているのであるが、このあたりはとりわけ創価学会員の意見をうかがいたいところである。

なお、立正安国論の御真蹟写真は、まことにありがたいことに法太郎氏のサイトで全文拝することができる。

顕正会員は国主国宰の部分だけでも確認されたい。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ