2006/3/19

大聖人は好戦的だったか?  
かゝる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生まれけるこそ時の不祥なれども、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起こし、忍辱の鎧を著て妙教の剣をひっさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはたを指し上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権の箭をはげて、大白牛車に打ち乗って権門をかっぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに、或はにげ、或はひきしりぞき、或は生け取りにせられし者は我が弟子となる。はせめ返し、せめをとしすれども、敵は多勢なり、法王の一人は無勢なり、今に至るまで軍やむ事なし。法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。

如説修行抄の有名な一節である。

大聖人は一見すると好戦的である。それは上掲のような御文が存するからであろう。いわゆる摂折論争でも如説修行抄が問題となっている。
だが、誤解してはならないことは、いわゆる武力闘争的な意味で好戦的なのではないということだ。あくまで譬喩表現の範疇で使われていることに留意しないといけない。

権実二教のいくさ、忍辱の鎧、妙教の剣、妙法五字のはた、未顕真実の弓、正直捨権の箭・・・

数日前にコメントをくださった方は、四十九院申状の「国主此の法を用いて兵乱に勝つ可きの秘術」を読んで、なにやら核ミサイルのようなものを想像していたようであるが、あるいは如説修行抄を読んでもそのようなイメージを懐くのであろうか?
武装している戦士の姿が思い浮かんでくるとしたら、それはそれで想像力が豊かな証拠かもしれない。
いったい忍辱の鎧というのはビジュアル的にはどんなものだろう。さらに剣、旗、弓、矢はどんなものか? それから大白牛車というのもよくわからない。あまり戦闘には向いていないような気がするのだが・・・

少なくともわたくしにはビジュアル的にイメージすることはできない。
もしできる人がいるならば、ぜひとも画像化して発表してもらいたいものである。

なお、如説修行抄だけが御表現において突出しているわけではない。決して特殊でないことは他の御書を参照すればわかるだろう。次の二つはけっこう有名だと思う。

第六天の魔王、十軍のいくさををこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあひあたりて、大兵ををこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。

軍には大将軍を魂とす。大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり。

最初のが文永十年の弁殿尼御前御書で、もうひとつが建治元年の乙御前御消息である。
いずれも対告衆が女性である。はたして女性向けの御指南と言えるのか?
四条殿あたりに宛てた御書であれば納得できる辺もあるのだが、ようは対告衆の如何にかかわらずこのような御表現を好んであそばしたと考えるべきなのだろう。


※御書検索に誤字発見・・・本文下線は「域」となっているが、「或」が正しいだろう。


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