2006/3/30

一念信解氏は顕正会員なのか?  
昨日は普段よりも反響があった。しかし、わたくし自身は普段どおりであり、何も変わっていない。おそらくは最初にコメントを下さった一念信解氏の発言がかなり刺激的なので、それに他の諸氏が反応を示されたのだと思う。

昨日のわたくしの投稿と諸氏のコメント

一念信解氏は顕正会員なのだろう。それに法華講の諸氏、それから後の二人がどのような方か存じ上げないが、いずれにしても顕正会批判の立場としてコメントを下さったわけである。
しかし、一念信解氏がはたして本当に顕正会員なのかどうか、それはわからない。わたくしには不審に感じられるところがある。少なくとも、氏が顕正会員のごく平均的な認識を示しているのかどうか、換言すれば顕正会員として模範的な発言をしているものかどうか、それはアヤシイと思うのである。いちおうこの点は留意しておかないといけないと思う。

わたくしが気になったのは、新聞購読には「御供養の意図もある」との発言、それから「馬鹿なる信心」である。
その前に「驀進」というのは顕正会の今年のスローガンみたいなものであるから、この点からすれば氏が顕正会員であることは間違いないと思われる。しかし、「馬鹿なる信心」は聞いたことがない。あるいは最近になって使われるようになったものであろうか?
まさか自分たちで自分たちのことを「馬鹿なる信心」と表現するとは思われないのである。ゆえに不審があると書いた。

順番が逆になってしまった。
さて、最初の「顕正新聞御供養説」とも言いたくなる氏の発言は大問題である。そんな指導があってたまるか、と言いたいところである。わたくし自身は一度たりとも聞いたことのない指導である。あるいは最近になって言われていることなのだろうか?
もしそうならば、もはや顕正会は末期症状を呈していると言わざるを得ない。

簡単な道理である。
顕正会では広布御供養を自慢している。年一回でしかも上限が定められていると。いわばこれが売りであり、宣伝文句になっている。
確かにこれはすごいことだとわたくしは思う。
だが「顕正新聞御供養説」が本当ならばそれが瓦解するのである。

御供養の上限は八万円となっている。顕正新聞の年間購読料は八千五百円である。もしひとりで十部購読すれば八万五千円になるから御供養の上限を上回ってしまうことになるし、厳密に指摘するならばこれは御供養の二重取りに他ならない、ようするに年一回をうたっているからである。

一念信解氏は、五十部大いに結構と発言された。

氏が現役の顕正会員であるならば、五十部購読している人の存在をなかば認めたようなものである。購読料を考えるだに卒倒しそうになる。
つまり、「顕正新聞御供養説」を認めると、年一回もウソになるし上限もウソになる。
まさかこんな馬鹿な指導が行われているとはとうてい思えないのであるが、いかがなものであろうか?

もう一点、書いておく。
資産価値を云々しているが、やや意味不明である。
もしプレミアを期待しているのだとしたら御供養の精神から外れるのではあるまいか?
わたくしの思うに、自分の活動報告が載っている新聞あるいは折伏成果の優秀班に名前を連ねている新聞などに価値を見出すことはあるだろう、だがそれは金銭的な価値とは別次元のことであって、いわゆる「今生人界の宝」という意味に他ならないはずである。
結局のところ、資産価値という概念が出てくること自体、投機的な不純な意味が感じられるし、また本音のところではかなり無理して購読していることが浮かび上がってくるのではなかろうか?

普通に考えて、個人で五十部購読するのは無理なのである。
それを可能にならしめるには、必ず価値が出るから・・・などと言いくるめる以外にないのであろう、あるいは思いっきり飛躍させて御供養の意味合いを持たせる・・・しかし、いずれにしても無理がある、だから長続きしないのである。

今日は顕正会関係者には耳の痛い話だったかもしれないが、こういう話こそ真摯に受け止めるべきであろう。


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