2006/5/11

秋元御書の拝読の手引き  
このところ、いちどきに多種多様のコメントをいただき、大変ありがたく思っております。いつものことながら、一々にお返事できませんことを、あらかじめご了解下さいますよう、お願い申し上げます。


さて、どなたかわからないけれども、秋元御書についての拝読の手引きをご教示くださった方がいる。

一切の諸戒の中の第一は不殺生戒

今朝、さっそく秋元御書を拝読してみた。改めて拝読してみると、新たな発見があるものである。ましてや手引きをいただいているので、ただ漫然と拝読するのとは違った意味がある。
場合によってはその手引きに引きずられてしまう・・・すなわち誘導ということだろう、そういう意味でわたくしは予備知識を一切持たずに拝読するほうがいいと思っているわけだが、ある程度のレベルまで行けば他者の論に引きずられる心配はなくなるとも言えるだろう。

実際のところ、今回、新たな発見というか、それなりに得るところがあったと思う。

まず、偽書説があるとのことだが、わたくしの拝読した限りではそのような感じを受けなかった。もし可能であれば、この御書を偽書であるとする理由をコメントに入れるか、もしくはその説明の出ているサイトを紹介してほしいと思う。

次に、

(食を取るために)青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや(本来なら弔うべき)死骸を切る者をや。

(食を取るために)青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや(食をとるために魚類や鳥類の)死骸を切る者をや。

これが興味深かった。

ようするに、あとから修正のコメントを入れて、前者よりも後者のほうがよさそうだというのである。これの理由がわからない。
わたくしは前者のほうがいいように思う。
後者のほうは実質的に重複である。これは屠殺人と庖丁人を分けているだけの話である。つまり、この直前の「蟻子(害虫)を殺す者尚地獄に堕つ、況んや(害を及ぼさない)魚鳥等をや」からすれば、魚鳥を食肉処理する人と調理する人に分けていることになるだろう。だったら同様に、蟻子と青草の関係が対応していなければならないと思うのだが、そのようには拝し得ないと思う。

叱られるのを承知で書けば、案外に大聖人にはアバウトなところがあるので、あまり論理的に考えてもうまく当てはまらないことが多いように思う。あえてその手法を取るならば、その御書だけの文脈ではなく、大聖人の御一代における御化導全般からの文脈を拝さなければならないであろう。
その意味で、わたくしはどちらかというと(食をとるために魚類や鳥類の)よりも(本来なら弔うべき)のほうがしっくりすると思う。

大聖人は立正安国論において法然の墓所が破却された事例を挙げておられる。
本来なら、このような事例は死者に鞭打つ行為として非難されなければならないはずであるが、大聖人においては肯定の意味でここに挙げておられるのである。
まさに秋元御書の当該部分はこれに対応しているのではなかろうか?
つまり、いわゆる非情であるところの青草を切っても地獄に堕ちる、いやんや死人(非情)はもともと有情なのだから、なおさら堕獄であろう・・・不殺生戒はかくのごとき重戒であるが、法華経の敵になればこれを害するは第一の功徳となる・・・と。

また、「況んや供養を展ぶべきをや。故に」を加筆であろうとして、理由を述べておられる。

なるほど、もっともらしい理由であり、わたくしも一瞬だけ納得してしまった。
しかし、現在は違う見解である。やはり、ここだけを加筆だとするには説明が足りないと思う。第一に、偽書の疑いがあるといい、次にここを加筆とするわけだから、ようするに真書だったとしてもこの部分は疑わしいというわけであろう。
先に記したとおり、大聖人にはアバウトなところがあるので、この程度の理由だけでは加筆と断ずることはできないと思う。恐れ多いことを言うようであるが、御真蹟のある御書にしても文章の乱れがなくもないとわたくしは思うのである。

なんだか話が長いなあ。今日はこれで止めておこう。

2006/5/10

成仏・不成仏の狭間にて  
実像と虚像の狭間にて

妙信講のファンという奇特な方(?)よりご質問をいただきましたが、実は過去にもやや似たような質問があって、あらまし回答させていただいたものが上掲のリンク先にありますので、ご参考になさってください。

以下はいつもどおり独白で・・・

もし、わたくしが今現在、顕正会の幹部としてめざましい活躍をし、顕正新聞にも頻繁に記事が載ったり、優秀班に名を連ねていたとしたら・・・これはもう大事件だろうと思う。これは至難の技であり、そこまで器用なことのできる人はめったにいるものではない。つまり、わたくしは現在まったく活動していない、だからこそ可能なことだと思っている。

ただし、今も熱心に活動している幹部とて、不平・不満がないわけではないだろう、そのような人たちが発言できる時代になったことは事実であり、ある意味では世の中が進化しているあらわれでもあるだろう。
ゆえに今後も現役顕正会員の中から、いろいろなタイプのサイトが起こされると思うし、そうあるべきだと思う。ようするに、わたくしはその中のひとりに過ぎないのだ。

自分の成仏をどのように考えているのかといえば、あまり考えていないのかもしれないし、あるいは模索中ということなのかもしれない。
「吟味の上他の団体に移って成仏の道を模索する」ということは、すでに顕正会では成仏できないと見切りをつけたことになるだろう。わたくしは活動こそしていないものの、まだ見切りをつけてはいない。

世の中にはいろいろな人がいる。ゆえにわたくしのような人もいるわけである。それだけの話なのだが、ここで二点ほど目新しいことを書いておこう。

顕正会を一度退転したものが戻ってきて、以前よりも熱心に活動する場合がある。
おそらく2ちゃんねるをくまなく読めばどこかに書いてあると思うが、ようするに一度目の活動で先輩に言われてわけもわからずに折伏しまくる、そこで今までの交友関係が破壊される、そして理由はそれぞれだがここで退転する・・・ひとつの理由として、強引な折伏は友達を失うからよくない、と気がつくのであろう・・・だが、一度壊れてしまった交友関係は元には戻らない、顕正会をやめても友達は戻ってこないのである、ゆえに孤独になる、どこにも所属するコミュニティがない、これはこれでひとつの地獄であろう、結局のところ自分の居場所は顕正会しかないのだと思い直す、よって以前にもまして熱心に活動するようになる。

カルトサーフィンという言葉がある。
おもに顕正会から日蓮正宗に帰伏して熱心に活動している人に向けられているようであるが、さしあたって一回きりの移籍はサーフィンではないとわたくしは思う。それこそ、人によっては創価学会から正信会に行ったと思えば今度は法華講に移り、それがなんといつの間にか再び創価学会に戻っていたというような人もいるわけで、これはまさにサーフィン以外の何ものでもないだろう。
しかし案外に、顕正会から顕正会へというパターンよりも、むしろ人生経験豊かでわるくないかもしれない。

つまり、サーフィンということが模索に相当するのであれば、わたくしはいわゆるネットサーフィンを用いて模索している途上にあるのだと思う。

それからもうひとつ、かつて顕正会には支部があって支部長がいた、某支部長の云く、法華講員も創価学会員も成仏することはする・・・と。

これは直接その支部長から聞いたわけではなく、又聞きである。ある人が、支部長の発言に驚いて、どう思うかとわたくしに聞いてきたわけである。
どう思うかと聞かれてもひじょうに困ったものだった。支部長がどのような意味で言ったものか、その詳細がわからないと何とも言えないと答えたのだと記憶している。

どうやらこういうことらしいのである・・・法華講員も創価学会員も戒壇の大御本尊を信仰しているのだから成仏しなければおかしい、ただし御遺命に背いていることを自覚している幹部は成仏できないと。
つまり、顕正会の存在を知らずに純真に御本尊を信じている人は成仏するが、顕正会から折伏を受けて御遺命違背を知ってしかもそのまま法華講や創価学会にいる人は成仏できない・・・

法は不知を許さず、ではなくて、知らない場合は許される。なるほど、そうかもしれない、と思ったものだった。仏法とは慈悲を説くものだからである。

ゆえにわたくしは、極端にいえば念仏を唱えている人であっても、いまだ三大秘法に縁をしていない段階では成仏できる・・・いや、成仏できるは言い過ぎであるけれども、ただちに無間地獄だとは言えないのではないかと思っている。
もっとも、これにはさまざまの方面からツッコミが入るかもしれない。だが、わたくしとしては、あくまで情緒的な意味で理解してもらうしかないのである。

ひじょうに甘い考えかもしれないし、こんなテイタラクだから自分の成仏についても真剣になれないのかもしれない。
ただ、わたくしは自分に正直でありたいと思っているし、けっこう正直な気持ちを書いてもいるつもりである。勝手気ままを書いているに過ぎないといえばそれまでだが、ともかく正直なところわたくしは成仏できるかどうかはわからないけれども、さしあたっては悪道に堕ちることはない、わたくしが悪道に堕ちるようでは世の中すべての人が堕ちるであろうくらいに思っている。

いずれにしても模索中・・・いや、暗中模索ないし五里霧中といったところか?

2006/5/9

克衛待望論?  
このところ新聞各紙では九月の自民党総裁選に関する記事が目立つ。小泉後継候補として名前のあがっている顔ぶれもほぼ固まりつつあって、一般的に有力視されているのはいわゆる麻垣康三のようである。

麻垣康三氏は、あ、いやいや、そんな人はいない。この四人は異体同心なれば四人にして四人にあらず、一心同体なるがゆえに一人の麻垣康三となって・・・いやいや、これも違う。

冗談はともかくとして、麻垣康三はいわゆる時限的なマスコミ用語であって、総裁選が終われば忘れ去られていく運命にあるわけだが、この四人の中では「三」がいちばん人気があり、次に「康」のようである。あとの「垣」と「麻」はいまいち人気がない。
それにしても福田氏の人気が根強いことには驚くものである。他の三人は現役の閣僚であり、ひじょうに露出度が大きい。ゆえに候補として名前があがって来るのは当然である。ところが福田氏は、官房長官を辞めてからというもの、あまり表舞台には出てきていないように見える。本人にしても総裁選への出馬を明言しているわけではないようであるし、なぜに有力候補のひとりにあがっているものか、素人目にはちょっと腑に落ちないところがある。
桃李物言わざれども下自ずから蹊を成す、とはこのことだろうか?

さて、今日は浅井後継候補(?)について書く。
S@法華講氏の紹介くださる女系天皇の問題もいわば後継問題であるし、ポスト小泉も後継問題であるから、その意味ではタイムリーな話題であろう。

地酒五郎氏や富士川一郎氏は顕正会次期会長を「三代目」という認識に立って書いていらっしゃる。これはいわゆる顧問先生から数えて三代目という意味だが、ここに微妙なアヤを感じる・・・というか少しばかりややこしい問題をはらんでいるように思う。
顕正会としては第二代会長となる。ゆえに今の若い顕正会員はどちらかというと二代目の認識なのではと思う。しかし、これは分派独立路線としての第二代を意味するわけであり、日蓮正宗から見れば邪宗の第二祖ということにもなるだろう。
どうやら地酒氏や富士川氏は、純然たる法華講だった頃の妙信講に立脚して論じていらっしゃるようで、これは今の若い顕正会員とは視点を異にするわけだが、ある意味ではひじょうに良心的な眼差しを顕正会にそそいでくださっているのだと思う。

問題はさらにもうひとつ、第三の視点が加わることにある。

すなわち二代目も三代目もない顕正会は一代限りである、とする意見である。
これは個人的見解というよりは顕正会のもっとも正統な見解であろう。つまり、浅井先生の存命のうちに広宣流布を達成する、もしくは広宣流布は浅井先生でなければできない、という考え方である。これは誰あろう克衛主任理事がそのような指導をしていたのである。
さらにいえば、顕正会は広宣流布したら解散するといい、あと十有余年ともいうのである。これは他でもない浅井先生みずからの発言である。

単純に考えて、十有余年後に目標が達成できなければ、話が違うじゃないかという批判があって当然であるし、ましてや次期会長を選出するともなればそのコンセンサスを得ることは相当の困難が予想される。
なるほど、このようなことだから、現実離れした想像とはいえ顕正会が将来分裂する可能性が論じられるわけであろう。

それにしても、地酒氏のいう「あの息子さん」とは誰のことだろうか?

先に自民党の総裁候補は麻垣康三だと書いた。
ここに武部幹事長の名前はない。現時点で武部氏が総裁になる可能性はほとんどないであろう。自民党の幹事長といえばきわめて重要なポストであり、露出度もべらぼうに高いのである。しかし現時点で名前が浮上してこないとなると、もうほとんど目はないとするのが常識的な見方のはずである。

すぐ前にコンセンサスという言葉を使った。つまり、「息子」というのが長男のことを指すのだとして、はたして国民的合意・・・じゃなくて顕正会的合意ができているのかどうか、それが問題なのである。

現時点でいえば、克衛主任理事の露出度は限りなくゼロであり、逆に城衛理事のほうが前面に出てきているのは誰の眼にも明らかであろう。
ネット上の怪情報によれば克衛は不倫の発覚で謹慎に処せられたともささやかれている。わたくしはそれを鵜呑みにするつもりはないけれども、もし事実だとしたら、もはや次期会長は断念せざるを得ないと思う。人のウワサは七十五日ともいうがそれは平凡な人間にこそ当てはまることであって、宗教団体の長ともなればそうもいかないはずである。
いつまでも言われ続ける運命にあるのだ。

そもそも息子が跡を継ぐべきことなのかどうか、これもまた議論の余地があることだろうし、上記のさまざまのことを勘案するに、現時点では到底コンセンサスの得られる状況に
はないと言わねばならないだろう。

あるいは「桃李物言わざれども」のごとく、ほぼ蟄居状態とはいえ、なんだかんだ言っても顕正会員は誰もが内心において克衛待望論を懐いているのであろうか?

2006/5/8

身延山中の様子を探る手掛かり  
今朝方までに四人の方よりコメントを頂戴した。次々に新しい方がお見えになられるので、うれしさ半分、困惑半分が正直なところである。

其の上兄弟と申し、右近の尉の事と申し、食もあいついで候。人はなき時は四十人、ある時は六十人、いかにせき候へども、これにある人々のあにとて出来し、舎弟とてさしいで、しきゐ候ひぬれば、かゝはやさにいかにとも申しへず。心にはしづかにあじちむすびて、小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じ候に、かゝるわづらわしき事候はず。又としあけ候わばいづくへもにげんと存じ候ぞ。かゝるわづらわしき事候はず。

法輪のBBSにshamon氏が興味深いことを書いておられる。「人はなき時は四十人、ある時は六十人」は後人の加筆ではないかと。
これはわたくしもそうなのかなあと思って、あれこれ考えているのであるが、いまだによくわからないでいる。きわめて漠然としたイメージを書けば、身延山中での大聖人は少人数の御弟子たちとひっそりと暮らしていらしたのではないか・・・というふうに勝手に考えてもいるわけだが、どうも違うようである。

shamon氏の投稿にどなたかがツッコミを入れている。この御文はちゃんと御真蹟にあるのだそうである。それに対するshamon氏の返信に云く、

ただし、毎日四十人も六十人も入れ替わり立ち代り講義を聞きに来られているのに、日蓮聖人が、着るものも無い、食べるものも乏しいと言われているのであれば、これらの人は何も供養の品を持ってこなかったことになります。少しばかりの供養の品にも、丁寧な感謝のお手紙を差し上げている日蓮聖人であるのに、四十人六十人の者が何も無い山奥で衣食を賄えたのは不思議でありましょう。それとも、日蓮聖人は心配を掛けまいとして、兵衛志殿にそのように書いたのでしょうか。推測とは、そのようにされて、新たな事実が浮かび上がったり、文章の意を深く解する手立てとなるものです。

文章の意を深く解する手立て云々と。
これはすばらしいことである。このような拝し方をしていらっしゃるのならば、案外にわかり合えるのではないかという気がする。つまり、四十人ないし六十人を字句どおりに読んではいけない、確実に大聖人の御筆とされているものでも字句どおりに拝してはならない場合もあるとお考えのようなのである。

わたくし自身は御真蹟の有無をあまり考慮していないので、次の御書も参考にしたいと思う。

抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば、今年一百余人の人を山中にやしなひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。此らは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ。

弘安二年の曾谷殿御返事である。
大聖人は身延山中でひっそりと暮らしていらした・・・とわたくしは思っていた。いや、今でもそのイメージが残っているのだが、どうもそうではないらしいのである。
一年弱前には四十人から六十人だった。それが今では百人を超えてしまっている。また、御文のごとくならば、曾谷殿からの御供養によって多くの御弟子たちの生活が成り立っていたことがわかる。

鎌倉方面の檀越は金銭での御供養を申し上げているケースが多い。わたくしは数字に弱い、ましてや鎌倉時代の貨幣価値などわかろうはずもないので、御書を拝していてもピンと来ない。

それにくらべると上野殿の御供養はひじょうにわかり易い。

芋一駄、米一駄など、あるいは一俵という単位は容易に想像がつく。一駄というのは二俵のことで、ようは馬の背に振り分けて載せるのだろう。通常、一俵は六十キログラムというから、一駄は百二十キログラムとなる。
少人数だったら困らない数量ではなかろうか・・・いや、逆にそれぞれ自分の家庭に当てはめて見ればわかるだろう、おそらくは多すぎて困ってしまうに違いない。

きわめつけは塩一駄であろう。

これはべらぼうな量である。自分の家でいちどきに百二十キログラムも塩を必要とする人はおるまい。塩分の取りすぎで厚生労働省から叱られてしまいそうである。

身延山中にはそれだけの人数が暮らしていたのだと考えられる。

2006/5/7

三者三様のコメントに思う  
昨日は三者三様のコメントを頂戴した。

まず、最初の方はわたくしを批判していらっしゃるようで、ようするに顕正会員がいくら御書を学んだところでムダである、また法華講員といえども猊下ないし御住職から離れて勝手に学ぶのはよくない、といった二段構えの批判に読める。

それを言っちゃあお終いよ、と申し上げる以外にわたくしには言葉がない。

顕正会はともかくとして、法華講の法太郎氏などはかなりヤバイ教学をやっているように見えるし、実際に他の法華講員から批判がなくもない。だが、わたくしは氏の向学心をすばらしいと思うし、同時に軽妙洒脱な面もあって魅力的である。
いわゆる角を矯めて牛を殺すという言葉がある。
これをもって思うに、極端にかしこまり過ぎてもいけないのではないか、自由な発想こそが新しい何かを生むのであろうし、そもそもネット上において教科書どおりの発言しか許されないのならば、もはや公式サイトがひとつあれば他は必要ないことにもなりかねない。詮ずるところ法華講の魅力は談論風発にあるのではないだろうか?

願わくは「冬は必ず春となる」の解説を賜わらんことを。

御真蹟が確認できる御書のみで十分破折できるのではなかろうかと思います。

kane氏の確信のほどをあらわしてあまりあるコメントである。
古代ロマン氏がおっしゃる、「二箇相承が発見でもされれば」ということが、今日の状況をよくあらわしていて、ようは二箇相承が本物か偽物かで議論が膠着してしまって一向に埒が明かないところに、kane氏はひとつの突破口を見いだしていらっしゃるようである。これは大変なことである。

また、「御真蹟が確認できる御書」という言い回しがひじょうにすばらしい。

どうも昨今は、御真蹟のない御書は御書にあらず、といった風潮が感じられるけれども、氏は必ずしもそれに同調するものではなく、相手が御真蹟しか認めないというならばそれで勝負しましょうということなのだろう。堂々たる横綱相撲である。
真偽問題は難しいのであまり深入りするつもりはないけれども、御真蹟があるのはある意味では奇跡的なことであり、長い間には焼失なり紛失なりしてしまったものが多数あったことだろうと思う。もちろん学究的には偽書混入の可能性を考慮して御真蹟以外は除外するのが一般なのであろう、それは承知しているつもりだが・・・まあ、これはこのくらいで止しておこう。

やや重複するが、古代ロマン氏のコメントを拝見して思ったことがある。

二箇相承が発見でもされれば即決着が着く

確かに大発見であり、いわゆる激震が走るほどの大事件であろう。だが、各所の掲示板を見ていると、面白いことに気がつく。
二箇相承を偽書だと断ずる人たちがいる。また、同じ人たちが二箇相承は北山のものだから大石寺とは関係ない、などと言っていたりするのである。

なんだか変な話ではなかろうか? 矛盾してないのだろうか?

偽書であれば話がそこで終わっていなければならないのである。まさか偽書の作成者は北山だから大石寺には責任がない、というふうに大石寺をかばっているわけではあるまい。どちらかというと、大石寺に批判的な投稿が多いわけであるからして、おそらくは二段構えの論法なのであろう。
つまり、万が一にでも二箇相承が発見されれば偽書説はぶっ飛んでしまう、よってあらかじめ予防線を張っているようにも感じられるのである。

ゆえに二箇相承が出てくれば出てきたで、また、ああでもないこうでもない、ということになるのではなかろうか?

もちろん、たとえそうであっても、二箇相承が発見されるに越したことはないわけで、わたくしにしてもその日の到来を願ってやまないものである。

2006/5/6

法論実現のための前提条件  
依然として、くすぶっているというか、あるいは焚きつけようとしているのか、顕本法華宗のことをわざわざコメントに寄せてくる人がいる。

平成の和気清丸

このコメントは不可解である。
わたくしは本文に、一言たりとも顕本のことを書いていない。いわゆる女系天皇問題についての投稿であり、まったく違う話題なのである。もっともコラボレーションというか、話題を複合させることもしばしばであるが、昨日の投稿では顕本に触れていないのである。そこにわざわざコメントしてくるのは何ゆえであろうか?

また、法輪のBBSにも誰だか不明であるが、当ブログのリンクを貼り付けた者がいる。
わたくしとしては宣伝してくれてありがたいとは思う。だが、すでに先方は当ブログの存在を知っていると思われるので、あのような貼り付けはイヤミにしか映らないはずである。
まさか法華講員がやっているのだろうか? これは馬鹿げていると思う。また、人によってはわたくしの自作自演を疑うかもしれない。だから困るのである。つまり、誰が犯人だとしてもいい結果を生まない、いわゆる心証をわるくするだけのことなのである。

あるいは漁夫の利を狙ってまったく別の方面から仕掛けられているのかもしれない。

もしそうだとすると、これは収拾のつかないことになる。
ゆえに某氏は責任を感じて掲示板への投稿を自粛したのであろうが、それにしてもこれまた不可解なコメントである。

わたくしはこれまでアクセス禁止を使ったことはない。また、迷惑を受けた覚えもない。毎日好き勝手に書いているだけの話であり、人に迷惑を掛けもしなければ掛けられもしていないのである。
もちろん本人が迷惑を掛けたと思っているのならば、それは殊勝なことである。人に迷惑を掛けていながら、まったく気がつかない人もいる。それこそ本当の迷惑であろうと思う。ゆえに自分から詫びを入れてくる行為は立派ではある。
だが、それならば法輪のBBSにこそ侘びを入れるべきであろう。

あるいは法輪のBBSをアクセス禁止になったのかもしれない。であれば、彼のコメントがshamon氏の目に届くことを祈るばかりである。


さて、経巻相承は邪義であり謗法である、という件について、わたくしの考えを書いておこう。

四月二十五日の投稿

というか、ここにすべて書いてあるのだ。
ネット上において、勇ましく法論だの何だのと叫んでいる法華講員は、それなりに教学を学んでいるわけであろう。わたくしの思うに、だったら唯授一人を前面に出すのではなく、相手の土俵に乗り込んでいって相撲を取るべきではなかろうか?
ようするに、同じ大聖人の仏法を論じているようでいて、実際は土台からして異なるわけである。だから話にならないのだ。
明治における顕本と富士との法論においても、御書の使用範囲をどうするかで揉めている様子が感じられる。これは今日においてもまったく同じことが言えるだろう。それどころか、今はさらに厳正なる真偽判定が求められる傾向にあるわけだから、この部分からクリアしていかなければ法論どころの話ではないはずである。

ちなみにわたくしには、真偽を判定するだけの知識も能力もないので、最初の段階でつまづいていることになる。
よって法論などという勇ましいことを口にできるレベルにはないと思っている。

2006/5/5

平成の和気清丸  
竹田恒泰氏の会見、及び宮崎哲弥氏との対談、この二つのビデオを拝見した。

いきなり英語でしゃべりだしたので、ひじょうにまいった。しかも最初は、この人を司会者か何かだと勘違いしてしまった。つまり、わたくしは竹田氏のことをまったく存じ上げなかったのである。
途中から日本語に切り替わったので何とか最後まで聞くことができたが、まさかこんなに若い人だとは思わなかった。勝手に名前で判断して、さぞや年配者のイカメシイ感じの人物なのだろうと想像していたのだった。

竹田氏の主張はいわゆる皇室典範の改正反対である。
だが、厳密にはそうではなく、別の意味での改正を主張しているようである。つまり、先般の女系天皇を認める意味での改正には断固反対の立場をとっているが、さりとて現状のままではいずれ皇統断絶の日が来ることは自明である、よって従来どおりの男系継承を維持するために皇室典範の九条を一部改正する・・・というようなことらしいのである。

わたくしには何がなんだかよくわからないので、何とも書きようがない。

ひじょうに好感が持てたのは、この問題が大きく取り上げられるようになってから女系反対派がしばしば主張するところの染色体理論とでもいうものを、竹田氏はあまり主張していないことである。
前にも書いたことだが、わたくしはこの染色体理論をあまりよくないと思っている。俗にいう子ダネをどこに求めるか、王の胤ならいいけど他の胤はダメということをもっともらしく説明するために用意されたような印象を拭えないのである。
ゆえに竹田氏がこれに重きを置いていないことには感心したものだった。

法隆寺を譬えに使っていた。
いわく、法隆寺を鉄筋コンクリートで建て替えたら、もはやそれは法隆寺ではないと。
この論理で、女系天皇はもはや天皇ではない、ということを主張していたわけであるが、確かにわかり易いことではある。
ただ、どうなんだろう、法隆寺と天皇を同じ次元で論ずるわけにはいかないのでは・・・もちろんあくまで譬えとして用いただけであるから、これをとやかく言ってもしょうがないことではある。

わたくしはまったく別のことを想像してしまった。

法隆寺の法隆寺たるゆえんは最古の木造建築であると・・・では、大石寺の大石寺たるゆえんは何であろうか?
こういう言わずもがなのことをつい考えてしまうのである。

質問者が平成の和気清麻呂がどうしたこうしたと言っていた。
外国人の方にはわからない、いや、日本人でも若い人はわからないでしょうが・・・などと言っていたけれども、年寄りだって知らない人のほうが多いのではなかろうか?
わたくしにしても不勉強ゆえによく知らないのである。浅井先生が本に書いていたなあ、ということは瞬時に思い浮かぶけれども、その意味するところはよくわかっていない。穢麻呂がどうしたこうしたと。

御書にもある。ただし和気清麻呂で検索しても出てこなかった。大聖人は「清丸」と書いておられるので、うっかり検索だけでことを済まそうとすると恥をかくことになる。やはり普段からたんねんに拝読していくしかないという好例だかもしれない。

さて、これは宮崎哲弥氏との対談の最後のほうだったと思うが、宮崎氏の云く、もし天皇陛下が女系に賛成の意向を示された場合はどうするのか、という鋭い質問を投げかけた場面がある。
これに対する竹田氏の返答がひじょうに印象深いものだった。

西郷隆盛が大久保利通に宛てた書簡に、・・・天皇というものは無謬である、絶対に間違いを言うことはない、もし間違いを言ったとしたらそれは何かの間違いなのであるから、その言葉を用いてはならない・・・云々と。

つまり、天皇が女系賛成を言うわけがないし、たとえ言ったとしてもそれは何かの間違いだからそのまま鵜呑みにしてはならない・・・ということで氏はあくまで断固として女系反対をつらぬく所存らしいのである。

これは何かの話に似ているなあ、と思った。

2006/5/4

撰時抄における「第一の秘事」の意味  
仏舎利も仏像も拝まずただ経巻を安置して本尊とする、というのは、インドで法華経が文書にまとめられた当時の原始法華教団もそうであったようですね。

kane氏が興味深いコメントを寄せておられるので、今日はここから話を始めたいと思う。
わたくしはずぶのシロウトなものだから、原始法華教団がどうだったかということはまるで知らないのである。氏の博識ぶりには毎度のことながら驚嘆するばかりであるが、あるいは本尊問答抄の冒頭の御文が関連するかもしれない。

法華経の第四法師品に云はく「薬王、在々処々に若しは説き若しは読み、若しは誦し若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てゝ極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須ひず。所以は何。此の中には已に如来の全身有す」等云云。涅槃経の第四如来性品に云はく「復次に迦葉、諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来恭敬供養す。法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり」云云。天台大師の法華三昧に云はく「道場の中に於て好き高座を敷き、法華経一部を安置し、亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安んずべからず。唯法華経一部を置け」等云云。

法師品には「此の中には已に如来の全身有す」とあるわけだから、なるほど仏像を安置することは重複以外の何ものでもない。木絵二像開眼の事には「されば法華経をよませ給はむ人は、文字と思し食す事なかれ。すなはち仏の御意なり」とある。「如来の全身」と「仏の御意」の違いはあるものの、ほぼ同じ意味が拝されると思う。

大聖人においては、法華経を本尊とするのではなく、法華経の題目を以て本尊とする・・・法華経の題目とは申すまでもなく大聖人御図顕の妙法五字の大曼荼羅であるとするのが富士門一般の拝し方であろう。
経王殿御返事の「仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」はあまりにも有名な御文である。

さて、問題はここからである。
大聖人は開目抄において、御自身の法華経の智解は天台・伝教に遠く及ばない意味を御述べになられている。実践面においては遥かに凌駕することを同時に御示しであるけれども、御法門そのものは天台・伝教に負うところが大きい、天台・伝教の跡をしのぶとも仰せである。

日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡をしのぶゆへなり。

しかし、ここにおいて問題視される点がある。すなわち、しょせんは漢訳仏典の範疇を超えないのではないか・・・という指摘である。
つまり、大聖人は羅什訳の法華経を用いられた。だが、これが本当に正しいのか、正確に翻訳されているのかどうか、どうやって知ることができるのか・・・

清澄寺大衆中には次の御文を拝する。

日蓮はいまだつくしを見ず、えぞをしらず。一切経をもて勘へて候へばすでに値ひぬ。

この御文の限りでは漢訳の問題を度外視している。というか、大聖人は中国にすら渡ったことがないのだから、いわんや印度をやである。さすがに翻訳の問題を考えるには自ずと限界があったことだろう。

しかし、撰時抄では「此の事は余が第一の秘事」と仰せられて、この問題についてはいかにも自信に満ち満ちていらっしゃるように拝されるのである。
ここにおいて大聖人は「委細には向かって問ふべし。但しすこし申すべし」として、何を御教示あそばしたかというと、羅什三蔵の「舌焼けず」の故事である。

わたくしの疑問は、第一の秘事とはこれがすべてなのか、それともあくまでその一端を御示しになられただけであってまだその先があるのか、である。

その答えを・・・いや、厳密にはヒントと言うべきかもしれないが、わたくしは次の二文に拝する。

余存の外の法門を申さば、子細を弁へられずば、日本国の御帰依の僧等に召し合はせられて其れになお事ゆかずば、漢土・月氏までも尋ねらるべし。其れに叶はずば、子細ありなんとて、且くまたるべし。

下山御消息である。
大聖人が正しいのか、それとも諸宗が正しいのか、漢土・月氏まで行って検証すべきである・・・ということは、場合によっては大聖人の義が破られる可能性もあるわけである。裏を返せば、大聖人においてはここまで想定あそばしていた。いわゆる想定内だったと拝することができるだろう。

抑法華経の大白牛車と申すは、我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。彼の車をば法華経の譬喩品と申すに懇ろに説かせ給ひて候。但し彼の御経は羅什、存略の故に委しくは説き給はず。天竺の梵品には車の荘り物、其の外、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝まで委しく説き給ひて候を、日蓮あらあら披見に及び候。

大白牛車御消息は大聖人が法華経の梵本を御覧になられていたことを明かされている意味で、ひじょうに貴重な御書である。
おそらくは詳細な御研究をあそばしておられたのであろう、それが「此の事は余が第一の秘事」の意味だとわたくしは思う。

2006/5/3

末法無仏と仏像  
今の世には仏ましまさず。

顕謗法抄にある末法無仏の端的なる御指南であるが、この前後にも興味深い御文がある。

竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ず、たゞをとにのみこれをきく。

又能化の人も仏にあらざれば、機をかゞみん事もこれかたし。

どうやら末法無仏は間違いないようである。

ちなみに昨日の投稿で「生身(しょうじん)の仏というのは生身(なまみ)の仏であって、肉体そのものは永遠たりえない」と書いたのであるが、これは謗法罪に相当するかもしれない。

涅槃経経五に云はく「若し人有って如来は無常なりと言はん。云何ぞ是の人舌堕落せざらん」等云云。此の文の心は仏を無常といはん人は舌堕落すべしと云云。

以上はすべて顕謗法抄からの引用である。

昨日は、無信心者に仏像を拝ませることは難しい、という意味を書いた。
なるほど、われわれは音にのみこれを聞くだけであって、じかに仏菩薩を見たことはないのである。ゆえに仏像を見ても本当にそれが仏なのかどうかはわからない。この点では無信心者の感覚のほうが正しいであろう。
あるいは仏師にしても同じことが言えるかもしれない。つまり、仏像は製作者の想像の産物であって、仏の姿・形を正確にあらわしているかどうかはアヤシイということになる。

この観点から木絵二像開眼の事を拝読すると、いろいろのことがわかってくる。
仏には三十二相がある。そのうち三十一相は目に見える部分だから木画にあらわすことができる。だが、梵音声はあらわすことができない。「故に仏に非ず」である。また、心法が欠けているから、「生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥」である。

ようするに、本物の仏には敵わないのだ。

法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたちとあらはしぬれば、顕・形の二色となれるなり。滅せる梵音声、かへて形をあらはして、文字と成りて衆生を利益するなり。人の声を出だすに二つあり。一には自身は存ぜざれども、人をたぶらかさむがために声をいだす、是は随他意の声。自身の思ひを声にあらはす事あり、されば意が声とあらはる。意は心法、声は色法。心より色をあらはす。又声を聞いて心を知る。色法が心法を顕はすなり。色心不二なるが故に而二とあらはれて、仏の御意あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経をよませ給はむ人は、文字と思し食す事なかれ。すなはち仏の御意なり。

わたくしにとってはひじょうに難しいところである。
ここにはいわゆる人法一箇の・・・もちろん釈尊と法華経の関係においてであるが、ともかく人法一箇が説かれているように思う。
この御文の前後には、仏像の前に法華経を置けば「純円の仏」ないし「生身の仏」になる意味が説かれている。このことを逆に言えば、仏像はそのままでは仏になり得ないわけであり、結局は法華経の絶対的優位性を示しているのではないかとわたくしには感じられるのである。これは富士門一般で言われているように、あくまで真言による開眼を破折することに主眼があって、仏像造立にはそれほど重きを置いていないように拝されると思う。

さて、この御書では法華経が正法であることを前提として仏像の開眼を論じていらっしゃることになるが、次なる問題は、ではなぜに法華経が正法であるのか、とりわけ羅什訳の法華経がなぜ正しいと言えるのか、ということだろう。
羅什三蔵の翻訳が間違っていれば、すべてが瓦解することになるから、これは大問題である。

今日はここまでにしたい。

2006/5/2

末法無仏と無信心  
一週間ほど前に、経巻相承支持者?と題して書いた。

わたくしはその中で、末法無仏という言葉を使った。
これは顕本法華宗ではなく、本門法華堂の主張するところであるらしいが、この本門法華堂というのは、もともと日蓮正宗の僧侶だった人が正信会を経て、今は独自の活動をしているもののようである。

この末法無仏は大聖人の仰せであり、末法には仏はましまさない、すなわち日蓮本仏論は大聖人みずからが否定しているのだという。
顕本法華宗では本仏釈尊を主張していて、この本仏釈尊という聞きなれない言葉を多用しているような印象を受ける。本門法華堂では日蓮本仏論を否定するわけだから、あるいは顕本法華宗に近いのかもしれない。けれども、まったく同じというわけではないようで、おそらく法勝人劣を主張しているところが異なるのではなかろうか?

わたくしの思うに、末法無仏と日蓮本仏論は矛盾しない。
しかし、これを論ずるとなると、その大前提として日蓮本仏論をやらなければならない。残念ながら今のわたくしにはそれをやり遂げる自信がないので、これには深入りしないことにするが、無仏というのは実に単純な話であって、仏が化導を垂れる期間には限りがある、すなわち釈尊五十年であり大聖人においては三十年とされているわけであるから、その期間を除けばすべて無仏の時代なのである。

しかし、ここで常住此説法の問題を指摘する人もいる。これと無仏との整合性である。

もし常住此説法を前面に押し出すならば、大聖人は本仏釈尊すら否定していることになると思う。ようするに、はっきり無仏を仰せになられているからである。
つまり、日蓮本仏論を否定するために無仏を使おうものならば、その利剣でもって本仏釈尊をも斬りつけることになるのである。

ゆえに、本門法華堂では法勝人劣を主張するのだろう。
生身(しょうじん)の仏というのは生身(なまみ)の仏であって、肉体そのものは永遠たりえない。対するところの法は永遠である。

もちろん日蓮正宗では人法一箇を主張するわけであって、法勝人劣は究極ではないとしている。

さて、柄にもなく、小難しいことを書いているが、ここからはわりとわかり易い話である。
昨日、木仏金仏石仏ということを書いた。いつの時代にも無信心の者はいる。そうした人々からの一種の揶揄が俗語化したものが例の言葉だろうと思われる。オシャカだとかオダブツも同様であり、その最たるものが坊主丸儲けかもしれない。

末法無仏どころの話ではない、無信心の者には神も仏もあったものではないのである。ゆえに彼らにしてみれば神仏に祈るなどバカらしくてやってられないといったところだろう、ましてや仏像などは仏を模したものであって仏そのものではない、そんなものに手を合わせるのはナンセンスだと思っているに違いない。

仏像は木だろうが金だろうが石だろうが血がかよっていない物体である。無信心の者は、こんな物に手を合わせて何になるか、と思っている。転じて、俗に朴念仁を指して木仏金仏石仏などと揶揄するわけである。このことからして、世の中には無信心の者が一定の勢力を誇っていることがうかがえるだろう。
先ほど末法無仏どころの話ではないと書いたが、あるいはこうした事象が末法無仏のあらわれなのかもしれない。

誤解のないように書き添えておくが、わたくしはいわゆる曼荼羅正意の立場にいるけれども、だからといって仏像を貶めるような事例をあつめてよろこんでいるわけではない。はっきり言って、無信心の者から見れば、仏像であろうが曼荼羅であろうが同じことなのである。つまり、これをもって仏像の不可を主張しようものならば、同じ太刀でもって曼荼羅も斬られてしまうのである。なかなか難しいものなのだ。

話を戻して、おそらくは大聖人の時代においても同様に、無信心の者がいたことであろう。当然のことだが、仏法では衆生無辺誓願度を説くわけだから、このような人たちにも救いの手を差し伸べなければならない。

仏像などに手を合わせることをハナっから毛嫌いしているような人もいるわけだが、彼らを納得させるのは並大抵のことではない。

さて、これに関する大聖人の御指南は、どのようなものだろうか?


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