2006/5/29

十日前の未熟な投稿  
   日昭
日蓮大聖人







            四条金吾














   日朗
   日興上人



   日持

   日頂 寂日坊日華
   日向




      和泉公日法
            南条時光
     日目上人

      寂仙房日澄


      大夫阿日尊 南条七郎五郎


十日前に、いつもと違う文体? というのを書いたのであるが、えらい間違いをやらかしていたことに今ごろになって気がついた。
誰も指摘してくれないということは、すでに見放されているのか、あるいは善意に解釈してくれたのか、そのどちらかであろう。

宗祖御遷化記録での順番は若い順になっていますね。

これは大間違いである。もし善意に読むならば、「順番は(入門の)若い順に・・・」となるだろう。しかし、正直に告白するけれども、自分は単純に年齢の若い順だと思っていたのである。

実は本弟子六人の中でいちばん若いのは、日向なのである。

上掲のは平成新編にある年表から、単純に生まれた順番を並べたものである。日昭は載っていないのだが、確か大聖人よりも一年年長であると思う。
それにしても日昭と日向では親子ほどの差があるわけで、ちょうど日昭が入門した年に日向が生まれていることからしても、本弟子六人の構成とは如何なるものなのか、不思議な思いがする。
大聖人の深き御考えを、わたくしごときがそう簡単にはわかるはずなどないのであるが、逆にこの一事をもってすれば、安易に唯授一人と本弟子六人を不整合であると断定するわけには行かないのではなかろうか? いや、しかし、これはやや手前味噌の論理であろうか?

いずれにしても、これらは本化別頭仏祖統紀を信用しての話であるから、あまり意味をなさないことかもしれない。また、わたくしの感覚では年齢がそれほど重要な意味を持っていたとは感じられないので、たとえその年齢差が正確であったとしても、だからどうだという話でもないのかもしれない。

いつの時代においても、人物本位・能力本位ということがすべてのような気がする。
あるいは当時において入門順の意識はあったのかもしれない。だが、そこにあえて不次第としてあることが能力本位の証拠なのであろう。


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