2006/6/30

顕正会員にとっての聖地はどこか?  
まず、昨日の問題については、茶寮氏よりコメントが寄せられているので、それを参照されたい。氏の文章にも少しばかりの難があったが、それと同時に、わたくしの読み間違いという面も否めないであろう。いずれにしても現在は立って話をしている。しかも場合によっては一時間以上にわたるというのだから、ご苦労なことである。部長も楽ではない。

さて、今日は何を書くべきか思い悩んで、話題を探しにネットサーフィンをしていたところ、「魯の人の云く・・・」にすばらしい文章がつづられているのを発見した。全文掲載したいくらいであるが、とりあえずリンクを貼っておこう。

聖地主義について

一部を紹介すれば、次のごとくである。

私自身の意見は後に述べるとして、現実には聖地を持たない世界宗教は存在しないし、「宗教が宗教として生き延びるためには、むしろ聖地が不可欠である」とする見解もあり、それなりの説得力を持っている。

(中略)

 また富士門徒を今日まで、結束させ歴史をつないできたのも、「富士に戒壇堂を建立する」という悲願があってのことであった。

 私個人としては、これらの「聖地主義」を乗り越えていこうと思っているが、決して単純に乗り越えられるものとは思っていない。(奥歯にもののはさまったような言い方かもしれないが、大切なことなのでじっくり考える必要があるだろう。)創・宗の決裂から既に十七年が過ぎた。しかし、未だに大石寺の力が衰えず、決着はついていない。そのひとつの理由にも、この「聖地」の問題があるように思われる。


この人は創価学会員であるが、そこらの掲示板で悪口を吐いているような人たちとは明らかに一線を画している。
また、「未だに大石寺の力が衰えず、決着はついていない」というのもきわめて公正な態度の分析であり、フェイクなどの謀略情報とはまったく異なる視点にあることは明らかである。

そしてこの聖地問題は、まさに顕正会にとっても重要なテーマであり、これがために顕正会を脱会して大石寺に帰伏するものが後を絶たないとも考えられるのである。

顕正新聞を読んでいると、ことに地方在住の会員の体験発表などでは、本部会館への参詣が叶ったことの感激を述べるくだりがよく見られる。これも一種の聖地信仰であろう。
その意味で、なぜ本部が埼玉なのかという問題があって、それを気にしてのことだろう、浅井先生は「私はこの地を埼玉ではなく武蔵の国だと思っている」(取意)と言っていたことがあった。
その会通の是非はともかくとして、どのみち顕正会にとっての聖地は冨士大石寺のはずなのである。あるいは天生原ないし天母山であろうか?

ここで戒壇論に結びつけるならば、もはや事壇や義壇の論争をしているのが馬鹿らしくなってくることに気がつくべきなのである。
なにゆえ宗教法人顕正会は冨士大石寺顕正会を名乗っているのであろうか?
それは冨士大石寺が唯一の正系門家であり、本門戒壇の大御本尊ましますがゆえであろう。つまり、現時における聖地なのである。もし天生原に固執するならば、冨士天生原顕正会とでも名乗ったらよろしい。しかし、絶対にそんなことはしないはずである。

先に体験発表で本部参詣の感激を述べるくだりがよく見られると書いた。
これは別に取り立てて悪いことではないと思う。冨士大石寺顕正会の表札を掲げている限りは、それほど道を踏み外すことはないだろうと思うからである。
逆に言うと、顕正会が独自路線を目指すならば、冨士大石寺の看板を外す必要があるだろう。しかし、それは同時に、顕正会の過去を全否定する暴挙でもあるのだ。

このようなジレンマがある以上、ヘタなことはできないのである。

なお、「魯の人の云く・・・」の続きの文章には次のようなくだりがある。

 ある人は言った。「魯の人さん、宗教は建物ですよ。建物を無視して宗教は生き残れない」。草創期からずっと、学会運動をリードしてきたその人の言葉には、ずしりとした重みと現実感があった。

現在の顕正会も多造塔寺堅固の様相を呈しつつあるので、なるほど「ずしりとした重みと現実感」をわたくしも感じずにはいられなかった。

2006/6/29

梅雨明けはまだか?  
埼玉県出身I@札幌氏ならびにガラン氏より、たびたび懇切なるコメントが寄せられていてありがたい限りであるが、今日は別の話題に移りたいと思う。

・・・というか、先日の茶寮氏からのコメントもまた、ひじょうに重要な問題を含んでいるので、今日はそれについて書くつもりである。

すでに今顕正会は、単月では百万法城達成以前のような折伏成果を挙げることは、困難な状況下にあります。
現実を直視できないことも問題なのです。


現実問題として、確かにそのような分析が可能なのであろう、今年は「驀進」をスローガンに掲げているけれども、はたして本当に驀進しているのかどうか、はなはだアヤシイということなのだと思う。悪く言えば、停滞ないし低迷している、もっと悪く言えば後退であろうか?

それと同時に、奇妙な話のようであるが、自由な茶寮そのものが停滞ないし低迷しているのではあるまいかと思った。

というのは、こうした内容のことは本来、茶寮掲示板で大いに議論するべきことだったのではと思うのである。
ところが最近の投稿傾向を見ると、現役会員よりも元会員の投稿が多いようである。もちろん元会員の投稿も貴重である。しかし、理想を言えば、あくまでたくさんの現役会員の生の声があって、それが主役でなければならない。その前提の上で元会員からの意見なり証言が活かされるような形が望ましいと思う。失礼ながら、元会員は脇役でなければならないのだ。
現状では、やや討論掲示板のような空気になってしまって、現役会員が本音で語れるような雰囲気ではないのだろうと思う。ゆえに投稿者も少ない。

現在、日本列島には梅雨前線が停滞している。これと同じように自由な茶寮の停滞も一時的なものであればいいのだが・・・

さて、そもそも茶寮氏のコメントは、直接的にはわたくしが「その集会におけるいちばん偉い人が話をする時にはイスが用意され、座って話をしていたものだったが、いつの間にか立ったまま話をするようになった」と書いたことを受けてのものである。

このゆえは、浅井先生の座談会における指針の指導からです。これ以降名称を座談会から集会に変更しています。
一念信解による感激の登壇者を増やそう、出来るだけ登壇者を多くする、各部長クラスの指導は短く、立って行うこと。日曜勤行の指導も拝聴しない。

この指針が打ち出され一年位は、続きましたが、現在は挫折して戻りました。
簡単な話、登壇者が続かない、ゆえです。
側近の幹部が、先生に対して、「先生の御指導の通り今は時なのか、一念信解の初心者の登壇推薦が絶えません。功徳が溢れています。」と耳障りの良い事を上申するから先生は鵜呑みにして、この様な指針を打ち出されたものです。


実はここに重要な問題が隠されている。わたくしは二つの意味で重要だと思っている。

「現在は挫折して戻りました」ということは、また座って話をするようになったと読めるけれども、それは本当だろうか?
わたくしはかれこれ二年近く集会には参加していないので、最近の内部事情はよく知らないのである。ゆえに、上掲のごとく詳しく書かれていると、それを素直に信用するしかない。
ところが、顕正新聞に掲載された写真を見る限りでは、立っているのである。

いちばんわかり易いのが台湾集会における浅井理事であろう。他にも男子部集会、女子部集会、婦人部集会での各部長の姿は立っているようにしか見えない。もっとも城衛さんは座高があるので立っても座ってもあまり変わらない? いや、これは冗談である。

茶寮氏がウソを言う必然性はないので、そうすると壮年部の話かもしれない。最近の顕正新聞には壮年部長の登壇している写真がないので、わたくしは確認できていないのである。消去法ではこれしかない。

先に重要な問題が隠されていると書いたが、立っているか座っているかの問題がひとつである。
もうひとつの問題は、茶寮氏の事実誤認(?)を誰も指摘しないこと・・・つまり、当ブログは思ったほど現役会員には閲覧されていない、もしくは閲覧していてもコメントしづらい、ということがこれで判明したわけである。

これで行くと、自由な茶寮も低迷しているが、当ブログも低迷していることになろうか?

2006/6/28

体験発表の難しさ  
埼玉県出身I@札幌氏より本日未明にコメントを頂戴した。

「富士大石寺へ帰ろう」は立ち上げ当初は、管理人さんがまだ顕正会員で、現在の「自由な茶寮掲示板」と似たようなHPでありました。

これは知らなかった。そうすると、同じ運命をたどることになるのだろうか?

また、御自身の心法の変化について言及されているが、この「心法の変化」という用語は顕正会でもよく使われるものである。


さて、ガラン氏より質問をたまわっていたわけだが、その要を取って言えば、顕正会に長く在籍しているからにはそれなりの功徳を体験しているのではないのか、ということだろう。そうでなければ、ただでさえ定着率の悪い顕正会にいる理由が見えてこない、という意味でもあると思う。
すでに昨夜述べたように、わたくしには人に語って聞かせるほどの体験はないのである。だったらなぜ顕正会に拘泥し続けるのか、何か特別な理由があるのでは・・・という疑問が生じてもおかしくはないだろう。

だが、これについては、書くつもりはない。
もしかしたら将来、わたくしを取り巻く状況に大きな変化が生じて、その結果として書くことができる時がやってくるかもしれない。そういうわけだから、知りたい人は気長にお待ちいただくしかない。

そもそも顕正会員の功徳の体験談などは聞きたくもない、というのが法華講員や創価学会員の本音ではなかろうか?
ようはくだらな過ぎると。
それは、わたくしがそのように思っているわけではなくて、各種掲示板の投稿に見られるところなのである。
ことにバスタータイムズなどは顕正新聞の記事をよく読んでいて、スキあらば容赦なくツッコミを入れてくる。

相変わらず馬鹿げた内容で構成されている顕正新聞。
(中略)
それと、またまたしょうもない体験談を発見!
前の記事ではパチンコ依存症が治ったとの体験が紙面の半分を使って掲載されていましたが今度は、なんと紙面の3分の1を使って、パチンコで十万勝ったとの体験談が掲載されてました。
この体験談の中に、パチンコで十万勝ったのは、御本尊様の無量無辺の大功徳とありました。
あまりにも、馬鹿げた体験談に絶句してしまいました。


バスタータイムズではあっさりと書いているために見逃している点があると思う。
以前のパチンコ依存症が治った体験はいわゆる心法の変化のあらわれであるから、わたくしは悪くないと思う。それは二ヶ月あまり前の顕正新聞に載っている。そして今度の新聞ではパチンコに勝った話である。
つまり、今度の体験はややもするとパチンコを肯定している、もっと言えばパチンコを奨励しているとも受け取られかねないわけで、ひるがえってパチンコ依存症の体験を踏みにじる結果になっているかもしれないのである。

パチンコ依存症というのは正式な病名なのかどうか知らないが、問題なのはパチンコ熱が高じてくると借金までしてパチンコをやり続けるようになり、挙句は個人破産に至るわけである。この手の体験発表もよく見聞きする。
結局、パチンコをしなければこのような問題にはならないわけであるが、今度の体験ではパチンコをして十万円の臨時収入が得られたというのだから、ようは信心を真面目にやっていれば福運がどんどん身に備わってきてパチンコにも負けなくなる・・・などという解釈にもつながりかねないわけである。

ちなみに、その体験発表の該当部分は次のごとくである。

かつて仏法の話をして逆縁だった知人がパチンコ店に入るのを見つけ、再折伏しようと店内まで追いかけて行きましたが、見失ってしまいました。
疲れ果てた私は「しばらく休ませてもらおう」と空いているイスに座りましたが、店員が変な目で見るので仕方なくパチンコをやり始めました。すると周囲の人たちが「凄い!」と騒ぎ出すほど玉が出てしまい、なんと約十万円も儲かってしまったのです。
これには私自身、大変驚きましたが、年金暮らしの私には何より有難い臨時収入であり、御本尊様の無量無辺の大功徳に涙が止まりませんでした。


あくまで仕方なくという条件付きであるから、パチンコを奨励しているわけではないけれども、積極的に禁止しているわけでもなさそうである。
そうすると、やはり拡大解釈を許しかねないという問題をはらんでいるようだ。
さらには、この体験発表者がこれに味をしめて、それこそパチンコ依存症にでもなってしまったらどうするのか、という心配もなきにしもあらずである。

顕正新聞編集部はバスタータイムズに馬鹿にされないような紙面づくりをしなければならない。

2006/6/27

お返事に代えて  
埼玉県出身I@札幌氏はホームページをお持ちであるが、わたくしはそれ以前の印象がひじょうに強い。かなり以前より、氏は富士大石寺へ帰ろう掲示板をホームグランドとして活躍しておられた。帰ろうサイトはご存知のごとく対顕正会用サイトである。ゆえに掲示板においても顕正会批判の書き込みが中心だったし、今もそうである。

わたくしが、氏に対する印象を大きく変えることになったのは、宗教に関心を持とう掲示板での出来事からである。氏は一時期、宗教に関心を持とう掲示板に投稿していたことがある。
先に述べたように、大石寺へ帰ろう掲示板はおもに顕正会批判が中心であって、創価学会の話題などはあまり見られない。また、この掲示板の常連たちは、あまり他の掲示板には顔を見せない傾向があるように思われる。
ところが氏は、宗教に関心を持とう掲示板に来られて、なんと創価学会員と対論を始めたのだった。これは意外だった。しかも、その語り口がひじょうに柔らかいというか、紳士的というか、真面目というか、ともかく毒々しさがないのだった。

わたくしがネットの世界を経験するようになってから、かれこれ四年くらいになるだろうか、いい加減な性格なので自分ではちゃんと把握していないけれども、だいたいその程度だと思う。そして、おそらくは最初の頃、無意識のうちにも身構えていたところがあったのだろうと思う。ゆえに、富士大石寺へ帰ろうサイトなどに対しては、穏やかではない感情を持っていた。当然、その掲示板へ書き込んでいる面々に対しても同様の感情を懐いていたのだと思う。

ゆえに、埼玉県出身I@札幌なる人物も・・・当時は少し違った名前だったと思うが、それはともかく、顕正会を悪く言う連中のひとりであると思っていたし、さぞかし性格の悪い人間に違いないなどと思っていたような記憶がある。ようはわたくしも未熟だったのだ。
つまりは氏のことを、そのような偏見で見ていたのである。それが宗教に関心を持とう掲示板での出来事で、見事にくつがえったのだと思う。

そんなわけで、埼玉県出身I@札幌氏がわたくしのブログにコメントをくださるようになったのはごく最近のことであるが、上件のごとくわたくし的には浅からぬ因縁があると思っているのである。


ガラン氏のことはよく存じ上げないが、いろいろと質問のようなものを頂戴しているので、ひじょうに困っている。

まず、わたくし個人の功徳の体験談については、人に話せるほどのことは何一つないと申し上げておきたいと思う。ただ、これに関連する事柄を、一両日中にでも書こうと考えているので、お待ちいただきたい。

七箇相承については、まったくのお手あげ状態と言う以外にない。

わたくしは御本尊の相貌をほとんど知らない。大聖人の御真筆御本尊についてすら、よく知らないのであるから、いわんや御歴代上人の御本尊のことなどまったく知らないと言ってもいいくらいである。

ただし、創価学会員が言わんとしていることの意味はそれなりにわかる。
ようするに、御本尊書写の書式みたいなものを大聖人御自身が御指南下されたものが相伝書であるとすると、それに反する御本尊があるのはどうしたことかという疑問なのであろう。

わたくしにはわからない。これでおしまいである。

少なくとも日目上人御書写の御本尊をすべて把握した上でなければ、何とも言えないことなのだと思う。しかし、実際のところは上人の御本尊がすべて公開されているわけではないのだろうから、判断のしようがないのではないか?
また、七箇相承といっても、例えば平成新編御書には掲載されていないわけである。つまり、われわれが安易に学ぶべき書ではないのだ。そもそも御相伝書とはそういった性質のものなのだろう。
わたくしはさしあたって、在家分に与えられた御書を中心に学ぶべきだと思っている。なにしろ在家なのだから。

開目抄にしても本尊抄にしても在家の方がたまわっている。わたくしは同じ在家でありながら、いまだに両書の意をつかみきれていない。つまりはその程度の能力なのである。

ゆえに御相伝書などはまだ百年早いと思っている。
もっと研鑽を積んでから、ようやくたどり着く世界なのだろう。

2006/6/26

破折法論館への投稿文  
お三方より、きわめて重要なコメントを頂戴しましたが、まことに不躾ながら、お返事は保留させていただきたいと思います。

昨夜、柄にもなく、よその掲示板に投稿しました。以下は、その全文であります。


はじめまして、巌虎と申します。

わたくしは顕正会に所属しておりますので、貴掲示板に投稿するのは不適当かとは存じますが、どうやら議論も終焉を迎えんとしている様子ですし、また主宰者の「第三者の判断を仰ぐ」(取意)とのお言葉もありますので、ここに感想のようなものを述べさせていただきたいと思います。

おおむね三つの視点から申し述べます。

第一に、俗な言葉を使わせていただけば、法華経にはどんでん返し的な意味があるのだろうと思っています。いわゆる四十余年未顕真実であるとか、二乗作仏、そして久遠実成といったことは、どんでん返し・・・というよりはストーリーの意外性と言ったほうが適切でしょうか、ともかくも、ハッとさせられるところがある。つまり、感動するメカニズムというのは多くの場合、意外性にあるのだろうと思います。
このように考えますと、まさに諸法実相抄においては大どんでん返しがあるわけですね。実は凡夫が本仏なのであって、仏は迹仏なのであると。そして、これが日蓮大聖人を御本仏とする有力な根拠のひとつであると、このように拝するのが日蓮正宗系統の了解事項であろうと思います。
ところが沖浦氏などは、大聖人を御本仏であると認識しているにもかかわらず、御本尊は迹であって信ずるわれわれこそが本なのだ、という意味をおっしゃるわけです。これはもしかしたら、大聖人の仏法から飛躍する・・・卒業すると言うべきでしょうか、あるいは脱却するということなのか、ともあれ平成の世における新たなるどんでん返しなのであろうかと感じました。

二点目は、大聖人よりも自分たちが偉くなっちゃうのは本末転倒だと思いますが、大聖人とわれわれは斉等であるとする考え方・・・これは皆さんご存知のごとく御書から導き出されるところでして、ただちに間違いであるとは言えないわけです。法華講側の主張では、平等であると同時にそこには能所のたてわけが厳然とある、というようなことだと思います。
わたくしのイメージとしては次のようなことではないかと思っているのですが・・・
すなわち、大人と小さな子供がお話をしている・・・この大人はつねに身体をこごめて小さな子供の目線に合わせて話をしてくれる、つねにである、・・・それを子供は勘違いしてしまう、相手は自分と同じ背丈しかないのだと。
理屈は簡単でして、大人が子供の目線に合わせることは容易であるけれども、子供の側からはそうは行かない、いくら背伸びしたところで届かない。申すまでもなく、大人が大聖人で子供がわれわれです。いずれはわれわれも大人になる。けれども最初から同じだったら仏の化導は必要ないでしょう。

三つ目はですね、かつて戸田城聖氏は御本尊のことを幸福製造機であると表現したことがあると聞いたことがあります。つまり、道具である。そうすると、あるいは沖浦氏のような発想もあり得るわけです。
今でもありそうな話ですが、テレビが壊れて映らない、そうすると人によってはテレビを叩いたり、ゆすったりするわけですね。それで本当に直ってしまうことがある。不思議な話というか、滑稽な話ですが、ともかく誰もがその光景を想像できるだろうと思います。
もし御本尊を道具に過ぎないとすると、あるいは祈りが叶わないとなれば、御本尊をテレビが故障した時のごとく扱うこともあるのだろうか・・・などと考えていたところ、なんと諫暁八幡抄にはまさにそのような御指南があるのですね。
蘇悉地経には、祈りの叶わぬ時には本尊を縛ったり叩いたりせよ、という意味が説かれていると大聖人は仰せになる。もちろん蘇悉地経は大日三部経ですが、ここでは肯定の意味で引用あそばしている。
これはかなり刺激的な御指南ですね。しかし、どうなんだろうか、われわれがそんなことしていいのだろうか、という疑問がありますね。
おそらくは、われわれがマネするべきことではないのだろうと思うのですが、もしこれが適用可能であれば、あるいはこれが御本尊を道具扱いにする根拠になるかもしれない・・・いや、しかし、これは極論が過ぎるというものでしょうね。

創価学会側の主張には意外性があって魅力的なところが多々あるけれども、それと同時にひじょうに危ういものを感じました。

2006/6/25

乱筆乱文にて失礼  
今日はお返事を書かなければならないようなコメントがいくつもありますね。

富士川さんは記憶力がバツグンですね。もうかれこれ十年前の話にもかかわらず、よく憶えていらっしゃる。そういえば、自分もそのような話を聞いたような気もする。しかし、自信がない。まるで記憶にないのである。

昔の集会では部長クラス・・・というかその集会におけるいちばん偉い人が話をする時にはイスが用意され、座って話をしていたものだったが、いつの間にか立ったまま話をするようになった。その理由を何かの折に聞いた記憶がある。しかし、もう忘れてしまった。たぶん、勝手な想像を書けば、長っ尻というのか、やたらと話の長い幹部がいたので、あるいはそれの抑止力ではなかったかと思う。そういえば、克衛主任理事の話も長かった。原稿なしで軽く一時間はしゃべり続けていたと思う。

そんなわけだから、あるいは新聞広告の話もあったかもしれないが、それは話の全体からすれば、ほんの一部分に過ぎないわけだろう。しかも十年前の話である。富士川氏の記憶力を示してあまりある話である。


kane氏より、ご自身の不明を素直に認めるコメントがあった。これが法華講員の柔軟性である。
そもそも氏は、何のてらいもなく「浅井先生」と書いている。これがすごいことなのだ。元顕正会員の法華講員がネット上には多数いるけれども、反動というのか浅井先生をボロクソに言う人が少なくないように思う。当然に、先生とは書かない。書いたとしても、センセイかセンセーである。これは揶揄の意味があると思う。ところがkane氏は浅井先生と書いてはばからない。これがなかなかマネのできることではないのだ。

それにしても、どういうわけかkane氏には敵が多いようである。まさに魔競わずば正法と知るべからずということかもしれない。しかし、同門と思われる方からも批判めいた・・・というよりも明らかに敵意をむき出しにしたような書き込みが見られる。最近の2ちゃんねるでのやりとりがそれをよく物語っているように思う。これはまた悩ましいことである。

外には邪宗、邪義に憎まれ,内には誹謗の声ようやく高し

これは戸田城聖氏の言葉とされているが、kane氏の置かれている状況をよくあらわしているように思う。


yun氏のコメントには弱った。これは過日の埼玉県出身I@札幌氏やガラン氏も同様であるが、ようするにわたくしの帰伏を考えてくださっているわけである。これほどありがたいことはない。ゆえにプレッシャーなのである。

法華講員にはひんしゅくを買うことを覚悟して書こう。

わたくしの帰伏は当面ない。・・・ああ、ダメだこれは、こんなこと書いているようではひんしゅくを買ってしまう。前にも同様のことを書いてずいぶん不評だった記憶がある。ようするに、わたくしは浅井先生の復帰を願っている、それが優先事項である、などと考えているのである。

そして、その可能性が限りなくゼロであることも承知している。

けれども望みを捨ててはいけないと思う。
今わたくしにできることは、顕正会の軌道にこれ以上の狂いが生じないように、顕正会の首脳部はもとよりその他の不特定多数の、問題意識を持たれているであろう方々に、わたくしなりのメッセージを伝えていくことである。
もちろん、必ずしもわたくしの書くことが正しいわけではない。デタラメもいっぱい書いていることだろう。ようはそれぞれが自分なりに問題意識を持ち、自分なりの見識を持てるようになる、そのキッカケになればいいのだと思う。

ぜんぜん偉くもないのに、偉そうなことをたくさん書いてしまった。

どうも失礼しました。

2006/6/24

浅井先生にまつわる種々の誤解  
富士川氏には、平成九年の諫暁書についての裏情報をご教示いただきましたが、そんなことまでご存知とは驚きですね。どうやって調べるのでしょうか? 何か特殊な情報機関でもご利用になっているのではありませんか?
また、御侍史についてのご解説、ありがとうございました。

さて、kane氏からも種々のコメントを頂戴しておりますが、直近のコメントにはじゃっかんの誤解が含まれているように思うので、今日はそのあたりのことを書かせていただきたいと思います。

浅井先生はやっぱり、「産経」愛読者なんでしょうね。だから「天皇・靖国」に遠慮するのでしょう。
大御本尊様の一信者としてではなく、男系皇統死守を叫んだ勤皇の国士として生涯を終えていく、そういう道を選んでいるのです。浅井先生が大御本尊様のもとへ戻れる日は、もう来ないでしょう。

嗚呼、産経遥かに中絶せり。


これがkane氏のコメントの全文ですが、まず、浅井先生が産経の愛読者だというのはわたくしもそうなんだろうと思います。しかしながら、天皇・靖国に遠慮があるというのは誤解であろうと思います。

破すべきをば此を破し、取るべきをば此を用ふ

この中でも書きましたが、そこらの勤皇の国士とは一線を画する、それが浅井先生の立場であることは明らかであろうと思います。

ちょうど今、自由な茶寮の二階でも、「近代宗門の歴史と今日の問題」が連載中でありますので、ご確認になられるといいでしょう。

また、靖国の件ですが、まず、総じていえば神社神道についての浅井先生の認識がどうかという問題になると思います。これはですね、例えば平成二年の諫暁書をお持ちであろうと思いますが、なければ顕正会の公式ホームページをご覧になれば、次のような文章が出てくると思います。

 明治憲法では、文言(もんごん)には表われてないが、事実上神社神道を国教として認め、国家がこれを保護していた。これに対し日本国憲法は、神道と国家の分離を命ずる連合国司令部の指令に基き、政教分離を規定している。
 これを仏法より見れば、明治憲法は、国家の根本に毒を取り入れていたことになる。次の日本国憲法は、毒は捨てたが薬も用いないという憲法である。そして最も勝れた憲法とは、毒を捨てるのみならず薬を用いるものであることは自明の理である。すなわち広宣流布の時には、日蓮大聖人の仏法を基本原理とする憲法が制定されなくてはならぬ。この時が、本門戒壇建立の時なのである。


ここではっきりと、神社を毒であると書いているわけです。

そして、五月度総幹部会・・・つまり、先月末の集会ですから最新の講演ですが、これが顕正新聞の第1036号に載っていまして、一面の見出しには、

靖国問題の本質も仏法で明らか

とあります。

で、講演の中ではかなりの時間を割いて、こと細かに靖国問題に言及しているのですが、ここではそのいちばん最後のほうだけ引用しておきます。

 中国にへつらって「靖国へは行きません」というのも愚かなら、突っぱって「行く」というのも愚かです。
 堂々と仏法の確信に立って、中国に対してハッキリとこう言うべきです。
 「日本は靖国神社などやめる。日本には日蓮大聖人の仏法がある。この仏法こそ全人類成仏の大法であり、世界平和の秘法である。よって日本は、この大法を全人類のために、国家の命運を賭しても護持し奉る」――と。


だいたい、こんなところですね。

男系皇統云々は確かにそのとおりでして、わたくし自身、前々から言ってきたように、天皇は男系でなければならないとする仏法上の明確な根拠が示されていないと思っています。
この問題はいずれ再燃するとも予想されるので、その時に浅井先生がどのような発言をするか、注目したいと思っています。

参詣中絶はですね、これは最後まで望みを捨ててはならない、いわゆる恋慕渇仰が本物であれば、その思いを最後まで持続するべきですね。それでこそ一貫不変であり初志貫徹ということになるかと思います。

2006/6/23

まとまりのない話  
今朝までに大量のコメントを頂戴しましたが、とても対応しきれるものではないので、いつもながらまとめて失礼させていただきます。


今日は引き続き、池田氏の記事を転載しようかと思う。
だが、その前にサイトの紹介をしておこう。

「池田大作氏会見」(産経新聞)は歴史を平気で書き換えている

このサイトをわたくしは知らなかった。というよりも、わたくしは創価学会関係の勉強をほとんどしていないので、肯定・否定のいずれのサイトもよく知らないのである。
しかし、このサイトはすごい。トップページがどこなのか、判然としないけれども、リンクをたどっていくと、なにやらすごい情報量である。しかも信頼のできそうな情報、というか出所のはっきりしている情報ばかりが並べられている。

それにしても赤旗は、国立戒壇についてずいぶん詳しいではないか。
ほぼ、その主張するところは筋が通っていると思うが、ここでも顕正会は埋没してしまって、名前が出てこない。結局、相手にされていないのである。わたくしの視点はいつもここにある。

さて、産経新聞の会見記事を引用しよう。

――国家主義への警戒感が強いようだが。

 「国家主義的になったら世界性に欠けることになる。必ず民族間の摩擦を生む。日本は国家主義で失敗した国だ」

――偏狭な国家主義は論外だが、日本人の国家観やアイデンティティーの希薄さは問題ではないのか。

 「それが産経新聞の根本理念だろう。その点は分かる。読者としていわせてもらえば、もう少し国際色をとは思うが、産経新聞はもっと伸びるべき新聞だ。実は産経新聞とは縁がある。草創期の関西創価学会の大功労者が、大阪駅の近くで産経新聞の販売店を営んでいた。戸田城聖第二代会長はその方を産経≠ニいう愛称で呼んでいた」


はっきり言って、二つ目のやりとりはこの会見の中でもっとも無意味というか、なんだかわけのわからない結論になっていると思う。
・・・と同時に、わたくしにはひじょうに好ましいものを感じるのである。好感度が高いということだ。

「それが産経新聞の根本理念だろう」という、この言い方が実際のものなのか、あるいは新聞特有の圧縮した表現なのかわからないが、これが本当だとしてもわたくしは驚かないし、それほど違和感はない。
そして、ここがいわば創価学会と産経新聞との思想的な乖離を示す部分であり、いちおうは議論が激突しているわけであろう。ところが池田氏は話の流れを巧みに変えていく。いわく、「産経新聞はもっと伸びるべき新聞だ」と。
「実は産経新聞とは縁がある」以下は、内容のあるようなないような、もはやどうでもいい話であり、戸田氏の話を持ってくるあたりは脱線もいいところである。

けれども、誰もが同じように感じるかはわからないが、わたくしにはこうした脱線ばなしがひじょうに好ましく感じられるのである。ゆえに昨日、両者の関係は良好であると書いたのである。

もちろん、創価学会は八方美人ではない。当然のごとく、険悪な関係にあるところが少なくないのは上掲のリンク先を見てもわかることだし、言うまでもなく日蓮正宗との関係、あるいは顕正会との関係など、ひじょうに険悪である。

しかし、世の中は複雑である。
わたくしの見るところ、浅井先生は産経新聞をわりと評価している。けれども産経が浅井先生をどう思っているかはわからない。対中国の意味では創価学会と産経は相容れないものがある。ところがご覧の会見のごとく一定の相互理解に及んでいる。中国共産党と創価学会の関係は良好である。しかし日本共産党と創価学会は決して良くはない。

今日はまとまりのない話になってしまった。

2006/6/22

マスコミの眼は節穴か?  
「テロは宗教の自殺行為」

 創価学会の池田大作名誉会長(七三)は十六日までに産経新聞と会見した。このなかで池田氏は、イスラム原理主義勢力によるとみられる米国中枢をねらった同時多発テロについて、「テロは宗教の自殺行為だ」と述べ、対話の徹底による宗教対立の回避の必要性を強調した。
 池田氏は今回のテロについて、「いまこそ全世界の指導者たちが動き、大世論をつくることだ。世論が時代と人間を動かす」とし、中東の宗教対立をめぐる憎悪と暴力の連鎖を断ち切るべきだと述べた。
 公明党が連立政権を組んでいる小泉政権に対しては、政治哲学・理念が欠けているとして、改革課題が実行できなければ政権崩壊もあり得るとの厳しい認識を示した。
 その一方で池田氏は、小泉純一郎首相が制度疲労に陥っている現状を打破できれば名宰相として歴史に残るとして、「崇高な信念を堅持してほしい」と強調、改革遂行が政権継続を左右するという考えを明らかにした。
 また、憲法改正、集団的自衛権の行使容認、首相の靖国神社参拝などに対しては、否定的な見解を示した。ただ、かつては自身が靖国神社に参拝していたことも明らかにした。
 アジアの問題ではとくに巨大中国の動きに触れ、中国の民主化は漸進的にすすめるべきだとし、日本外交の力量不足を指摘した。
 過去に言論出版妨害事件などを起こした創価学会の体質問題については、組織の発展段階では戦闘的にならざるを得ない時期もあるとし、現在では批判された体質は払拭できていると主張した。



平成十三年に、池田大作氏と産経新聞との会見があった。
その内容は四日間にわたって朝刊に連載されたのだが、第一日目の一面には上掲のごとく内容を圧縮した記事が載っている。

かつては自身が靖国神社に参拝していたことも明らかにした。

これだけを見ると、謗法与同も甚だしい限りであるが、顕正会員はこれを使ってはならない。これはいわゆる切り文のようなもので、ようするに池田氏の長兄は戦死しているらしく、氏は少年時代、慰霊のためにしばしば靖国に行っていたというのである。おそらくは入信前のことだろうから、これを責めるわけにはいかないのである。

自分が思ったのは、案外に池田氏と産経新聞との関係は良好なのではなかろうか、ということである。関係が悪ければ、このような会見は行なわれないだろうからである。

残念ながら顕正会の場合は、どことも良好な関係をむすべていないように思う。マスコミに取り上げられないのは相手にされていないからであろう。ごくまれに、マスコミをにぎわすことがあると思えば、それは必ずといっていいほどに逮捕事件なのだから、まったくイヤになってしまう。

もちろん、愚人にほめられるのは智者の恥辱ではあるのだが・・・

その昔、浅井先生の文章が光文社の月刊誌に掲載されたことがある。
わたくしはそれを持っているわけではないが、冨士の百六十八号にはその月刊誌掲載のものが転載されている。まさに先生の常の主張がそこにおいても展開されていた。ああ、これが一般の総合月刊誌に載ったのかと、なかなか感慨深いものがあった。

しかし、それから今日まで、はたしてマスコミが顕正会を好意的に扱ったことがあったであろうか?
平成二年には国書刊行会から「なぜ学会員は功徳を失ったか」を刊行し、翌年にも続編的なものを刊行し、いずれも一般の書店に平積みされたのである。平成九年の諫暁書も当初は国書刊行会から出たのだと思う。
ところがどうしたことであろう、平成十六年の諫暁書はどこの出版社も引き受けてくれなかったというのである。先生いわく、どこの出版社も腰が引けてしまっている、と。

本当のところはわからない。
だが、いずれにしてもマスコミとは良好な関係にない事実には変わりがないのである。
これを仏語のとおりであるとするか、あるいは単なる嫌われ者とするか、当然に顕正会では前者を取るわけであるが、本当のところはどうなのか、わたくしには判断できないでいる。

2006/6/21

覆水を盆に返す秘術はあるか?  
「近代宗門の歴史と今日の問題」平成4年8月7日浅井先生講義

日蓮正宗が唯一の正系門家である理由

身延派、顕本法華宗など、日蓮宗を名乗る諸派は多いが、日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いだ正系門家は日蓮正宗以外になく、他はすべて似て非なる邪宗である。
なぜ日蓮正宗だけが唯一の正系門家なのか。その理由は次の三つである。
@本門戒壇の大御本尊ましますゆえに
A唯授一人の血脈相承ましますゆえに
B国立戒壇建立の御遺命堅持のゆえに



ええと、コメント欄に初登場の方が何人かいらしておりますが、まことに失礼ながらまとめてご挨拶させていただきます。
当ブログはですね、独白を基本としておりますので、一々のお返事をしかねる場合があります。特に、コメントがたくさん来ている時など、なにしろモノグサなものですからね、ほったらかしにしてしまう傾向があります。
それでいて、話題にこと欠く時には都合よく、コメントを利用したりしているわけで、ようするにワガママなのです。
そんなわけで、コメントをくださる方も、それを承知の上でお好きなようにご利用くだされば、こちらとしてもありがたく思います。


さて、上掲は自由な茶寮の二階、大講堂からの引用である。
ようするに平成四年の特別講習会の書き出しの部分であるが、国立戒壇云々は仕方がないにしても、それに目をつぶってしまえばどうであろう、おそらく法華講員が読んでも悪い気はしないのではないか?

そして、自由な茶寮の大講堂に、トチロ〜氏の投稿がある。
いわゆる立正大師問題において、日達上人は当時の宗門中枢に対して建白書を提出したという。ようするに、大聖人は御本仏なのだから大師だとか菩薩の称号では怪しからんではないか、というようなことである。日達上人いわく、「私はそれを聞いて若輩で生意気盛りであったから、大いに憤慨して、」云々と。

はたして浅井先生に、「若輩で生意気盛りであったから・・・」といった方向性の回想があるのかどうか、それはわからない。
だが、ここでわたくしが注意を惹いたのは「建白書」である。

先日来、法華ジャーナル問題について書いているが、今朝もコメントをくださった方がいる。ようするに、編集部員だった人に取材して確証を得ている、ということらしい。そんなすごい方がコメントをくださるとは驚きであるが、それは今の話題ではない、ええと、なんだっけ? そうそう、法華ジャーナルのインタビューを事実無根であると主張している冨士が何号であるか調べている時に、別の冨士に「建白書」を発見したのである。

この建白書は日達上人の建白書ではない。阪神淡路大震災直後の平成七年三月十三日付で浅井先生が、日顕上人に宛てて提出した建白書である。

わたくしは言葉を知らないものだから、この建白の意味がよくわからなかった。浅井先生はこれまで、宗門に対しては諫暁書を提出し続けてきたので、あるいはその類語なのかとも思っていた。しかし、どちらかというと上申書のような意味合いが建白書にはあるようなのだ。それは日達上人が御若い時に建白書を宗務院に送付されたとの話からもわかるであろう。

このことを踏まえた上で、あらためて建白書を読んだところ、思わぬ発見があった。

文中、「敢えて強言を構え、直諫するものであります」とあるごとく、内容的にはひじょうに厳しいものがある。
だが、しかし、最後に眼を転ずると、次のごとくになっているのである。

 阿部日顕管長猊下
         御侍史


上人とは書いていないけれども、猊下としているし、さらには御侍史の脇付まで添えられている。これは相当のものである。

はっきり言って、これは誰が見ても悪い気はしないと思う。
あるいは法華講員からすれば、上人とせずに管長としている部分だけでも怪しからんと思うかもしれないが、それは致し方のないところである。
だが、第三者が見ればどうであろうか? おそらくは日顕上人を知らない人でも「なんだか知らないが、この阿部日顕という人はものすごい人らしい」ということがわかるに違いないのだ。
つまり、そういう書式なのである。

しかし、先の講演が平成四年で建白書が平成七年、そして今が平成十八年・・・ああ、もう十年以上経つのか・・・

・・・わたくしがここで何を書いたところで、今さらどうにもならないことかもしれない。


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