2006/6/10

尸毘王の鳩の正体は?  
平成新編御書検索で「心の師」を調べると、蓮盛抄、義浄房御書、曾谷入道殿御返事、兄弟抄の四つが出てくる。該当部分は以下のとおりである。

涅槃経に云はく「願ひて心の師と作るとも、心を師とせざれ」云云。

相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。

心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし。

心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。


昨日書いたように、通常は涅槃経の文だとされている。蓮盛抄では涅槃経になっているけれども、単純に多数決でいけば、二対一で六波羅蜜経が優勢である。また、今成教授のような人は御真蹟の存する御書しか用いないので、そうすると断然に六波羅蜜経が有利である。通常は涅槃経のはずなのに、どうして大聖人は六波羅蜜経とされたのか?
この謎が今成教授によって解明されるまで、誰にもわからなかったというのだから、あらためてすごい話だと思う。

では、次のようなことは、現段階で解明されているのであろうか?

尸毘王の所へにげ入りし鳩は毘首羯摩天ぞかし。

尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし。


前者が船守弥三郎許御書であり、後者が兄弟抄である。
尸毘王の話は他の御書にも出てくるが、このように鳩の本地(?)を明かしているものは上掲の二書だけのようである。
これでは多数決は使えない。真蹟主義でいけば当然に兄弟抄の毘沙門天に軍配があがるわけだが・・・

一般的にはどうなのかをグーグルで調べてみたところ、どうも判然としないのである。「尸毘王 毘首羯摩天」と「尸毘王 毘沙門天」で調べてみても、どっちもどっちなのである。しかもヒット数が極端に少ない。前者が五件で後者が七件。一般的にもあまりメジャーな話ではないようである。これではちょっと判断がつかない。

毘首羯摩天と毘沙門天は同一人物(?)という可能性もある。しかし、ネット上で調べた範囲では別人(別神?)のようである。
http://dug.main.jp/sinma/bukkyou.htm
このサイトを信用するならば、別人ということになる。

先の涅槃経と六波羅蜜経の例からすれば、尸毘王の話には出典が二つあって、毘首羯摩天と毘沙門天の二説が存するということになるかもしれない。
これがいちばん無難であり、まるくおさまる結論ではあるが、本当のところはわからない。

もちろん、これはわたくしが知らないだけであって、実はすでに解明されていることなのかもしれない。ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひともコメントをたまわりたいものである。

2006/6/9

今成教授の大発見  
今、わたくしの手元には、「日蓮的あまりに日蓮的な」というタイトルの本がある。

いったい何が日蓮的なのか、題名だけではわけがわからないけれども、ようは日蓮大聖人を研究している人たちの、論文などを集めた本だと考えればいいだろう。

今成元昭教授の「摂折論をめぐって」が面白かった。

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」は顕正会員もよく知るところの有名な御文であるが、これは正確には涅槃経の文である。
ところがである。大聖人は兄弟抄において、次のごとく御認めであられる。

心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。

涅槃経の文であるはずなのに、大聖人は六波羅蜜経の文だと仰せられるのである。これはいったいどうしたことであろうか?

わたくしはこれまでにも何度か書いてきたけれども、大聖人にはけっこうアバウトなところがあると思う。ようするに、今流に言えば「テキトー」である。まあ、それは言い過ぎにしても、大聖人にも間違いは存する。ちょっとした勘違い、あるいは誤字脱字である。
大石寺門流ではこういうのを示同凡夫の辺と捉えるのだと思う。他門ではどのように捉えているのか、わたくしはよく知らないが今成教授の文章を読むと、はやり他門でも兄弟抄のこの部分は大聖人の書き間違いであると考えていたようである。

ところが実は六波羅蜜経にも涅槃経と同様の文が存在するのだそうである。

今成教授による大発見である。
もちろん、大聖人の仏法の全体像からすれば、ほんの小さな発見に過ぎないのであるが、しかし、ではなぜに七百年にわたって誰もそれに気がつかなかったのか、それが問題である。
結局、固定観念というか先入観というか、涅槃経の有名な言葉として定着しているものだから、誰もよく確かめなかったということらしいのである。
それにしても今成教授はよく気がついたものである。

しかし、ここまでの話はいわばマクラなのである。

今成教授といえば、摂受論者の代表格である。
つまり、簡単に書けばこういうことだ・・・
・・・大聖人は折伏正意であられると一般には考えられているが、実はそれは間違いなのである、先の「心の師とはなるとも」云々と同様に、よく確かめもせずに大聖人は折伏正意であると後世の人間が勝手に決め込んでしまっているだけであって、よく調べてみれば摂受正意であることがわかる・・・と。

実際には、もっと細かいことがいろいろ書かれていて、さすがは学者の論文であると思わせるものがある。興味のある人は買うなりして読んでみるといいだろう。

ともかく先入観や固定観念が邪魔してしまって気がついていないことがまだ他にもあるかもしれないと思った。

2006/6/8

大行はサイキンを顧みず  
kaneさん、重要なるご見解をありがとうございます。

ひじょうに難しい問題でして、わたくしのほうからは申し上げようにも何も準備がありませんので、このテーマは当分の間、お休みさせていただきます。


さて、今日はあまりためにならない話である。

わたくしの手元に「日興上人身延離山史」の再版がある。
なんとこの本には値段が表示されていない。発行所は大石寺になっていて、著者は富士学林研究科となっているが、これまた発行者が書かれていない。いわゆる図書コードもない。
これ某氏の説によると、大石寺の発行ではないことになりそうである。すると、怪文書の類であろうか?

おそらく、そんなことはないだろう、大石寺の発行した書籍と考えて間違いないはずである。

しかし、ひと通り読ませていただいて思ったことだが、これはひじょうに奇怪な文書である。おっと、恐れ多くも大石寺に矢を向けるつもりか、などと考えてはいけない。わたくしの指摘することなどは、他愛のないものばかりである。

ネット上の書き込みを見ていると、「的を得ている」という誤表記がかなり見られる。これは申すまでもなく、「的を射ている」が正解である。

身延離山史の十五ページには、「ともかく正鵠を得たものは一としてない」とある。
これは間違いだろうと思っていたが、実はこの場合、正解なのだそうである。「正鵠を射る」でも「正鵠を得る」でもいいらしい。
それから何箇所か「当を得る」というのも出てくる。これは問題ない。逆に「当を射る」ではマズイようである。

なんだ、ぜんぜん問題ないじゃないか。

百十五ページに、「この態度を欠いては到底離山に関する正鵠な理解も」云々とあって、この正鵠にはルビが振ってある。すなわち「せいこう」である。通常は「せいこく」と読むが「せいこう」も慣用読みとして存するのである。
なんだ、ぜんぜん問題ないじゃないか。

わたくしの云く、この著者はヘソが曲がっている。

最初の「正鵠を得る」にはルビがないのである。それでいて、今の「正鵠の理解」にはルビがある。難しい読みにルビを振るのはいいが、普通は初出のところでルビを振らなければ意味がないではないか? それとも、最初のほうは「せいこく」と読み、後のほうは「せいこう」と読ませたいのであろうか?

これはまだいいとして、次の例には驚く。

誑惑=おおわく、である。

なんだこりゃ、と思って辞書を開いてみたら、普通は「きょうわく」と読むのだそうである。これは知らなかった。わたくしはこの言葉を浅井先生から教わったものだから、「おうわく」で通るものだと思っていたのである。
そうすると、これは特殊な読みなので特に決まりがあるわけでなく、大石寺では「おおわく」と表記するのだろうかと思ったが、それで話は終わらなかったのである。

なんと百五十五ページには、「おうわく」とルビが振ってあるのだ。

わたくしの気がついたところでは、百二十九ページに二箇所「おおわく」があって、すでに書いたとおり、百五十五ページには「おうわく」があり、さらに百五十八ページには再び「おおわく」が出現するのである。

いったい、どうなってんだ、これは?

最後に身延離山史から離れて、少しためになる話を書いておこう。

大行は細瑾を顧みず

本来、細瑾は細謹と書くらしく、この細謹というのは、こまやかな礼儀作法のことだそうである。ようするに、大きな仕事をする人は細かいことにこだわらない、くらいの意味であろう。で、細瑾というのは細謹の誤記からできた言葉なのだそうで、小さなキズ、わずかな欠点くらいの意味である。
つまり、「大行は○○を顧みず」の○○には、もちろん細謹を入れてもいいのだが、それよりも細瑾を入れたほうがさらに意味が鮮明になるのだと思う。

大人物たらん者は相手の小さなミスにつけ込むようなことはしないものである。

2006/6/7

高校生大会の指導に学ぶ  
現段階において急がば回れ的指導は可能か?

先日、顕正会の悪しき体質について書いたのであるが、これは先生みずからが「日本に残された時間は少ない」といって会員の尻を叩いている以上は先生の責任だと思う。

しかし、妙信講時代から見て、必ずしも今日の顕正会が完全に異質化してしまったというわけではない。指導者は同じなのである。時間的にも連続性がある。ゆえに変遷が見られるとはいえ、本質的にはそれほど変わっていないとも考えられるのである。

今日は横着をかまして、顕正会公式ホームページからのコピペを以下に列挙する。

 御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるようになってから、心法が変わってきた、顔つきが変わってきた、成績も上がってきた――と。この実証の前には、あらゆる教師が「信心するとこんなにも変わるものか」と、仏法の力・正しさを、認めざるを得なくなるのです。
 いまのタガの外れたような全国の高校において、三大秘法をたもつ顕正会高校生がキラリと光って仏法の実証を示すとき、いかなる怨嫉の教師も口を閉じ頭を下げる。このとき、妨害の壁は破れ、広宣流布の潮流は滔々と流れ出すと私は確信しているが、全国の高校生諸君、どうだろうか(大拍手)。


 この新しい日本を築くには、無数の力ある人材が出て来なければならない。
 私はそれを、顕正会の高校生に期待する。
 いまはまだ歳若くとも、やがて無数の高校生が力ある有為の人材に育ち、新しい日本の中核となることを、私は念願しております。
 そのために本日、高校生大会を開いたのであります。
 どうか、一人ひとりが上野殿のごとく、大聖人様から「賢人殿」とお褒めを頂けるようなけなげの信心に立ち、新しい日本を築く人材に成長してほしい。しっかり頼みます(大拍手)。


高校生大会での先生の講演であるが、これは妙信講時代の指導と何ら変わりがないと思う。

今、というかずいぶん前から顕正会の末端では、御奉公とは別のことで、あれもやりたいこれもやりたい、というようなグチをこぼすと、それに対して先輩幹部が必ず言うセリフがある・・・あと十有余年で広宣流布する、そうしたら思う存分に好きなことをやればいい、と。

オレは今やりたいんだ!

と口ごたえする人もいなくはないが、まあ、大抵は黙っちゃうのだろうと思う。
それはともかくとして、乱暴な幹部になるとこの論理を高校生にも適用しようとするわけで、最悪の場合には勉強すら否定しかねないのである。今するべきは勉強ではなく折伏であると。
さすがにこれは行き過ぎである。ゆえに先生もクギを刺す意味で、かの講演を行なったのだとも考えられる。顕正会の高校生を守りたい、励ましたい、というのはいちおうは学校側の理不尽な妨害に対応する意味があるけれども、深く見るならば傍若無人なる青年部の幹部から守る意味があったとも考えられると思う。

なぜならば、同じく高校生大会の講演の中に、次のごとくあるからである。

 大聖人様は、この若き上野殿の純粋の信心をたいへんお悦び下された。そしてこのときお手紙を下されている。
 その文中で、亡き父上と姿・貌が似ているだけでなく、心さえもよく似ておられる≠ニお褒め下さった上で、追而書に
 「人にあながちにかたらせ給うべからず、若き殿が候へば申すべし」と。
 ――この信心のこと、人にやたらと話してはいけない。上野殿がまだ若いので、心配して言うのである――と。
 上野殿は十六歳の若さとはいえ、父親の跡を継いで地頭職の地位にあった。たいへんな地位です。この地頭職は鎌倉幕府に仕える立場でもある。そこで幕府に讒言して上野殿を陥れようとする怨嫉者が、周囲に大勢いたのです。これを大聖人様はご心配下さって、かく仰せ下されたのであります。何とも有難いお慈悲ですね。
 この身延参詣を機として、いよいよ十六歳の上野殿の、一筋の信心が開始された。


これは、高校生には無理をしてまで折伏をやらせたくない、という意味に読めると思う。
折伏をやってはいけないわけではないが、無理をさせてはいけないのである。まだ信心の確信がつかめていない段階で、先輩幹部が折伏を強要するようなことがあってはいけないということである。

こうして見ると、高校生大会の指導はけっこう常識的である。
高校生のうちに酷使してダメにしてしまうか、それともじゅうぶんに育ててから戦列に加えていくか、どちらがいいかといえば一目瞭然だろう。

日本に残された時間は少ない・・・けれども、急がば回れは有効である。

2006/6/6

化石は語る?  
富士川さん、資料のご提示ありがとうございます。

わたくしには難しくてわからないことですが、しかし、この部分はさすがに大聖人の御言葉ではないのだろうと感じられますね。いわゆる本弟子六人との整合性がまったく見えてこないわけです。また、加筆部分という意味にしても、なぜに日朗なのかがよくわかりません。上野殿のほうがまとまりがいいようにも思うのですが、現実問題としては日朗になっているのでしょうから、どうしようもありません。日朗と富士との接点をどこに求めるのか、この辺の研究がどこまで進んでいるのか、気になるところですね。

櫻川さん、貴重なコメントありがとうございます。

ええと、化石ですが、最近は「化石化」という表現も見られますね。これなどは本来的には重複表現のようにも感じられるところですが、まあ、言わんとするところはよくわかります。ようするに、信心が硬直してくる、組織が固まってしまって一向に前進しない、広宣流布のテンポを速めないといけないのに遅々として進まない、もはや完全に化石と化している・・・というような意味合いなのでしょうね。しかし、櫻川さんのご指摘のごとく、なるほど言い得て妙だと思いました。化石はウソをつかないわけですから、そこにあらわれている姿・形こそが真実を物語っているということなのでしょうね。

そういえば、「御還御」なんていうのもあったなあ、活字として残っているかどうか知らないが・・・

わたくし自身は妙信講経験者ではなく、比較的新しい人間だけれども、それでもけっこういい年である。やはり化石化している存在なのだろう。

化石らしく、おとなしくしているべきか?

2006/6/5

一級教学部員向けサイト?  
別体の四菩薩は願兼於業示同凡夫の法主聖人日蓮御房が上行。法水瀉瓶唯我与我の相伝家御開山上人日興が無辺行。一閻浮提の御座主の日目が浄行。三秘法体の中興の祖日寛が安立行。上野殿を安立行とするのは大石寺を掲げる己が沽券を挙げんが為の謬義である。

もはや頭が混乱してきて、わけがわからなくなってきた。

例の帝王付属会サイトを読んでいると、頭が痛くなってくる。それはわたくしの能力の限界でもあるのだろうが、それと同時にサイト側にも責任があるのではなかろうかと思わずにいられないのである。ゆえに昨日は大バカヤロウと書いたのである。
このサイトは、一級教学部員でなければ理解できない、いや、わたくしが言うのではなくて、そのような文言が文中に出てくるのである。確かにそうかもしれないと思う。

さて、上掲の文章であるが、顕正会員はこれを読んでどのように感じるだろうか?

日蓮大聖人がいわゆる上行菩薩であられることはおおむね知られるところである。しかし、四菩薩のそれぞれについては知らない人も少なくないだろう。実はかくいうわたくしも長いこと知らなかったのである。
上行が大聖人で無辺行が日興上人、そして浄行が日目上人ということまでは知っていたのだが、安立行菩薩がどなたであるか、ずっと知らないでいたのである。

それがいつのことだったろうか、浅井先生は御書講義の席で安立行を上野殿であると発言したのだった。

そもそも、わたくしはこの根拠を知らない。
どうやら百六箇抄だかの後加文にそれがあるらしい。だが、平成新編にはそれに該当する御文は見当たらない。全集にもないと思う。富士宗学要集に載っているとの話であるが、わたくしは現物を確認していない。

いずれにしても、そこに記載されている御文は安立行菩薩を上野殿とはしておらず、なんと日朗になっているらしい。不思議な感じがするけれども、ともかくそういうことらしいのである。

ところが、帝王付属会では上掲のごとく主張するのである。つまり、日寛上人が安立行であると。

もはや読むべき書ではないのかもしれない。あまりにも刺激が強すぎる。しかも難が多くて答えが少ない。これはどういう意味だろう、どうしてこのような結論になるのだろう、いったい何が言いたいのだろう・・・まるで見えてこないのである。
単にこちらの頭が悪いだけなのかもしれないが、しかし・・・どうなんだろう・・・ひじょうに悩ましいところである。

比較的わかりやすい文章もある。次の三つは引用文であるが、ひじょうにわかりやすいものである。

凡そ仏法を住持する有智の丈夫は、誠に須く、自宗の義といえども若し邪義あらば、後学に指示し誑惑すべからず、他宗の義といえども若し正義あらば、取り用いて伝うべし、此れ則ち智人なり(法華去惑巻二守護国界章中の中)

敵といえども徳は採るべく、師といえども失は挙ぐべし(印度格言)

古師、謬あらば新師、改むべし(法華玄惑巻二守護国界章中の中)

2006/6/4

帝王付属会とは?  
日蓮正宗帝王付属会をご存知だろうか?

わたくしはかれこれ三年くらい前から知っていたが、内容はよく把握していなかった。今もよくわかっていないが、もしかしたら日蓮正宗系統の中の極右集団ということができるかもしれない。

kane氏のリンク集では、「正体はよくわかりませんが、顕正会内部の反・克衛派が決起した模様」としている。また、ジャンプ氏の宗教法人顕正会問題リンク集では、「顕正会の反克衛派+学会の反池田派? 詳細不明」としている。

しかし、失礼ながらお二人とも、あまり真面目に読んでいないようである。

反克衛派などというナマヤサシイものではない、この人物は浅井先生すら乗り越えて、一派を立ち上げんとしている・・・いや、すでに立ち上げているのだろう。

浅井先生は弟が急死したあたりから和解調書の見返りに一億ニ千五百万円と一カ寺の謗法の施を受け日蓮正宗名字の捨閉閣抛、政教分離遵法 の厳守宣言、2008年二重の広宣流布へと狂い初めた。子として臣として争うべきを争わず諌むべきを諌めず、たれあろう会長浅井先生の信心を破ぶる者は福子の浅井克衛御曹子。彼に父のカリスマを再現する御器量がおありかと人答わば継承者の「単己菩薩」にはあっても世襲者の彼にはないと答えるだろう。

この文章の後半部分だけを読むと、確かに克衛を批判しているわけであるが、前半も見逃してはならない。はっきりと先生を批判しているのである。「狂い初めた」と。それを諫めない克衛もついでにダメだと指摘しているのであって、あくまで克衛批判は二の次の話である。

相伝家日蓮正宗帝王付属会天野富嶽会長は、戸田城聖門下生を已につとめ、浅井昭衛継承者を今につとめ、フリードリッヒ・ニーチェ、ショーペンハウエル、ヘーゲル 、アドルフ・ヒトラー、ヨセフ・スターン、マルキド・サド、クラウゼビッツ、バクーニン、リグ・ウェーダのイデオローグを当につとむ。

どうやら会長さんは天野富嶽という人らしい。というより、この文章を書いている人が天野富嶽氏本人なのであろう。
それにしてもわけのわからない文章である。

繰言喝破・会長浅井先生御満悦の"二重の広宣流布"は、真実に嘘をまぜた大妄語。法体の折伏他国侵逼逆縁の半分が如是我聞のホントで化儀の折伏他国侵逼順縁の半分が妄想転倒のカルトである。付属会が台頭した今となっては、言論統制と個人崇拝の浅井式裸の王様体制の延命ももはやこれまで。

ひとつ前の文章では、「浅井昭衛継承者を今につとめ」とあるから、克衛を批判しておいて、自分が浅井先生の真の継承者である・・・という意味にも受け取れるけれども、そうではないことはここに明らかである。
御満悦とか大妄語とか、あるいは浅井式裸の王様体制とか、すごいことを言うものである。

まだ他にもすごい文章がたくさんあるのだが、あとは読みたい人が読めばいいだろう。
どうやら天野氏は、顕正会や創価学会の有能な人材を引き抜いて、一大勢力を築きたいと思っているらしい。しかし、どうだろう、難しいのではなかろうか?

はっきり言って、この人は大バカヤロウである。

いやいや、失礼、これは少し誇張が過ぎたかもしれない。
思うに、この人はわたくしなどよりも遥かに教学力がある。正しいかどうか、それはわからないけれども、ともかくも、わたくしなどよりも遥かに知識が豊富である。
しかし、それが活かされていない。実にもったいないことである。

さしあたって、わたくしの気になったところを書いておくと、まず、背景画像がいけない。わざわざ文章を読みにくくしている。ただでさえ、難しい単語がたくさんあって、読むのに難儀するのに、なおさらである。
そして、バックミュージックがいけない。これも同じことで、わざわざ集中力を殺ぐようなことをして、どうするのかと思う。
なお、文章そのものはその人の個性だからイチャモンをつけるわけには行かないが、ただし、もう少し改行を多くしたほうが読みやすくなるのではなかろうか?
それから文字サイズを最大にすると型崩れをしてしまうという問題もある。

ものすごく大事なことがいっぱい書いてあると思うのだが、上記のようなことが積み重なってひじょうに読みづらくなってしまっている。ゆえにもったいないと書いたのである。

会員が何人いるのか知らないが、ウェブデザインの得意な人をさがして、もう少し読みやすいサイトに改造したほうがいいと思う。

2006/6/3

不毛の議論  
昨年、月餅法太郎問答というのがあった。いや、そのような呼称があるのかどうか知らないが、当ブログではそのように呼ばせていただいた。

創価学会員と法華講員による問答もどきは全国津々浦々、日常茶飯事的に行なわれていることであろうし、ネット上でも散見されるところである。ゆえに、一々それに名称がついているわけではないが、月餅氏と法太郎氏の問答はそれぞれが教学の大家と目されているように見受けられたので、わたくしも少なからず関心を寄せていたのだった。
しかし、途中で・・・というか、わたくしはかなり早い段階で観戦することをやめてしまった。
結局は不毛の議論なのである。お互いに相手の言い分を理解しようとするものではないので、いつまで経っても結論が出ないのである。相撲で水入りというのがある。めったには起こらないことだがマレにある。実力が伯仲していると勝負がつかない・・・

・・・しかし、相撲の水入りとは似ても似つかないことかもしれない。早い話が泥仕合であり、泥沼の戦争なのである。いわゆる修羅と悪竜の合戦とはこのことなのだろう。

さて、唐突にも過去の問答について触れたわけだが、それはいま行なわれている樋田あどべ問答に通じるものがあると思ったからである。
今後、どういう展開になるものか、先のことはわからない。しかし、すでに議論は膠着状態に陥っているように見える。はっきり言って、くだらないことである。こんなことで神経をすり減らしてどうするのかと思う。

破廉恥行状記という本がある。樋田氏のサイトにはその実物の画像が掲載されている。奥付に記される発行所は日新報道である。

ところがである。あどべ氏はこれを日新報道の発行ではないという。当の編集部へも確認して「弊社の発行ではない」との言質を取っているらしい。

これは不思議な話である。
実物が存在するにもかかわらず、当の日新報道がそれを否定しているのである。そんな馬鹿な話があるだろうか?
あどべ氏の説明によると、発行者の名前がないだとか、書籍コードが付されていないとか、国会図書館に置かれていないとか、あとは頒価がどうのこうのということで、日新報道の発行ではないことになるそうである。
すると発行所であるところの日新報道の見解も同様なのであろうか?

わたくしには専門的なことはわからないけれども、現物に日新報道と書かれているのは間違いないことであるから、当然そこの発行であると考えて差し支えないのではあるまいか?
逆に言うと、もし日新報道の発行ではないとすると、この本は虚偽の記載をしていることになる。つまり、日新報道を騙っていることになるのではあるまいか?
だったらその騙りの犯人を訴えるべきである。

ようするに、くだらない話なのである。

発行か発行じゃないか、そんなことを論じて何になるのだろうか?
大局を見失っているとしか言いようがない。局地戦で勝ってもトータルで負けてしまったら意味がないのである。もし仮に、専門的には日新報道の発行ではないとするのが正しいとしても、それだけの話である。現物がある以上は、日新報道の発行であると主張した側が完全敗訴になるとはとうてい考えられないことである。

こういうのを見解の相違というのだろう。いつまで議論しても意味のないことである。

いずれにしても他門の人がこれをどのように見るか、論者は考えるべきである。いや、他門だけではない、世間一般の目を気にするべきであろう。恥ずかしいことである。

2006/6/2

現段階において急がば回れ的指導は可能か?  
sonicさん、たびたび恐れ入ります。

側近(理事室)は何をしているのかといいたい。

おっしゃるとおりでして、わたくしも前に顕正新聞編集部の質を問うの中で、「実は先生に対して批判的な眼差しを向けられるような人物が側近にいると、これが大変に貴重であり有用なのであるが・・・」と書いたのですが、なかなか実際は難しいようですね。

さて、今日は何を書こうかとあれこれ悩んだ挙句、おそらくは櫻川氏のブログとかぶることになるだろうけれども、冨士のバックナンバーから浅井先生の講演を引用する。

妙信講は再建以来、一万世帯を目標に戦っております。妙信講の進軍の目的は唯一つ、大聖人様が七百年前に日興上人に御遺命された、本門戒壇建立ということだけであります。・・・唯、その一念を以て講中進軍の認証を御法主上人猊下より頂いたわけであります。
そして満二ヵ年を経て、今日一千世帯に達しました。しかし現在の状態から見ると、目標の一万世帯までにはあと十年はかかると思われます。
大体来年から五ヵ年に区切って、最初の五ヵ年で三千を達成し、次の五年でいよいよ念願の一万を完成するのです。
十年というと長い気がするがあせっては駄目です。十年の歳月は要するに人材を鍛え上げる養成の時期なのです。態勢のととのわぬうちにあまり早く数だけ達成しては、かえってその時に困る、行詰って本当の力ある御奉公が出来ないからです。
青年部の皆さんがだんだん育って、強盛な信心を土台として、御書を心肝に染め、人間的にも成長し、社会的にも力を持つ、そういう人材が多く出てこなければその後の戦さは出来ない。
だから十年という貴重な年月を頂き、ジックリと勉強をして行くのです。若い時に地味な勉強をせぬ者に、将来の大成があるはずはない。


これは顕正新聞の昭和三十四年八月五日号である。
といっても、わたくしがそんな昔の顕正新聞を持っているわけがない。実はこれ、冨士の二百七十一号、すなわち「試練と忍従の歴史」の中に出てくる文章なのである。

「態勢のととのわぬうちにあまり早く数だけ達成しては、かえってその時に困る、行詰って本当の力ある御奉公が出来ない・・・だから十年という貴重な年月を頂き、ジックリと勉強をして行くのです。若い時に地味な勉強をせぬ者に、将来の大成があるはずはない。」

これは今に生きる永遠の指導だと思う。
組織としてはどんどん成長して、日本国の中の顕正会であるとか、いまや世界広布の胎動を云々するまでになった。これはこれでいいのである。
ただし、日々に新しく入信してくる人々にとっては、あくまで上掲のごとき指導が基本となるべきなのである。今に始まったことではないが、入信者に一刻も早く折伏の御奉公をさせようとする傾向がある。結局これでは人材を潰しているようなものなのである。

おそらく理屈は誰しもわかることだろう。だが、誓願に追われてくると、そんなキレイ事は言っていられなくなる。これがいわゆる顕正会の悪しき体質となっているわけである。

2006/6/1

批判対象への眼差し  
昨日の投稿で、お二方よりコメントを頂戴した。ご教示をたまわっておきながらイチャモンをつけるようで恐縮であるが、この問題においては最低でも三十年前から顕正会員(妙信講員)であったか、もしくはそれに準ずる立場でなければ、論じる資格がないと思うのである。

ゆえに、わたくし自身はあくまで疑問符をつけているわけであって、浅井先生がウソをついているとは断言せずに、ご存知の方のコメントを期待したのだった。

もしかしたらそのような講演が存在するかもしれない・・・けれども、わたくしはその頃のことを知らない、三十年前のわたくしは顕正会(妙信講)などというものをまったく知らなかったのである。
少なくとも、冨士であるとか顕正新聞のバックナンバーを調べ上げなければ、断言できないことだと思うのだ。

もちろん、ハムナプ氏の指摘するごとく、先生の自語相違は今に始まったことではないのだろう。また、カルト体質云々もそのとおりなのだろうと思う。しかし、だからといって、何でもかんでも頭から否定するのはどうかと思う。それは横着な行為であり、やがてはミソもクソも一緒の論理にならざるを得ないだろう。
ようするに、顕正会員の常套論法でいえば、「もし三十年前に該当する講演があったらどうするのか、オマエはどう責任を取るのだ?」ということになりかねないのであって、批判者がそれ以外のことではどれほど立派なことを言っていても、この一事をもってして「たばかり」のレッテルを貼られてしまって、すべてが帳消しになってしまう可能性があるのである。

宗門でも創価学会でも、自分に都合のいいことは宣伝するけど、その逆はないのである。これは顕正会も同様である。つまり、批判者の小さなミスを誇大宣伝して、「アヤツの言うことはすべてタバカリである、もはや話を聞いてはならない、相手をする必要はない」などと退けられてしまうのである。

批判者は批判対象を最大限、善意の眼差しで見るべきである。

きわめて逆説的であるが、これがわたくしの持論である。
わたくしはひそかにあちこちのサイトを見て回っている。顕正会批判などはすでにウンザリするくらい見ているので、最近はあまり真面目に読んでいない。斜め読みして、大事な問題かどうかを瞬時に判断して、必要ないものはどんどん忘れていくようにしている。そうしないと頭がパンクしてしまうからである。
で、数多ある顕正会批判の中で、わたくしが真っ先に除外する・・・というか相手にしないのは悪意に満ちた文章である。別に難しい理屈があるわけではない。読んでいて気分が悪くなるから読まないのである。
ここでこちら(顕正会員)の姿勢を云々しても始まらないことを批判者は知るべきなのである。読んでもらえなければ意味がないだろう。どうやって読ませるかである。

ましてや悪意で書いていると、つまらないミスをするものである。で、上述のごとく、その一点だけで帳消しにされてしまうのであるから、これほど損な話はないであろう。

つまり、批判対象を善意で見る、それでもなお見えてくる問題があれば、文字どおり目に余ることなのであるから、それについての批判は相当である、との考え方である。

さて、話を少し進めて、

悲しいかな、これを指摘する側近幹部がいない。

わたくしの言いたいことをsonic氏に言われてしまった。
いや、本当に指摘する側近幹部がいないのかどうか、それはわからない。また、先生がそれを好ましく思わないかどうかも、わからない。

ただし、二月度総幹部会で「二・三十年前」が出た時に、側近幹部はまずそれを先生に確認するべきが道理であろう。具体的にはいつのどのような講演でしたでしょうかと。
二・三年前という表現ではその時差は一年だけど、二・三十年前では十年からの違いがある。ゆえに大雑把すぎるではないかと思うのはそれほど不自然ではないだろう。当然、顕正新聞に掲載する段階で、これを修正することは可能だった・・・これも道理であろう。
それが翌月には「三十年前」に修正されているわけである。

であれば、当然にその確証があったのだろう・・・つまり、それに該当する講演が存在したはずなのである。それが道理というものである。

もし、万一にも、それがないとしたならば・・・

ここに来てようやく側近幹部の無能が露呈するのだろうと思う。
また、側近も側近だが、それ以前に先生も相当に焼きが回っていると言わざるを得ないだろう。

・・・ということになる。


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