2006/6/10

尸毘王の鳩の正体は?  
平成新編御書検索で「心の師」を調べると、蓮盛抄、義浄房御書、曾谷入道殿御返事、兄弟抄の四つが出てくる。該当部分は以下のとおりである。

涅槃経に云はく「願ひて心の師と作るとも、心を師とせざれ」云云。

相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。

心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし。

心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。


昨日書いたように、通常は涅槃経の文だとされている。蓮盛抄では涅槃経になっているけれども、単純に多数決でいけば、二対一で六波羅蜜経が優勢である。また、今成教授のような人は御真蹟の存する御書しか用いないので、そうすると断然に六波羅蜜経が有利である。通常は涅槃経のはずなのに、どうして大聖人は六波羅蜜経とされたのか?
この謎が今成教授によって解明されるまで、誰にもわからなかったというのだから、あらためてすごい話だと思う。

では、次のようなことは、現段階で解明されているのであろうか?

尸毘王の所へにげ入りし鳩は毘首羯摩天ぞかし。

尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし。


前者が船守弥三郎許御書であり、後者が兄弟抄である。
尸毘王の話は他の御書にも出てくるが、このように鳩の本地(?)を明かしているものは上掲の二書だけのようである。
これでは多数決は使えない。真蹟主義でいけば当然に兄弟抄の毘沙門天に軍配があがるわけだが・・・

一般的にはどうなのかをグーグルで調べてみたところ、どうも判然としないのである。「尸毘王 毘首羯摩天」と「尸毘王 毘沙門天」で調べてみても、どっちもどっちなのである。しかもヒット数が極端に少ない。前者が五件で後者が七件。一般的にもあまりメジャーな話ではないようである。これではちょっと判断がつかない。

毘首羯摩天と毘沙門天は同一人物(?)という可能性もある。しかし、ネット上で調べた範囲では別人(別神?)のようである。
http://dug.main.jp/sinma/bukkyou.htm
このサイトを信用するならば、別人ということになる。

先の涅槃経と六波羅蜜経の例からすれば、尸毘王の話には出典が二つあって、毘首羯摩天と毘沙門天の二説が存するということになるかもしれない。
これがいちばん無難であり、まるくおさまる結論ではあるが、本当のところはわからない。

もちろん、これはわたくしが知らないだけであって、実はすでに解明されていることなのかもしれない。ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひともコメントをたまわりたいものである。


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