2006/7/31

日達上人の御構想を拝し奉る  
このところ、三分の一で広宣流布と言えるのかどうか、こればかりにこだわって書いている。

仏の立場から見れば其中衆生悉是吾子であるし、仏弟子の立場からしても衆生無辺誓願度であるからして、究極的には一人残らずが未来の大理想なのであるが、日達上人は現実路線として三分の一以上という目標を仰せ下された。

わたくしは昨日の投稿で、ここが折伏から摂受への転換点ではないかという意味を書いた。
開目抄には、末法にも摂受・折伏がある、との御指南がある。これについて日寛上人は、余国を尋ぬれば云々と御指南あそばしている由であるが、わたくしは単純に広宣流布以前・以後の違いではないかと思っている。これはそのままで開目抄の五戒を受けず云々の涅槃経の御引用とよくなじむのではないかと思う。すなわち広宣流布以前は折伏であり、広宣流布以後は摂受である。

そして日達上人は三分の一をもって広宣流布との御指南をあそばした。まさにそれ以降は摂受を行ずるべきことになる。
これは現実路線としてきわめて合理的だと思う。その一端はすでに昨日の投稿で述べたが、今日はさらに踏み込んでみたい。

さればこの甲斐国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。

あの上野殿御返事の、梵天・帝釈等の御計らひとして日本国一時に信ずる事あるべし、との有名な御文の直前にあるのが上掲である。

また、治病大小権実違目には、

此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも、日蓮が方にこそ多くやみ死ぬべきにて候か。いかにとして候やらむ。彼等よりもすくなくやみ、すくなく死に候は不思議にをぼへ候。人のすくなき故か。又御信心の強盛なるか。

とあって、さらに異体同心事には、次のごとくある。

日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。

わたくしが何を言わんとしているか、おおよその察しはつくのではないか?

ようするに、大聖人の門下は少数精鋭だったのである。また、日蓮正宗七百年の歴史も、少数精鋭の時代が長かった。ゆえに、大聖人の御指南下された弘通の方途は、おそらくは少数精鋭の組織にこそ、よくなじむのだと思う。
また、師子王は百獣に怖じずということからしても、諸御書に仰せの日蓮一人という意味からしても、かつて顕正会でよく言っていた仏弟子の大集団というのは、ある意味ではそぐわないような気がするのである。
もはや国民の大多数が入信してしまったならば、死身弘法だの不惜身命だのは意味をなさなくなるだろう。つまりは組織が拡大していくにつれて、大聖人の御精神から遠ざかっていくことになりかねないのである。

大聖人が折伏を志向されたのは、一対百の絶対的な逆境においてのあるべき修行法としてではなかったかと思う。であれば、その立場が逆転した段階において、折伏から摂受に転換するのは理の当然というものだろう。まさか百対一の絶対的優位の立場になってもなお折伏に拘泥するとは考えられないのである。
ありていに言えば、それは単なる弱い者イジメに他ならないからである。

ゆえに、いずれかの段階において、折伏から摂受への転換をするべきが道理だと思うのであるが、それを誰が決めるのかといえば、それは申すまでもなく時の御法主上人であろう。

もちろん日達上人が三分の一の段階を迎えたら摂受に転換すると仰せになられたわけではない。だが、その時を広宣流布だとし、また大石寺を本門寺と称するとまで仰せになられたことを思えば、その他もろもろの化儀全般において、さまざまの変化があるだろうことは想像にかたくない。よって、弘通のあり方においても、それなりの改変があるだろうことは容易に予想し得ることだと思うのである。

折伏の精神とは一対百の精神であると書いた。弘通が進めばやがては逆転する。数字の上では五十一対五十で逆転となるが、なにしろ師子王は百獣に怖じずである。つまり、考えようによっては、最初から勝負はついているのである。
しかし、現実路線の上から言えば、それでは単なる空論であって意味をなさない。ゆえに目安となる数字を打ち立てる必要がある。申すまでもなく、それが三分の一なのだろう。

大聖人の師子王心に同心し奉る仏弟子が、全国民の三分の一に達するの事相を想像するがいい。

これでもなお日達上人に異議を唱える者がいるだろうか?

2006/7/30

日達上人の御判断の真意をさぐる  
ウィンズ氏ならびに富士川氏には重ね重ね懇切なるコメントをたまわりまして、まことにありがとうございます。シツコイようですが、今日もまた日達上人の御指南について書いてまいります。


「日本国の広宣流布はいつかといえば、日本国の三分の一が入信したときこそ広宣流布したといえる。その時には、我が大石寺を、大聖人御遺命の富士山本門寺と改称することもあり得ると信ずる」(取意、大日蓮・昭和五十年一月号)

これは日達上人の例の御指南であるが、この文章そのものは原文どおりではない。取意と書かれていることでもわかるように、浅井先生によって要約された文章である。一昨日の富士川氏のコメントに上人の御指南が正しく示されている。また、平成二年の諫暁書を持っている人は、それを参照してもいいだろう。

厳密に拝していくならば、先生の要約は文意の歪曲であるとの指摘を受けざるを得ないのかもしれないが、わたくしはそれほどでもないと思っている。ただし、先生とわたくしでは結論が異なることは、ここ数日来、書いてきたとおりである。

未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。

もし一人残らずが広宣流布の定義であって、かつまた戒壇建立の条件だとするならば・・・
顕正会批判サイトではこの点でもいろいろイチャモンをつけているようであるが、わたくしはそれらをつぶさには知らない。ゆえに重複するかもしれないことをあらかじめ断っておく。

わたくしの思うに、一人残らずというのは現実問題としてきわめて危険である。日興上人の御遺誡に基づくならば身命を捨てて云々との覚悟を持って折伏にあたるのだろう。最後の一人になった段階で想定されることは、これが最後の対象者である、ぜひとも自分にやらせていただきたい、ということを誰もが思うことであろう・・・これは大変である。たった一人の対象者に向かっておおぜいが殺到することになったならば、何が起こるかわかったものではない。

最後の一人がひじょうに頑固者でなかなか入信しない、すると頭に来てぶん殴っちゃうような人が出るかもしれない。あるいは、オマエのせいで戒壇建立ができないのだぞ、どうしてくれるんだ、などと言って責めるものがあるかもしれない。それ以前に、最後の対象者をゲットするために、仏弟子同士が争いを始めるかもしれない。

何を荒唐無稽なことを書いているのか・・・と思われた人もいるかもしれない。
しかし、これは荒唐無稽な話ではなく、実際にあった話なのである。もちろん最後の一人の段階に至ったわけではない。だが、そのモデルケースとも言えるような事例がすでに多発しているのである。

創価学会の全盛期・・・などと書くと今の創価学会員から叱られそうだが、ともかく昭和四十年代の創価学会の勢いはすさまじいものがあったのだと思う。どうだろう、数字の上では全国民の一割くらいまでいったのだろうか?
日達上人の示されたハードルには届かないものの、国民の十分の一まで到達していたとしたら大変なものである。もちろん名目上であって実数はそれを下回るのであろうが、それでも国民の耳目を驚動せしめるだけの勢力を有していたのは間違いない。

ここで重要なことは、平均化すると一割ということであって、実際の分布は必ずしも一様ではないことである。

つまり、局地的には・・・すなわち一企業であるとか一地域においては、創価学会員の比率がべらぼうに高いというケースもあったのだ。そうした中での非学会員の肩身の狭さは想像にかたくないであろう。ものすごくイヤな思いを経験した人が少なくないのである。今日においても年配者の中に、創価学会アレルギーとも表現されるような激しい拒否反応を示す人たちが少なからずいることは、顕正会の幹部会員のよく知るところであろう。
これを顕正会員は他人事だと思ってはいけない。今はまさに顕正会が同じことをやっていて、顕正会アレルギーを大量に生産しているのである。

こうした事情をかんがみるならば、いまだ広宣流布せざるあいだは云々を、最後の一人にまで適用するのはどうかと思う。

極論すれば、ある時期に折伏路線から摂受路線に転換すべきではないかと思う。あるいはその基準となるべきが全国民の三分の一という日達上人の御指南ではなかったかと、わたくしは思うのである。

2006/7/29

日達上人の広宣流布の定義は己義か?  
昨日の続きを書こうと思っていたところ、法華講の諸氏よりさまざまのコメントを頂戴した。

どうやら彼らとわたくしとでは、日達上人の三分の一についての御説法への理解の仕方が異なるようである。これはどちらが正しいかといえば、法華講員の理解が正しいのだろう、それは当然である。
だが、わたくしとしては、「与奪、途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」という気分である。

今一度、繰り返すならば、わたくしは日達上人の三分の一の御指南を、ハードルを下げてくださったものと理解している。そして、ハードルを下げたにもかかわらず、なお、その目標値は遥かなるものであって、あの創価学会ですら到達することができなかった、いわんや顕正会をや、ということなのである。

法華講諸氏は、そうではない、上人の御指南を委細に拝するならば、これほど高いハードルはないのだ、ということなのだろう。

いずれを取るにしても、創価学会も顕正会もクリアできていない。もちろん法華講もそうである。すなわち、日達上人の設けられたハードルは、けっして低いハードルではないのである。

さて、それでは三分の一ということの根拠は御書にあるのか?

櫻川氏はないと言っている。ゆえに己義であると。
わたくしもそのような御書は知らない。しかし、己義というふうには思っていない。これは時の貫首の裁量権に属することだとわたくしは思う。ゆえに、日達上人は時の貫首としての御見解を示されたのだろうと、わたくしは考えている。

たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。爾の時我も本より信じたり我も本より信じたりと申す人こそ、をゝくをはせずらんめとおぼえ候。

顕正会員もよく知る御金言である。
だが、しかし、具体的には何がどのようになって日本国一時に信ずるようになるのか、それは定かではない。
顕正会ではこれを自他の二難を契機として云々・・・と主張しているが、それにしても顕正会の一国諌暁が広く日本国民の耳に届いていなければ実現するものではない。ゆえに諫暁書の配布活動を行っているのであろう。おそらく現時点で累計一千万部ほどの配布がなされたものと思われる。

しかし、見方を変えれば、単なる配布活動においてようやく一千万部なのである。そうすると、実際にこの書を読んだ人が何人いるかといえば、それより少なくなるのは当然である。
やはり、冷静に考えて、これでは日本国をゆり動かすことはできないだろう。少なくとも全国民にゆきわたるようにしなければならないだろう。それが最低レベルだと思う。

日達上人はおそらく、大聖人仰せの日本国一時に信ずるとはある時期にいわゆる雪崩現象が起こって一気に広宣流布が達成される意味なのだろう、それは全国民の三分の一の入信が契機になる・・・との御判断ではなかったろうかとわたくしは思うのである。

われわれ凡夫はただ漠然とその日の到来を信じているに過ぎないが、御法主上人ともなればあらゆる角度から詳細に、かつ具体的に御考えあそばしているに違いない。その一端を御述べになられたのがいわゆる三分の一広宣流布説であろうとわたくしは拝察申し上げるのである。

2006/7/28

日達上人の三分の一広宣流布説を拝し奉る  
今日は、ウィンズさんが先日ご紹介くださった日達上人の三分の一で広宣流布との御指南を、わたくしなりに拝してみたいと思う。

顕正会員はこの御指南をよく知っている。折伏理論書に書かれているからである。そして顕正会員の間では、はなはだ評判の悪い御指南である。
それはもちろん、浅井先生がそのように書いているからである。

昭和四十年代に創価学会で盛んに言われていたのがいわゆる舎衛の三億であるが、浅井先生はこれを、広宣流布とはまったく関係のない話であると断じている。なんで三分の一で広宣流布と言えるのかと。・・・これは理論書に載っていなかったかもしれないが、次の話は載っている。

すなわち昭和四十九年の十一月十七日に日達上人は、この三分の一にからめて本門寺改称をはじめて発言された。これをうけて浅井先生は、本門寺改称の陰謀粉砕と銘打って、昭和の末年ごろから平成二年にかけて盛んに宗門・学会を諫めた。横浜アリーナでの大総会、一般書店にも並べられた平成二年の諫暁書などがその当時の足跡である。

とりわけ平成二年の諫暁書は近年になって再刊されているので、顕正会員のよく知るところであろう。その中に次のような日達上人の御指南がある。

これはもう、この儘じゃ話にならない。もしどこまでも学会が来なければ、それは正本堂を造ってもらって有難いけれども、・・・もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないと云うならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、特別な人が来たならば、御開帳願う人があったら御開帳してもよいと云う覚悟を私は決めたわけです。

これは昭和四十九年の七月二十七日の御発言であられる。
感覚の鋭い人は気がついたかもしれないが、先の御指南が十一月でこれが七月である。浅井先生は十一月の御指南を指して、この講演こそ池田が「時の法主」に云わせた「本門寺改称」の大陰謀であった、と書いている。わたくしには時間的に整合しないように思われるが、どうだろうか?

もちろん世の中は複雑であるから、単純に時間の前後関係だけでは判断できないとは思う。ただし、もしかしたら本門寺改称の陰謀などというものは存在しなかったのかもしれない、ということを示す材料として顕正会の幹部は承知しておく必要があるだろう。

さて、いよいよ三分の一の是非についてであるが、すでに先日来、繰り返し書いてきたように、あくまで完結ではないことを前提とするならば、それほど問題の生じるところではないとわたくしは思っている。
邪義破折班あたりは繰り返し慰撫教導ということを言っておるけれども、日達上人の三分の一ないし本門寺改称の御指南は、おそらく意味合いとしては叱咤激励に相当するのではないか?

創価学会では正本堂をひとつの区切りと考えていた。というよりも、それまでの激しい折伏弘通で疲れ果ててしまっていたフシが感じられなくもない。つまり、いつまでもこの手法・・・すなわち折伏大行進で会員を引っ張り続けることは困難であることを、首脳たちは悟ったのではなかったかと思う。ゆえに正本堂を最終の戒壇であると意義付けることに執念を燃やしていた。
結局、和泉理事長談話では、正本堂の完成で何もかもが達成されたと思うのは間違いである、とは述べられているものの、それは浅井先生によって発表せざるを得なくなっただけであって、やはり気分的にはオシマイにしたかったのではなかったろうか?

つまり、いまだ広宣流布にはほど遠いにもかかわらず、創価学会は失速してしまった。おそらく伸び率を見ても、正本堂完成のころから急激に鈍化したのではないかと思われるのである。

このような背景を踏まえて日達上人の御指南を拝するならば、まさに創価学会にムチを入れていらっしゃることがわかると思う。

結局、創価学会は日達上人の御指南を守れなかった。その目標に達する前に、ケツを割ってしまったのである。しかし、顕正会員にしても偉そうなことは何も言えないのだ。なぜならば、日達上人がしつらえられた三分の一というハードルすら越えられないのである。マヤカシの広宣流布だの何だのと、批判をするブンザイにはないことを、知らなくてはならないだろう。

2006/7/27

王臣一同についての問題整理  
次から次へと重要なコメントが寄せられるので、ひじょうに困っている。とりわけ富士川氏のは難解すぎるので、当ブログでは対応し切れない。おそらく読者にしても理解に及ばない人が多数いるに違いない。富士川氏にはぜひとも初心者を考慮に入れてのコメントをお願いしたいものである。

王臣一同について、今はどうだか知らないが創価学会では民衆一同と読んでいたのだと思う。
そして宗門では、現在の民主政体から民衆の意味としてあながち間違いとはしないけれども日顕上人の御指南のごとく、事相に属する問題なるがゆえにその時を迎えてみなければ明確性があらわれないとして、いわば態度を保留しているのだと思われる。

では顕正会ではどうかというと、富士川氏は「国民全部」が顕正会の主張と書いていらっしゃるけれども、実はもう少し詳しく考察する必要があるようにわたくしは思っている。

三大秘法抄の御文にはこの後、勅宣・御教書が出てくる。これを顕正会では必要不可欠のものだと主張している。王臣の意味はほぼ勅宣・御教書に相当することになるから、ここに民衆の入る余地はないと思われるのである。つまり、富士川氏の主張とかなり近接しているのだ。
おそらく顕正会では、諸御書に仰せの「王臣万民」や「上一人より下万民にいたるまで」などの用例から、王臣一同は王臣万民一同の意味だと考えているのだと思う。つまり、ここでは万民が省略されているけれども、おのずと万民が含まれているのだと。

不勉強のわたくしは、顕正会におけるこのあたりの正式な見解を知らないので、もし違うようであったらどなたでもけっこうだからお知らせ願いたいと思う。

で、わたくしは、この三大秘法抄における王臣一同に万民は含まれないと思っているのである。

理由は簡単である。書かれていないから・・・

もちろん、何でもかんでもそういう拝し方をしているわけではない。前にも書いたことがあるが、三大秘法抄は極限までスリム化した御書だと思う。ゆえに万民を省略あそばした以上は、万民を必要不可欠な要素とはしていないと思われるのである。
昨日の投稿の文末にあえて、広宣流布と戒壇建立の問題を別個に考えている意味を書き加えたのは、まさにこのためである。一般には広宣流布の暁に建立されるものとされているが、委細に考えた場合は必ずしもそのとおりではないと思われるのである。

ともかくこれはまた、ひじょうに難解な問題であるから、おいおい考えていきたい思う。


・王臣を民衆に読み替える説

・王臣に万民の意を含む説

・王臣の後ろに万民を加える説

・王臣はあくまで王臣のみであり万民を含みも加えもしない説

2006/7/26

前向きな広宣流布観と後ろ向きの広宣流布観  
櫻川氏の御遺命守護資料館に、かの有名な国立戒壇論の誤りについてが収録されているが、とりわけ次のページは時に当たって重要である。

「一同」とは 大勢の形容

 「一同」とは大勢の形容と思う。この一同を日本国一人も残らずの意として固執すべきではなかろう。

 類文として如説修行抄(全五〇二)の 「法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめおとして法王の家人となし、天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁盛せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風技をならさず雨壌を砕かず、代は義農の代となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん云々」の御文は、「一人もなくせめおとし」と「日本一同に」との関連から、表面的には日本国中謗法者一人もなくとの文勢なり、ニュアンスが受けとれるが、これは本仏の大慈悲であり窮極の理想として堅く信じ奉るところであるが、それと広布の現実をふまえた拝し方は、おのずから階梯が存するのである。

 大慈悲の理想をそのまま信受し奉ることも当然であるとともに、理想の現実化としての広布の実現に邁進して、その現実に徹してゆくことも必然の道理である。一辺のみに囚われるものは真理に通ずるとは云えない。故に一同の文をもって文字通りすべてが、信仰に入らねば戒壇建立をすべからずということがあれば、明らかに守文の徒というべきである。


顕正会では、記念すべき第一回目の宗門諫暁書を、いわば封印している。もしかしたらその理由は、一人残らずを意味する文章があるからかもしれない。そして近年になって、どこだかの会館が完成した折に先生は、まさに日本国の大勢が・・・ということを言ったのだった。
この点では宗門の意見を受け入れたことになるだろうか? それとも、前々から言い続けてきたことである・・・と言うのであろうか?

 又再考するに、大聖人の御書における「一同」とか「一人もなく」という用例は、実際には“すべて”を意味するものでなく、ある意味を示される場合が殆んどである。

(中略)

 以上差し当って六文を挙げたが、「一同」「一人もなく」の御用例は、数値の上の絶対性を示さるるものでなく、何らかの意義を表わすためのものである。
 従ってそれを数値的意味に解することは誤りである。


ゆえに、三大秘法抄の「王臣一同」や如説修行抄の「一人もなく」を文字どおりに捉える必要はない、というのがこの段の結論になっている。

リンク先の下段には、これに対する櫻川氏の反論が載っているので、大いに参考にされたい。

わたくしにはわたくしなりの意見がある。

王臣一同や一人もなくは文字どおりに拝するべきが当然である。恐れながら日顕上人はこの部分において、じゃっかん不適切な拝し方をしていらっしゃると思う。
用例として六文をあげておられるが、これの拝し方そのものは正しい。だが、これをもって三大秘法抄や如説修行抄を判ずるのは、あまりよろしくないであろう。一言でいえば、ベクトルが正反対なのである。例えば昨今は自殺者が年間三万人を超えるというが、一億二千万人の人口からすれば少数である・・・などと発言する人はまずいないであろう。三万人という数字をものすごく大きく、重く感じるのが一般のはずである。これと同じ原理である。つまり、大慈大悲の大聖人にしてみれば、国民の大半が邪法に執して無間地獄に堕ちんとしていることが不憫でならないのである、その上での誇張表現と拝するべきであろう。

だが、逆の場合はどうか?

答えは一目瞭然であろう。申すまでもなく、一人残らずが大聖人の御意であられる。まさに其中衆生悉是吾子なのである。

昨日の投稿では日達上人の御指南を、現実路線として正しいと申し上げた。これについてはまた別に書くつもりであるが、ともかくそれはいちおうの御指南であって完結ではないのである。これに異論はないだろう。

あるいは異論があるかもしれないので書き添えておくと、ようするに衆生無辺誓願度との兼ね合いである。これがすべてと言ってもいいくらいである。もし三分の一でいい、後は他の宗教も容認する、ということであればもはや仏弟子の誓願を破ることになるだろう。

なお、今日の投稿はあくまで広宣流布観についてのものであって、戒壇建立の条件としてのものではないので、よろしく斟酌ねがいたい。

2006/7/25

ウィンズさんへのお返事  
ウィンズさんより、きわめて重要なコメントを頂戴しました。

おそらく焦点は広宣流布の定義がまず第一点としてあって、その次の段階として広宣流布以後にも謗法者がいるのかどうかが問われているのだと思います。

後からコメントをくださった方がおりますが、まあ、大雑把に考えて、顕正会では一人残らず、宗門では三分の一ということで話を進めさせていただきますと、理想としては一人残らず、現実的には三分の一ということで、両者を立てることができると思っています。なにしろ日達上人も未来の大理想として信じ奉ると仰せられているわけですから、顕正会だけが突出して理想論を唱えているわけではないと思います。

で、三分の一で広宣流布としますと、謗法者が皆無になるとは言えなくなる、これはおっしゃるとおりだと思います。重要なことは、これで完結なのかといえば、そうではないということでしょう。さらに、三分の一から二分の一へ、そして一分の一へと持っていくべきことだと思います。申すまでもなく、一分の一に至れば謗法者はいなくなるわけです。

しかし、現在の顕正会では一分の一をもって戒壇建立の時とはしていません。広宣流布の定義は難しいですが、ともかく戒壇建立の条件としては、日本国民の大勢が大聖人の仏法に帰依することとしています。大勢(たいせい)ですね。
おそらく具体的には過半数ということだと思います。一人残らずとはしていないはずです。

結局、そうしますと、後からコメントをくださった方のおっしゃるごとく、日達上人の仰せられる三分の一とは精鋭を意味するわけですから、悪い言葉ですが金魚のフンみたいなのを入れれば過半数に届くことになる・・・なんだ宗門と顕正会はそんなに変わらないではないかってことになるだろうと思います。

顕正会ではどうしても宗門との違いを強調したい、そうせずにはいられない事情があるのだと思います。ようはまるっきり同じだったら顕正会の存在意義がなくなってしまうから・・・

まあ、そんなわけで、広宣流布の定義にしても一人残らずという思いを捨てきれないでいるわけです。それはそれで立派なことであり、未来の大理想として当然のことではあるのですが、では現在の顕正会にそれを実現するだけの力があるのかといえば、ぜんぜん足りないわけですね。

ですから顕正会は、本当なら御当代日如上人のもとに馳せ参じて御奉公すべきなのですが、どうも諸般の事情がそれを許さないようですね。

ちょっと見当違いのことを書いてしまったようにも思いますが、とりあえずこれくらいで勘弁してください。

2006/7/24

法華本門の大戒を持つべき時節  
梅干もまた身体にいい。そうか柿の話もあったか。ともかく食べ物の話がいちばん罪がなくていいのかもしれない。しかし、当ブログとしては余談の類と言うべきだろう。

昨日あたり、再び法華講員と創価学会員とで解釈論議が行なわれていた。ぜんぜん進歩がない。同じ文章をくり返し貼り付けているだけである。

破戒無戒を毀り、持戒正法を用ひん世には、諸戒を堅く持つべし。

この佐渡御書の御文について、創価学会員は次のように訳している。

破戒や無戒が毀られ持戒や正法が用いられる【ような】世の中では、諸戒を堅く持ちなさい

そして法華講員の訳は次のごとく、思いっきり意訳である。

正像の時代は「破戒・無戒を毀」って持戒(一大秘法の御本仏の御当体、南無妙法蓮華経を受持)・正法を【用いない世(正像時代)に於いては】諸戒(戒律)を堅く持べし

普通、意訳というのはそのまま訳しても意味が通りにくい場合に、わかり易くするために敢えて本文にない文言を加えたりするものだが、はっきり言って法華講員のこの訳はますますわけがわからなくなってしまっていると思う。

ここでの持戒・正法を一大秘法の云々としているが、もし破戒・無戒を像末に配当するならば持戒が正法に相当するのは理の当然であって、御文においてもそのとおりになっているわけである。ところが破戒・無戒を像末ではなく正像に配当している。はたしてこれの根拠はどこにあるのか?
そして結論部分においても、やはり正像時代とする根拠が曖昧のままで、戒律を堅く持つべしとしている。

ようするに、正像においては破戒・無戒をそしって、しかもいまだ末法ではないから一大秘法云々を用いない時代である、ゆえに諸戒を堅く持ちなさい・・・ということなのだろうか?

いちおう、筋は通っているようではあるが、しかし、どうだろう、こんなややこしい読み方でいいのだろうか?
すでに以前にも書いたように、ここは素直に拝するべきだと思う。ようするに上掲の創価学会員の読み方でいいのである。そして、それはあくまで今が正法であるならばという仮定の上で、まさに時機相応の修行のあり方として持戒を勧奨するわけである。ゆえに全体の文脈としては逆の意味になっている。

すなわち、時機に相違すれば叶ふべからず、というのがここでの結論になるわけである。今は末法だから持戒は時機不相応であると。

ひとつ法華講員の訳に修正案を示しておこう。一大秘法云々はまさに日蓮正宗としての面目躍如の拝し方であって、捨てるにはもったいないと思うのだ。

巌虎謹訳、

事の広宣流布の時節になれば、破戒・無戒がそしられ、持戒・正法が重んじられる世の中になるから、その時には諸戒を堅く持つべきである。

つまり、一大秘法云々というのは法華本門の大戒に他ならない。また、誤解を恐れずに言えば、広宣流布の時代は正法なのである。正像末の三時における正法と、いわゆる正しい法の意味での正法とを、別に考える必要はないのである。もともとは釈迦仏法を基準にして、正しく仏法が行なわれていた時代・・・すなわち解脱堅固・禅定堅固を正法というわけだから、無関係ではないのだ。
釈迦仏法を基準にすれば大聖人の時代は末法であるが、大聖人を基準にすれば末法即正法なのである。

そして正法といえども、広宣流布以前・以後の違いがある。まさに広宣流布以前は謗法充満なるがゆえに「五戒を受けず威儀を修せず」である。しかし、広宣流布以後は謗法者などいるわけがないのだから、まさに「諸戒を堅く持つべし」なのである。

前にもくり返し書いてきたように、末法無戒とは爾前迹門の諸戒を無用とする意味であって、まったくの無規律・無規範の世の中を是とするものではない。

末法は法華本門の大戒を持つべき時節なのである。

2006/7/23

雑談的投稿  
昨日、水虫には納豆が効くと書いたら、具体的な質問がきてしまった。

わたくしはおそらく、これを顕正新聞から学んだのだと思う。現在、納豆特集が組まれているけれども、何年か前にも納豆を取り上げていたことがある。ようは同じネタを使い回しているのである。
ちなみに顕正新聞には現在、やさしい教学というコラムがあって、最新号では五十展転随喜の功徳のことが書かれている。これとても、おそらくは古い顕正新聞に同様の記事が載っているはずである。べつに悪いことではないが、もうちょっと範囲を広げてもいいのではと思う。

それはともかく、あるいは冨士に「食べものと健康」というシリーズがあったので、そこに納豆のことが載っていたかもしれない。まあ、いずれも面倒くさいので調べていないが・・・

インターネットで調べてみたところ、水虫退治に納豆を使用する記事が散見された。しかし、全体的にはそれほど多くないようである。
医者の解説が載っているサイトとか、水虫薬のメーカーが関連しているサイトには、納豆のことはまったく出ていないと思う。それはそうだろう、納豆で治ってしまうくらいでは、医者も薬品メーカーも立つ瀬がなくなってしまうというものだ。

ゆえに疫学的なデータの存しない、いわゆる民間療法の類に相当するのが納豆なのかもしれない。

わたくし自身の体験としては間違いなく効くと思う。ただし、もはや大昔の記憶である。今現在はまったく使用していないので、保証するわけにはいかない。
ようするに、わたくしはもう長いこと、水虫には罹っていないのである。だから大昔の曖昧な記憶のみであり、具体的な使用法についてちゃんと説明するだけの自信はない。そもそも適切な使用法がどういうものか、正確に理解していたわけでもなかったと思う。

それを承知の上で、以下をお読みいただきたい。

納豆を食べる時には、まずタレを入れて、さらにネリガラシや薬味などを入れて、ともかくよくかき混ぜる。よくかき混ぜてから食べるのが普通だろう。
水虫に塗布する場合は、何も入れないでかき混ぜるのである。ちょっとかき混ぜにくいけれども、それでもやがては納豆特有のネバネバになってくる。このネバネバを適量すくい取って患部に塗布するのである。それでおしまい。
もちろん残りの、というか納豆そのものは後からタレや薬味を入れれば、普段どおりに食べることができるので、ムダはない。

それから理由は不明だが、水虫にはウールの靴下がいいという。実際にわたくしも一時期はウールばかりを穿いていた。なぜだかわからないがけっこう具合がよかった記憶がある。

いずれにしても自己責任でお願いしたい。

2006/7/22

路線変更?  
昨日の投稿について、コメントをたまわった。

茶寮発酵部は名前だけで、実際は石井さんの実家で製造したものを茶寮で売っているのだそうである。貴重な情報である。

わたくしはてっきり顕正会にそのような施設があって、おおぜいの顕正会員が納豆の製造にたずさわっているものとばかり思っていた。さすが百万顕正会だけのことはあると思ったものだ。
しかし、この考え方でいくと、顕正会で農場を運営して、ありとあらゆる食材を自給していなければおかしいだろう。何がおかしいかといえば、納豆だけに力を入れる必然性が見出せないからである。

さて、今回の納豆特集では書かれていなかったと思うが、わたくしのオススメは水虫退治に納豆である。これが意外にもけっこう効くのである。なんとなくキモチ悪いような気がするだろう、そのとおりなのである。水虫菌は納豆菌のキモチ悪さに負けてしまって退散してしまうのである。

納豆の話に関連して、「くさや」を思い出した。

くさや液・・・すなわち、くさやのつけ汁であるが、これがものすごく身体にいいらしいのである。昔はケガをした時など、これを傷口に塗ったのだそうだ。抗菌作用があるという。つまり、くさや液にはくさや菌という善玉菌がウジャウジャいて、ばい菌をやっつけてくれるらしいのだ。飲んでもいいらしい。

ところがこのくさや、べらぼうにクサイのである。

話のオチは見えただろう、この際だから茶寮発酵部に研究してもらって、クサクないクサヤを開発してもらおうじゃないか。くさや菌の効果を失わずにニオイだけを抑えることができたら大発明だろう。

しかし、わたくしはへそ曲がりだから、またケチをつけることになる、けしからんではないか、クサヤはくさくてクサヤなのであると。


プティ・ガトー?

わたくしのようなカタカタ音痴には何がなんだかさっぱりわからないが、そういえばポウコちゃんの胸の奥にはイチゴショートが浮んでいたなあ。


しかし、プレスリーのあたりから食べ物の話ばかりになってきた。これではいったい何のブログなのか、わかりゃしない。


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