2006/10/31

御遺命守護の戦いと歴史認識  
アステカ民族が野蛮だというだけで責め滅ぼしたキリスト教圏のコルテス

ウィンズ氏のコメントからである。
不勉強のわたくしには何のことだかわからなかったが、あるいは次のことと関連があるのかもしれない。

いまから五百年前、コロンブスがアメリカ大陸を発見した。これからいわゆる「大航海時代」が始まった。大航海時代なんていうと格好いいが、実は白人による植民地争奪の侵略戦争が始まったのです。

これは過日の男子部臨時幹部会における浅井先生の講演である。

いわゆる歴史認識の問題というのがあって、日本は近隣諸国との間で衝突している。実際には日本側が弱腰であり、相手にナメられてしまっている状況にある。
しかし、日本にだって気骨のある人物がいないわけではない。戦後半世紀にわたって席巻してきた自虐史観を、今こそ見直そうじゃないかという人たちが、けっこうな勢力を有していると思われる。もともと安倍首相にしたって、その代表的な人物だったはずである。けれども実際に総理になってしまうと、少々腰が引けてしまっているところがなきにしもあらずのようである。

いずれにしても、浅井先生に言わせれば、ダメなのである。

先生は、皇国史観だとか階級闘争史観、そして自虐史観などを並べ立てて、早い話が全部ダメで、何がいいかと聞けば、それは仏法史観だと言うのである。

明治以降の戦争は侵略戦争ではない
 引きずり込まれたこと自体が謗法の罰


これは顕正新聞第1048号に出ている見出しの一つであるが、ちょっとヘンだと思う。上下の文章・・・新聞では左右だが、それがチグハグな感じを受けるのである。本文を読めば意味はわかるので、まあ、これは見出しをつけた編集部のミスとするべきだろう。
もし修正するとしたら、二行目の頭に「だが」を入れるべきだと思う。

ちなみに侵略戦争ではないとするのは、何も仏法史観というほどのことではない。その次の謗法の罰こそが仏法史観ということなのだろう。
そうすると、先生は講演の中で多くの時間を割いて歴史認識を説明しているわけだが、その大半は仏法史観でも何でもないことになる。謗法の罰以外は借り物の歴史認識なのである。
もちろん、わたくしのような不勉強の者からすれば、先生の講演はひじょうに内容の充実したものであって文句のつけようがないのであるが、あえて言わせてもらえば歴史認識のいかんにかかわらず同じことが結論付けられるのではなかろうかと思うのである。

すなわち侵略戦争だった、そして敗戦に終わった・・・侵略戦争などという馬鹿げた行為をするのも謗法による判断能力の欠如の結果であるし、敗戦もまたしかりであると。

どっちに転んでも、同じ結論になるのではなかろうか?

わたくし自身は歴史認識について必ずしも定見があるわけではない。
ゆえにそれなりの論者に説得されれば、どちらの説もそれ相応に納得してしまいかねないと思っている。あたかも御遺命守護の戦いにおける双方の言い分のごときものである。

けだし、御遺命守護の戦いそのものが、いわゆる宗門における歴史認識の問題なのであろう。

浅井先生は歴史認識が好きなんだなあ・・・

というか、御遺命守護の戦いで苦労したものだから、自然と同じような問題に関心を寄せるようになったのかもしれない。

2006/10/30

顕正会批判大歓迎  
当ブログは巌虎独白とのタイトルを打ってある。巌虎はわたくしのネット上における名前であり、独白は当ブログの基本的スタンスを表明したものである。また、副題には零落れ顕正会員の愚癡日記とあって、わたくしが顕正会員であること、それも非活動会員であるらしいこと、そしてその立場においてグチめいたことをつづっている・・・というようなことどもがわかると思う。

まことにヘンテコリンなブログである。それにもかかわらず多方面よりコメントが寄せられている。これは望外のことであり、大変にありがたいことだと思っている。

わたくしは顕正会批判を受け入れる立場である。いや、わたくしはそこらのヘタな批判者よりも、はるかに顕正会に批判的である。一例を紹介しておこう。

http://diary.jp.aol.com/ganko/327.html

簡単に説明すると、顕正新聞を一人で五十部購読しているような人もいるらしいのであるが、これほど馬鹿げた話もあるまいということと、さらに加えて顕正新聞には御供養の意味があるというのであるから、これはもはや重症である、いや、すでに終わっているかもしれない・・・というような話である。

しかし、わたくしは、人のやることなすことすべてにケチをつけるようなことは厳に慎むべきだと思っている。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというのは、判断に狂いが生じることを示唆する言葉であろう。ゆえにわたくしは顕正会を憎いとも思わないし、その逆の感情もない。まず結論ありきの、例えば顕正会員であれば宗門・創価学会は間違っている、ということを前提にした論の組み立ては、すでに元から狂っていると言わざるを得ないのである。それではいくら精巧に論を組み上げても、しょせん土台に狂いがある以上は瓦解を免かれないことだろう。

御遺命守護の戦いを考察するにおいても、このことを念頭に入れておく必要があると思う。

わたくしはその当事者ではない。ゆえにその時代をじかには知らないのである。
実はわたくしのみならず、多くの人が同じなのではないかと思う。ゆえに顕正会員は顕正会で教わったとおりのことを主張する。法華講員は法華講員で、また創価学会員は創価学会員で、それぞれがそれぞれに教わったことを主張しているのである。
しかし、もうそろそろ、ここから卒業しないといけないのではないかと思う。

何もわたくしは組織から離れることを推奨しているわけではない。
すでに自分自身は無所属のようなスタイルを取っているけれども、はっきり言ってこれはお勧めできない。これほど大変なことはないのである。

わたくしの言う卒業というのは・・・
・・・インターネットの普及した現代ではすでに誰もが容易に情報を入手できる、ゆえにいわゆる独善は通用しない、自組織のみの恣意的な論理は通用しないのである。すでにインターネットを閲覧している人たちはこれに気がつかなければならない。ようするに、相手の言い分を聞く機会をじゅうぶんに得ているわけであるから、それに耳を覆うてはならないのである。
相手の主張にじゅうぶんに耳を傾けた上で己れの主張を展開するならば、相互理解の道は拓けてくるに違いない。
すなわち卒業とは、自組織の殻に閉じこもるのではなく、そこから脱却して、相手の主張にじゅうぶんの理解を示すことである。これはインターネットの普及した現代だからこそ可能なことなのだ。

もっとも、このようにエラソウナことを書いているわたくし自身が、それができているかどうかといえば、アヤシイのであるが・・・

いずれにしても当ブログは顕正会批判を大歓迎する。どんどんお寄せいただきたい。しかし、わたくしのスタンスは上記のごとくであるから、デタラメな批判は通用しないことを覚悟しておく必要がある。

2006/10/29

みっともないブログ  
ズラ系氏より長文のコメントをたまわった。

http://diary.jp.aol.com/ganko/541.html#comment

わたくしの「ミットモナイ」は軽率な発言だったかもしれない。

しかしながら、念のため誤解なきよう申し添えるが、わたくしは正本堂の御供養の是非を云々しているわけではないのである。正本堂の御供養に限らず、御供養そのものはいずれも尊い行為であって、それをとやかく言うわけにはまいらない。その人の本音の部分がどうであっても、ハタからはそこまで見えないからである。ゆえに最終的には大聖人の御照覧に任せ奉るしかない。その御供養が本物であれば、大聖人の御納受をたまわることができるだろうし、偽物であればかえって罰をこうむることになる。こればかりは凡夫のわれわれがどうこう言えるものではないのだ。

だからこそ、御供養の返還を求めることは、スジチガイもいいところなのである。

顕正会でも御供養と呼ばれるものがあって、毎年十二月がその推進月間となっている。そして当然のごとく、幹部会員は御供養の推進を行なうわけであるが、何しろ顕正会はお金が掛からないことをウリにしているので、折伏の時に必ずといっていいほど、そのことを強調する・・・ゆえに、御供養の月には苦労をすることになるのだ。
それでいろいろと御供養のメリットを説く。おそらく創価学会でも同じようなニュアンスのことが言われていることだろう、御供養は必ず還ってくる云々と。

顕正会では聞かないが、喜捨という言葉がある。これは御供養や御布施とほぼ同義、いや、正確にはどうだか知らないが、まあ、類義語であることは間違いないだろう。この意味からすれば、還ってくることを期待して御供養するのは不純である。しかし、ここまで厳密にやると、あっ、そう、じゃあオレはやめるよ、ということになってしまうかもしれないので、ひじょうに困ることになる。ゆえに、いちおうここでは与えて論じて、御供養は必ず還ってくるものだということにしよう。

だったら御供養の返還を求めてはいけないだろう。こちらから請求する筋合いのものではないはずである。

大聖人は賞罰正しき仏であるという。であれば、あらゆる面において、その人の信心を御照覧あそばしていて、適宜適切に賞罰をくださるのだろう。御供養も信心の一環である。ゆえに、こちらから返還を求めるのはおかしな話であって、意地悪く言えば、もう功徳はいらねえから金返せと言っているに等しいことになるのではないか?

ともかく正本堂の御供養そのものを、わたくしは問題にしていないのである。
むしろ法華講員であるとか創価学会員が、なぜ顕正会は正本堂の御供養に参加したのか、おかしいではないか・・・ということを言ってくるわけである。今回もまたズラ系氏がこれを問題視している。妙信講の御供養が八百万円だったとか、驚くほど詳細なコメントである。情報源はいずこであろうか?

年月日は、はっきりしませんが、四十四年八月、浅井昭衛が大喜びで、御供養が受領され、猊下から袱紗をもらったと発表してますので、四十四年七月から八月頃でしょうか、それからわずか七ヶ月後の四十五年三月、妙信講の、正本堂は事の戒壇にあらず、という主張が始まります

袱紗の話はずいぶん前に書いたことがある。どうして大喜びとわかるのか、それも教えてほしいところだが、それよりも何よりも重要なことは、わずか七ヶ月後にいわゆる第一回の諫暁を開始したとの記述である。
このことはわたくし自身、まったくわからないので素直に教えてほしいと思っているが、あの諫暁書は一朝一夕に書けるものではないだろう、かなり時間が掛かっていると思う、ゆえに起草の時点からすれば七ヶ月どころの話ではないはずなのである、もしかしたら袱紗をたまわった時点ですでに諫暁の意志があったかもしれない、あるいはその後かもしれない、いずれにしてもなぜ諫暁に起ち上がったのか、いったい何があったのか、早い話が動機である、ようするに御供養に参加した時点では正本堂に賛同していたと言うのだろう、だったらいったい何がどうなって変節したのか、その積極的な理由が語られていないと思うのである。

わたくしは浅井先生の説明におおむね納得できるが、一方の批判者たちの説明には納得できないところが少なくないのである。どうも表面的な矛盾ばかりをあげつらっているのみで、大事な部分は何一つ解明できていないのではなかろうか?

2006/10/28

立正大師って誰?  
各方面からコメントが寄せられて、何をどのように書いていいものか、判断に迷うところである。

ズラ系氏には丁重なる回答をたまわった。と同時に導師本尊について、逆にこちら側が質問を受けるハメになってしまった。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/372.html

この導師本尊シリーズは全十回あるようで、いちおうはざっと全部に目を通してみた。途中の難しいところはかなりすっ飛ばして読んでしまったが、まあ、おおよそ文章の大意はつかめたつもりである。
現時点では回答ないし感想を保留したいと思う。
わたくしの手に負える問題ではないのである。富士川氏のコメントを借りれば、これこそ秘密相伝なのであろう。であれば、わたくしごとき一在家が答えられるわけがないのだ。
リンク先では十王讃歎抄のことが出て来る。ようはこれを偽書であると断定しているわけである。平成新編でも真偽未決として不掲載にしているので、宗門でもかなりアヤシイと思っているのであろう。
ところが顕正会では折伏理論書にこれを引用している。また、おそらく儀礼室・・・すなわち顕正会で葬儀を執り行なう際の担当部署であるが、儀礼室では現在も導師本尊を奉掲して葬儀を行なっているはずである。

以上で導師本尊のことは終わりにさせていただきたい。

それから他のコメントについては、失礼ながらお返事を省略させていただくことにする。

さて、今日は立正大師問題について、わたくしなりの視点で申し上げたいと思う。

茶寮掲示板での議論でもこのことが取り上げられていたけれども、わたくしに言わせればどっちもどっちである。宗門を批判するためにこれを持ち出すのはどうかと思う。また、宗門側の反論も言い訳めいていて感心できない。

弘法大師 の検索結果 約 1,080,000 件
伝教大師 の検索結果 約 105,000 件
立正大師 の検索結果 約 46,400 件


たった今、グーグルにて検索した結果である。もはやこれ以上の説明は必要ないと思うが、どうだろうか?

もしヒマならば、「お大師さま」でも検索してみるとよい。お大師さまといえば十中八九が弘法大師すなわち空海のことである。
もし立正大師をよしとするならば、大聖人さまではなく大師さまとても呼ぶべきであろう。しかし現実には、日蓮大聖人を大師さまなどと呼ぶ人はまずおるまい。これこそ有名無実というものである。
そもそも「大聖人」と「大師」ではどちらが上位概念なのか・・・わたくしは「大聖人」だと思う。ゆえに大師さまとは誰も呼ばないのである。

面白いことに気がついた。

大聖人御自身は、弘法大師・慈覚大師・智証大師などを、いわゆる佐前佐後にかかわらず、大師と呼称しているのである。それぞれ空海・円仁・円珍という名前があるけれども、御書検索を使って調べてみればわかる・・・大聖人は彼らを大師号で呼ぶ場合が圧倒的に多いのである。

どこぞの在家団体では、ある時期まで日顕上人を阿部管長とお呼びしていた。ところが今は呼び捨てである。これはどうしたことであろうか?

それはともかく、大聖人が悪真言の三大師を大師号で呼び続けたことは、朝廷の権威の軽からざることを証明するものかもしれないと思う。

2006/10/27

崑崙山や蓬莱山のごとき掲示板はあるのか?  
昨日の拙稿に対して、富士川氏からコメントがあった。

http://diary.jp.aol.com/ganko/540.html#comment

懇切な説明をありがたく思うが、文末の「創価学会の寄進は案外少ない」については意見の分かれるところであろう。創価学会員にしてみれば、何たる言い草かと思うに違いない。御供養はその多寡ではなく真心にこそ価値がある。しかし、また逆に、だったら創価学会員も過去の御供養をとやかく言うべきではないのだ。結局のところ、今頃になって正本堂の御供養を返せだの何だの言うのは、御供養の精神がわかっていなかったことを、みずから証明しているようなものだからである。

顕正会では正本堂の御供養を返せとは言わない。それどころか妙信講時代に正本堂の御供養に参加していたことを今は言わないのである。
このことを批判者たちは都合が悪いから口をつむっていると思っている。しかし、わたくしは違うと思う。御供養はヒケラカスべきことではないのである。

創価学会のミットモナイところはここにあると思う。いつまでも未練たらしく言うべきではないのだ。
その意味で、ズラ系氏のコメントは迫力があった。きっぷがいいと言うべきなのか、ともかく三百五十の数字を挙げはしたものの、それにはこだわりがないことを表明しているわけである。

http://diary.jp.aol.com/ganko/538.html#comment
http://diary.jp.aol.com/ganko/539.html#comment


さて、茶寮掲示板に目を転ずると、数日前から激しい応酬が繰り返されている。

少し前に戒壇論、とりわけ事と義の定義について議論がなされていた。その結論はどうなったかのであろうか?
よくわからないが、いったん停戦ということかもしれない。
そして今回は戒壇論ではなく、その他もろもろのことが議論されているようである。しかし、どうも議論が拡散してしまって、まとまりがなくなっているように見える。わたくしの思うに、これでは宗門対創価学会のいつまで続くかわからない不毛の議論と変わりがないであろう、何とかならないものかと思う。

S23年、当時、東京妙信講 浅井甚兵衛先生は 日蓮正宗 宗報 に「客殿建立と焼失した信心建立」と題して
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。信仰心の建立を第一に、また信仰の道場建設は我々僧俗の一大責務であると同時に急務である。(略)
と記されています。

「宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。」
「社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点」

当時、宗報にこの論壇を掲載しているのは、この意見は妙信講一講中の講頭の意見ではなく宗門としての公論、「開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点」との認識に基いているものです。
現在の宗門も宗史を悪戯に正当化、美化するのではなく、宗祖の御訓戒に基づいた自己反省がなければ権威主義的な組織に陥ってしまうでしょう。


sonic氏の文章を勝手に転載させていただいた。
掲示板の中に埋もれさせてはもったいないくらいの貴重な投稿だと思う。いや、もちろん、茶寮二階は恒久的な掲示板であるから、消えてなくなってしまうわけではないのだが、しかし、掲示板はどうしたって玉石混合にならざるを得ないので、たとえすぐれた投稿であっても埋没してしまうのである。
そこがひじょうに残念なので、勝手ながら転載させていただいたわけである。

わたくしがヘタな解説を加える必要はないだろう。

ゆえに違ったことを書いておくが、文中「大客殿」とあるのが注目されるところである。実は浅井先生の「試練と忍従の歴史」においても「大客殿」との記述がある。そして先年の対決申し入れ書においても「大客殿」となっている。

わたくしが何を言わんとしているかは、知る人ぞ知ることであろう。

2006/10/26

宗門・創価学会関係略史(略し過ぎ?)  
私は変わってんです

当ブログ始まって以来の迫力あるコメントを頂戴しました。
八面六臂は、まあ、もとは仏教用語みたいなものですから、それに引っ掛けて表現させていただいたわけでして、少なくとも、わたくしのような非活動会員から見れば、大変な活躍のように見えるわけです。

聖教新聞の配達をしていらっしゃるとのことですので、いろいろお聞きしたいところですが、さしあたっては複数購読の実態を聞きたいですね。一軒当たり最高で何部ですか? あるいは一軒当たり平均すると何部くらいですか?
いや、別に創価学会のあら探しを目的としているわけではなくてですね、顕正会ではこの複数購読の問題がけっこう深刻でして、前にも当ブログで取り上げたことがあるのです。ゆえに参考の意味で創価学会ではどうだろうかと気になりまして、差し支えなければ教えていただければと思った次第です。

それから、日顕上人の御説法の件ですが、まあ、わたくしとしてはまったく急いでいませんので、ゆっくりとお調べになってください。

以上がズラ系氏あての文章である。

ええと、ウィンズ氏からもコメントをたまわっているが、どちらかというとズラ系氏に対する反論みたいな内容なので、わたくしは静観するべきなのかもしれない。
だが、どうも事実誤認というか、誤解があるようなので、わたくしの知る範囲で書いておきたいと思う。

ズラ系氏によれば、創価学会は日蓮正宗に三百五十からの寺院を寄進しているらしい。わたくしは資料を持たないのでその根拠を知らないが、まあ、それくらいの数は寄進しているのだろうと思われる。

総本山への御供養としては、おそらく奉安殿に始まり、大講堂、大客殿、その他もろもろを、創価学会が中心となって建立寄進しているのだと思う。それと同時に、昭和三十年代から四十年代にかけて、全国に多数の地方寺院を建立寄進しているはずなのである。
ところが昭和四十年代後半から五十年代にかけて、宗門と創価学会の関係が悪化した。そして池田大作氏は会長を辞任せざるを得なくなった。いちおう会長辞任をもって事態の収束がはかられたわけだが、宗門にはなおも不満分子が多数いた。この結末がいわゆる正信会事件と呼ばれるもので、この時に宗門は百五十からの寺院を失うことになる。
日顕上人が池田氏ないし創価学会をかばったとの見方もできるが、その辺の判断は立場によってマチマチなのであろう。少なくとも宗門の混乱の原因は池田氏にその一端があったことは否めない。ゆえに池田氏も責任を感じていたのだろう、いわゆる二百箇寺建立寄進計画が起こされたのは、この後のことである。
それから平成二年までは、わずか数年しかなかった。
そして、ご存知のごとく、平成二年の秋以降、宗門と創価学会の関係は再び悪化し、今現在に至るわけである。よって二百箇寺の計画は頓挫し、事実上、その約束は反故とされたのだった。

あてずっぽうに加えて、かなり端折って書いているので、細かい部分に問題があるかもしれないが、まあ、大体こんなところではなかろうか?

2006/10/25

全権掌握者は誰か?  
ウィンズさん、ありがとうございます。

おっしゃるごとく、われわれは凡夫ですから未来のことはわかりません。ゆえに現状ではとうてい無理に思えることでも、その望みを捨ててはならないとわたくしは思っているわけです。実際のところ、広宣流布が本当に到来するのであれば、それ以前にこの問題は決着していなければ道理に合わないことになります。ですから早々に問題を解決して、一致結束して広宣流布をめざすべきだと思っております。

れん氏からも貴重なコメントを頂戴しました。ありがとうございました。

保田妙本寺日要師の顕仏未来記聞書に石山義として「三世の諸仏は所生の子、妙法蓮華経は能生の父母でおはします。当門徒の約束に、寺は所生、本尊は能生、本尊は所生、住持は能生。大聖も今は冥益の本尊にておはしますなり」と示されてあり、宗祖迹仏・当代本仏という訳ではありませんが、すでに石山九世日有上人の頃には宗祖冥益・当代顕益が当時の富士門徒において言われていたことは注意されるところです。この法義は上記文書から推するに有師の時代にすでに言われるところで、むしろ石山でも古い伝統法義であり、日顕上人の己義という訳ではないことは、創価学会員・顕正会員は認識するべきでしょう。

これがれん氏のコメント全文である。ひじょうに興味深い内容なので、改めて全文を掲示させていただいた。

おそらく創価学会員あたりが宗門批判のために言っていることなのだろう、日顕上人の御説法がどのような趣旨であるかよくわからないが、なんと上人は自分が本仏で大聖人は迹仏であるとおっしゃったのだそうである。それに対して、れん氏はいわば会通されているわけで、ようするに何も日顕上人がはじめて言い出されたことではなく、宗門の上代よりすでにそのような義が存在していたのだということである。

さらに改めて妙本寺日要の言葉だけを引用させていただく。

三世の諸仏は所生の子、妙法蓮華経は能生の父母でおはします。当門徒の約束に、寺は所生、本尊は能生、本尊は所生、住持は能生。大聖も今は冥益の本尊にておはしますなり

まず、冒頭の一文は、つい先だって能生・所生のことを書いたが、まさにそれである。大聖人の御書には仏よりも法華経を上位に置く御指南がたくさんある。まさに日要はそれを言っているわけである。
しかし、当門徒の約束に・・・以下がひじょうに悩ましい。これはどういうことだろう?

寺と本尊、本尊と住持、この辺の脈絡がよくわからない。
結論として、大聖も今は冥益の云々・・・大聖人よりも住持のほうが偉い、いや、偉いとか偉くないとかではないのかもしれないが、まあ、ぶっちゃけ言えば偉いのだろう。しかし、なぜだろう?

これまた先だっての話だが、法を中心にすると大聖人よりも偉い仏が出現する・・・との考え方が生じる危険性があるとわたくしは書いた。
もしかしたら日要の言っていることがそれに当たるのかもしれない。

寺と本尊、本尊と住持・・・何となく、この表現は卑近過ぎて法義的な匂いがしないのだが、ようは本尊がなければ寺とは言えないくらいの意味ではないのか? 早い話が本尊あっての寺である。ゆえに本尊が能生であり、寺が所生となる。
しかし、本尊は単独で存在し得ない。まさに伝持の人がいなければならないのである。さらにまた、本尊を書き造れる人がいなければ、信徒に下付することはできない。ゆえに住持が能生であり、本尊は所生である。
このように考えるとけっこう単純な話のように感じられる。ようは現役か否かということであり、大聖人はすでに現役を引退している、ゆえに冥益の本尊と表現するのだろう。

おそらくはそれなりの人物が読めば、わたくしの文章はひじょうに幼稚に思えることだろう。それはそのとおりなのだが、そもそも日要の書いていることがその程度なのではなかろうか? しかし、こんなこと書いていると妙本寺の人に怒られちゃうかな?

いずれにしても法を中心に考えると、現在の所有権者がどなたであるかが問われるわけである。
なぜかならば、まさしくそこに全権が集中しているからに他ならないであろう。

2006/10/24

創価学会員のすべてが池田非本仏論者なのか?  
創価学会はそれなりに歴史のある団体だから、すでに信心歴が半世紀に及ぶような人もいることだろう。ヅラ系氏はそこまでの古参ではないとはいえ、昨日のコメントに見るごとく、すでに四半世紀のキャリアがあり、今なお幹部として八面六臂の活躍をしていらっしゃる。その氏が池田本仏論はあり得ないと断言しておられるのだから、それはそれでけっこうなことであろう。

それにしても前々回のコメントにある、

どちらにせよ、顕正会も宗門も、大聖人を、嘘つきにしないよう頑張って下さい。

これはけっこう辛らつというか、皮肉っぽい言い回しである。
また、昨日のコメントにしても、

仏教史上、妙法を初めて世界に広めたという事実

同じことを言わんとしているのであろう。

ようするに、広宣流布は大地を的とするとの大聖人の御断言があるにもかかわらず、創価学会が出現するまでは広宣流布の兆しすら見えなかった、ところが今や日本はもとより全世界に妙法が流布している、すべて創価学会の大折伏による、ゆえに創価学会なくば大聖人は大虚妄の仏になっていた・・・

このことは浅井先生が第一回諫暁書で徹底的に破折していることであるし、また後年、日達上人もまた、日蓮正宗でないものが弘まっても広宣流布とは言わない、といった意味でクギを刺しておられる。
しかるに、今もなお、創価学会の内部ではそのようなことが言われ続けていることが、ヅラ系氏のコメントにあらわれているようである。

ひじょうに難しいところである。
現段階においては、まさに日蓮正宗でない団体、それが創価学会である。ところがそれ以前においては日蓮正宗の中の創価学会だったわけで、浅井先生以外はいわば創価学会に与同していたのである。ゆえに今となっては水の泡であるにしても、当時において「仏教史上、妙法を初めて世界に広めたという事実」はじゅうぶんに言い得ることだと思われるのである。
さらに、池田氏が大聖人より上ということは絶対にあり得ないことを、現役の創価学会員が断言しているわけであるから、善意に受け取るならばさしたる問題はないのではないかとも思われるのである。

早い話が、宗門も顕正会もぜんぜん弘まっていないじゃないか、という事実を突きつけられているわけである。

もちろん、宗門においては御命題という中期目標を設定してきわめて具体性のある歩みを進めているし、顕正会においても広宣流布を熱願していることは疑い得ない。ゆえに将来的には大きな変化があるかもしれないとは思う。しかし、現時における彼我の実力差は歴然である。

わたくしは思う、これらの力をすべて集結すればどれほどすごいことになろうかと。やはり理想は大同団結すべきなのではないかと。

しかし、理想というよりは夢想なのであろう、わたくしの話のオチはいつも同じである。


ところで日顕上人は、大聖人は迹仏で自分が本仏だ、という意味の御説法をあそばした由であるが、それは具体的にどのような御指南なのであろうか? 詳しい文言の載っているサイトがあれば教えていただきたいと思う。

2006/10/23

池田本仏論の公式表明はあり得るか?  
昨日は、それぞれ現役の法華講員・創価学会員・顕正会員から、コメントを頂戴した。これはめずらしいことであるが、わたくしとしてはひじょうに嬉しいことである。まさに相互理解の道が拓けつつあるのではないかと思う。

aono氏が池田本仏論の事例をいくつか紹介しておられるが、わたくしなどよりもはるかに詳しいので、少し驚いているところである。
これらの情報をどこから仕入れたのか、それが気になるところだ。あるいは顕正会の内部において、そのようなことを教えているのだろうか? それともaono氏が独自にネットなどを介して得た情報なのだろうか?
もし顕正会で教えているとしたら、わたくしはどうかと思う。そんなくだらないことに時間を費やすよりは、もっと御法門のことを学んだほうがはるかに価値的だからである。

もし、池田本仏論を研究するのであれば、もっと真面目にやらないといけないだろう。これは単なる批判のためのネタとして論ずるような、そういう皮相的な捉え方をしてはならないと思う。なぜならば重要な問題がたくさん含まれているからである。
少々難しいことを言うが、われわれが大聖人を本仏と仰ぐのはそこに時差があるからである。御書の表現を借りれば、まさに「のちぐへ」なのである。大聖人を本仏とする根拠は、御書全体の割合からすれば希少と言うべきであって、なかなか見えてこない。それこそ御相伝書を除いてしまったら、さらに困難をきわめることであろう。ゆえに大聖人の御在世において、大聖人を御本仏と仰いでいた人たちがどれほどいただろうかと考えると、ひじょうに心許ないのである。
もっとも、このように書くと、読者はわたくしが日蓮本仏論を否定しているように受け取るかもしれない。しかし、わたくしとしては、そのようなつもりは毛頭ないのである。
ようは同時代の人には見えないこともある、時代を経ることによって見えてくることもあるのだ。世間の例でも、存命中よりも死後に名声を得るケースは決して少なくないと思う。

このようなことを踏まえて、池田氏のことを考えると、ひじょうに難しいものがあるわけで、もし仏であるとするとその根拠は何かを考えないといけないし、そしてそれが死後においても固着した評価となり得るかどうか、換言すればそこまでの意義付けが可能かどうかを検討する必要があるのではないかと思うのである。

批判者側の主張する池田本仏論は、大聖人こそが御本仏であられるのだから池田氏を本仏とするのは邪義である、というだけの話なのである。ゆえに本当の意味での本仏論ではない。

づら系氏のような良識のある創価学会員は、それを邪義だとちゃんと認識しているわけであるから、本来そこに問題はないのである。この意味では、批判者側があら探しをしてイチャモンをつけているだけの構図でしかないであろう。

つまり、本来ならば、池田本仏論は創価学会員こそが大いに主張すべきことなのである。そしてそれが、どれだけの蓋然性を持つ主張たり得るか、そこにこそ批判者は目を向けるべきなのである。

・・・あれ? 今日は何を書いているのだろう?

毎日、行き当たりばったりで書いていると、こういうことになるのだ。

ともかく第一歩としては、創価学会側が公式に池田本仏論を唱えるようにならなければ話は進まないのである。
そしてその暁には、ウィンズ氏が示す道理のごとく、はたして池田本仏論は久遠元初の御本仏を超えられるのかという、究極のテーマに行きつくことになるだろう。

2006/10/22

大聖人を超える存在はあり得るか?  
されば四条抄には
「日には五月十五日・月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先に生れ給へり、今より後は又のちぐへなり」と。これを寛尊釈して云く
「天台・伝教は先に生れ給へり、所以に末法の始を恋う。我等後に生れたり、還って末法の始を忍ぶ、忍ぶと雖も還る事なし。如何せん。乃至、後悔先に立たず、如かず、本尊に向って南無妙法蓮華経と唱えんには」と。末法万年尽未来まで御本仏一人の慈悲曠大なれば三大秘法は流れ弘まるのだ。


昨日は日女御前御返事の御指南を記号で表現してみた。

釈尊<法華経<大聖人

これはいわゆる不等号であるから、後ろに行くほど大きい意味になる。しかし、これを矢印の意味だとすると、どうなるであろうか?

おそらく日蓮正宗系統では特に問題にはならないであろう。つまり、大聖人を久遠元初の御本仏と拝するからである。
ところが日蓮宗ではそうはいかない。矢印の意味で表現すれば、次のごとくである。

釈尊>法華経>大聖人

単純に言えば、まず釈尊が居て法華経を説いた、それを二千余年の後に大聖人が弘めた。これが歴史的な順序のはずである。厳密には非仏説だの仏滅年代の誤謬だのという問題があるので簡単ではないが、それはともかく釈尊を能説の教主としてその所説の法門が法華経であるということに日蓮宗ではなっていると思う。また、釈尊の本地をいわゆる久遠実成として捉えるにしても、能説・所説の関係に変わりはないし、ここでの大聖人の立場は上行菩薩ということになると思われる。
ようするに、二番目の記号のとおりなのである。

しかし、繰り返しになるが、大聖人自らがこの順番をひっくり返すような御指南をあそばしているのである。ゆえに、疑うべきにはあらず、である。

問題はこの論理をさらにバージョンアップさせて、大聖人よりも偉い仏が出現すると唱える人が出てくる可能性があることだと思う。おそらくは法を中心に考えていくと、必ずそのような危険性が生じることだろう。
どうやら創価学会あたりがそのような傾向にあるらしいのだ。最近でも、何やら本部職員が解雇された由であるが、その者の主張がまさに大聖人よりも池田大作氏のほうが偉いみたいなことらしいのである。

実はこれ、今にはじまったことではないのである。

すでに昭和四十年代において、池田大作氏の慢心ぶりを見事に抉り出した書が存在する。何を隠そう、浅井先生の第一回諫暁書がそれである。

一例をあげれば、大聖人の折伏は創価学会の大折伏から見ればなお摂受である、みたいなことが当時は言われていたのである。あるいは、池田氏を現代の主師親であると表現したり、創価学会が出現しなければ大聖人はウソツキになる、というような意味のことまで言われていたのだ。
これらをことごとく破折した書が浅井先生の第一回諫暁書だったとも言えるくらいである。当時は怖くて誰も言えなかったことを先生一人がすべて言い切っている、この一点については現今の法華講員も大いに認めていいことだと思う。

そのためには全文公開しないといけないが、わたくしは面倒くさくてやる気がしないのである。誰か、やる人がいないものだろうか?

申すまでもなく、冒頭の文章こそが第一回諫暁書である。
御文の「のちぐへ」は、全集も平成新編も漢字ルビで「後悔」と入れてある。これをもって浅井先生は、大聖人よりも偉い存在が出現することは金輪際あり得ないとしているのだと思う。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ