2006/10/2

日相上人文書の事壇は広布以前を含意するのか?  
ウィンズ氏より、逆に質問されてしまった。

まず御登山のことであるが、どうしてこういう質問をするのだろうかと不思議に思った。わたくしの感覚ではさしたる問題を感じないのである。しかし、わざわざ質問してくるのだから、氏にとっては大問題のように感じるのだろう。この彼我の差は何なのだろうか?

彼は法華講員、わたくしはいちおう顕正会員、この立場の違いは大きいかもしれない。また、彼は元顕正会員であるが、個人の理解度の問題もあろうし、さらに言えば在籍していた時期や期間などによっても違ってくることかもしれない。
感覚的なものだから測りようがない、ゆえにその差は存外に大きいのかもしれないし、逆に小さいのかもしれない。

かく言うわたくし自身は、普通の顕正会員の感覚とはだいぶ異なるだろうと思っている。例えば昨年の五月、ようはこのブログを始めたばかりの頃に、次のように書いている。

http://diary.jp.aol.com/ganko/7.html

今でも考え方に変化はない。もし御登山を申請したこと自体が問題だと言うならば、実際に御登山していたら、なおさら大問題としてツッコミを入れることができたはずである。

いずれにしても現在は、かえって不敬になるとの理由を設けて御登山しないことを正当化している。しかし、当時は御登山を願い出ていたわけだから、矛盾しているのは事実であろう。
わかり易くいえば、それは解散処分により御登山ができなくなってしまったので、やむを得ずにそのような理由付けを行なったのだろうと思われる。おそらく人は自分の置かれた状況を正当化するために、もっともらしい説明をしてしまうものなのだろう。それは意識・無意識にかかわらずであり、一種の自己防衛本能なのかもしれない。

ただし、一つだけ浅井先生の側に立って書いておきたい。
いわゆるキリスト教の神父を正本堂に入れてしまった事実・・・これが謗法なのかどうかがまた議論の分かれるところなのだが、それはまた別の問題ということにして、先生がこれを知ったのは後年のことという。つまり、御登山を申請した時点では知らなかった、もし知っていたら御登山を申請しなかった・・・

ここにウソがあるかどうか、わたくしには確かめようがない。あるいはトチロ〜氏であれば、例の鋭い眼力で見抜くことができるかもしれない。


日相上人文書については顕正会側でもじゅうぶんの反論を行なっていると思う。

ところが法華講員はその反論の中身には触れないで、ただいたずらに日相上人文書を振りかざしているだけのように感じられるのである。

http://kensho.main.jp/s_hasu/h_c13.htm

面倒なので横着をかまして顕正会の公式サイトから、日相上人文書に触れているページを貼り付けさせてもらった。

問題点があれば、ご指摘をたまわりたいと思う。


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