2006/10/5

事壇論の基本的理解  
引き続き種々のコメントをたまわっているが、不行儀ながらツマミ食いをさせていただくと富士川氏の一文に興味が惹かれた。

一例として松本佐蔵(道本)氏は、広宣流布以前の御宝蔵を「義の戒壇」と表記しながら括弧書きで「本来は事の戒壇とすべきであるが、論理の展開上、道本が仮に義の戒壇と称するのである」と注記しております。

わが意を得たり、という思いである。これは後述する。

aono氏に冨士の三百四号を紹介したいのだが、入力するのが大変なので困っている。できればどこかで入手されてご覧になられるといいだろう。

一級昇格試験優秀答案が載っているのだ。

この冨士は平成元年八月号に当たる。この年の一月十六日に一級試験が行なわれ、八名の合格者が出たことが知られる。当時の顕正新聞には、この合格者八名が顔写真入りで、第一面に掲載されていた。
出題は全部で八問。その八問目、すなわち最終問題が、戒壇論における事・義のさばきについてだったのだ。

で、優秀答案を見ると・・・なんと次のような断り書きが付されているのである。

該当優秀答案なし、よってそれに準ずる答案を掲載する。

まあ、気が向いたら入力しようと思うが、それよりも手を尽くして実物を入手したほうが早いだろう。わたくしは宿題をすっぽかすのが得意だからだ。

それはともかく、aono氏が論じていることは、本来ならば一級部員が取り組むべき課題なのである。
はたして氏に一級の実力があるかどうか、それは定かではないが、ともかくテーマそのものはそういうハイレベルの領域なのである。そして「該当優秀答案なし」からもわかるように、一級部員とて法華講員を論破するのは簡単なことではなく、逆に言うとこの問題で法華講員を論破できれば一級相当の実力を有していることが認められるだろう。
我こそは、との気概をお持ちの顕正会員は、是非とも茶寮二階での議論に参加されたいと思う。

さて、aono氏をはじめとする正統派顕正会員には、次の拙文をご覧いただきたい。

http://diary.jp.aol.com/ganko/120.html
http://diary.jp.aol.com/ganko/121.html
http://diary.jp.aol.com/ganko/123.html

おそらく思うことだろう、この者はずいぶんと宗門に肩入れしていると・・・いや、顕正会員の好きな表現でもっとあからさまに言えば、肩入れどころか諂っているということになるだろう。
日付を見ればわかるように、これはすでに一年も前に書いたものなのである。ようするに、わたくしはもともと宗門寄りの考え方をしているわけで、この点では一貫しているつもりである。基本的には顕正会もそうあるべきなのだが、対立的な構図ができあがってしまうと、単純思考の人は何でもかんでも反発したがるわけで、平均すると今の顕正会員はその傾向が強い。これはすぐにでも改めないといけないことだろう。
といっても、現実的にはなかなかそうもいかないのであろうが・・・

いずれにしても感情的にどうこう言っても仕方がないので、わたくしの書いていることに異議があるならば具体的に言っていただきたい思う。
法華講員を論破する前に、手始めにわたくしを倒してみたらどうかと思う。おそらくは程よいウォーミングアップになるだろう。

そうそう、いちばん最初の「わが意を得たり」であるが、リンク先の拙文を読めばおおむね了解できるだろう。
富士川氏は、日達上人の事壇論こそ、もともとあった戒壇義であるとし、創価学会出現以降に別の戒壇義が主張されるようになった、上人はそれを元に戻したのだ、という意味をおっしゃっている。だが、わたくしはどうも違うような気がしている。
冒頭に掲げさせていただいた一文から言えることは、もともと素地としてあったものを上人が明確化せられた、ということではないかと思っている。


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