2006/10/10

折伏理論書会通  
先ほど、れん氏より、コメントが寄せられたようである。

なんだ例の本をまだ読んでいないのか、早く読め・・・乱暴に書けばこんなところであろうか、何しろわたくしはズボラな性格なものだから、宿題を溜めるのが得意なのである。
冗談はともかくも、氏はわたくしを高いところに引っ張り上げてくださろうとしている、これはありがたいことである。

顕正会の皆さんへ氏・・・う〜ん、これは呼びづらいので、別の名前を考えてほしいが、ともかく氏には大量のコメントをたまわった。

やはり相互理解は難しいようである。
しかし、わたくしはそれがどんなに遠い道程であろうと、この一点を見つめて前進するのみである。顕正会は大石寺を離れては存在しない、それが顕正会なのである。

戒壇論については氏のコメントと、わたくしのここ十日ばかりの投稿とを読み比べて、それで第三者が判断すればいいだろう。おおむね書き尽くしたつもりなので、貼られているリンクを含めてくまなく読めば、遺漏はないと思う。逆にこれ以上は蛇足というか、重複になってしまうことだろう。

氏によれば、顕正会は戒壇論のみならず他の面でも異流儀化しているとして、その一例に地獄の解釈をあげておられる。

教義の逸脱は戒壇だけではない。地獄の解釈にしてもまたしかりで、浅井顕正会では地獄は「一閻浮提の地の下にある」と言いますよね。しかし日蓮大聖人様はそんなことは一言もおっしゃっていない。

「一閻浮提の地の下」の出典が明らかではないが、おそらくは折伏理論書からであろう。十界論のページに次のごとくある。

地獄はこの閻浮提の地の下・一千由旬にあるといわれる等活地獄から二万由旬にある無間地獄までの八大地獄等で、

しかし、これは申すまでもなく御書・経文などに準じて書いているわけであるから、「大聖人はそんなこと一言もおっしゃっていない」というのは言い過ぎではないのだろうか?

例えば折伏理論書には兄弟抄の次の引用がある。

仏を打ちし提婆は大地われて入りにき

この解釈をどうするのだろうか?

ちなみに氏が引用している御書では、浄土や地獄を己心に住するものとしている。
すると顕正会の解釈以前に、大聖人の御指南において齟齬があることになる。これに氏はどのように答えるのだろうか?

煩瑣を厭わず、折伏理論書の先の文章をもう少し長く引用してみよう。

地獄はこの閻浮提の地の下・一千由旬にあるといわれる等活地獄から二万由旬にある無間地獄までの八大地獄等で、殺人・五逆罪・謗法などの悪業を犯した者がこの界に生ずる。餓鬼は正法念経に三十六種が明かされ、畜生は魚・鳥・獣などの動物、そして人間界は我々人類、天上界は大梵天王・帝釈天王等である。経文にはくわしく十界のそれぞれが明かされているが、これら大宇宙における十界はここには省略する。

この後、「人間界に具わる十界」との見出しを打って、次の文章が続く。

十界論で大切なことは、我々人間界にまた十界が具わり、御本尊を信ずることにより、所具の仏界が涌現するということである。

ここに答えは出ているだろう。

先の「地の下・一千由旬にあるといわれる」の「いわれる」がポイントである。先生は経文の説相に準じて、経文に地の下・一千由旬に等活地獄があると説かれていることを紹介するものの、この文末においては「大宇宙における十界は省略する」としているわけである。そして段を改めて「十界論で大切なことは」云々としている。

また第四章では、八大地獄のことを次のごとく書いている。

大聖人は顕謗法抄等に「八大地獄」のさまを、具体的な譬えを以てお説き下されている。これを単なる比喩と思ってはいけない。この比喩は、死後の生命が堕獄した時に味う堪えがたき大苦を理解せしめるための直喩であれば、比喩即真実である。

氏に言わせれば、これも間違いなのであろうか?
兄弟抄には、仏を打ちし提婆は大地われて入りにき、とあるが、法蓮抄では提婆が堕ちた穴がいまだにあるとまで仰せになられているのである。
うっかりすると、顕正会以前に大聖人の御指南にも大間違いがあると、氏はこのように言わんとしているごとくである。


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