2006/12/8

終わりなき不毛の議論  
ウィンズさん、恐れ入ります。わたくし自身に進歩があるかどうか、それはわかりませんが、もし進歩があるとしたらそれは皆さんのおかげであり、ひじょうにありがたいことだと思っております。

学会員・法華講員の板を振り返った時に、何らの進歩も感じないのは私だけではない・・・

失礼ながら、確かにそういう面は否めないですね。
樋田氏などは、創価学会員の破折シリーズを連載していて、やまいぬ氏でしたか、それの破折がもうすぐ連載百回に到達しそうですが、しかし、正直に申しましてわたくしはまったく読んでおりません。はたして樋田氏の連載シリーズを一字一句逃さずに読破している人がこの世に存在するのだろうか、などと思ってしまうくらいです。通読に堪えない駄文である・・・いや、それは冗談ですが、ようするに面倒臭くて読む気がしないのですね。ゆえにこんな連載に意味があるのだろうか、自己満足に過ぎないのではなかろうか、などと思ってしまうのです。意地悪く言えば、樋田氏の破折は切れ味が悪い、だから長くなるのだと。切れない刀でいつまでも切り続けている、一刀両断できない。
おそらく創価学会が存在する限り、破折を続けていくわけでしょうね。すると昨日の拙文では顕正会が百年後にも存在したら・・・などと書きましたが、同様に創価学会が百年後も存在しているとしたら、樋田氏は今の調子で連載を続けていることにもなりかねないでしょうね。もちろん、百年後も生きていたらですが・・・
何もわたくしは樋田氏ばかりを批判しているわけではなくてですね、最近はほとんど読んでいないのです。いちおう習慣でいくつかの掲示板をチェックしてはいるのですが、富士宮ボーイであるとか破折法論館など、ほとんど文章を読んでいません。ですから、ウィンズさんがご投稿されているのも存じておりますが、失礼ながら一字一句細かいところまで読むようなことはありません。
どうやらウィンズさん自身も、宗門と創価学会の終わりなき戦いにウンザリしていらっしゃるのだと、そういう意味のことが今回のコメントからうかがえると思いました。

http://plaza.rakuten.co.jp/koutou/diary/200611100000/

さて、以下はいつもの文体で・・・

先ほど、いくつか掲示板をチェックしていると書いたわけだが、最近はブログなどのチェックもしていて、それだけでもひじょうに忙しい。けれども今はフィード機能というのがあって、サイトを登録しておくと自動的に更新の有無をチェックしてくれる。ゆえにわざわざこちらからサイトを巡回する必要はなくなりつつある。機械オンチのわたくしであるが、どうやらその機能は使いこなせるようになってきて、ブログなどは一々チェックしないでフィードに任せていた。

ところが大きな落とし穴があったのである。

トチロ〜氏のサイトはこのところ更新がなかった。だが、しかし、現実にはたいへんなことになっていたのである。すでに前にも紹介したごとく、戒壇の事・義の定義での議論が活発に行なわれている。それがなんと今現在、コメント数が八十九まで来ているのである。おそらくこのまま行けば百を超えることだろう。これらのことはフィードでは検出されないので、一見すると更新が止まったままにしか見えなかったのである。

ヘタな掲示板よりも活発な議論であるが、これもまた、うっかりすると法華講員と創価学会員の議論のように終わりなき不毛の議論となりかねない。

何とかして同じ轍は踏まないようにしたいものである。

わたくしは戒壇論の枠からは絶対に出ないことを顕正会の鉄則にすべきだと思うが、しかし、周知のごとく、すでに顕正会はそこからはみ出してしまった。もはやこうなると歯止めが利かなくなる。いわゆる異流儀化が進行する一方となる。

はやり正常化は無理なのだろうか?


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