2006/12/9

脳内清浄化は無理か?  
はやり正常化は無理なのだろうか?

昨日の文末である。

もはや絶望的だと思った。実は昨日の夕方くらいに気がついていたのだが、投稿時間が朝八時であるからして、書き直すことをしなかった。追記を入れようとも思ったが、バカバカしいので止した。
投稿直後に読み直して気がつかないようではダメなのである。でなければ、いつまで経っても同じ過ちを繰り返すだけなのだ。

顕正会の正常化もさることながら、自分自身の脳みその正常化も必要である。あるいは清浄化と表記すべきか?

そういうわけで、今日は書く元気がない。そこで法華講の諸氏に一つ教えを乞うことにして、それでオシマイにしようと思う。

日開上人の御宝蔵説法本における改竄の件であるが、トチロ〜氏のサイトを拝見していて、本堂と戒壇堂の違いはさしたる問題ではないことがよくわかった。というよりも改竄などという大げさなことではないわけで、考えてみると浅井先生の言っていることにも不審な点があるような気がしてきた。このことは考えがまとまり次第、書いてみたいと思うが、それ以前に大いなる疑問がある。

日達上人が提示あそばした文書は日開上人の御筆記だったのか?

ようするに浅井先生はそのように言っているけれども、それを現在の宗門では認めているのか、ということなのである。
もし現宗門で認めているとして、ではさかのぼって、日達上人御自身はそれを日開上人のものだと明かされたのか、明かされていないとすると、どうして日開上人のものだとわかったのか、といったことどもが知りたいのである。

日達上人が何もおっしゃっていないとすると、もはや確かめようのないことだと思うのだが、いかがであろうか?


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ