2007/4/30

選択権を行使するための前提条件  
まずはトチロ〜氏のコメントから始めよう。

http://diary.jp.aol.com/ganko/727.html#comment

おっしゃるとおり、宗門が全体的な意味で通達を出すことはないのだろう。もしそんなことが行なわれていたら、とっくの昔に創価学会のほうで情報をキャッチして、おそらくはフェイクあたりが真っ先に取り上げているに違いない。

宗門ではネットが強力な武器であることを認識している、法華講員はコンタクトを取るための手段としてネットを活用している、ゆえにネットにとどまらず白兵戦に奔走している・・・

なんとトチロ〜氏は、このコメントを書かれてから間もなく、ご自分のブログを更新しているのだ。以下、全文を転載する。

自由な茶寮掲示板をご縁といたしまして、本日当寺院におきまして将来有望な顕正会員の若者が御授戒を受けることが叶いました。

自由な茶寮掲示板管理人様、およびそれを支えていらっしゃる多くの顕正会員様には心より感謝申し上げます。

今後とも茶寮掲示板を陰ながら応援させて頂きます。


トチロ〜拝



なるほど、そういうことだったのか・・・

これでは宗門がネットを禁止するわけがない。むしろ奨励するくらいかもしれない。
顕正会側にとってはひじょうに痛い、これは激痛であろう。
こうなると茶寮掲示板もまた、巌虎独白同様に顕正会には疎ましい存在かもしれない。いや、当ブログは独白だから大した影響はないかもしれないが、掲示板の場合はその影響たるや甚大であろう。
しかし、おそらくは茶寮掲示板の管理人にしても、今度のことは寝耳に水だったのではないかと思う。かの掲示板の目的は顕正会の改善にあるわけで、必ずしも宗門への帰伏を奨励する目的ではないはずなのである。そうは言っても結果的に宗門への帰伏者を量産するような事態になれば、もはや茶寮掲示板の存在意義は失われたことになるだろう。
さて、どうしたものであろうか?

わたくしは宗門シンパであるけれども、さりとて正式に帰伏したわけではないし、その予定は今のところ、まったくない。ヘンな話、わりと今のスタンスが性に合っているのだ。

そういうヘソマガリなわたくしであるが、かえって障壁となるものが少ないので、わりと公平な判断ができているのではないかと思う。

そこで茶寮掲示板の存在意義を改めて考えてみると、今もなお存在意義はじゅうぶんにあると思う。仮に雪崩現象的に顕正会から宗門への帰伏者が増えたとしても、それもまた存在意義の証明に他ならない。

活動会員ならば、何を言うか、と思うだろう。

しかし、ここでようやく、先日来問題にしてきたことに、話がつながるのである。

つまり、情報操作や遮断によって組織の維持をはかろうとすることが、そもそもの間違いなのである。すべての情報を誰もが自由に享受できることが現代社会の、とりわけ自由主義社会の大原則なのだ。それを忘れてもらっては困る。
ゆえに、茶寮掲示板などにさまざまの情報が書き込まれ、それを誰もが自由に閲覧できる状態にあって、そこで各々が判断すればいいのである。

選択権を与えなければならない。

一般における主人と客の関係は、お客さまこそがエライのであって、主人は客をもてなす役割りになる。客に選択権がある。もし気に入らなければ別の主人を選べばいい。
立正安国論においても、そのような意味合いがないわけではない。客は途中で腹を立てて帰ろうとしたのである。まさかその時に、客を拉致・監禁するわけにはいかないだろう。

わたくしが独白スタイルを貫いているのはいろいろ理由があるけれども、どんな問題においても最終的には読者が判断すればいい、ということがその基本にある。いつも言うことであるが、わたくしの考えが常に正しいわけではないし、正解がひとつだけとも限らないのである。もし正解が複数あったらどうするか・・・それこそ個人の意志による自由選択こそがもっとも望ましいことだろう。極論すれば、間違っていてもいい、それでも最後まで先生について行く、というのも選択肢なのである。

ところが現在の顕正会員は、自分が正しいのか間違っているのか、その判断すらまともには下せない状態にある。それは情報が遮断されているからである。

そんなことでいいのか? とわたくしは思う。

2007/4/29

褒めているのか、貶しているのか、わからない文章  
ヅラ系氏が掲示板を立ち上げられた。

何を血迷ったのか・・・いや、これは失礼、しかし、それにしてもわざわざ新規の掲示板を開設する目的は何なのだろうか?
ヘンな話であるが、わたくしは既存の掲示板だけでじゅうぶんだと思っている。掲示板で活躍するつもりなら、掲示板はゴマンとあるのだから新規に立ち上げるのではなく、自分に相応しい場所を選択すればいいのである。
理想の掲示板がない、だから新たに作るのだ、ということなのかもしれない。
ただ、わたくしの思うに、理想の掲示板を求めることはムダな努力のようにも感じられるのである。結局、それぞれが理想を追い求めて新規の掲示板を作る、するとどんどん細分化していって最後には一人が一つずつ掲示板を運営することになりかねない、仮にそうなってしまったら誰も投稿者がいなくなるのではあるまいか・・・という心配があるのだ。

いやいや、これまた失礼、いきなり開設当初から水を差すようなことを書いてしまって申し訳なかった。ともかく何事も経験であるから、どういう結果になるものか、やるだけの価値はあるだろう。
わたくしも気が向いたら投稿させていただくかもしれない。

さて、じつは昨日、書こうと思っていたことがある。申すまでもなく昨日は立宗の日であるが、それとは別にもう一つ、特筆すべきことがあった。
下野正信氏の一周忌・・・う〜ん、この表現はよろしくないかもしれない、ともかくも下野氏がネット上の活動から引退して一年が経つのである。名前を変えて出ているような様子も見られないので、名実共に引退したのだろう、このことは大いに意味のあることだと思う。

というのは、どうも最近は法華講員のネット活動が消極的になってきたような気がするのである。いわば下野氏は、その先鞭をつけた格好になるだろう。ことに妙観講員の動きがまるで見られない。最近の富士大石寺へ帰ろう掲示板などは、どうしちゃったのかと思うくらい閑古鳥が鳴いている状態なのである。ここはもともと下野氏とも関係が深いところだったし、投稿者も妙観講員と思われる人物が多数揃っていた。それがことごとく、鳴りを潜めてしまったのである。

みんな退転しちゃったとか?

まさか、そんなことはあるまい。顕正会だったら、あり得る話なのだが・・・

さて、昨日の話の続きを書いておこう。当ブログにまつわる不可解な現象についてであるが、おそらくは顕正会のほうで当ブログを疎ましく思っていて何かしらの細工を施しているのではないか・・・とわたくしは疑っているのである。じつはこれ、前にも何度か話題にしたことがある。以下に関連する投稿をリンクしておこう。

http://diary.jp.aol.com/ganko/379.html

茶寮掲示板では最初の頃、管理人自らが検索を拒否する仕掛けを施していた、ゆえに検索サイトが拾ってくれなかった。
しかし、わたくしの場合は一度たりとも、そんな仕掛けをつけたことはない。ゆえに原因不明と言わざるを得ないのだ。もし原因がはっきりしていれば、わたくしだってむやみやたらには疑ったりしないのである。
しかし、機械オンチのわたくしには、いわゆるソースを見ても何がなんだかさっぱりわからないし、そもそもわたくしのブログに仕掛けが施されているのではなく、おそらくはもっと高次元のところに仕掛けがあるのだろう。ゆえにお手上げ状態なのである。

しかし、現時点ではここにこうして実情を書くのみであって、それ以上の行動に出るつもりはない。もし誰かが細工を仕掛けているのだとしたら、そろそろヤバイと思うことだろう、さしあたっては相手が危険を察知して手を退くことを期待したい。

http://diary.jp.aol.com/ganko/136.html
http://diary.jp.aol.com/ganko/137.html

この二つの投稿もひじょうに示唆的であろう。

ところで先に話した、法華講員のネット活動が消極的になってきた、という話であるが、もしかしたら何らかの通達があったのではないか・・・おそらくはネット活動を自粛するような方向性のもの・・・という気がする。ようはメリットがないという結論になりつつあるのだろう。確かにパソコンにかじりついていることが、そのままイコール信心活動ということにはならないわけで、ややもすれば参詣をサボってネットにハマり込んでしまう危険も生じてくる。いわゆるネット中毒である。

もし、この推測が正しいとすると、ある意味では顕正会のほうが先見の明があることになる。早くからネットの危険性を察知して、会員をネットに近づけないように仕向けてきたのが顕正会だからである。

2007/4/28

謀牽制巌虎独白  
2006/02/04 07:44 更新

「天安門事件」「法輪功」サイト見つからず――中国版Googleの検閲実態

人権擁護団体のHRICが、中国版Googleの検索結果を米国版などと比較した報告書を公表。「Googleは中国政府の要求に屈した」と非難している。

 Google中国版の検閲問題をめぐり、米国に本拠を置く中国の人権擁護団体Human Rights in China(HRIC)が2月2日、中国版Googleの検索結果を米国版などと比較した報告書を公表した。「リーダーシップを発揮するのは今からでも遅くない」としてGoogleに方針転換を訴えている。

 HRICは、中国版のgoogle.cn立ち上げ翌日の1月26日、米国版のgoogle.comと台湾のgoogle.com.twで中国語と英語を使って複数の用語を検索し、上位10件の結果を比較した。

 例えば「六四天安門事件」を検索すると、米国と台湾のGoogleでは1989年の天安門事件について解説したサイトが出てくるのに対し、中国版では事件について直接記したサイトは表示されず、検索結果のリンクの大部分は機能していないか存在しないWebサイトにつながっていたという。

 「法輪功」の検索では、米国と台湾のGoogleでは法輪功のサイトが表示されたが、中国版では法輪功批判のサイトが表示され、法輪功のサイトは出てこなかった。

 実験ではいずれも中国国外からアクセスしているが、国内から利用した場合は一層の制限がかかるはずだとHRICは解説。また、天安門事件なども英語の「Tiananmen」で検索するとさまざまな結果が出てくるが、中国のユーザーの大部分は英語は使わないと指摘している。

 「GoogleはMicrosoftやYahoo!に続き、オンライン人口が増大する中国に足場を築く狙いで中国政府の要求に屈した」とHRICは批判している。


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0602/04/news004.html


巌虎註:

水無月氏のコメントに天安門事件のことが書かれていた。もうずいぶん昔のことのような気がして、はたしていつの出来事だったろうかと、グーグルにて調べてみた。すると検索上位に、上掲の文章を発見した。これはけっこう衝撃的な記事である。なぜならば、もしかしたら巌虎独白も同じ扱いを受けているかもしれないからである。

当ブログのプロバイダは、AOLという。

http://www.jp.aol.com/

中央に検索窓がある。ここに巌虎独白を入力してみてほしい。なんと驚くべきことに、ひとつもヒットしないのである。

これはいったいどういうことであろうか?

自分の契約しているプロバイダなのである。言葉を換えれば、お金を払ってブログの権利を買っているのと同じである。しかるに、その契約プロバイダの検索エンジンに拾ってもらえないのだ。これほど不自然きわまりないこともないに違いない。

いまや無料でブログのスペースを提供しているところも少なくないのである。この際、別のプロバイダに変更してもいいとさえ思う。それ以前に、プロバイダ側が原因究明を行ない、その結果を報告するなり、しかるべき処置を講ずるなりするべきであろう。中国ならいざ知らず、この日本においてかかる姑息な言論封殺が行なわれているとしたら、大問題であろう。

かく言うわたくしは、なにぶん機械オンチゆえ、本当のところはよくわかっていない。よって、読者諸賢のお知恵を拝借したいと念願している。

2007/4/27

ボクタくん登場?  
引き続き昨日も種々のコメントを頂戴したが、ことに水無月氏の慧眼には大いに学ぶものがあった。

「政治に影響力を持つ宗教者」という悪しきイメージが多いことを読んだ上での中国側のパフォーマンス

ほんの一部だけを引用させていただいた。
このコメントの最初には、他の創価学会員が不快な思いをするかもしれないことをおもんぱかる意味が書かれているが、おそらくはこの文章あたりが問題なのだろう。しかし、これは一般の認識を客観視して書いているわけであるから、それほど不快に思うこともないに違いない。むしろ水無月氏の、中国のしたたかさをじゅうぶん過ぎるほど認識しているその眼力に、他の創価学会員も共感を覚えるはずである。
確か公明党の代表が、国会で何がしかの紛争ないし摩擦のことが論じられている時に、対話の重要性を強調していたことがあった。おそらく日中友好ということも、単なるムードを言っているのではないのだろう。現実にはいろいろの摩擦がある、中国のしたたかさも半端じゃない、それをよくわかっているからこそ、友好をうったえているのだ。

ちなみに顕正会では、危ない危ない、ばかりを強調している。その認識はそれほど間違ってはいないのだろうけれども、どうも顕正会の場合は単に敵を作るのがうまいだけの話であって、そこらじゅう敵ばかりをこさえてしまう、そういう性癖というか宿命なのだろうか、なんか悲しい気分である。

話がそれた。
中国側が池田氏を利用したという見方はわたくしも賛成である。と同時に、創価学会側も中国を利用しているのではないか? 中国のみならず、世界中の著名な人物を利用してきたのが創価学会ではないのか・・・というふうにわたくしは見ている。
いわゆるギブ&テイクであろう。是々非々ということも、それに近い意味なのかもしれない。
しかし今回の場合は片務的というか、あまり創価学会側にはメリットがなかった、というようなことなのかもしれない。どうも水無月氏のコメントからはそのような意味が読み取れるような気がする。

庶民の王者を検索するとベラボウな数がヒットする。まるでそこらじゅうのサイトが取り上げているような錯覚をおぼえるくらいである。しかもそのほとんどが、どちらかというと悪く書いている。その意味では今回の会談は失敗だったということかもしれないし、なるほど創価学会側にはメリットがなかったということになるのかもしれない。

しかし、わたくしはヘソマガリだから、こういう時には違った見解を書きたくなる。

http://houmyou.blog.ocn.ne.jp/houmyoukyoukai_/2007/04/post_8909.html

これは日蓮宗の川蝉氏のブログである。あらためてリンク先の文章の一部を書き出してみよう。

また、テレビで、市会議員などの地方議員の各党の人数のグラフが出ましたが、公明党の議員数が一番多かったです。

政治調査費の領収書を附けるべきだと公明党が主張しているニュースを聞けば、一般の人は「公明党も良い事を主張するな」と思うでしょうね。そして、創価学会即公明党であると云う認識の無い人たちの中には、公明党支持になってしまう人が増えるでしょうね。


創価学会員がこの部分をどのように感じるかわからないが、わたくしにはひじょうに重要な意味が感じられるのである。
先日の如月氏のコメントに「プラウダにイズベスチヤはなく、イズベスチヤにプラウダは無い」というのがあった。いつものことであるが、無知のわたくしはこれを知らなかった。ようするに人の知識などというものは、それぞれに偏向があるのだ。物知りというのは確かにいる、だが、そういう人でもある分野についてはからっきしダメだということもある。今の情報過多の時代においては、かえって知らないことがあっても当然なのである。
つまり、創価学会即公明党ということを知らない人がいてもおかしくない、そういう時代に突入したとも言えるのだ。

庶民の王者に戻ろう。
ブログの発達した現段階では、庶民の王者が多数ヒットするのは当然であり、そのほとんどが悪く書いていることも当然なのである。
ネットにうごめく連中というのは概して口が悪いのだ。また、そういうのが好まれる傾向にあるのも事実なのだろう、ゆえに自ずとその手のサイトが検索上位に来るのである。

逆に、今まで池田氏のことをまったく知らなかったようなウブな人は目立たない、そういうブログも無数にあるに違いないのだ。その人たちがどのようなことを書いているか知らないが、おそらくは素直な気持ちで「へえ〜、日本にはこんなスゴイ人がいたのか」というような感想を持つ人もいるはずである。そもそもわたくし自身がきわめてシロウトに近い感覚を持っているので、中国の首相ともあろう人が政治家ではない池田大作氏に会談を求めたことは、やはりスゴイことだと思わざるを得ないのである。

話は前後するが、ネットにうごめく連中というのはオマエのことだろうが・・・という声がどこからか聞こえてきそうである。まあ、そのとおりである。否定はしない。
先日、社会の木鐸という言葉を使った。本来は新聞などをそれになぞらえたものであるが、なかば死語化しているのも事実であろう。
もしかしたら、今日においてはネット上に存在する無数の個人サイトが、その役割りを担っているのかもしれない。するとかつてはマスコミを第三の権力と呼んだりすることもあったが、いよいよ第四の権力の登場ということになる。その権力者は庶民に他ならない。つまり庶民が王者なのである。

・・・といったところで、本日のブログはお開きにさせていただきます。

2007/4/26

温家宝と溫家寶  
富士川氏のコメントに、中国の総理というのは首相ではない、という意味のことが書かれていた。不勉強のわたくしはまるで知らなかったが、わたくしのみならず多くの日本人がそうした厳密な違いを認識していないのではないかと思われる。日本では多くのマスコミが慣例的に中国首相と表記してしまっているので、何も聖教新聞だけの問題ではなさそうである。もっとも閣下についてはよくわからないが、まあ、そんなに頭をカッカさせることでもあるまい。

温家宝というのは日本の表記であって、向こうでは溫家寶と書くようである。

これで検索するとベラボウの数がヒットする。それをざっと百位までながめて見た。当然ながら今回の訪日について書かれたサイトが多数出てくる。

ところがである。

意外というべきか、それとも当然のことなのか、そこには・・・つまり百位以内には、池田大作氏のことに触れられたサイトが見当たらないのである。
反論されると困るのでお断りしておくが、わたくしは中国語が読めないので、あくまでざっと見回した範囲のことである。ゆえにもしかしたら見落としがあるかもしれない。
少なくとも、池田氏の存在が目立たないということだけは言えそうである。

「溫家寶 池田大作」で検索すると、いろいろ出てくる。

而溫家寶訪日期間與創價協會名譽會長池田大作的會談,更是起到“封殺”安倍參拜的作用。

うああ、と叫びたい衝動に駆られる。それほどにわたくしには難解な文章であるが、これは中國評論新聞網というサイトに出ている。
読み方はわからない。しかし、安倍首相の靖国参拝を封殺する意味が書かれていることは、わかる。

溫家寶會晤池田大作 謀牽制安倍拜靖國

これは星島環球網というサイトである。謀牽制ということは、安倍首相の靖国参拝を牽制することを謀った、意訳して、この会談は靖国参拝を牽制する狙いがあった、というほどの意味になるだろうか?

溫家寶總理這次訪問日本還有一個特別安排,就是與日本創價學會創始人、名譽會長池田大作會晤。由於創價學會是日本執政聯盟成員公明黨的母體,有輿論認為溫總這一安排是對日本首相安倍的牽制。

ますます難解になってきた。これは明報通織網というサイトのほぼ全文であるが、牽制という意味では前掲と同趣旨なのだろう。しかし、文中に創価学会創始人と書かれているのは、どういう意味だろうか?

これらのサイトがどのような位置付けなのか、それはわからない。わたくしには取り立てて意図するものがあるわけではなく、検索上位のほうからどうにかかろうじて読めるものをいくつかピックアップしただけの話である。

なお、富士川氏の指摘を踏まえてサイトを調べてみたところ、確かに中国側のサイトには溫家寶首相という表記は見当たらないようである。

しかし、この話題はもうやめよう、疲れた。

ところで安倍首相と朝日新聞の間では、依然として神経戦が続いているようである。最新のニュース検索でも週刊朝日の記事がうんぬんかんぬんと出ている。

これも疲れるので、やめておこう。


同日追記:文字化けするのではとヒヤヒヤだったが、どうにか大丈夫だったようだ。

2007/4/25

誰が誰にクギを刺したのか?  
各方面より、たくさんのコメントを頂戴した。いつものことながら、一々のお返事は失礼させていただきたい。

今日は是々非々をキーワードにしよう。

そもそも顕正会員と創価学会員は対立関係にあるわけだから、感情的な行き違いがあって当然なのである。それを無理にすり合わせる必要はないのだ。
ただ、相手のよいところは素直に認めるべきであるし、今はそうした度量こそが求められているのではないかと思っている。さりとて相手におもねるようではいけない。ようは是々非々でいくべきなのである。
実際問題としてはそのサジ加減が難しい。相手と仲良くし過ぎると批判しづらくなるということは、誰もが経験的にわかっていることだろう。相手に遠慮して言いたいことが言えないようではオシマイである。ゆえにわたくしは独白に徹しているのだ。

昨日の投稿は、思い込みだけで書いてしまった部分がなきにしもあらずだったと、今にして思う。
朝日新聞と創価学会の関係は、それが良好かどうかという、そんな単純な話ではないのだろう。裏事情は誰も教えてくれないのでわからないが、表面的にはどうやら是々非々の関係というのがいちばん妥当なところなのかもしれない。
靖国問題であるとか、歴史認識の問題とか、わりに朝日新聞と創価学会は近いところにいるのではないか? いわゆる親中派という意味からしても利害は一致しているわけで、そこからあのような好意的とも感じられる報道がなされたのではないか?

テレ朝の報道では、ある政府関係者の言葉として、クギをさしてきた、ということを紹介している。ようするに、中国側は安倍首相の靖国参拝を牽制するために池田氏を利用した、という解釈なのである。はたして本当に政府関係者の言葉としてそれが存在するのかといえば、わたくしは疑わしいような気もするのである。早い話がテレ朝の捏造ではないのかと。
あるいは同じ報道の最後に、神経戦が続いている、という言葉が出てくる。これこそテレ朝の解釈なわけで、神経戦を仕掛けているのは朝日新聞なのではあるまいか、という気がしないでもないのである。

つまり、朝日新聞にとって好都合の材料が、温家宝・池田会談だったということである。

中国は池田氏を利用して日本政府を牽制した。朝日新聞は温家宝・池田会談を利用して政府を牽制したのだ。靖国問題に関しては池田氏ないし公明党もまた政府を牽制しているわけで、ここに利害の一致を見ることができる。

しかしまた同時に、朝日新聞は池田氏ないし公明党をも牽制しているのだと思う。

靖国問題で首相が傍若無人な振る舞いに出るようならば、その時こそ公明党は政権離脱をも辞さない覚悟で対処すべきであると・・・

わたくしは最初のほうに、相手と仲良くし過ぎると批判しづらくなる云々と書いた。やはり公明党にしても自民党と仲良くし過ぎるとケジメがつかなくなる時が来るに違いないのである。これを朝日新聞は危惧しているのではないか?
逆に言うと、現在の公明党は与党でありながら野党的な精神を保持していて自民党への抑止力となっている、これを朝日新聞は評価しているのではないかと。

さらに裏を返せば、公明党への抑止力になっているのが朝日新聞ということになる。
現実問題として、いまや自民党は公明党の力がないと政権を維持できないと言われている。こうして見ると今度は公明党が何がしかのことで傍若無人なことをするかもしれないのだ。
それを監視するのがマスコミの本来の役目であろう。

今回、テレ朝の報道以外には、あまり目立った報道がなかったような気がする。これはウカツな報道をして創価学会ににらまれたら困るから、ということではなかったか?

もしそうならば、テレ朝は勇気があるのだろう。

かつては社会の木鐸という言葉があったが、今となってはなかば死語と化している。そうした中で、テレ朝ないし朝日新聞は、一分なりともいまだ社会の木鐸の機能を果たしていることになるだろうか?

2007/4/24

創価学会とテレビ朝日の関係  
昨日はめずらしくトチロ〜氏からコメントがあって、わざわざ聖教新聞に掲載された池田発言をご紹介くださった。ヅラ系氏はそのことがよほど嬉しかったのだろうか、わざわざ礼を述べ、さらに記事の内容を詳細に書き出してくださった。

ようするに、創価学会側の公式見解として機関紙に「王者」と書いているのだから、それを「大勢」とするのは牽強付会も甚だしい、ということなのだろう。
別にわたくしとて、大勢に固執するつもりはない。いちおうその可能性もないわけでない、という程度のことである。
もし、これをさらに追求するとしたら、その手掛かりは池田氏側の通訳がどのように解釈したか、そこにあるだろう。わたくしは中国語をまったく解さないので、通訳が何をしゃべっていたのか気にも留めなかったが、当然ながら池田氏の言葉をその場で瞬時に中国語に変換するのが彼の仕事である。ゆえに彼がしゃべった言葉を、今度は日本語に逆変換すればいいのである。もちろん意訳ということもあり得るので、それがイコール池田発言とはならないかもしれないが、真相を解明するための重要な手掛かりであることは間違いないであろう。
もし、中国語に堪能な方がいらっしゃれば、よろしくお願いしたいと思う。

さて、今日はテレ朝の報道に焦点を当てることにする。

テロップ捏造がどうのこうの言われているが、わたくしは捏造というほどのことではないと思っている。池田氏の発言には不明瞭のところがあったので、どのみち推測で文章を書かないといけなかった。ゆえにあの程度の意訳はじゅうぶんに許容範囲であると思う。
余談になるが、浅井先生の講演はビデオ編集の段階で発言そのものを修正することもあるのだ。これはまた別の機会に書くこととして、ともかく池田氏の発言は一般に広く出回ってしまっているので修正しようがない。それが幸か不幸か、大いに議論を呼んでいるのである。

わたくしは今回の報道を見て、テレ朝と創価学会の関係が案外に良好のように感じられて、驚いている。

外国の要人が来る。総理大臣だとか外務大臣あたりが会談を持つ。これまでにもこの種のニュース映像を何度も見ているはずであるが、どうもわたくしの記憶ではいつも映像だけで当事者の肉声を聞いたためしがないのである。おそらくはアナウンサーの読み上げる原稿にかき消されてしまっているか、あるいは最初から音声を入れていないのだろう。
ところが今回の温家宝・池田会談はまるで違うのだ。池田氏の肉声がもろに入っている。それもひじょうに効果的というか、強く印象に残るような映像プラス音声なのである。
もしかしたら、これは池田氏の人徳なのかもしれない、いや、これはホメ過ぎの心配がある。ようは外交上手なのだ。外交センス抜群・・・というラジオでの話を前に紹介したが、場数を踏んでいる、百戦錬磨ゆえなのだろう、パフォーマンスがうまいのだ。
そこらの政治家よりもよほど経験を積んでいる。実際のところ、政治家などは通訳を介さないと話ができない、それが鬱陶しいのだろう、お互いにニッコリと微笑んで握手しているだけの場合が多いに違いない。ゆえに、テレビ局にしてみれば、使えない、ということなのかもしれない。その点で、池田氏の映像は使える、という判断だったのではなかろうか?

しかし、テレ朝以外はどうしたのだろう、それがよくわからない。

もし映像を流していれば、それがネット上に記録として残っていてもおかしくないが、どうもその痕跡がないようなのである。昨日書いた第二日本テレビ報道部がどういう位置にあるか知らないが、日テレはどうしたのか、あるいはフジだとかTBSはどうしたのか、NHKは・・・ご存知の方がいらっしゃれば、ぜひとも教えてほしいと思う。

そういうわけで、この報道に関しては、テレ朝だけが目立っている。テロップ捏造を批判する勢力のおかげで目立っているのかもしれないが、いずれにしてもこれは宣伝効果大であって、創価学会にとってはマイナスにならないという気がする。つまり、テレ朝は創価学会の宣伝をしたのである。ゆえに関係が良好であると感じたのだ。

わたくしは最初に、テレ朝と創価学会の関係が良好であることに驚いている、という意味を書いた。

なぜ驚いたか? それは竹入義勝氏の問題があるからに他ならない。

竹入氏といえば、公明党の元委員長である。この人は平成十年に朝日新聞を媒介として回顧録を発表した。早い話が池田大作氏の暴露話である。これはけっこう衝撃的だった。
ちなみに顕正会でも少し前にこのことが話題になった。二月度総幹部会において浅井先生がこの話を取り上げたのである。ゆえに顕正会員もおおよそ理解できるだろう。創価学会と朝日新聞の関係がよろしくないだろうことを・・・

そこに今回のテレ朝の報道があったので、あれ? と思ったわけである。朝日新聞とテレ朝は別個だということか? そんなことはあるまい。

さて、この辺の裏事情がどうなっているか、わたくしにはさっぱりわからないけれども、もしご存知の方がいらっしゃれば、ぜひとも教えてほしいものである。

2007/4/23

民衆立戒壇提唱者の面目躍如  
昨夜はひじょうに有意義なコメントを頂戴したので、あらためてここにリンクしておく。

http://diary.jp.aol.com/ganko/720.html#comment

計算ずくについては拘泥するものではない。いちおう穿った見方として書いたまでであって、それ以上に当意即妙ということのほうが有力だと思っている。

日本のマスコミのほとんどが風をおこそうとして風任せ

事実の推移にたいがい乗り遅れてますしね

池田先生が「庶民の王者と・・」といわれたのは

批評家や報道なんかで日本を判断するよりも
最先端をいってる「権力と無縁な日本人」を見て話して感じてください ってことだと思うのです。

ついていけない政治家やマスコミにあう時間がモッタイナイって

いつだって我々はマスコミなんかに期待してませんよね(笑)
このごろは普通の人でも一歩ひいてます


これは阿部日ケ〜ン氏が富士宮ボーイに投稿されたものである。ケ〜ン氏にしてはめずらしく(?)うまい会通だと思った。

わたくしはヅラ系・如月・ケ〜ンの三氏の文章を拝見して、けっこう感ずるものがあった。創価学会員は千差万別である。いろいろな人がいる。この三人にしても、必ずしも考え方が常に一致しているわけではないだろう。
ところがこの件に関しては、足並みが揃っている。別に口裏を合わせているわけではないだろう、ようは創価学会においては教育がよく隅々まで行き届いていることを示唆しているのだと思う。
仏教史上空前の民衆立戒壇を提唱した池田氏・・・などと書くとひじょうにイヤミに聞こえるかもしれないが、今回はそのつもりはまったくない、ようするに創価学会はこの路線において一貫不変であること、すでに昭和四十年代からこれを主張し続けてきたこと、それが相当期間を経ても変質することなく、むしろ末端会員にもこの思想がよく浸透していることが三氏の文章から読み取れるのである。

小野不一氏の創価王道に、例の会談のビデオがリンクされている。第二日本テレビ報道部というサイトがあって、本日現在も例の映像が閲覧できる。しかもこれが三分四十秒という、おそらく公開されている範囲ではもっとも最長の映像なのである。

やはり庶民の王者と聴こえるのであるが、わたくしはここに修正案を提示したいと思う。

閣下、光栄です。うれしいです。うれしいです。感謝します。政治家ではなく、庶民の大勢と会って下さい。庶民が大事ですよ。

最後の、庶民が大事ですよ、が重要である。この脈絡からすれば、会って下さい、のほうが自然であろう。王者は発音が悪いだけで、大勢の意味だと解すればよりスムーズである。ただ、その前の流れからすると、ちょっとおかしい気もする。ゆえに、感謝します、のところで改行するべきなのだろう。ここで話が一区切りとなり、次の、政治家ではなく、からは別の話題に移ったのだと解釈すればいい。

もう少し詳細に分析すると、ちまたでは「庶民の王者」が一つの流行語になっているが、厳密には「庶民の、王者」なのである。池田氏は「庶民の」で一呼吸おいているのである。わたくしが計算ずくと思ったのはこのためでもある。まさか一呼吸おいて王者という言葉を選んだわけではあるまい。もしそうならば、これは一種の失言である。ゆえにわたくしは、もし王者と言っているのならば、わざと言ったのだろうとにらんでいる。しかし、そうではなくて大勢であれば、次のような事情からではないかと想像している。

閣下、あなたは政治家であるから政治家に会いに来たのだろう、だが、政治家ではなく大勢の庶民に会うべきだ、庶民こそが大事なのである。

つまり、語順からすると、大勢の庶民のほうがキレイな感じがする、ところが池田氏は大勢を抜かして「庶民の」と言ってしまった、だから一瞬だけ言葉に詰まったのである。そこで臨機応変に「庶民の大勢」と言い換えたのだろう、本当は「大勢の庶民」という予定だったのだ。

以上、創価学会員の三人の意見を踏まえて、わたくしなりの修正案を申し上げた。

池田氏の本音がどこにあるかは知らないが、ともかく庶民を大事とすることを表明しているわけである。そしてその思想が一般会員の隅々にまで浸透していることは、はからずも三氏の意見に反映されていることでわかる。創価学会が強い理由の一端を垣間見る思いである。

2007/4/22

庶民の王者  
今日はタイトルだけで終わってもいいくらいである。

流行語大賞の候補にノミネートされてもおかしくないくらい有名な言葉・・・それが庶民の王者であろう。これを今現在、グーグルで検索すると、二十万二千件からのヒットがある。数日前には二十四万件だったと記憶する。少し沈静化してきたのかもしれないが、それでもベラボウな数字である。

もしご存知の方がいれば教えてほしいと思う。ようするに、例の池田発言以前において、庶民の王者がどの程度使われていたか、である。おそらく、こんな言葉はなかったに違いない。ゼロだったかどうか知らないが、あったとしてもほんの少しだろうと思う。
実際、どのサイトを開いても、例の池田発言の話題なのである。
逆に、これをしらみつぶしに調べていけば、池田発言以外に庶民の王者が存在するかどうかがわかるだろう。もっとも、そんな面倒なことは誰もしないだろうが・・・

庶民の●●というのを、いろいろ想定してみた。一般的にはどのような用語例があるだろうか?
わたくしは庶民の財布とか庶民の娯楽などが思い浮かんだので、それを検索してみた。
財布が二千二百九十件、娯楽は三万七百件だった。イマイチである。そこで庶民の暮らしを調べてみた。八万三千六百件だった。これはなかなかである。しかし、まだ庶民の王者には勝てない。さすがは王者である。
王者に勝てる用語例はないのだろうか?
わたくしの思い浮かんだ中では、庶民の生活が最高である。今現在、二十一万件のヒットを数える。いちおう、王者よりも上である。だが、先ほど書いたように数日前には二十四万件からのヒットがあった、それが王者である。ともかく王者は強いのだ。

他に庶民の●●で、ヒット数の多い言葉をご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただきたいと思う。

さて、ここまでは余談みたいなものであるが、問題はこれからである。
池田大作氏の発言は、言語不明瞭のためにいろいろな解釈が飛び交っている。庶民の王者と会って・・・語尾が不明瞭なのである。
会って下さい、会って下さって、会って下さった・・・他にもあるかもしれないが、おおむねこんなところであろう。会って下さいでは前後の文脈からして意味不明であるとの指摘がなされている。会って下さって、会って下さった、この二つはほぼ意味が通るのであるが、そうすると池田氏は自分のことを庶民の王者であると宣言したことになる。それではマズイので、会って下さい説が出てきたのだろう。
しかし、正解がどれかは断定できかねると思う。会って下さい説も無くはないと思う。ようするに、ああいう場面での発言というのは、けっこう文脈的にはデタラメなことが多いのである。これは誰もが経験していることだと思う。いわゆる当意即妙とはそういうことであろう。筋書き通りの完璧な発言など、期待してはいけないのである。

王者というのは動かないのだろうか?

それ以外に聞こえようがない、同音の似たような言葉が見当たらないので、おそらく王者でいいのだろう。ただし、可能性としては他の言葉も無くはないと思う。庶民のオヤジとか、庶民のオッチャンとか・・・しかし、さすがにこれは冗談が過ぎるかもしれない。

王者といえば、思い出すことがある。すでに膨大なサイトが池田発言を取り上げているので、そうした中には次の文章を紹介しているところもあるに違いない。

私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である

これは昭和四十年頃に出版された本に載っているらしい。もちろん池田氏の発言である。

そんな昔から王者の自覚があったとは驚きであるが、なるほど、これが事実ならば今回の発言もそれほど驚くに値しないのかもしれない。確かに、中国の首相と並んでも貫禄負けしないだけの風格がある。場慣れしているのだろう、これまでにも著名な人物と多くの会談を行なってきた、場数を踏んでいるのだ。

うがった見方をすれば、あの発言は計算ずくだったのではないか?

今のご時世、次から次へと話題が移っていく。当たり障りのない発言をしていては注目されないし、すぐに忘れ去られていくことだろう。
ところが今回の発言は日本国民にキョウレツな印象を残しているのである。その意味では大成功だったのではないかと思う。

ゆえに計算ずくだというのである。

2007/4/21

天魔との戦いは大詰めを迎えたのか?  
今度の総幹部会は、浅井先生がどのような発言をするか、それが大いに注目されることだろう。例の中国首相と池田大作氏との会談について、どのような評価を下すか、それが興味津々である。

その意味からも、先月の総幹部会での会長講演を振り返ることは、それなりに意味のあることだと思う。以下は顕正新聞第1064号からである。

 思えば、この顕正会を潰さんとして最初に出てきたのが、法華講連合会であった。次に宗門の首脳部が、解散処分を以て顕正会の壊滅を謀った。しかし顕正会はビクともしなかった。そしていま公権力が、いよいよ動き出して来たのであります。
 相手替わって主替わらず≠ナす。連合会、宗門、公権力と相手は替わっても、背後でこれを操っているのはただ一人、それが天魔その身に入る池田大作であります。
 しかしこの池田大作も、もう滅亡の日は近い。天魔は正体が明らかになれば亡びる。大聖人様が、いつまでもお許しになることはないのです。


ずいぶんと端折りに端折った説明であるが、そのこと自体は別にそれほど悪いことではない。
顕正新聞の翌号ではこれを受けた幹部諸氏が、いつものごとくの反復運動を展開している。一例をあげれば、次のとおりである。

 先生は今回、発足以来の魔障を大観され、最初に顕正会を潰さんとした法華講連合会、次に解散処分の弾圧を加えた宗門、されに現在顕正会の壊滅を企てている公権力と、たとえ相手は替わるとも
 「背後でこれを操っているのはただ一人、それが天魔その身に入る池田大作である」
 と指摘されましたが、かっては正系門家を牛耳り、今は日本を陰から支配する天魔の正体を伺うほどに、この第六天の魔王と命かけて戦ってこられた先生の大忠誠の激闘が身に迫り、ひれ伏すばかりでありました。


なるほど大観というわけだ。

わたくしはかつて次のようなことを書いた。

http://diary.jp.aol.com/ganko/53.html

大観はけっこうであるが、この事象をどのように説明するのか、それがどうもはっきりしないように感じられるのである。
ようするに浅井先生は平成十六年の夏に、突如として宗門攻撃を開始した。それが翌年いっぱいまで続き、日顕上人の御退位をもっていちおうは終了したと考えられる。ゆえに翌々年、すなわち昨年であるが、ほとんど宗門のことには言及していない。そうこうしているうちに、今度は僣聖増上慢に絡めて池田大作氏を攻撃するに至った。それが現在の状況である。
大観するも端折るも勝手である。だが、顕正会の歴史の上で、平成十六年夏以降の激烈なる宗門攻撃はけっして見落としてはいけない事象なのである。

浅井先生の予言は外れっ放しという説がある。今度の総幹部会が注目されるのもこのためだ。

温家宝・池田会談はけっこう衝撃的だと思う。何しろ浅井先生はその直前に上掲のごとき発言をしているからである。池田は亡びの時を迎えたと。
わたくしはこれを今まで何回聞いたかわからない、昔から言っていたことである。だが、いつまで経っても池田氏は亡びない。ゆえに今回の発言もいつものパターンくらいにしか思っていなかった。
けれども今回はちょっと事情が異なる。先生の発言直後に例の会談が行なわれ、池田氏の注目度が急上昇した。天下の中国首相が日本の一民間人に会談を求めてきたというのだ。池田氏側にしてみれば、意気揚々たるものだろう。とても亡びるどころの話ではない。

こうして見ると、またしても先生の予言は外れてしまったことになるだろう。これをどのように説明するのか・・・おそらくこの話題を避けるわけにはいかないだろう、必ず何かしらの言及をするに違いない。今度の総幹部会が注目されるゆえんである。


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