2007/6/30

独白者の伝言  
わだっち氏には、連日にわたってのご指導・ご鞭撻、まことにありがたく思うものであります。

しかしながら、

信徒が開眼供養を行う場合もある

これには驚きました。特例とはお書きになっておられるものの、では、そのような事例が過去にあったのか、不勉強のわたくしはまったく存じませんので、もし何か具体例があればご教示たまわりたく思います。

わたくしごときが言うと叱られるかもしれませんが、開眼は大聖人御一人の専権事項ではないのかと思います。では、大聖人御入滅後においてはどうするのかと言えば、それは歴代の御法主上人があそばすところなのでしょう。適切かどうかわかりませんが、いわば大聖人の名代が御歴代の猊下であられるわけです。
ですから、信徒が開眼を行なうというのはさすがに違うのではないか・・・という気がします。
ただし、双方向性という意味では、信徒の要請があってこその開眼なのでしょうから、まさに、よき師とよき檀那との関係性を分離するわけにはまいらないと思います。ですから開眼供養とは、開眼(師)供養(檀那)ということなのかもしれません。

以上、エラそうなことを書きまして、失礼しました。


沖浦耕治氏からコメントを頂戴しました。わたくしごとき一観戦者にお声を掛けてくださり、まことにありがたく存じます。

ところで、この際ですからお父君に伝言をお願いしたいと思います。

勝った、勝ったと、あまり大騒ぎしないほうがよろしい。勝敗は視聴者が判断すればいいことであって、当事者が言うのは本筋ではない。ゆえに見苦しい。
もし本当に勝ったと思っておられるならば、あまり自分からは言わないほうがカッコよく見える。世間でも、カッテカブトノオヲシメヨ、というくらいである。

失礼ながら、わたくしの思うところを正直に書かせていただきました。


今日はこれでやめておこう。明日は引き続き開眼について書くつもり・・・けっこう凝り性というか、まだ書きたいことが残っているのである。

2007/6/29

自主開眼論の是非  
このところ、わだわたコンビからW攻撃を受けているが、それは当然といえば当然のことである。何しろ開眼不要論を書いてしまっているのだから、法華講側から反論がなければおかしいのである。この護法の精神みなぎる反応の素早さを、創価学会員は大いに見習わないといけない。

さて、昨日の文末は疑問形で終わらせた。つまり、わたくしは本心から開眼の不必要を唱えているわけではなく、開眼は必要なのではないか、というのが基本的な考え方なのである。おそらくは創価学会員の中にも、さすがに開眼を否定するのはどうかという考えの人がいることだろう。実際に、今般の法論で山下氏が指摘しているように、さまざまの見解があるようだ。

その一つが自主開眼論とも言うべきものである。

これは御本尊を受持している本人が開眼をするのだという。といっても特別な儀式があるわけではなく、自分がお題目を唱えることによって御本尊が開眼されるのだという。
なかなかスゴイことを考えるものであるが、はたして根拠はあるのだろうか?
確かにどれほど立派な御本尊であっても拝む人がいなければ意味がない。ゆえに多くの人が熱心に拝んでいる御本尊には・・・逆説的ではあるが、多くの人の情熱が本尊に注ぎ込まれていくような感じがしないでもない。だが、それはきわめて情緒的なことであって、法義的には首肯しがたいところである。少なくとも、まずは御書からその根拠を示さないといけないだろう。

昨日、法蓮抄を引用させていただいた。実はここに、自主開眼論の裏付けとも思われる御指南が存するのである。

何に況んや読誦なんど申すは無量無辺の功徳・・・唯仏与仏乃能究尽なるべし

ちなみに昨日の引用範囲の冒頭には、慈父閉眼とある。ここでの閉眼は永眠ないし他界くらいの意味であるが、それにしても示唆的ではないか?
つまり、単純化すれば法蓮上人の読誦の功徳によって閉眼から開眼へと転換する、それが御文の指し示すところである。もちろん父親が生き返るわけではない。意味合いとしては故聖霊が仏界へと導かれるのだ。
かくも読誦の功徳はデカイのである。あらゆるものが仏界化していく。創価学会員が、御本尊は受持者の題目によって開眼されるのだ、というのも一理あるのかもしれない。

だが、しかし、わたくしはこれを間違いだと思う。

法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば・・・

はたして一信徒が法華を心得たる人なのかといえば、それは違うだろう。

おそらく創価学会員は木絵二像開眼の事の当該御文を、曼荼羅本尊の開眼とは別であると主張することだろう。だったら本尊抄の結文はどうであろうか?

一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし・・・

これもまた開眼とは別次元であると言うかもしれない。
だが、そんな瑣末な議論は必要ないのだ。ただ、われわれが一念三千を識る者なのか識らざる者なのか、それだけの話なのである。こうして見ると、さすがに開眼は無理だろう、と思わざるを得ないのであるが、いかがであろうか?

ただし、参考意見として、双方向性という考え方はあながち否定できないことを表明しておこう。おそらくこれだけでは意味不明に違いないが、ともかく一方通行よりは魅力的である。

2007/6/28

烏竜・遺竜の故事と開眼不要論  
ひじょうに忙しいことになってきた。先日、六月度総幹部会が行なわれ、そこで何やら浅井先生から新しい発表があったようである。また、ネット上ではニシケン氏の話題が衝撃的であり、顕正会にとっては大事件とも言い得るほどの内容である。

そして昨日の拙稿については、法華講の二氏よりコメントがあった。これが一つは三宝論とも言うべきもので、もう一つは何と言うのだろう・・・うまく表現できないのでそのまま紹介しよう。

法勝人劣・人勝法劣・人法体一、左記の三つの法門を御存知であろうか。(以下省略)

実はこれ、わたくしにとっての懸案事項であり、けっこう長いこと考え続けているのであるが、うまく整理がつかないのであまり触れないようにしているのである。いちおう現時点の考えを書いてもそれなりに面白いだろう。もしかしたら近日中に書くかもしれない。だが、最近はうるさい人が多いので、ひじょうに書きにくいのだ。困ったものである。

さて、昨日はわたくしなりの開眼不要論を書いた。今日はその補強材料を以下に紹介したい。

彼の諷誦に云はく「慈父閉眼の朝より第十三年の忌辰に至るまで釈迦如来の御前に於て自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す」等云云。

(中略)

是は書写の功徳なり。五種法師の中には書写は最下の功徳なり。何に況んや読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり。今の施主十三年の間、毎朝読誦せらるゝ自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし。

これは法蓮抄の一段である。

そもそも大聖人の御指南を補強材料などと表現するのはケシカランではないかと言われそうだが、ようするにこの段には開眼のことが説かれているわけではないので、直接的には開眼の文証とはならないという教条的な批判があるかもしれない、その意味ではいわゆる傍証ということになるだろう・・・といったニュアンスでご理解願いたい。

で、あまり長い引用になるといけないので、中略にしてしまったけれども、そこがひじょうに大事なところなのである。ぜひとも面倒がらずに拝読されたいと思う。

今、端折って説明するならば、次のごとくなるだろうか・・・

中国に烏竜という有名な書家がいた。この人は法華経が大嫌いで、絶対に法華経を書くことはなかった。そして息子の遺竜にも法華経を書くなと遺言して死んでいった。烏竜は法華誹謗の罪で無間地獄に堕ちた。
息子の遺竜もまた漢土第一の能書として名を轟かせていた。それが時の王、司馬氏の耳に入った。遺竜に法華経の書写が命じられた。だが、父の遺言を理由に断った。すると、これは王命である、題目だけでもよいから書くべし、さもなくば頸を刎ねん、と司馬氏は迫った。
遺竜は仕方なく、いやいやながら題目を書いた。それがなんと、いやいや書いた題目の一文字一文字が仏と変じて、無間地獄に堕ちた父を救った・・・というのである。

上掲引用文の、是は書写の功徳なり、というのは今わたくしが略して説明した部分の結論であり、書写よりも読誦はもっとすごい功徳があるのだ、というのが大聖人の御指南あそばすところである。これは沖浦耕治氏の読誦論ともリンクしてくるところだが、わたくしがここで言わんとしていることはそれではない。
つまり、信心のまったくない遺竜の、それも王から命じられて、イヤイヤ書いた法華経の題目が、無間地獄の父を救うほどの力を発揮したのである。これこそは開眼不要論の有力な文証ではないか、ということなのだ。

いちおうプロ意識ということはあるだろう。イヤイヤ書いたといっても、仕事を請け負った以上は最善を尽くすものだと思う。それがプロというものだ。ゆえに遺竜が書いた題目はさぞ素晴らしいものだったろうと想像する。

だったら御本尊もまた、一流の書家に書かせればいいではないか、ということになりそうだが・・・

はたしてそれでいいのだろうか?

2007/6/27

開眼不要論の一例  
結論から書こう、今日は開眼不要論である。

造像容認御書があって、それに拍車を掛けるがごとく、仏像開眼御書がある。これをどう会通するのか、それを創価学会員に問うた。
しかし、わたくしとて曼荼羅正意の立場にいるわけだから、まったく同じ問題をかかえているのである。人にばかり問題を突きつけておいて自分が答えを示さないのはマズイだろうから、ここにわたくしなりの会通の仕方を書いておこうと思う。おそらくは誰もが知っているような初歩的な会通である。

大聖人は善巧方便として造像容認を御指南されている。しかし、木絵二像開眼の事をよくよく拝するならば、造像を否定あそばしていることが浮かび上がってくる。実は造像に拍車を掛けているのではなく、ブレーキを掛けているのだ。

まず、建治三年の乗明聖人御返事から拝してみよう。

昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是なり。今乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり此は経なり。経は師なり仏は弟子なり。

夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。

仏像よりも法華経の優位を示す明快なる御指南である。

ちなみに、建治元年にはもっとスゴイ御書があるのだ。次の御衣並単衣御書がそれである。

「応化は真仏に非ず」と申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。

ようするにこれは、実在の仏よりも法華経の文字のほうが本当の仏だというのである。もはや仏像どころの話ではないだろう。

すでに話は見えている。木絵二像開眼の事については、一々の御文を挙げないけれども、しょせん仏像は法華経を添えないことには欠陥品であって、仏たり得ないという御指南なのである。だったら仏像なんて必要ないではないか、法華経があればいいではないか、という結論になってもけっして不思議ではないだろう。

法華経はそのままで仏なのである。

さて、この法華経であるが、わたくしの拝する限り、大聖人は法華経の経巻を開眼するようなことはなさらなかったと思う。開眼も何も必要ない、すでに最初から法華経=仏ということではなかったか?

もしそうであれば、曼荼羅本尊すなわち大聖人の御文字御本尊もまた、同様のことが言えるのではないか・・・というのが今日の結論である。

2007/6/26

開眼の要不要についての考察  
渡辺雄二氏より丁重なるご挨拶をたまわりました。また、他の方々からも種々のコメントを頂戴しました。しかしながら、当ブログはご存知のように独白を基本としておりますので、まことに勝手ながら一々のご挨拶は省略させていただきます。

・・・いつものパターンではある。

コメント欄が賑わってくると対応し切れなくなる。別に無視しているつもりはないので、気分を悪くされないように願いたい。その意味ではコメントが少ない時期を見計らって、コメントを下されば、それなりに対応できるかもしれない。しかし、あくまでこちらの気分次第であることをお断りしておく。

お暇庵氏のコメントは見逃せない。何しろ今の話題に即応しているからである。氏のいわく、御書をよく拝すれば御本尊の開眼のことがちゃんと出ている、と。
これは重大発言である。もしこれが事実ならば、創価学会員を一撃で片付けることができるのだから、苦労はないのである。
不勉強のわたくしにはそれがどの御書なのか、さっぱり見当がつかないけれども、おそらくは解釈の仕方によって違ってくるのだろう。たぶん創価学会員は、その御書を見せられても、そうは読めない、といった返答をしてくると思われる。
いずれにしてもお暇庵氏には、ぜひともその御文を提示していただきたいところである。

昨日の拙稿について、わたくしは創価学会員からのコメントを期待していた。

ようするに創価学会は造像主義ではないはずである、だったら木絵二像開眼の事をどのように解釈するのか、それが課題としてあるのではないか、とわたくしは思っている。
大聖人には造像容認の御指南がある、さらに開眼の御指南もある、これをそのまま受け止めれば、もはや善巧方便というレベルを超えてしまっているとしか言い様がないのではないか? 繰り返すが、二三の御書に造像がある、それだけならば方便かもしれない、だが、わざわざ開眼のことまで御指南になられているのである、もうこうなると方便ではなく真実なのではないか・・・ということにならないか?
詮ずるところ、創価学会の教義は日蓮正宗の教義に依憑しているのであって、御書根本をうたってはいても御書だけで教義のすべてを説明することは不可能なのである。そもそもが創立よりおよそ半世紀ほどの期間は日蓮正宗の信徒団体だったのだから、それは当然過ぎることなのだが・・・

法華講側が御本尊開眼の文証として挙げたのは、木絵二像開眼の事・草木成仏口決・四条金吾釈迦仏供養事の三つだったろうか・・・

わたくしは次の撰時抄の御文も参考にすべきと思う。

但し印真言なくば木画の像の開眼の事此又をこの事なり。真言のなかりし已前には木画の像の開眼はなかりしか。天竺・漢土・日本には真言宗已前の木画の像は或は行き、或は説法し、或は御物言あり。印真言をもて仏を供養せしよりこのかた利生もかたがた失せたるなり。

どうやら創価学会員は、大聖人が開眼について論ずるのはおもに真言破折の意味においてである、と言っているらしい。もちろん、それは間違っていない、真言を破折あそばしているのは事実である。だが、上掲御書をその筋だけで拝すると、真言以外の開眼を認めてしまうことにもなりかねないのである。

ここで昨日わたくしが書いた文章を思い出してほしい。

仏教において開眼というのはきわめて常識的なことかもしれない、大聖人もそのように御考えでいらしたかもしれない

わたくしがこのように書いたのは、まさしく撰時抄の御文を想定してのことである。

真言のなかりし已前には木画の像の開眼はなかりしか

これをもって、ただちに曼荼羅本尊の開眼に結びつけることはできないが、少なくとも開眼の必要性を示唆している御文であることは間違いないだろう。
逆に、余経も法華経もせん無し、とか、戒定の二法を制止して云々、といった御文が開眼に関して存在するならば、確かに不要論としての決定打となるだろう。だが、わたくしの拝する範囲では、そうした御指南は見当たらないのである。

2007/6/25

沖浦・樋田法論 観戦記  
まず、今回の法論の名称は、とりあえず樋田氏のサイトに出ている表記に従った。今のところ、樋田氏のほうでは細切れの映像しか発表していないが、沖浦氏側の映像はすでに全編公開されているので拝見させてもらった。

いろいろ書きたいことが山ほどある。整理がつかないけれども、ともかく思いつくままに書いてみよう。

いちばん印象に残ったのは、最後のほうで法華講側のご婦人が発した言葉だった。いわく、情けない、と。
どういう意味かと言えば、創価学会側の言い分を聞いていて明らかに過去の主張とは変わってきていることがわかった、昔の創価学会はそうじゃなかった、変節したのだ、情けない・・・というようなことだったと思う。これ自体はすでに言い古されたことであって別に新鮮さはないのだけれども、その人の声音がひじょうに印象的というか迫力があった、ぶっちゃけ言えばドスが利いているように聴こえたのである。

この声音・・・コワネということがけっこう重要な意味を持っている。

もしかしたら、じゃっかん不公平のところがあるかもしれないが、沖浦氏はしゃべり方で負けてしまっていたような気がする。早い話がひじょうに聴き取りにくいのである。発言量はけっこう多かったと思う。しかし、やや早口でもあり、何を言っているのか、理解しづらかった。
一方の樋田氏はひじょうにしゃべりがうまい。常に自分の中にもう一人の自分がいて、自分の発言をチェックしているような冷静さがある。ゆえに、しゃべっていて何度も言い直す場面があるけど、ようするにそれは聴き取りにくいと自分で判断した場合に言い直しているわけであって、視聴者にはひじょうに良心的である。いわゆる噛んで含めるという形容がぴったりのしゃべり方だと思う。
ちなみに不公平というのは、すでに樋田氏の声色は聴き慣れている、これまでにもビデオをいくつも公開しているから何度も聴いている、それで耳に馴染んでいる意味があるから不公平かもしれないと書いたのである。

いずれにしても、問題はしゃべり方ではなく、その中身である。

沖浦耕治氏がいわゆる読誦を読・誦にわけて論じているのが印象的だった。これはある意味、顕正会における遙拝勤行に通ずるものがあると感じたのである。顕正会では御本尊の御前での勤行も、遙拝勤行も、功徳においてまったく同じであると説く。
耕治氏は読も誦も同じ功徳である、ゆえに開眼の必要性を認めない、というようなことを言っていたように思うが、ここはやや短絡的というか、開眼の要不要とは直接的には関係ないので論拠として弱い、という樋田氏の反論があった。また、法華講のもう一人の論者である山下氏は、だったら誦だけでいいではないか、無理して御本尊を下付することはないではないか、という意味のことを言っていたと思う。

ようするに、そもそも創価学会が日寛上人の御本尊を用いる必然性はどこにもないではないか、という根本問題がある。そこで読・誦がまったく同じ功徳だと言うならば誦だけにするべきだ、そうすれば他人様すなわち大石寺の歴代上人の御本尊を用いずに済むので、なんやかんや文句を言われる筋合いもなくなる、という意味なのだろう。

いずれにしても読・誦のたてわけは、顕正会員にとってひじょうに示唆的である。遙拝勤行に徹するならば、顕正会における本尊疑惑は起こり得なかったからである。

ところで開眼の必要性であるが、法華講側の論証はあれがほぼ最善なのだろう。完全に論証し切れているのかどうか、それは難しいところであるが、逆に創価学会側にも同様の課題が残されているはずである。すなわち、創価学会側には開眼を不要であるとすることの証明が課せられているのではないか? ところが、どういうわけか今回は、それがまったく追及されなかった。

わたくしの思うに、仏教において開眼というのはきわめて常識的なことかもしれない、大聖人もそのように御考えでいらしたかもしれない、のである。
耕治氏は、開眼がそれほど重要ならば御書にもっと多く出てくるはずである、という意味のことを言っていたけれども、逆の考え方も必要だろう。仏教においては常識中の常識なるがゆえに、あえて詳しく書く必要がなかった、という可能性も考えておくべきだ。
また、木絵二像開眼の事という御書の存在意義も、創価学会側には説明義務があるに違いない。これは法華講側が再三言っていたことだが、沖浦氏はまったく答えていない。ようするに、曼荼羅正意の上からどのように拝するべきか、なのである。別の言い方をすれば、いわゆる造像を認めない立場である、だったらこの御書にはいったい何の意味があるのか、という問題があるのだ。

もっとわかり易く書こう。

大聖人には造像容認の御指南がある。これをそのまま受け取れば、木絵二像開眼の事における御指南は、まさに字句どおりの仏像開眼を意味していることになってしまうのである。

さて、どうする?

いちおう、今日はここまで。


六月二十七日追記:上記本文中、法論についての記述に不正確な部分があった。「短絡的」ないし「論拠として弱い、という樋田氏の反論」云々はわたくしの思い込みで書いてしまった面が強い。詳しくはそれぞれがビデオを見て確認されたいと思うが、ここで少しく書くならば、沖浦親子に意見の不整合があってそこをすかさず樋田氏が突いた、耕治氏はすぐに応答した、しかし今度は自分が冒頭に主張した読誦功徳斉等論と矛盾をきたすことになってしまった・・・という流れである。

2007/6/24

顕正新聞第1071号からの話題  
芳春のどよめき

う〜ん、なんだろう? 不思議な言語感覚である。この辺に瑠璃堂氏の抜群のセンスが出ていると思う。なかなかマネのできることではない。

さて、今日は顕正新聞第1071号から気になった文章をいくつか紹介する。

 そこにいかなる宿縁か、広布前夜に大聖人様、浅井先生の弟子となり得、

これがひじょうに悩ましい。どうしてこういうことを書くものかと思う。ようするに、大聖人=浅井先生という誤解を生じかねない危険性があるから、本来ならば避けたほうが無難なのである。そんなことは第二婦人部長ともなれば、重々承知しているはずであるが、それとも気がつかないものなのであろうか?

次は壮年部総班長の登壇である。

 ●●●さんは日本料理会ではトップクラスの料理人で、始めて折伏して入信させたのが「料理の鉄人」で有名になった道場六三郎でした。

昔から、いわゆるクチコミではこの手の話がわんさかあったけれども、まさかこうして顕正新聞に出るとは思わなかった。本人がちゃんと今でも信心を続けていれば大したものであるが、はたして実際はどうであろうか?
ようするにこれは、顕正会の折伏がデタラメであることの証明にもなりかねない意味があるのだ。

次は婦人部班長の発表である。

 そしてたいへん驚き感激したのは、コインランドリーを自営している婦人が足立区の●●寺という邪宗・日蓮宗の檀家で、去年寺に行ったとき、お線香や供花を売っている窓口の所に諫暁書が自由に持って行って下さい≠ニいう感じで何冊も重ねて置いてあったので貰ってきた、と見せてくれたのです。自分で読んだ後もコインランドリーの待合所に置いてあるそうで「邪宗・日蓮宗の者までも多くの人に読ませたくなったのだ…凄い!」と諫暁書の威力に大感激で「広宣流布は近い!」との確信が湧き上がりました。

いったい何がどのようにスゴイのか、本当に広宣流布は近いのか、わたくしには理解できなかった。
半年ほど前に謗法払いのことが話題になった。顕正会では謗法にはうるさい、きわめて潔癖である。逆に日蓮宗では謗法に寛容なのである。つまり、顕正会を認めているわけではなくて、彼らからすれば顕正会こそが謗法なのだろうけれども、ただちに処分しないといけないという潔癖さはないのだと思う。そして単に諫暁書が余っていたから置いてあったのだろう。
かつて下野正信氏は諫暁書を廃品回収に出すなどと書いていたけれども、諫暁書には創価学会の批判などもたくさん出てくるので、日蓮宗にしてみれば部分的には活用できるという側面もあったに違いない。ゆえに捨ててしまうのはモッタイナイので、欲しい人はご自由にどうぞ、ということだったのだと思われる。

次は九州婦人部集会の模様を紹介する記事の一節である。

父の暴力は尋常ではなく、兄との喧嘩では父親がナイフを振り回わしたが、お題目を叫ぶと一瞬で父親の形相が戻り、御本尊様のお力を確信した。

お題目を叫ぶ?

けっこうウケ狙いというか、顕正会ではこうした誇張表現に類するものが昔からあるけれども、あまりにもふざけ過ぎているものは新聞に載せなかったはずである。

はたして第三者がこれをどのように感じるか、そこがひじょうに気になるところだ。

2007/6/23

ダイソウカイという響き  
五十周年記念幹部会の会場が変更になった。

これについて、茶寮掲示板にはさまざまの憶測が書かれているが、平均するとどうもピントの外れた書き込みばかりが目立つ。そうした中で、比較的に鋭いところを突いている文章があるので、紹介しておこう。

東京ドームで5万5千人以上の大集会を開催してもらいたいです。
班長以上ではなく、大事な大会なら参加したい会員のために是非ドーム球場を埋め尽くす大会を希望。


これは当ブログにもコメントを下さる山門入り口氏の文章であるが、大集会というのが惜しいところである。
それから、もう一つ注目したい文章がある。

五十周年がそんなに大事ならドームで総会やればいいのにね。

これは銀塊という方が茶寮の二階に書かれたものである。

もしかしたら現在の顕正会では半ば死語化しているのかもしれないが、大総会という表記こそ、顕正会員にとっては特別の響きを有する言葉だったはずである。
昭和の後期には、いわゆる武道館大総会があった。これは一万人規模の集会であり、当時の顕正会にしてみれば、たいへんな大結集だったわけである。そして平成に突入してからは横浜アリーナ大総会が行なわれ、これは二万人規模だった。正確な数字かどうかは別にして、ともかく顕正会には倍増の勢いがあった。
つまり、もし顕正会が順調に躍進を続けていれば、今頃は五万人規模の大総会が行われていても不思議ではなかったのである。

確か平成七年に大総会があった。この時は横浜アリーナに三万人が集まったと言われている。そしてこれ以降、大総会はまったく行なわれていない。
いわく、顕正会では重要な節目にだけ総会を開く、と。
よって、大総会はおろか総会に類する行事はここ十年以上、行なわれていないはずである。

で、皆さんがよくご存知のように、本当は百万達成のあかつきに五万人規模の大総会を開催する予定だったのである。しかし、できなかった。おそらく人数が集まらないからであろう。
すると今後はいったい、いつになったら大総会が行なわれるのだろうか?
今まさに五十周年の佳節であれば、本年こそが大総会にふさわしい節目ではなかったか?
ようするに大総会ともなれば、過去の実績からしても、また、言行一致の意味でも、最低でも五万人規模の結集をしないといけない。しかし、いまだにそこまでの実力が具わっていない、それが顕正会の実態なのである。

今一度、繰り返そう。

古い会員は誰しも大総会という響きに特別の思い入れがある。五十周年という大きな節目にそれが行なわれずして、いったいいつの日にか行なわれるであろうか?
会場が横浜国際会議場から長野のエムウェーブに変更になったのは、一見すると広い会場に変わったわけだから景気のよい話に感じられるけれども、現実には顕正会の実態を糊塗する詐術に他ならないのである。

さすがに言い過ぎかな?

少なくとも五万人規模の大総会を開催するレベルに達していないことは間違いないであろう。

2007/6/22

コンビニエンス・ブログ  
BIN氏には丁重なるご挨拶をたまわりました。
しばらく厄介になるとのことですが、拙ブログは年中無休・二十四時間営業でして、入退場に関しては制限を設けておりませんので、ご自由にお気の向くまま利用していただければ、幸いに存じます。なお、店主は無愛想を決め込んで、たとえ来客があっても応対しない場合がありますので、あらかじめご承知願います。
以下はいつも通りの文体で書かせていただきます。

過去の投稿分にコメントが寄せられるのは、けっこう嬉しいことなのである。なぜならば、それだけよく読んで下さっている証拠に他ならないからだ。

わたくしがインターネットを利用するようになってから、かれこれ五年ほど経過すると思うが、最初の頃はいろいろと戸惑いがあった。どんな分野でも最初は戸惑いがある。それは当然のことだが、特にわたくしが違和感を懐いたのは掲示板などの配列が逆になっていることだった。つまり、最新順になっている。いや、もちろん、古い順になっている掲示板もある。だが、大半は新しい順に並んでいる。ブログにしてもそうである。これがわたくしには違和感があった。
今でも違和感がある。何しろ文章というのは上から下に読んでいくものである。実際、今書いているこの文章にしても上から下に書かれている。これをブログに載せる。すると、いちばん上に掲載される。
つまり、一回の投稿分そのものは上から下に読んでいくわけだが、過去から現在への全体の流れとしては下から上に読んでいかないといけないのだ。この不整合に違和感がある。

しかし、最新投稿をいちばん最初に持ってくることは、ひじょうにインパクトのあることではある。また、常連さんにとっても、そのほうが便利である。ゆえに、わたくしは何もこの順列をどうにかしたいと思っているわけではないのだ。

実は別のことが言いたかったのである。それは・・・過去の投稿が埋没していくという現実である。

そもそも書籍などでも同様の問題があって、書店では新刊本が出来すればそれが店頭に並べられる。古い本と入れ替えられていく。ようは本屋さんにしても商売だから、常に旬のものを用意して、お客の購買意欲を煽るわけである。
しかし、必ずしも店頭に並んでいる書物が最上級のものであるとは限らない。過去にはそれよりも遥かにすぐれた本がたくさん存在するのだ。もちろん、ロングセラーとして読み継がれているものも多くあるけれども、すでに絶版になってしまっているものも少なくないはずである。

いわんや、インターネットにおいてをや、である。

毎日、どこかしこでブログがつづられ、また、掲示板などにおいても膨大な投稿がなされている。これらはいったい、どれほどの価値を有するであろうか? 実質的には無価値なのではあるまいか?
ともかく新しい投稿があれば、それに押されて過去の投稿は埋没していく。無数の新規投稿の裏には、無数の埋没してゆく古い投稿が隠されているのである。

ここまではインターネットの全体を俯瞰したつもりであるが、今度は自分のブログに目を向けると・・・

ようするに、自分で自分を埋没させているのである。新しい文章を生み出すたびに、古い文章を殺していくような・・・いやいや、これは悲観的過ぎる。しかし、一面の真理ではあるだろう。
そういうような意味から、過去の投稿分にコメントが入ることはひじょうに嬉しいことであり、けっして迷惑だということはないのである。
むしろ常連の人は過去の投稿をほとんど読み返すことはないだろう。ともかく毎日更新しているので、おそらくは「巌虎の野郎、今日はどんなことを書いているか、ちょっくら見てみるか」みたいな感じで閲覧している人が多いのではないかと思う。それはそれで、ありがたいことではあるのだが・・・

最後に、BIN氏に注文をつけておくと、どうやら法華講員への反論などを書くつもりでいるようだが、それとは別にわたくしへの批判などがあれば遠慮せずに書いていただきたいと思う。当然ながら、わたくしの主張が常に正しいわけではないし、むしろデタラメなことをたくさん書いているのではないかと自分で心配しているくらいなのである。そこにメスを入れられることは痛くて痛からずであって、ひじょうに貴重なことなのだ。

これを書くと誤解を生じるかもしれないが、わたくしは正統派顕正会員からコテンパンにやっつけられることを夢見ているのである。

2007/6/21

被洗脳者の独白  
面白くなってきましたね〜!

(中略)

多数の文献や資料などから様々な分析などを公開されている巌虎さんですら、洗脳の影響が現れているのです。まず、これは素直に認めてください。
それに気付いたら、正常な思考に戻れる瞬間です。
再度、洗脳にはまるか、一般的な思考を取り戻して
正常な思考に戻るか?は、本人の心がけ次第です。


昨日の拙稿については、種々のコメントを頂戴しているわけだが、ひじょうにデリケートな問題を含んでいることでもあるので、これ以上の発言は控えさせていただきたいと思う。

さて、そこで今日は目先を変えて、顕正新聞から話題を拾ってみることにする。

 顕正会が第二の五十年に突入する大事な本年、先般の「兵衛志殿御返事」に続いて「聖人等御返事」の重大講演を頂き、あと十有余年を戦う重要な指針と心し、一文一句を命に刻まんと真剣に拝読を重ねてまいりました。

これは第1070号に載る女子部幹部の記事であるが、五月度総幹部会にて上記のごとく発言したものらしい。

いい度胸をしているではないか?

かつて浅井先生は、あと二十五年ということを発言しており、なんと本年がその二十五年後に相当するらしいのである。ゆえに予言が外れただの何だのと、批判勢力からツッコミが入れられているわけである。
しかし、わたくしの思うに、多少の延期は許されるのではないか? 実際、顕正会ではその後、確実にカウントダウンしてきたのである。あと二十年・・・あと十五年・・・あと十有余年と。ところがここで渋滞してしまって、一向に進まなくなった。はたして十年を切るのはいつのことだろうか? ともかく先生が十年を切る発言をしない限り、会員が先生を差し置いて発言するわけにも行かないだろうから、どうやら十年未満に突入することは当分ない・・・いや、むしろ永遠にないとするほうが妥当だろうか?

わたくしは、もし顕正会が存続をはかるとしたら、もはやこの手法は使えないのではないかと思っている。ゆえに、徐々に「あと何年」という表現を減らしていって、いずれはまったく言わなくなることもあり得るのではないかと想像している。

顕正会批判者が注目すべき点は、こうした発言の下限がいつになるか、ということだろう。現時点においては、先の女子部幹部の発言が下限である。だが、次の総幹部会でも誰かが「あと十有余年」を言うかもしれないし、その後にも使われるかもしれない。つまり、下限というものは現時点においては必ずしも確定事項ではなく、時間の経過を見ないことには確定しないものなのである。

ちなみに、くだんの女子部幹部は今後も言い続けるかもしれない。というのは、おそらくは多くの女子部員に向かって、さんざん「あと十有余年」を強調してきたのだろう。その筋を通す意味では、あくまでそれを言い続けないといけない・・・本当はさらに数字が縮まっていかないといけないのだが、それは無理だとしても、ともかく自分の発言に責任を持つ意味ではたとえ顕正会の中では誰も「あと十有余年」を言わなくなっても自分だけは言い続ける・・・という考え方はあると思う。だとしたら、いい度胸である。今後も大いに注目したいところだ。

今は第二の五十年という言葉がよく使われている。しかし、この言葉自体はある意味、期間限定的なものだと思われる。
考えてもみよ、来年も再来年も第二の五十年を言い続けていたら、おかしいではないか?
本年はいわゆる五十周年の区切りであるから、その意味から第二の五十年を連発しているのであって、それをいつまでも言い続けていたら、かえって興ざめしてしまうことだろう。ゆえに、せいぜい来年の前半くらいまではそれを使用したとしても、その後はまた別のスローガンを掲げないことには士気の高揚は望めないものと思う。
もっとも顕正会の首脳部にしてみれば、こんなことは百も承知のことであろうが・・・

さて、最後にオマケを書いておこう。

創価学会の国立戒壇主張は、いつが最後だろうか?

わたくしの知る範囲では昭和三十九年が下限である。
だが、しかし、ここで再確認するべきことがある。ようするに、昭和三十九年の時点ではいまだ確定事項ではなかったのだ。先刻書いたとおり、下限というものは相当期間を経なければ確定しないことなのである。

浅井先生の諫暁にタイムラグがあるのは、致し方のないことであろう。


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