2007/7/16

広布の布陣と伽藍の配置の相関関係  
わだっち氏に追加情報を申し上げると、実は顕正会で日達上人を呼び捨てにしたのは昨年の十一月が最初ではなく、それよりも数年さかのぼることができる。ただし、それは浅井先生の発言ではなく、城衛男子部長の発言である。面倒臭いので調べていないが、おそらくは顕正新聞を三年分ほど調べれば、どこかにそれが書かれていることだろう。

沖浦氏からは引き続き精力的なコメントが寄せられているが、内容が多岐にわたるために当方としては対応が難しくなっている。そこでさしあたって一点だけ書いておこうと思う。

六万坊の問題であるが、氏はまたしても斬新なことを書いておられる。ようするに、創価学会の座談会場こそが現代における六万坊である、ということらしい。これは沖浦氏ならではの斬新さであろう、他の創価学会員にはなかなか書けない発想である。

この発想自体はそれほど悪くないと思う。
六万坊は六万恒河沙との関連で捉えるべきものだろうから、特定地域にこじんまりと建つべきものではなく、イメージとしては周辺地域への広がりがあって然るべきである。ゆえに全国に点在するその座談会場とやらが六万箇所あるというならば、それは不思議な符合かもしれない。
しかし、六万という数字にはさしたる意味はないということも、いちおう付言しておこう。そもそも六万恒河沙というのは六万×恒河沙であるから、ほとんど無数の意味に近いのだと思う。

問題はそんなことではない。わたくしは重要な点が二つあると思っている。

まず一点目は、はたして創価学会は地涌の流類なのか、ということである。
法華講員がしばしば言っているように、邪教の徒がいくら増えたってそれは広宣流布ではないのである。その意味では創価学会の座談会場がたまたま六万箇所あったとしても、それはたまたまの符合であって地涌の流類とはまったく関係がない、という理屈にもなる。
いや、もちろん、何もわたくしは創価学会を邪教であると決め付けて言っているわけではないのだ。そもそも六万坊伝説は文字どおり伝説であって、御書には示されていない事柄なのである。それにもかかわらず沖浦氏は、私見であると断りつつも、これを用いて創価学会の正義を言わんとしているわけなのだ。
先般の法論では、歴代上人などの文献は使用しないと言っていた。それは法論の時だけでなく、氏の常の主張でもあるはずなのだ。ゆえに氏がここで六万坊に私見を述べることは、チグハグな印象を与える以外のナニモノでもないだろう。

二つ目の問題点は、もし六万坊を論ずるのであれば、その中心はどこなのか、である。
おそらく以前の創価学会であれば、それを正本堂に求めたことであろう。大坊棟札には三堂並びに六万坊とある。先に書いたように六万坊は広がりを意味するものだから、それを全国津々浦々の座談会場に求めてもいいだろう。しかし、中心となるべき場所をどこに求めるかが問題なのである。大坊棟札には三堂とある。とりわけ三堂の内では戒壇堂が中心となるべきはずで、かつてはそれを正本堂であると主張していたはずなのである。
さあ、困った。もはや今となっては正本堂は存在しないし、さりとて奉安堂だとは言いたくないし、まさか信濃町だとか八王子だとかは言えないだろう。

繰り返しになるが、そもそも沖浦氏が六万坊伝説に口をさしはさむこと自体がおかしな話だった、というのが今回の結論である。

ところで、先般の会長講演であるが・・・

この土地の購入により、本部の敷地面積は合計約二千五〇〇坪となりました。この広大な敷地の中に、東側から本部会館、その隣に新青年会館、そして芙蓉茶寮の施設が建ち並び、理想的な配置となる。まさに広宣流布を進める本陣の態勢が、ここに整うわけであります。

広宣流布を進めるための本陣とは断っているものの、その前の部分が気になった。理想的な配置と書いてあるのが、何となく伽藍の配置みたいに思えてならないのである。


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