2007/7/25

レベル低下の事例  
種々のコメントをたまわっているが、今日のところは顕正新聞第1074号から話題を拾うので、ご挨拶は抜きとさせていただきたい。

部長・副部長合同会議

顕正新聞の第一面下段に、上掲のごとき大見出しが躍っている。おそらくこの名称での会議は初めてだろう。新聞には会議中の写真が掲載されていて、そこには出席者全員が写っている。これが現在の顕正会における最高幹部の面々である。

参加資格は班長以上であるが、たとえ組長であっても、班長と同じ信心、同じ決意に立っている人ならば、参加してよい。現在、顕正会の班長総数は一万二千人。私は信心つよき組長もこれに加わり、会場収容能力限界の三万人の記念幹部大会を開催したいと思っている。

これは合同会議における会長発言である。ようするに今度の記念幹部大会は原則班長以上であるが、組長であっても信心強きものは参加してよいとの方針である。
茶寮掲示板などの情報によれば、組織によってはそれでも結集がままならないので、実質的には無制限とし、いわゆる未入信結集すら行なわれるとも言われている。ところが山門氏のように、行きたいけどダメだという組織もある。この辺の実態はよくわからないが、今のところわたくしには声が掛かってこない。もっとも声を掛けてもムダであるが・・・

顕正会の実勢についてはこれまでにもいろいろと書いてきた。ある時は四万から六万くらいであろうと書いた。山門氏みたいな人がいることを考えれば、ほぼ妥当な数字と考えられるだろう。では、なぜに五万人の大総会をやらないのかと言えば、一つには班長総数とのバランスであろう。現在、一万二千人という、これが二万人を超えるくらいにならないと、ちょっと厳しいのだと思う。ただ単に人を集めても、それが烏合の衆であっては意味がないからである。人数が多くなればなるほど、統制が困難になってくる。その意味からしても、幹部大会が無難なのである。

さて、今回の顕正新聞には重大なミスプリントがある。立正安国論の奥書に、太歳甲子の御文字がある。それがなんと顕正新聞の表記では太歳申子になっているのだ。これは重大な誤植である。こんな調子では御書の刊行など永遠にできない。

そもそも干支がどうして使われていたかといえば、当時は武家側と公家側で二つの元号が存在し、また地震等の災厄が起きるとわずか二・三年で元号が変わるなどの事情から、元号では正確を期し難く、そこで六十年周期の干支を併用していたのであった。

これは冨士二百九十九号に載る文章であるが、なんと当時の男子部幹事が執筆したものなのである。もし、この人が今も在籍していて、しかも顕正新聞の編集に携わっていれば、絶対にこんなミスはしなかっただろう。
先の部長・副部長会議を思うべし。男子部幹事の立場ではここには出席できないのである。しかるに当時の幹事のほうがよほど勉強熱心であり、遥かにレベルが高かった。これを思えば、現今の顕正会の最高幹部がいかにだらしがないか、よくわかるというものだ。

甲子を「きのえね」ないし「こうし」と打ち込めば、絶対に申子などの誤変換はあり得ない。いったいどんな編集をしているのか、編集長に聞いてみたいものである。


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