2007/10/31

悲しい現実  
沖浦氏より、一宗一派をたてろ、という意味のコメントを頂戴した。おおむね、これまでの経緯を踏まえるならば、納得できる話である。ようするに、わたくしが顕正会にとどまっていることの不可解さを、感じておられるわけだろう。数日前の、水無月氏のコメントも同様だった。
しかし、さすがに一宗一派などという、そこまでの野心をわたくしは懐いていない。ただひたすら毎日、思っていることを書いているだけの話であって、それで何かをたくらんでいるわけではないのだ。
第一に、一宗一派を云々できるほどの才覚はないし、人望もない。文字どおりのダメ顕なのである。

さて、実は昨日の拙稿には、重大な過失があった。もし、真面目な顕正会員から指摘されたならば、ひとたまりもなかった。即刻、責任を取って、ブログを閉鎖しなければならないくらいの過失である。

円妙院日彰上人は、化儀に関しては権威といわれていた。

わたくしは浅井先生のこの発言にケチをつけた。おそらくは裏付けのない話であって、先生が勝手に言っているだけであろうと。さらには、デッチアゲとまで書いてしまった。

しかし、わたくしが間違っていた。浅井先生の話には、ちゃんとした根拠が存在したのである。それは妙光寺のサイトに厳然と出ている。

 明治、大正から昭和初期の折伏の法将として、東都の弘教に邁進され、目黒の妙眞寺、目白の妙國寺、大森の梅屋敷や中華民国の上海、樺太の眞岡の教会所を開設された大慈院日仁贈上人、総本山第63世の法燈を継がれた日滿上人、昭和の激動の時期に宗門を支えられた富田阿闍梨堅持院日法贈上人、化儀の大家として知られた圓妙院日彰上人、鉄筋5階建ての大納骨堂の建設と本堂・庫裡を近代的な鉄筋コンクリート建ての大寺院へと面目を一新され、また雄弁をもって知られた大東院日明贈上人、永年にわたり宗会議長また寺族同心会会長として尽力せられた常照院日修贈上人等の妙光寺の百年に及ぶ御先師の御事跡を拝しますとき、ただただ我が身の浅学と菲才を恥じるばかりであります。

これは高照山妙光寺開創百周年記念法要の時に、尾林広徳(日至)師が述べられたものである。平成八年のことだ。

化儀の大家として知られた圓妙院日彰上人

ようは浅井先生の発言を、実質的には現宗門が論証しているわけである。

それにしても現在の顕正会には人材がいないのだと思う。もし顕正会に人材があふれんばかりにいるならば、わたくしなどは木っ端微塵に粉砕されてしまうことだろう。しかし、そこまでの人材がいないというのが現実なのである。

2007/10/30

顕正新聞第1082号のメイン記事から  
いつもながら山門入り口氏にはお世話になりっ放しである。今回も貴重な音声データを受け取ることができた。

しかし、御大会式については後日に譲るとして、今日は盛岡会館の会長講演に触れたいと思う。すでに先日、音声データを頂戴し、その感想を書いてはいるのだが、今回は顕正新聞の活字を通して、書いてみたい。

 ついでに言っておきますが、明治の初めごろは、明治政府の神道重視政策もあって仏教が排斥され、富士大石寺に対しても何かと不穏な動きがあった。そういうわけで明治四・五年には、万一のことを慮って戒壇の大御本尊を一時お遷しするようなこともあったのです。
 このときは、夜陰密かに数名の腕の立つ信徒に守護させ、東京の加賀邸の堅固な蔵にお遷し申し上げて、ことの鎮まるまで秘蔵し奉ったとのことです。


以前にも数度、耳にしたことのある話だったが、具体的な場所を東京の加賀邸であると明かしたのは今回が初めてだと思う。

先生は話の省略がうまい。というのは、この講演の後半では昭和二十年の大石寺炎上に言及しているものの、どういうわけか日恭上人の御事には触れていない。おそらく全体のバランスを考慮して、省略したほうが話がわかりやすいと判断したのだと思う。
同様に、上記の戒壇の大御本尊御遷座に関しても、いつもなら必ず付言するだろうことが今回は省略してある。それは御大事守護の御本尊のことだ。

この御本尊は日胤上人の常住御本尊であり、脇書きには御大事守護云々と共に、当然ながら個人名が書かれている。ようするに、腕の立つ信徒のうちの一人がこの人物だったのだろう。いわゆる賞与御本尊の意味合いがあったものと思われる。
この明治の強信者には法統相続者がいなかったということになるだろうか?
というのは、詳しい経緯は知る由もないが、現在、この御本尊を所有(?)しているのは顕正会だからである。

そういうわけで、今回の講演ではこれに言及してもよさそうなものだったが、まったく触れなかった。これは先に記したごとく、全体のバランスを考えてのことだろう。先生は省略がうまいのである。

この円妙院日彰上人はいかにも明治人の気骨をお持ちの方で、人に諂わず、自己顕示などはせず、一種のはにかみさえ持たれていた。そして大学匠です。ことに宗門の化儀に関しては権威といわれていた。

大学匠については問題ないと思うが、化儀の権威というのはどういうことだろうか?
何か、それを裏付けるものがあればいいのだが、単に先生が言っているだけでは説得力を持たないだろう。近年、顕正会は異流儀化が進行しているとの指摘がかまびすしく、ことに化儀の改変を問題視する人が多い。ゆえに、その批判をかわすために、上記のような話をでっち上げたようにも思えるのである。

それが今、宗門はいかにあるべきかということを思う上で、私の判断の大きな参考になっているのであります。

日彰上人からいろいろお聞きしたことが参考になっていると・・・

わたくしはそれほど感じなかったが、現役の顕正会員の中には、参考というのはマズイのではないか、と感じている人もいるのだ。
なるほど、言われてみれば、確かに不適切な感じがしないでもない。化儀のことでも何でも、日彰上人から教えを頂戴していながら、結局はそれを都合のいいように解釈して、今日の顕正会のために利用しているような気味が感じられるわけである。

今の宗門において、私にはまだ、どうしても言えないことがある。

こういうのはひじょうに気になる。

はたして、それは何のことだろうか?

2007/10/29

ダメ顕のむかし話  
めずらしい人たちからコメントが寄せられた。

富士川氏のウソは、どこまでが本当でどこまでがウソなのか、そこがわからない。いつもそうなのだ。そうやって楽しんでいるふうなのである。

常与師倶生氏は本当に久々である。前回のコメントがいつだったか、にわかには思い出せないくらいだ。
それにしてもゴキブリ云々には恐れ入った。ある意味、ゴキブリみたいにシブトイのが顕正会の特徴ではあるのだが、ゴキブリに譬えられて喜ぶ人はいないだろう。そういえば、小野不一氏は幹部のことを、ゴキブリみたいな連中だと書いている。もちろん、創価学会の幹部のことだ。大したものである。

おそらく富士川氏であろう、ずいぶん昔にどこかの掲示板で、大創価学会が小顕正会など本気で相手にするわけがない、ということを言っていたはずである。今回の常与師倶生氏のコメントも、大筋で同じ意味のことを言っているのだと思う。

わたくしの思うに、創価学会はそれなりに顕正会の存在を意識している。どの程度であるかはわからないが、まったく眼中にないというわけではないと思う。

なぜならば、どこで調べてきたものか、わたくしのようなダメ顕のところにも、見ず知らずの創価学会員が訪ねて来ることがあったのである。今、記憶に残っているだけでも五六回、十回までは行かないが、ともかくまったく面識のない人がいきなり来るわけだから、それなりに鮮明な記憶として残っているのである。
単独で来た人もいるし、複数で徒党を組んであらわれたこともある。今でも五人の顔が思い浮かぶ。同じ人間が二度三度来たこともあるので、述べ人数では十人以上来たことになるだろう。
もっとも二十年間での話だから、大した頻度ではないのかもしれない。

さて、幸運にも・・・と言うべきか、わたくしは平成二年以前の状況を目撃している。この経験は、もはや今の顕正会員には絶対に味わえないものである。

どういうことか・・・

平成二年以前、もしかしたら元年だったかもしれないし、あるいは昭和六十三年かもしれない。いや、その人物は二回来ているので、最後は平成二年だったかもしれない。
おそらく顕正会の、いや、妙信講の古参の人たちは多かれ少なかれ経験していることだろう、創価学会員は論に詰まると必ず言うのである・・・いわく、しょせん顕正会は猊下に背いているからダメなんだよ、と。
それをわたくしは、この耳で聞いているのだ。しかもその人物は、こちらがまったく意に介さないことに業を煮やしたものか、スゴイことを言ってきた。

だったら、今からお寺に行って、どちらが正しいか御住職に聞いてみるか?

さすがにわたくしも困った。それはこちらが不利だからだ。ゆえに、動揺を押し隠しながら、

その必要はない

と応じるのが精一杯だった。

あるいは今の創価学会員にはウソのような話に聞こえるかもしれない。だが、本当の話である。
当時からの創価学会員で、今も冷静さを失わない人物ならば、確かにそうだったことを認めることだろう。
とりわけ五十二年問題以降はその反動とも言うべきか、猊下を持ち上げる傾向が強まっていたのだ。この辺の文証は法華講員が詳しいことだろう。

ちなみに例の人物はそれ以降、わたくしのところには来なくなってしまった。それはわたくしにコテンパンに破折されてしまったから・・・ではなく、いわゆる宗創戦争が勃発してしまったがために、今までの論法が使えなくなってしまったからである。何しろ、住職に創価学会と顕正会のどちらが正しいかを聞いてみる、などということは、ブラックジョーク以外のナニモノでもなくなってしまったのだから、さすがにバツが悪くてわたくしの前には出てこられないに違いないのだ。

ずいぶん昔の話であるが、ふと思い出したので、書いてみた。

2007/10/28

大馬鹿野郎に捧げる言葉  
昨日、顕正会本部ないし顕正新聞編集部を指して、オオバカヤロウだと書いた。もちろん、面と向かって言えるものではないが、それほどに不可解な記事なのである。

例の記事を思い切り端折って書けば、創価学会員が大金を持ってヤクザのところへ謀略の依頼にやって来たのを、顕正会員が目撃したということだろう。しかも謀略は引き受けてもらえず、金だけ巻き上げられてしまったというマヌケな話なのである。

まず、第一に不審なのは、記念幹部大会の当日にもかかわらず、大会には参加せず折伏をしていたということだ。しかも折伏の相手はヤクザである。知人とはいえ、相手が相手であるから、けっこう勇気のいることだろう。
つまり、これほどの熱心な活動会員が大会に参加できない不自然さ、なのである。
いちおう、記事では●●さんと書かれているので、役職を持たないのだろう。顕正会では役職で呼ぶのが普通だからである。ようは参加資格のない、平会員だったらしいのだ。

しかし、不審である。顕正会では先輩から尻を叩かれないとなかなか折伏ができないような人がたくさんいて、それゆえに折伏そのものが感激とはほど遠い義務感だけで行なわれてしまっている例がたくさんあるのだ。
大会当日ということは、応援者がいないわけである。幹部は全員、大会に参加しているわけだから・・・
それにもかかわらず、単身でヤクザのもとへ、しかも相手は複数なのである、そこに乗り込んでいって、喉がかれるまで語り尽くしたというのだから、ヘタな幹部よりもよほど腹が据わっていることになる。

もう一つ、当日は全国の会館事務所すべてが閉館という話だったはずである。ゆえに入信勤行をどうするのかという疑問もある。
顕正会の折伏はすでに多くの人の知るごとく、即決主義である。本年初頭に浅井先生より、余韻を残す折伏、という指導があったにせよ、最初から入信しないことを前提に折伏するわけではない。先生の指導の意味は、仮に相手が頑として入信を拒んだ場合には無理強いせず余韻を残すという、いわば長期戦的な手法に変更するわけであって、基本的にはその場で入信を決め切るのが顕正会の折伏なのだ。

以上のような理由から、大会当日に折伏ということは考えがたい。それほど熱心な会員ならば、大会に参加させるべきだったはずである。なお、実際には平会員でも参加できた人がいるとも言われている。だから余計に不自然な印象を受けるのだ。

さて、今度は別の角度から考えてみよう。

大会当日に、今さら謀略を依頼するものかという疑問がある。これほどの後手もあるまい。手遅れである。
考え方として、すでに前々から謀略を頼んであって、当日は最後の依頼と共に報酬を持って来た、ということはあると思う。
しかし、それはこの記事が否定している。

その場にいた皆でこの謀略が事実であることを確信した・・・

昨日の拙稿を確認されたい。ようするにここでの「皆」というのは、顕正会員の●●さんとヤクザ数名のことなのである。前後するが、次のような文章もある。

これにはヤクザも何か不自然さを感じ・・・

つまり、創価学会員の二人は、いきなり分厚い茶封筒を持ってヤクザを訪ねてきたということになる。ごく単純に、もしヤクザが留守だったらどうなるのか? すでに大会当日なのである。ゆえに手遅れだと書いたのだ。

まあ、仮にヤクザが納得して、依頼を受けたという話にしてみよう。

いったい当日に、どんな謀略が可能であろうか?
まさか会場にダンプカーでも突っ込ませようとしたのか?

そんなヤクザ映画みたいな・・・

わたくしはよく知らないが、ヤクザというのは堅気の人間には手を出さないのではないか?
ダンプカー云々はいわゆる報復合戦のようなことで、ヤクザ同士が相手の組事務所を襲う手段として使うような・・・
これとて、わたくしの勝手なイメージかもしれない。

ともかくヘンテコリンな話であることは間違いないだろう。

オオバカヤロウと書いたことは、それなりに有効だと思う。

2007/10/27

捏造記事疑惑  
ヤクザにカネで大会妨害を依頼
 学会員が幹部指示の謀略を暴露


これは顕正新聞第1082号の、六面右上の記事に付された見出しである。九月度班長会で男子部第十六隊長が発表したものらしい。

昨夜、捏造記事ではないのか? ということで、山門入り口氏がわたくしに見解を求めてきた記事がこれなのだ。
わたくしは特別な情報網を持っているわけではないし、他に判断材料を持ちあわせているわけでもないので、捏造かどうかを断定することはできない。だが、正直な感想を書くならば、当該記事はいかにもウソクサイ感じがするのである。
さて、これからが問題である。顕正新聞を購読していない人も多いことだろう。その人たちに、これをどのように伝えるか、けっこう悩ましい。

いちばん手っ取り早いのは、当該記事から必要な部分を書き出してしまうことだろう。それを読んでもらったほうが間違いがない。

 八月度総幹部会の席上、先生は大会開催を妨害しようとした創価学会の謀略の全貌を明かして下さいましたが、このたび一隊員の報告を通して、なんとしても大会を妨害せんとする学会の謀略の手口をまざまざと垣間見る出来事がありました。
 と申しますのは、○○支隊の●●さんは幹部大会には参列が叶いませんでしたが、その当日「折伏でお応えせん!」と肚を決め、以前からの知人であったヤクザの組長を含め舎弟三人、系列の組幹部数名を相手に折伏しておりました。
 ●●さんは学会からの入会でありますが、学会時代は幹部に命令されるまま顕正会の謀略ビラを配らされた経験もあり、ほとほと学会に嫌気がさしており、この日、学会が完全に邪教化し謀略集団と化していること、そしていま顕正会だけが御遺命を奉じて正しく仏法を実践していることを、喉がかれるまで語り尽くし、その姿に全員が素直に聞き入っていたそうです。
 そして折伏が一段落したころ突然、組事務所に一市民を装った二人の若者が「組長さんはいますか?」と訪ねてきたそうです。
 これにはヤクザも何か不自然さを感じ、●●さんも何事かと玄関に顔を出した瞬間、その二人組は●●さんを見るなり慌てて逃げ出したのです。やはり何かおかしいと確信した●●さんはすかさず追い掛けて二人を捕まえ、「俺を見て逃げて行くとはどういうことだ、お前らは何者だ!」と問い詰めると、その二人は恐怖のあまり正直に、自分たちが学会員であること。幹部に頼まれ、カネを払って、本日行われている顕正会の記念幹部大会の妨害を依頼しにきたことを暴露したのでした。念のため、謀略の依頼金も確認すると、分厚い現金が入った茶封筒を実際に持って来ており、その場にいた皆でこの謀略が事実であることを確信したそうであります。
 結局、その学会員二人は逆にヤクザに脅され現金は没収され、「謀略は依頼したと幹部に伝えておけ」と一方的に納得させられ、すごすごと帰っていったそうであります。
 かくて謀略は失敗に終わり、この一件を通し、「学会員が来たらいつでも呼んでくれ」と、ヤクザの組長は完全に顕正会の味方になったとのことで、まさに「毒変じて薬となる」を一分でも実感とさせて頂いた思いであります。


もはや事細かに書くのが馬鹿らしい気がする。そこで、仮にこれが捏造記事だとした場合、いったい誰が捏造したのか、そのことを書いて終わりにしたい。

もし、本部でやっているとしたら、大馬鹿野郎である。
あるいは十六隊長の捏造かもしれないが、だとしたら、これまた馬鹿野郎である。
いちばん無難な線は、末端会員のせいにすることだろう。ヤクザのところに折伏に行ったという人物がホラを吹いたとするのだ。事実はどうであれ、これで責任のがれをするのが幹部の常套手段である。

しかし、どのみち大馬鹿野郎である。こんな登壇をする隊長もどうかしているし、それを顕正新聞に掲載する編集部もどうかしているのだ。
わたくしが隊長だったら、たとえ真面目な会員からの報告だったとしても、それをそのまま班長会の登壇に使うことはないだろう。さらに、わたくしが顕正新聞の編集部だったら、絶対に載せないだろう。

まったく、困ったものである。

2007/10/26

五逆と謗法の関係  
とある法華講員氏はありがたい人である。何がありがたいかと言えば、次々にネタを提供してくれることだ。独白ブログとはいえ、コメントが寄せられなくなったら継続は困難である。ゆえにありがたいのだ。もしかしたら過去にも別の名前で投稿されていたのかもしれないが、それが誰であるかなど、わたくしには興味がない。ともかく、氏には感謝申し上げたい。

顕謗法抄を紹介くださった。それと、仏像から血は出ない、と書いておられることが印象的である。さらに、五逆罪のほかの誹謗正法の罪・・・云々と書かれておられる。

これはまさに顕謗法抄の説順に沿っているのである。少々長い引用になるが、以下に示しておきたい。

五逆罪と申すは一に殺父、二に殺母、三に殺阿羅漢、四に出仏身血、五に破和合僧なり。今の世には仏ましまさず。しかれば出仏身血あるべからず。和合僧なければ破和合僧なし。阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし。但殺父殺母の罪のみありぬべし。しかれども王法のいましめきびしくあるゆへに、此の罪をかしがたし。若し爾らば、当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし。但し相似の五逆罪これあり。木画の仏像・堂塔等をやき、かの仏像等の寄進の所をうばいとり、卒兜婆等をきりやき、智人を殺しなんどするもの多し。此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし。されば当世の衆生十六の別処に堕つるもの多きか。又謗法の者この地獄に堕つべし。
 第二に無間地獄の因果の軽重を明かさば、問うて云はく、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法の重罪なり。


この中に、相似の五逆罪、とある。実はすでに昨日の拙稿で、これに触れているのである。
確かに仏像から血が出ることはないだろう。だから出仏身血には当たらない、という考え方は当然あると思う。しかし、大聖人はここで相似の五逆ということを御指南あそばして、実質的に五逆罪と等しいことを仰せられているのだ。
このことは、いわゆる開眼の問題ともリンクしてくる。大聖人は開眼前の仏像を、仏に非ず、とまで仰せられている。つまり、開眼前は単なる物体であって、いまだ仏体ではないのだ。開眼を経ることによって、本物の仏になる。ゆえに仏像の破壊は重罪なのだ。

で、とある法華講員氏は、コメントの最後に、謗法罪のことに言及しておられる。これがいちばんの重罪であることは、まさに顕謗法抄の御文のとおりである。上掲の御文の続きを抜粋すれば、次のごとくである。

問うて云はく、五逆と謗法と罪の軽重如何。(中略)懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし。

ちなみに、昨日の拙稿に引用した種々物御消息の続きの御文もまた同趣旨であり、謗法がいかに重罪であるか、それがよくわかると思う。

又十悪・五逆をつくり、十方三世の仏の身よりちをいだせる人の法華経の御かたきとなれるは、十悪・五逆、十方の仏の御身よりちをいだせるつみにては阿鼻地獄へは入る事なし。たゞ法華経不信の大罪によりて無間地獄へは堕ち候なり。

とある法華講員氏のおかげで、拙いながらも一文を草することができた。

2007/10/25

殺生罪の軽重  
昨日の続きというわけではないが、事供養・理供養のことが出てきたので、もしよろしければ、過去の拙稿をご覧いただきたい。

http://diary.jp.aol.com/ganko/227.html

そうそう、どうせならば、この少し前のブログから読んだほうが、わかりやすいだろう。

http://diary.jp.aol.com/ganko/224.html

ここから始まったのだ。

掲示板などを見ていると、理由はさまざまだが、投稿が削除されることがよくある。
わたくしは当ブログにおいて、今現在はいっさい削除をしないことにしている。これはリンク先の記事のとおりだ。人が丹精込めて投稿したものをむやみに削除することは、殺生罪に相当するのではないかと思ったからである。
なお、拙稿についても、削除はしないし、改竄もしない。都合の悪い文言があってもそれを隠さない。これは殺生罪とは別の話になるが、まあ、妄語罪を戒める意味があると思っていいだろう。
もっとも、これでは小乗経ではないか、という批判があるかもしれないが・・・

基本的に重い順ということは、出仏身血よりも殺父・殺母・殺阿羅漢のほうが重罪だということになる。これは面白いことだ。

前掲リンク先の文末である。

ようするに、わたくしは罪の重い順に、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧になっていると思って、これを面白いと書いたわけである。この理屈は、まさに事の殺生と理の殺生には差があると考えたわけで、申すまでもなく事の殺生のほうが罪が重いはずだから、出仏身血よりもその前の三つのほうが重罪であろう、さらには他人を死すよりも自分の親を殺すほうが重い、しかも昔の感覚では父親を殺す罪のほうが重いはずだ・・・というようなアンバイである。

しかし、これは間違っていた。御書には出仏身血のほうが重罪であることがはっきりと説かれているのである。

 抑日本国の人を皆やしないて候よりも、父母一人やしないて候は功徳まさり候。日本国の皆人をころして候は七大地獄に堕ち候。父母をころせる人は第八の無間地獄と申す地獄に堕ち候。人ありて父母をころし、釈迦仏の御身よりちをいだして候人は、父母をころすつみにては無間地獄に堕ちず、仏の御身よりちをいだすつみにて無間地獄には堕ち候なり。

種々物御消息である。

人ありて父母を殺し、釈迦仏の御身より血を出だして候人は、父母を殺す罪にては無間地獄に堕ちず、仏の御身より血を出だす罪にて無間地獄には堕ち候なり。

父母を殺す罪が決して軽いわけではない。やはり無間地獄に堕ちるのだ。ただ、この御文では明らかに、出仏身血のほうがそれよりも重罪であることを示していると思う。
世間の常識で考えると悩ましい。何しろ仏に対する行為は殺人(仏?)未遂なのである。一方の父母に対する行為は、申すまでもなく既遂である。やはり既遂のほうが重罪ではないのか?

さらに追求するならば、相似の五逆ということを考える必要がある。仏像の破却と父母を殺す罪とどちらが重罪か?
極端な話、国宝級の仏像を破壊したとしても、しょせん、なまみの人間を殺す罪よりは軽いのではないか?

いやいや、国宝などを持ち出してごまかしてはいけない。当家には、大聖人出世の御本懐たる最大事の御本尊がましますではないか・・・ああ、しかし、これはまた、ヘタなことを書くとたいへんなことになるのでやめておこう。

そういえば、明治の初期に戒壇の大御本尊を東京に御遷座申し上げたことがあったと、盛岡会館の講演で先生が言っていたなあ・・・

2007/10/24

白米一俵御書に基づく事壇論の考察  
音根ミクというのは、初音ミクの間違いだろう。芸能人ではなく、ソフトの名前ないしキャラクター名である。おそらくは今後、広く認知されるようになるだろうから、わたくしがここで知ったかぶりを書くのは控えたい。

虚空老人氏のおかげで、かなり理解が進んだ。しかし、完璧というわけではない。いったいどこがどう理解できないのか、実はそれすらもわからないのだ。ただ漠然と、不足感があるのだ。ある意味、これが大事なのかもしれない。わかったつもりになるよりは、成長の余地があるのは確かであろう。

たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うへたるよに、これはなしては、けうの命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう、凡夫のためには理くやう、止観の第七の檀はら蜜と申す法門なり。

(中略)

此をもってしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなはち命なり。

中略は一昨日、引用した部分がそれである。

http://diary.jp.aol.com/ganko/905.html

爾前経では、○○のごとし、というフレーズになっている。ところが法華経では明らかに、それとは異なる表現になっている。これは大聖人が意識的にあそばした違いなのであろう。
つまり、最後の結論部分において、白米は命である、ということを強調あそばすための伏線なのだ。
白米は命のごとし、白米は譬えて言うならば命のようなものである、これではダメなのだ。
白米はズバリ、命そのものなのだ。

白米一俵御書の前半部分から二文、引用しておきたい。

南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。(中略)さればいにしへの聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。

此等は賢人聖人の事なれば我等は叶ひがたき事にて候。

これで明白だろう。この対告衆は上野殿であろうか、平成新編では空欄になっているが、ともかく誰が対告衆にせよ、この人の真心の御供養を大絶賛あそばしているわけである。すなわち白米の供養は単なる譬喩ではなく、正真正銘の意味で大聖人へ命を奉る行為なのだと。

わたくしはここから、まったく別の次元のことが想起された。

日達上人は正本堂を現時における事の戒壇であると御指南あそばした。上人は、当時の日蓮正宗僧俗八百万の真心の御供養を嘉せられ、かく仰せられたわけだろう。これは上掲の大聖人の御指南とまったく同じなのではあるまいか?

つまり、聖人のためには事供養、凡夫のためには理供養というのは、聖人と凡夫との相対からの事・理のさばきであり、爾前迹門と法華本門の相対ではない。かく見れば、当該御書に直接それを意味する御文はないにしても、大聖人への真心の御供養を事供養であるとするのは当然の帰結である。
もし御文にないからとて、あくまで凡夫の供養は理供養であると主張するならば、これはいわゆる守文の徒である。
大聖人は白米を命であるとまで仰せられている。単なる譬喩ではないことを爾前との相対で強調あそばされているのだ。であれば、白米を御供養申し上げることは、まさしく事供養に相当することになる。

これをもってこれを思うに、正本堂はもちろん事相戒壇ではないけれども、それがウソイツワリのない真心の御供養によって建てられたものであれば、大聖人もまた、現時における事壇として御嘉納あそばしたことであろう。

2007/10/23

ダメ顕の独り言  
ヅラ系氏より御書の解説をたまわった。しかし、よくわからないというのが本音である。
おそらく氏はご自分でじゅうぶんに思索した上でコメントされたのだろう。ようするに自分ではよくわかっている、けれども、はたしてそれが人に対して正確に伝わる文章になっているかと言えば、そこがひじょうに難しいところなのだと思う。
氏のコメントには、実相という言葉が出てくる、御本尊という言葉も出てくる。しかし、これは直接的には御書にない言葉であって、いわば意訳なのだろう。それが正しいか否か、何しろわたくしには理解が及ばない部分なので、判断のできないところである。
もちろん、別の言葉を代入することによって、それがヒントとなって理解が進む場合もある。しかし、残念ながら、いまだにピンと来ないというのが正直なところだ。

渡辺氏は、能所の別を指す・・・文脈に随えば自ずと分かる、と書いておられるが、それでもなお、わたくしにはわからない。これは重症である。誰もが容易に理解できることを理解できない場合、それは何かしら盲点があるのだろう。わたくしの場合は元来が愚鈍であるから論外にせよ、けっこう知的な人物であっても部分的にはひじょうに幼稚であったり、案外にモノシラズな一面があったりするものである。

ヤメ顕・・・

わたくしの場合は、さしずめ「ダメ顕」といったところか?

沖浦氏の、修理や理屈は専門家に任せる、ということにはじゃっかんの異論がある。
つい先日のコメントでは、出家・在家の区別を現代においてはナンセンスのごとく言い、出家不要論を展開していたはずである。そうすると専門家とは何を指すのか? まさか大学の教授など、学術的な研究者を想定しているのだろうか? それとも創価学会における教学部を専門家とするのか? この辺が不明である。
わたくしの思うに、大聖人の仏法における専門家とは、まさしく大聖人の直系の弟子こそがそれに該当するわけで、御書には「予が門家」とか「我が門家」という御表現がある。ちなみに、顕正会では大石寺を指して、正系門家と称している。まさに日蓮正宗こそが令法久住の責務を負った専門家集団なのだと思う。

また、これは当然ながら沖浦氏も承知していることであるが、大聖人の仏法は信行学のいずれもおろそかにはできないのである。

大聖人は行学の二道を奨励あそばした。また、日興上人は御書を心肝に染めるべきことを遺誡あそばしている。まさに宗開両祖の御指南あそばすところであるから、これに異論はあるまい。
遠くはかくのごとし。近くは六十七世の日顕上人が平成新編の発刊の辞において、日興上人の御遺誡を踏まえられた上で、次のごとく御指南あそばしている。

御書の血読骨持こそ宗門人最大の学解行業である。

さらに、後半部分においても、御書発刊の意義を御述べになられる中で、

本宗信徒各位の信解倍増、教義研鑽に多大の活用と効果をもたらす・・・

と仰せられている。

わたくしは宗門人ないし本宗信徒ではないけれども、この格調高き発刊の辞を拝して、教学研鑽の励みとさせていただいているのである。ひじょうにありがたいことだ。

まあ、しかし、現実はサボりがちなのであるが・・・

2007/10/22

世間知らずの仏法オタク  
昨日は入れ違いに、渡辺氏からコメントをもらっていた。また、虚空老人氏からは慈愛のこもるコメントを頂戴した。さらに、沖浦氏からも心温まるコメントが寄せられた。

毎日、駄文を綴っているにもかかわらず、こうしてコメントを頂戴できることは、本当にありがたいことである。
そもそも独白ブログなのである。落ちぶれ顕正会員のグチ日記なのである。にもかかわらず、お声を掛けていただけることは、シアワセなことである。

さて、冨士の六十三号をご存知だろうか?

今、わたくしの手元にある当該号の奥付を見ると、昭和四十三年云々と記されている。それでいて表紙には、日蓮正宗顕正会、と書かれている。ようは再版なのだろう。
実はこれ、今日で言うところの折伏理論書の前身に相当するものなのである。理論書が出たのは平成元年で、その序には六十三号のことが書かれている。

 以来、腐心してきたことは、なんとか現代人に仏法をわかり易く≠ニいうことであった。ために私は、富士第四号・第六十三号等にその一端を述べ、あるいは幾たびも講習会を開いては、折伏理論の解説に心を砕いて来た。

つまり、平成元年以前は六十三号が広く読まれていたわけで、わたくしも自分で購入した記憶はないけれども、どういうわけか持っていたのである。

この本の最初のほうに、

若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり

と出てくる。

ところがである。平成元年に、長年の思索の集大成とも言うべき折伏理論書を発表したわけだが、そこにはこれが出てこないのである。いったいなぜだろうか?

はっきりしていることは、今日の折伏理論書よりも六十三号のほうが遥かに内容が濃い・・・というか、相当に難解である。ちょっと読むのがシンドイ、というのがわたくしの正直な感想である。一方の理論書はかなり平易である。

わたくしは折伏理論書をそれなりに評価している。これはこれでよくまとまっていて、まったくのズブの素人にとっては、カッコウの入門書になっていると思う。おそらく浅井先生もそれを計算して書いたのだろう。ゆえに、それはそれでけっこうなのである。
だが、いわゆるステップアップの意味では中級用の教科書も必要だろうし、さらには上級用もあって然るべきである。
それがどういうわけか、現在の顕正会には存在しないのだ。そこが問題である。

ちなみに、白米一俵御書にも例の言葉が出てくる。

まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」ととかれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」の経文に引き合はせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深心の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法に仏法を依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなはち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし、法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。

こう言ったら叱られるかもしれないが、わたくしの大好きな御書の一つである。

彼々の二経は深心の経々なれども・・・

とあるので、この意味から理論書では引用しなかったのかもしれない。

心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし

月こそ心よ、花こそ心よ


わたくしは、いまだにこの部分がよく理解できていない。ものすごく大事なことを仰せられているのだろうことは、おぼろげながら承知しているつもりであるが、爾前と法華経は何がどのように違うのか、それがいまだによくわからないのである。

まったく見当違いのことを書くが、あるいはわたくしの教学的アプローチは、いまだ爾前迹門の域を脱していないのではないか・・・という気がする。それは教学だけの話ではなく、ありとあらゆる意味において、いまだ法華本門の域に達していないのかもしれない、いや、かもしれないどころの話ではなくて、まさにそのとおりなのだろう。


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