2007/10/26

五逆と謗法の関係  
とある法華講員氏はありがたい人である。何がありがたいかと言えば、次々にネタを提供してくれることだ。独白ブログとはいえ、コメントが寄せられなくなったら継続は困難である。ゆえにありがたいのだ。もしかしたら過去にも別の名前で投稿されていたのかもしれないが、それが誰であるかなど、わたくしには興味がない。ともかく、氏には感謝申し上げたい。

顕謗法抄を紹介くださった。それと、仏像から血は出ない、と書いておられることが印象的である。さらに、五逆罪のほかの誹謗正法の罪・・・云々と書かれておられる。

これはまさに顕謗法抄の説順に沿っているのである。少々長い引用になるが、以下に示しておきたい。

五逆罪と申すは一に殺父、二に殺母、三に殺阿羅漢、四に出仏身血、五に破和合僧なり。今の世には仏ましまさず。しかれば出仏身血あるべからず。和合僧なければ破和合僧なし。阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし。但殺父殺母の罪のみありぬべし。しかれども王法のいましめきびしくあるゆへに、此の罪をかしがたし。若し爾らば、当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし。但し相似の五逆罪これあり。木画の仏像・堂塔等をやき、かの仏像等の寄進の所をうばいとり、卒兜婆等をきりやき、智人を殺しなんどするもの多し。此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし。されば当世の衆生十六の別処に堕つるもの多きか。又謗法の者この地獄に堕つべし。
 第二に無間地獄の因果の軽重を明かさば、問うて云はく、五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。答へて云はく、誹謗正法の重罪なり。


この中に、相似の五逆罪、とある。実はすでに昨日の拙稿で、これに触れているのである。
確かに仏像から血が出ることはないだろう。だから出仏身血には当たらない、という考え方は当然あると思う。しかし、大聖人はここで相似の五逆ということを御指南あそばして、実質的に五逆罪と等しいことを仰せられているのだ。
このことは、いわゆる開眼の問題ともリンクしてくる。大聖人は開眼前の仏像を、仏に非ず、とまで仰せられている。つまり、開眼前は単なる物体であって、いまだ仏体ではないのだ。開眼を経ることによって、本物の仏になる。ゆえに仏像の破壊は重罪なのだ。

で、とある法華講員氏は、コメントの最後に、謗法罪のことに言及しておられる。これがいちばんの重罪であることは、まさに顕謗法抄の御文のとおりである。上掲の御文の続きを抜粋すれば、次のごとくである。

問うて云はく、五逆と謗法と罪の軽重如何。(中略)懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし。

ちなみに、昨日の拙稿に引用した種々物御消息の続きの御文もまた同趣旨であり、謗法がいかに重罪であるか、それがよくわかると思う。

又十悪・五逆をつくり、十方三世の仏の身よりちをいだせる人の法華経の御かたきとなれるは、十悪・五逆、十方の仏の御身よりちをいだせるつみにては阿鼻地獄へは入る事なし。たゞ法華経不信の大罪によりて無間地獄へは堕ち候なり。

とある法華講員氏のおかげで、拙いながらも一文を草することができた。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ