2007/11/30

依正不二と開眼の関係性  
興味深いコメントがいくつか寄せられている。ことに、れん氏からの「本化国王」に関するコメントは、ひじょうに有意義である。氏は現在、さしたるシガラミがないのだろう、ゆえに比較的に公平というか、客観的な意見が言えるのだと思う。
顕正会では、おそらく現時点でも「本化国主」のままだと思うが、国主と国王の違いこそあれ、れん氏の見解とほぼ同じである。そういえば、三時弘経次第を文証としている点においても、同じである。しかし、どういうわけか顕正会では三時弘教次第と表記している。この辺がよくわからない。

さて、沖浦耕治氏は今月二十四日の質問会において、依正不二のことを何度も繰り返し説明していた。これは法主による開眼を不要とする、いわば自主開眼論であるが、どうやらその正当性を依正不二を根拠に論証しようとしたものと思われる。

ビデオを視聴すればわかると思うが、どうも要領を得ない説明であって、よくわからなかった。質問側の法華講員たちも同様だったらしく、何度も同じ質問が繰り返された。それで話が見えてくればいいのだが、どうも同じところを行ったり来たりするような、あるいは堂々巡りのような状況だった。
そういうわけで、拙稿もうまくまとまるかどうか、自信がない。それ以前に、わたくし自身の聞き間違いや誤認があるかもしれないので、そこのところを承知されたいと思う。

耕治氏は依正不二の説明で、自分自身を正報とし、御本尊を依報としていたと思う。

もしそうならば、これは大間違いである。その理由は後回しにして、なぜに間違いを犯したか・・・それは法華講員にも責任(?)がある。
なぜならば、法華講の面々(とりわけ樋田氏)は開眼前の曼荼羅をただの物質であると、これまで何度も繰り返し言ってきたからである。耕治氏はこれを信じてしまったのだ。
法華講員に言わせれば、創価学会員は意見がバラバラだから、それがいけないのだと言うだろう。それはそのとおりである。
詳しく調べたわけではないが、各所の掲示板を閲覧していけば、ハッキリするはずだ。創価学会員の中には、開眼不要を主張する人もいるのである。つまり、この場合は曼荼羅本尊を、最初から生身の御仏であると見なしていることになる。だったら依正不二を持ち出す必要はまったくないのである。それどころか、自分を正報とし、御本尊を依報とするなどは、言語道断のことであろう。仏様が依報のわけがないのである。
法華講員が物質物質と言うから、耕治氏はまんまとそれに乗っかってしまったようなものだ。もっとも法華講員にそのような作為があったわけではないと思うが・・・

樋田氏は質問会の中で、本尊とは法華経の行者の一身の当体、という御文を引いていた。これからしても、御本尊が依報のわけがないのだ。あるいは、日蓮がたましひを墨にそめながして、という御文もある。大聖人の御法魂を依報とは言えまい。

そもそも御本尊を開眼するほどの力があるならば、その人は御本尊を必要としないのではないかと思う。それこそ依正不二の原理に基づいて、その力を全世界に波及させれば世の中はよくなることだろう。開眼と依正不二はまったく無関係というわけではないだろうが、少なくとも自主開眼論の論証には向かないと思う。

依正不二については、もう少しだけ書こうと思っているが、それは明日にしよう。

2007/11/30

資料のみ  
 非情の十如是を明かす

本文

 不審して云く、非情に十如是亘らば草木に心有って有情の如く成仏を為す可きや如何。
 答えて曰く、此の事難信難解なり。乃至、観門の難信難解とは、百界千如一念三千・非情の上の色心の二法・十如是是れなり。爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す。其の義に於ては天台一家より出でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊と恃み奉ること無益なり。

講義

 非情とは、精神作用のないように見える草木・国土の世界である。この草木・国土にも色法(物質)だけでなく心法が(心)が具わり、相・性・体等の十如是を具して有情のごとく成仏をするということはまことに信じ難く理解し難い。
 しかし釈尊・天台等の聖者、さらに御本仏日蓮大聖人の透徹した御見識は、草木国土にも心あり、仏性あり、成仏すべし≠ニ断じ給うておられるのである。そして内道・外道を問わず木画の像を本尊として恃んでいる事実は、草木の上に色心の因果が具わっていればこそではないかと、道理を立てておられる。
 この一段の大旨はなにを仰せ給うのかといえば、大聖人御建立の御本尊は、紙・木に顕わし給うといえども、その御本尊の全体が即生身の御仏であり、一切衆生を成仏せしめる厳たる力用ありということである。

 草木成仏の二意

 ここで草木成仏について述べよう。日寛上人は草木成仏に二意ありと仰せられている。すなわち一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏である。
 初めに不改本位の成仏とは、本来草木の全体そのものが、覚りの眼を以て見れば、本有無作の一念三千即自受用身の覚体である。ゆえに草木成仏口決に云く
 「草にも木にも成る仏なり云々、此の意は草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり」と。
 また云く
 「草木の根本、本覚の如来・本有常住の妙体なり」と。
 さらに総勘文抄に云く
 「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば、無心の草木も皆悉く萌え出生し、華敷き栄えて世に値う気色なり。秋の時至りて月光の縁に値いぬれば、草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し、寿命を続き長養し、終に成仏の徳用を顕わす」と。
 これらの御文を拝するに、草木の体そのものは本覚の法身であり、草木が時節を差えぬ智恵は本覚の報身であり、有情を養育する慈悲の働きは本覚の応身である。このように、草木みなことごとくそのままの姿で本覚の三身(法身・報身・応身)を具えているのを、不改本位の成仏というのである。

 次に木画二像の成仏とは、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入れれば、木画の全体は生身の仏となる。ゆえに四条抄に云く
 「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり、画像これより起る。木と申すは木像是より出来す。此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」と。
 また木絵二像開眼之事に云く
 「法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり」と。
 以上草木成仏の二義を深く知るならば、我等が信じ奉る御本尊の全体すなわち本有無作の一念三千の生身の御仏である。ゆえに信じ奉る者は現当二世の大利益を受け、謗ずる者は厳たる罰を蒙るのである。断じて御本尊を単なる文字及び紙木などと軽んじてはならない。


巌虎註:顕正会で出している観心本尊抄略拝という本から引用した。かつては二級教学試験の教材だった。久しぶりに開いてみたが、わたくしにとっては今なお難解である。

2007/11/29

法門は一日にしてならず  
山門氏は再び例の映像サイトを利用し始めたようである。名前が裏門になっているところが面白い。それはさておき、千葉会館の講演については、いつものごとく新聞掲載まで待ちたいと思う。

此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。

質問会の中で樋田氏が出してきた最大の問題提起がこれである。一言でいえば、解釈論における創価学会員の矛盾を突いたのだと思われる。

木絵二像開眼の事に御指南されていることは、文字どおり木画の開眼のことであり、曼荼羅本尊は該当しない・・・と創価学会員は主張している。であれば、本尊抄における上掲の仏像というのは文字どおり仏像ではないのか、如何?
創価学会では、おそらく今もこれを曼荼羅本尊のことだとしているわけだろう、これを矛盾ではないかと指摘しているわけである。

耕治氏はこれに対して、「末法に来入して始めて」というのは正像未弘を意味するわけだから、これは仏像ではなく曼荼羅である、という説明をしていたのだと思う。
これはかなり筋のよい考え方であり、あながちに否定できるところではないのだが、しかしながら完璧というわけではない。
われわれは曼荼羅正意の立場にいるから、そのために見落としてしまっている部分がある。失礼ながら法華講員たちも、そこをうまく説明できていなかった。

結論を書こう。いわゆる一尊四士がそれである。

身延などでは上掲の御文をもって一尊四士を主張する。これも道理である。なぜならば、これもまた「末法に来入して始めて」の姿だからである。
もし、大聖人の御出現以前に、一尊四士像が広く普及していて当たり前の姿であったならば、話は違ってくる。しかし、従来は上行等の四菩薩を脇士とする姿はなかったわけであるから、これも同じく正像未弘なのである。
ゆえに耕治氏の説明だけでは、絶対的に曼荼羅正意を決定づけることはできないのだ。

わかり切ったところだが、いちおう文証を提示しておこう。当該御文の直後には、次のごとくある。

問ふ、正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。

さらに本尊抄の前半部分には、興味深い御文が二つある。

観門の難信難解とは百界千如一念三千にして、非情の上の色心の二法の十如是是なり。爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊と恃み奉ること無益なり。

然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり。


この前後の脈絡よりすれば、本尊抄における「仏像」は、まさに木画二像の蓋然性がきわめて高いのだ。

もちろん日蓮正宗では、これを板ないし紙幅の御本尊と解釈するわけで、その同じ脈絡において木絵二像開眼の事を拝するわけである。つまり、一往は仏像の開眼、再往は曼荼羅本尊の開眼であると解釈しているのだと思う。解釈論としては整合性が保たれていて、矛盾はない。
ところが創価学会では、本尊抄の仏像は曼荼羅のことだが木絵二像開眼の事は違う、と主張しているごとくである。
先の耕治氏の説明、すなわち正像未弘ゆえに曼荼羅である、というのはかなりいい線なのだが、決定打ではないことはすでに書いたとおりである。よって、本尊抄における仏像を曼荼羅であると断定する明確な根拠がない限り、木絵二像開眼の事だけを仲間外れにするわけには行かないだろう。それこそ自己都合による恣意的解釈と言われるだけである。

もっとも法華講員の解釈論にも飛躍がある。本尊抄の仏像を曼荼羅本尊とする説明はけっこう難しいので、かなり端折ってしまっているのだ。

いわく、身延などには御相伝がないから、これを曼荼羅とは読めない、みんな間違えちゃっている、日蓮正宗だけが御相伝に基づいて正しく拝している、と。

このように書くと、まるで法華講員を馬鹿にしているように誤解する人がいるかもしれない。だが、わたくしは正反対のつもりで書いたのだ。
実は顕正会もそうだが、おそらく創価学会も同様であろう、この日蓮正宗における御書の解釈を素直に信じている、もしくは信じていたのである。これを今は都合が悪くなったからといって部分的に変更しようものなら、実際にはそこらじゅうに齟齬・矛盾が生じてくるはずなのだ。
教義とはそういうものである。一朝一夕に成り立つものではないのだ。

2007/11/28

前代未聞の質問会  
久しぶりに、れん氏よりコメントをたまわったわけだが、その内容には驚いた。まあ、しかし、これは個人情報に類することでもあるので、あまり突っ込んだことを書くのは控えたいと思う。ご自身が進んで語られる分には問題ないが、わたくしのほうからあれこれと詮索するのは失礼というものだろう。

さて、おそらくはこれより数日間、過日の質問会について書くことになるだろう。既知のごとく、十一月十八日と二十四日の二回にわけて、質問会が行なわれた。これは前代未聞の質問会だった。

なぜならば回答者と質問者が別々の教団だからである。

まず、一回目は創価学会員からの質問に、法華講員の樋田氏が回答した。そして、二回目は法華講員からの質問に、創価学会員の沖浦耕治氏が回答した。
こんな質問会は見たことも聞いたこともない。そもそもが成立しないはずなのである。誰が考えたって、そう思うだろう。
普通は内輪でやるものだと思う。信者からの質問に幹部が答える。これが普通である。顕正会でもかつてはよく行なわれていた。一説にはヤラセとの指摘もあったが、それはともかくも内輪であれば無難な質問しか出てこない、質問するほうも変な質問をして心証を悪くしたくない、そういうわけで回答者も安心なのである。
ところが敵対勢力を集めて質問を受け付けるとなると、これはたいへんなことになるだろう。早い話がイジワルな質問ばかりが出てくると予想されるのだ。いわゆる質問攻めである。
ゆえに、このような質問会が成立したこと自体が不思議であり、前代未聞なのである。

この点において、樋田氏は今さら評価するまでもないが、沖浦耕治氏は立派だった。回答者として、法華講員たちの前に姿をあらわしたこと、そしてその映像を洗いざらい公表したことは、快挙である。

さて、十八日の質問会でのことだが、樋田氏がいきなり顕正会の名前を出してきたので、わたくしは画面の前でのけぞってしまった。
最初に視聴したのは沖浦氏側の映像だった。その映像は、ほぼ真正面から樋田氏の姿を映し出していたので、まるでわたくしに語り掛けているように錯覚したのだ。顕正会員なら誰もがドキッとするところだと思う。

耕治氏が質問をした。御本尊のないところで題目を唱えるのは功徳があるかどうか、と。その時、樋田氏が真っ先に出してきた名前が顕正会だったのだ。

顕正会員の唱える題目に功徳はない。彼らは戒壇の大御本尊を信仰していると口では言っているものの、身口意の三業が整っていない・・・云々と。

で、この後に、創価学会も身延も立正佼成会も霊友会も同じ、五十歩百歩、メクソハナクソ、などと言葉を継いでいくわけだが、最初に顕正会の名前を出したのには面食らったものである。まあ、これは耕治氏の質問がいわゆる遙拝勤行を彷彿させるものだったので、頭の回転の速い樋田氏はそれをただちに連想したのだろうと思う。
しかし、顕正会員としてはいささか不本意というか、やるせない気分である。創価学会はいざ知らず、身延などは戒壇の大御本尊をまったく信仰していないわけである。その面々と一緒くたにされてしまっては、立つ瀬がないというものだ。

しかし、現実問題として今後、顕正会員が顕正会員のままで戒壇の大御本尊に御目通りさせていただける可能性はゼロに近いだろう。わたくし自身、この現実を直視しなければいけないことは、じゅうぶん承知しているつもりである。

十八日分でもう一つ、顕正会員らしい視点を書いておこう。

樋田氏いわく、天皇云々と。

あれっ?と思った。聞き間違いかと思ったが、そのまま継続して視聴していると、話の続きの中でも再び天皇のことを口にしたのだった。
樋田氏は、富士一跡門徒存知事のいわゆる「本化国主」を躊躇なく、天皇のことだとしているのである。これはけっこう重要な発言かもしれない。
何しろ顕正会員が国主は天皇であるなどと言おうものならば、創価学会員はもとより法華講員すら違うと言ってくるのである。邪義破折班もそうだった。
ところがこれは内緒の話なのであるが、某法華講員に言わせれば日蓮正宗の僧侶でも天皇国主論を支持する人は案外に多いというのだ。いちおう邪義破折班の顔を立てて・・・というわけではないだろうが、わざわざ顕正会を利する必要もないので声を上げないだけのことらしく、今でも天皇国主論を支持する僧侶は多いらしいのである。
あるいは樋田氏の発言が、間接的にそれを裏付けているのかもしれないと思った。

なお、平成新編御書では、本化国王となっている。そういえば、御書の中でも従来の全集では国主と表記されていたものが、平成新編では国王に直してあるところがいくつかあったと思う。どういう理由で変わったのか、知りたいところではある。

2007/11/27

独白者の憂鬱  
わたくしが誤解しているというのは誤解なので誤解を解いておこうと思う。

渡辺氏の考え方はおおむね承知しているつもりである。裁判の話はあくまで一例であって、その結論としてわたくしが書いたことは、顕正会に被害をこうむったと思っている元会員は何らかのアクションを起こすべき、ということなのである。おそらくインターネット上でもっとも早い時期に顕正会批判を開始したのは渡辺氏であり、その影響力たるや甚大だった。今も顕正会批判のスタンダードとも言えるわけで、いつだったかも真面目な顕正会員が氏のサイトを百回は見ていると書いていたほどである。その意味で渡辺氏の起こしたアクションは強烈かつ的確だったのだろう。氏に対する評価は不動のものだと思う。

さて、今日は顕正新聞第1085号の話題に戻ろう。

新聞全体の印象を書くと、不思議なことに日達上人への呼び捨てが激減しているのだ。たった一人の文章を除けば、他には見られないと思う。たった一人だけ「細井日達」という呼び捨て表記を書きまくっているが、他は「細井管長」になっている。これが不思議だ。まあ、しかし、悪貫首だとか悪臨終と書いてしまっているので、同じことなのだが・・・

それでは肝心の、たった一人の悪言を引用しよう。

 先生はすでに十余年前に、細井日達の臨終思うようにならぬさまを指導されましたが、いま改めてそれを思い起こすものであります。
 すなわち細井日達は昭和五十四年七月十九日、本山近くのフジヤマ病院に緊急入院し、同月二十一日、「明日一日だけ本山に帰るから、寝たままでいいから、本山の対面所に布団をひいておくように」と指示し、貫首としての最大事の責務を果さんとした。しかしその日の深夜、突如襲った激甚の発作により心臓が停止し、驚いた二人の医師が三時間近く心臓マッサージを続けるもついに蘇生しなかった、との内容でありました。
 このとき先生より頂いた
 「大聖人様は、御遺命に背く貫首には御相承の授受をお許しにならなかったのである。……細井管長のこのさまを見るに、この急死こそ、大聖人様の厳たる御意と拝するほかはない」
 との指導、いまなお強く命に焼きついております。


城衛男子部長の記事である。ひじょうに恐れ多い内容であるが、事実関係を究明する意味で、ここにはっきりと掲示させていただいた。
わたくしが疑問に思ったのは、十余年前云々のくだりである。いったい、いつ、どこで、そのような指導があったのか、これほどの重大指導にもかかわらず、それがアイマイである。
わたくしの認識としては、従来は臨終思うようにならず急逝と書いてあり、この急逝という表現にはまだ奥ゆかしさを感じたものだった。それがいつの間にか、急死と書くようになってしまった。この変化は大きい。ゆえに忘れもしない、これは平成十一年から始まったことではないかと思っていたわけである。
ゆえに男子部長の言う、十余年前は間違いではないのか、とわたくしは思うのだが、違うのだろうか?
さらに言えば、心臓マッサージ云々の話は平成十六年に初めて聞いたのだと思う。だとすると、ますます十余年前は信用できないことである。

男子部長は十余年前などとアイマイなことを言わず、しっかりとした文証を提示すべきだ。

もっとも男子部長がコメントをくれるとは思えないので、もし、該当する指導をご存知の人がいれば、男子部長の代わりにコメントしてほしいものである。男子部長をウソツキにしないためにも、真面目な顕正会員の奮闘を期待したい。

さて、同新聞の「正義にめざめて」の記事中には、

猊下様が日顕に

という意味不明の小見出しがある。これがふざけた文章なのだ。

 また七月度総幹部会ビデオ放映に参加させて頂くまでは、これまでの習慣からどうしても阿部日顕のことを「猊下様」と呼んでおりましたが、浅井先生より正本堂崩壊の事実を初めてお伺いし、阿部日顕の真実の姿を初めて知り、ビデオ放映参加後には「阿部日顕は、ほんと悪党ですねー」と声を張り上げて語ることができ、晴れ晴れとした気持ちとなりました。

これは申すまでもなく、法華講からの入会である。六月入会と書かれているので、二ヵ月後には躊躇なく呼び捨てができるようになったわけだが、どうやらこの人は二十歳になるかならないかの若い青年のようである。順応が早いと言えば聞こえがいいけれども、ぶっちゃけ言えば洗脳されやすいわけだろう。

わたくしは、晴れ晴れとした気持ちとは正反対の、鬱々とした気分である。

2007/11/26

二氏への返事を兼ねて  
まず、今朝の沖浦氏からのコメントであるが、前にも似たようなことを言っていた記憶がある。

三人の聖人方・・・

これはよくないと思う。おそらく創価学会でも、ここまで言う人はいないはずである。まったく相変わらずだ。

いちおう、一つの理由を示しておこう。
日興上人を日興聖人と表記しているのをマレに見ることがある。しかし、わたくしの知る範囲では、顕正会でそのように表記したことはないし、おそらく創価学会でも同様だと思う。その理由は簡単だ。日蓮正宗そのものが、日興上人と表記するのを常としているわけだから、これに倣うのが理の当然なのである。
沖浦氏の書き方だと、うっかりすると日興上人よりも創価学会の会長のほうがエライことになりかねないのである。
もっとも、一説によると池田大作氏は大聖人よりもエライという話なので、その説に従えば創価学会の会長が日興上人を凌駕するのは当たり前なのかもしれないが・・・

もう一つ、大聖人が偉いお坊さんであるとの世間の認識はともかくとして、沖浦氏の言う三人の聖人方に対する世間の認識はどうか、ということが気になった。

大聖人は歴史上の人物として定着している。単にこれだけでは摧尊入卑になるかもしれないが、ともかく歴史的に著名であることは確かだ。では、三人の聖人方はどうか、なのである。
確かに現代史として、今や創価学会の存在は隠れなきものだと思う。ことに最近の政治状況においては、公明党の存在感が強くなっていて、評論家などもこれに言及せざるを得ないし、聴いていると今はタブー視されなくなったのだろうか、けっこう創価学会の名前が大っぴらに取り沙汰されていることに驚くほどである。
たまたま昨日の午後、車中で文化放送を聴いていたところ、愛川欣也と森田実が政治の話の中で、創価学会のことを云々していた。森田氏は評論家なので、その手の話題に精通しているだろうけど、案外に愛川氏も、自分は創価学会員じゃないけど興味があるので知人などからリサーチしている、みたいな前置きをして自らも積極的に見解を述べていたので、これにはけっこう驚いた。失礼ながら、愛川氏はどちらかと言うと、ちょっと軟派なイメージがわたくしにはあったのである。

話が長くなったが、現代史というのは流動的なものである。何しろ現在進行形だからだ。ゆえに、本当の意味で歴史に定着するかどうか、それは百年単位で見ないとわからないと思う。
そういうわけで、三人の聖人方が後世に三聖として名を残すかどうか、それは未定としなければいけないだろう。

渡辺氏の、人生を滅茶苦茶に踏みにじられた・・・云々には、わたくしも思うところが多々ある。

かつて某氏が言っていたことだが、他の宗教団体をめぐっては「青春を返せ裁判」というのが起こされていた。今も継続しているのかどうか、詳しいことは何一つ知らないけれども、ようするにその宗教団体の元信者たちが、まさに教団によって人生をメチャクチャにされたということで、訴えを起こしたわけである。
某氏は、顕正会でも同じような裁判をやればいいのだ、と言うわけである。
わたくし自身は裁判というものをよく知らないので、あまりやりたいという気がしない。何となく裁判というのは、最終的に金銭で解決するみたいなイメージがある。これをわたくしは快く思わないのである。ただし、意思表示の意味では、有効な手段かもしれないと思う。顕正会は会員の人生を踏みにじる悪い団体である・・・と本気で思うならば、何らかのアクションを起こすべきであろう。

先般、彗星(?)のごとく出現した是正協議会は、ある意味ではかなり有効な意思表示の方法を用いたことになるだろう。

同様の手法で、やってもいいかもしれない。
例の「あと二十五年」について、浅井先生として何らかの説明責任ないし釈明・・・もっと言えば、謝罪をするべきではないのか、という内容の文書を送付し、かつまたネット上でそれを公表するのである。
仮にわたくしがやるとしたら、別に金銭的な謝罪を求めるつもりは毛頭ないので、総幹部会などの公式の場での謝罪を要求したいと思う。裁判ほどのインパクトはないかもしれないが、わたくしとしてはこれでじゅうぶんである。

なお、わたくし自身は浅井先生に対して、その手のウラミツラミはまったくない。あくまで自己責任だと思っている。わたくしは元来がダメ人間なので、顕正会に入ってダメになったとは、それほど思っていないのである。

2007/11/25

「あとのない時代」の真意  
わだっち氏に、本質を見誤っている、との指摘をたまわった。わたくしのつもりとしては、まあ、一つの要因だろうか、という程度のことであり、半分は冗談みたいなものなので、そこをご理解いただきたいと思う。氏の書いておられることは、まさにそのとおりであり、わたくし自身もこれまでに何度となく書いてきたことである。

さて、今日は顕正新聞の第1085号から、三つの文章を引用する。まずは御大会式の講演、次に女子部幹部の記事、そして目師会の講演である。

 だから私は、少しも心配したことがない。広宣流布ができるか、できないかなどと、心配したことがない。広宣流布は凡夫がやるのではない、常住あそばす大聖人様がなされる大仏事であるから、必ずできるのです。

 講演の冒頭において、「御入滅七二六年たっても未だ広宣流布は達成せず、申しわけなし」との先生の切なるお心を伺っては、「弟子が戦いを遅らせてはならない」との強き思いが込み上げるとともに、先生が晴れて御遺命実現を大聖人様に御奉告される日が一日も早まらんことを、熱願せずにはいられませんでした。

 さて、宗門でも多くの人が、日目上人が天奏の途上で御遷化されたことについて、「どれほど無念であられたか」などという。
 だが私はそうは思わない。「無念・残念」などは凡夫の憶測にすぎない。
 日目上人は始めより、途中でいのち尽くることをご存知の上で、敢えて大聖人の御遺命を奉じて身命を抛たれたのです。
 その御心を謹んで拝察し奉れば―
 「いのち尽くまでの御奉公、いまここに貫かせて頂きました」
 との大歓喜でいっぱいであられたに違いない。


わたくしの引用意図を簡潔に書いておく。

広宣流布は大聖人の絶大威力によって必ず実現する。これは問題ない。
次に女子部幹部は、浅井先生の存命中に広宣流布が実現すること、しかもそれが一日も早く到来することを熱願しているわけだが、熱願する分には問題ない。しかし、人によってはあと十有余年を信じて疑わない人もいるわけで、あるいはこの幹部もそのように思っていて、さらにそれが一日でも早まることを願っているのかもしれないのだ。
ところが最後の引用文を読むと、わたくしは別の感慨が込み上げてくるのだ。ああ、先生はついに悟ったのだと。すなわち、自分の存命中に広宣流布の到来はないことを、である。

誤解のないように付け加えておくが、わたくしは何も浅井先生を日目上人の再誕だと思っているわけではない。そんな馬鹿げたことは一度も考えたことがない。なかには本気で思っている人もいるらしいのだが、少なくともわたくしはそのようには思わない。

ともかく、先生は目師の御振る舞いを手本として、自分の人生を全うするつもりなのだ。

別の言い方をすると、生涯現役のつもりなのだろう。
これは一般的には悪いことではないのだが、しかし、現実的にはいろいろ問題がある。とりわけ顕正会の場合は後継者をどうするか、その辺がまったく見えていないだけに、深刻な問題である。
結局、先生は後継者を見出せず、いつまでも自分が引っ張っていかないと顕正会は成り立たないことを承知しているのだろう。

あるいは、いつまでもトップにしがみ付いていたいという、きわめて俗っぽい欲望なのだろうか?

どちらにしても、まもなく時間切れである。

2007/11/24

青二才の独白  
わだっち氏には、お気遣いをたまわりましたこと、まことにありがとうございます。

さて、日々更に決意氏からは、わたくしがブルーである理由がわからないとのコメントを頂戴した。
これについて書いておくと、一つには創価学会系掲示板でのゴタゴタを見て、そのような気持ちになったのである。ハタからは、内輪揉めに見える。これを顕正会あたりでは、自界叛逆が始まったなどと大騒ぎしたりする。先般の「光久の乱」が好例である。もちろん、今回の場合は申すまでもなく、創価学会のほんの片隅で起きた些事であるから、顕正会がわざわざ取り上げることはないだろうが・・・
わたくしの視点は逆なのである。ごく末端の、組織の中ではそれほど重要な立場にない人が、いろいろな意味で苦悩し、葛藤している様子に、心を痛めているのである。これは相手が誰であっても同じであって、むしろ法華講対創価学会などの軋轢よりも遥かに真実に満ちあふれている。その意味で、心に響くのだ。早い話が本音でぶつかっているからである。
しかし、本音をぶつけ合うことが必ずしも好結果を呼ぶとは限らないわけで、わたくしの拙い人生経験からすると、人間関係のワダカマリというのは解決しない場合のほうが圧倒的に多いのである。もちろん、繰り返し言っておくが、あくまでわたくしの拙い経験に基づく話である。
いちおう和解ということはある。だが、本当の意味で満足のいく和解があるかどうか、わたくしにはわからない。おそらくは、どちらかが譲歩することによって、和解が成立するわけだろう。譲歩したほうが精神的に余裕を保てるか、仕方なく折れてしまった場合には、やはりどこかに悔いが残るのではないか、という気がする。また、先方にしてみれば、相手に譲歩させたということで優越感、もっと言えば事実上の勝利であると解釈する場合もある。これをあからさまに言えば、もはや和解は有名無実に等しい。ゆえに本当ならば、相手に譲歩していただいた、ありがたいことだ、という気持ちでなければならない。
そんなこんなで、現実には人間関係の軋轢を解消することは困難である。だからこそ壊れないように、礼節を重んじるわけである。これが度を過ぎると、当たり障りのない無難な付き合い方になってしまい、今度はいわゆる人間関係の希薄さが問題となる。

独白ブログにふさわしくない内容である。しかし、これはある意味、わたくしの心象風景を示しているのだ。

先に、創価学会員同士の自界叛逆・・・喜べない、という意味を書いた。つまり、これは何も特殊な話ではなく、普遍化ないし一般化し得る出来事なのである。ゆえに顕正会員同士でも起こり得る話であり、実際にはたくさんあるに違いないのだ。
わかりやすい例をあげれば、組織の人間関係がイヤになって活動から遠ざかってしまった、ということがたくさんあるはずである。これは転職を繰り返す人の場合も同様だろう。その仕事そのものが好きになれないからという理由よりも、おそらくはその職場の人間関係を理由に転職することのほうが多いと思う。同様に、大聖人の仏法が好きになれないから・・・などという罰当たりな人はあまりいないはずである。
前にも書いたことがあると思うが、組織の中でイザコザがあったりする、ちょうどそのタイミングで他団体から折伏を受けると、移籍の可能性が高まるのである。これならば、法華講や創価学会から顕正会へ移籍してくる人もいれば、その逆もあることの説明がつきやすいと思う。

その意味では、今回の掲示板での騒動をきっかけに、創価学会がイヤになって法華講に行く人が出るかもしれない。もっとも、こういうことを書くと沖浦氏あたりが、行きたい人はどんどん行ってください、などと言いそうであるが・・・

しかし、ある意味では掲示板が緩衝材の役目を担っているとも考えられる。

もし、これがである。現実の組織の中での軋轢であったならば、にっちもさっちも行かないことになるかもしれないのだ。それこそ組織をとび出して、他団体に駆け込むことになるだろう。しかし、掲示板でやっている分には問題ない。それどころか、ネットでの活動は無意味(?)であると悟り、実際の活動に熱中するようになる可能性もある。だとしたら創価学会にとってはプラスであろう。もちろん法華講の場合でも同じである。

ところが顕正会にはそれがない。茶寮掲示板はあまり機能しているとは言えないし、他にそれらしきものは見当たらない。

だから定着率が悪いのだろうか?

この際、顕正会本部で緩衝材用の掲示板でも作ったらどうか?

いや、顕正会の場合は手遅れだかもしれない。

2007/11/23

ブルーな独白  
不思議な連鎖がある。昨夜、渡辺氏よりコメントが入った段階で、わたくしは思った。ああ、おそらくは明朝、沖浦氏よりコメントがあるだろうと。案の定である。

ところで渡辺氏の書かれていることは、興味のある人にとってはひじょうに有意義である。

 次にルビとアルファベットの矛盾。
 「地獄」には(じごく)「地面」には(じめん)
とルビを振りますし、JIS入力も「JI」ですね。
 しかし、「地」=(ち)なのですから、(ぢごく)でいいのではないかと。
 また、「飯塚」とタイプするときはiidukaなんですが、アルファベット表記はiizukaがポピュラーです。しかし、ルビは「いいづか」ですよね。
 一体どこの誰が何の基準で決めているのか。
 ここに言語の崩れがあると云えると思うのですね。


この部分については、いわゆるアメリカナイズが原因なのだろうか、ということを思った。
おそらく飯塚さんをローマ字表記にする場合、iizukaのほうが英語圏の人に親切というか、そのほうが日本語の発音に近くなるのだと思う。逆に、iidukaだと、当てずっぽうではあるが、イイデュカさんになってしまうのではないか・・・英語圏の人が読んだ場合である。
うがった見方をすれば、これはアメリカにへつらっていることになるのかもしれない。ようするに、本来の表記を尊重すれば、zではなくて、dにするべきことになる。しかし、現実はzが主流のはずである。これがやがて、地獄や地面に逆の反映をもたらした。現代国語では「ぢごく」と「ぢめん」よりも、「じごく」と「じめん」のほうが主流になっているのだ。

わたくし自身はそれなりに整理できているつもりであるが、しかし、もしかしたら間違っているところがあるかもしれない。何しろタイピングではローマ字入力を使用しているので、それが見えないところで悪影響をもたらしている可能性はあるだろう。
それとはやや話が異なるが、ともかくパソコンを使って文字入力をするようになってから、実際の筆記がおぼつかなくなってしまった。字がますますヘタになってしまったし、漢字が書けなくなってしまった。これはもはや回復しないだろう。
話を戻して、言葉の変遷ということも、ある意味では仕方がないことであって、古き良き時代の言葉を復活させることはひじょうに難しいことだと思う。むしろ現代人は現代国語を正確に使用することが、最低限の意味において言葉を守ることになるのだろう。

ニシケン氏より十一月二十日分の欄に、再度の生意気な書き込みをお許しください、とのコメントをたまわった。
生意気なのは、わたくしのほうである。ゆえに、どれほど生意気なコメントだったとしても、別にそのこと自体はまったく気にならない。実は、現実の生活の中ではしょっちゅう腹を立てたり怒ったり、その未熟さをいつも反省しているわけであるが、不思議なことにコメント欄に書かれていることには、滅多に腹を立てることはないのである。
これこそ生意気な言い方であるが、わたくしはこの独白ブログを自分を見つめるための格好の手段だと思うようになっているので、むしろ核心を突くコメントは願ったり叶ったりなのである。

ニシケン氏はわたくしに対して、自分に甘いのではないか、という意味のことを書いておられる。

そうかもしれない、と思う。また、昨日の渡辺氏のコメントを拝見するに、現実逃避ということが書かれている。自分に甘い、現実逃避・・・まさに共通の概念が見えてくるところである。
これは否定をしたところで意味がない。
控え目に見積もっても、他人からそのように見られていること自体が、己れの不徳の致すところなのだ。そのように反省し、これを打開していくべきが前向きな姿勢であろう。

しかし、まあ、おそらくは正宗に帰伏しない以上、いつまでも言われ続けるのだろう。

ありがたいことではあるのだが・・・

2007/11/22

表記上の疑問点  
沖浦氏はきわめて重要なコメントを残された。これについては思うところが多々あるけれども、当面は差し控えたいと思う。
また、過日の質問会であるが、これはすでに映像が出回っていて、わたくしもさっそく拝見したが、これまた当面は言及しないことにする。

さて、顕正新聞第1085号の話題に移ろう。まずは参考として、過去の拙稿を紹介しておきたい。

http://diary.jp.aol.com/ganko/924.html

どうやら顕正会の首脳部は、拙ブログをけっこう意識しているらしい。

というのは、今回の新聞でも同様のことが見られるからである。それも前回以上のこだわりようなのだ。おそらく用法としては完璧のつもりなのだろう。行き当たりばったりで書いているわけではあるまい。

まずは第一面に載る、日目上人御報恩勤行会の講演である。

 そして二年後の十七歳のとき、日目上人は身延山に詣で、初めて大聖人様の拝謁を頂いた。

そして後宇多天皇の弘安四年に、大聖人様は始めて朝廷に申状を奏上されている。


これは意識的にやっているとしか思えない。そしてこれが適切な使い分けであると言いたいのだろう。
さらに、第二面から四面にかけては、御大会式の講演が載っている。これがまた、スゴイのだ。

 大聖人様は御年三十二歳の建長五年四月二十八日、太平洋上を昇らんとする旭日に向い、始めて南無妙法蓮華経とお唱え出された。

 かくて一切の御化導を了えられ、御入滅近きをおぼしめされた大聖人様は、入山以来九ヶ年間、一度も出で給うことのなかった身延の深山を、初めてお下りになられた。

 そしてこの「是好良薬」たる戒壇の大御本尊は、大聖人様を恋慕渇仰する信心が日本国にみなぎったとき、始めて国立戒壇にお出ましあそばすのであります。

以来、皇室が二つに分裂した南北朝の時代となってしまった。これは日本の歴史において始めての事態です。

 そのとき、日本の人々は始めて「この日本に唯我一人能為救護の仏様がまします」を知り、一同に我慢偏執の心を捨て、手を合わせるのであります。


わたくしには理解不能である。四番目の「日本の歴史において始めて」が「初めて」であれば、わかるような気がするけれども、原文はご覧のとおりなのだ。はたして、この法則性を説明できる人がいるのだろうか? もし、うまく説明できる人がいれば、ぜひ、お願いしたいと思う。

ちなみに、わたくしが愛用している明鏡国語辞典は、「はじめて」を「初めて」と表記しており、その最後の部分に次の説明がある。

もと「始」も使ったが、今はもっぱら「初」。

この一つ前の項目には、「はじめ」がある。これは「初め・始め」の両方が書かれていて、次のごとく説明してある。

一般に、時の流れを重視して「初」、物事の起こりを重視して「始」と使い分ける。

おそらく浅井先生の用法は、この説明が当たらずとも遠からずなのであろう。しかし、「はじめて」の場合はくだんのとおりであり、ようは現代国語としては「初めて」が普通なのである。その意味で、先生の文章は不適切というか、変にこだわり過ぎているキライがあって、あまりよくないと思う。

もう一つ、これは話が少し変わるけれども、久遠元初と久遠元始の問題がある。浅井先生は、百六箇抄の久遠元始と書かれている部分を、久遠元初に直して自著などに引用しているのだ。この理由をご存知の人には、ぜひとも教えてほしいものである。


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