2007/12/18

わかりやすさがウリ?  
ひじょうに煩瑣な議論になってきた。おそらくは昨日の拙稿ならびにコメント欄を読んで、すんなりと理解できる人はいないことだろう。わたくしはこれがイヤだから、独白に撤しているのである。

そこで今日は、タイトルにあるごとく、誰もがわかるように話をまとめたいと思う。内容的には数日来のものと重複することをあらかじめお断りしておく。

三大秘法は本門の本尊・題目・戒壇である。わたくしはこれを、仏・法・僧ではないかと書いたのだ。つまり、本門の本尊というのは人本尊であって、法本尊を含まない。法本尊は本門の題目に含まれる。

ようはこれが正しいか間違っているか、それが問われているのである。で、わたくしとしては、今も捨て難い魅力を感じているけれども、正宗教学の立場から見れば邪義である、ということなのだ。

本尊問答抄のように、本尊を題目とする場合は、本有無作三身の内証の(法体としての)五字を指すと愚考します。

れん氏のコメントにあるごとく、法華経の題目を本尊とすべし、とする本尊問答抄の御指南は、仏様の内証に具備される法体を指すのであるから、いわゆる法本尊の意味である。ゆえに、本門の題目ではなく、あくまで本門の本尊なのである。

 六秘との整合性はどうなるのだ。

渡辺氏のコメントはひじょうにわかりやすい。呆れてものが言えない、と書いておられるように、詳しいことは何一つ書いていない。だが、わかる人が読めば、これほどわかりやすい話もないのである。
三大秘法を開けば八万法蔵になる・・・というのは間違いではないが、順序としてはその前に六大秘法がある。氏はこのことを言っているのである。人本尊・法本尊というのが、いわゆる六大秘法における本門の本尊の括り方である。本門の題目においては、信と行に開くのだと思う。ようは修行者側の信力・行力にスポットが当てられているわけであって、一方の仏力・法力はいずこにましますかと問えば、それは言わずもがなのことなのである。
ゆえに、六大秘法との整合性を勘案すれば、三秘=三宝は成り立たない。早い話が正宗教学の基本がわかっていない。だから呆れてものが言えないわけである。

しかし、冒頭に書いたごとく、わたくしは今でも魅力を感じているのである。

本尊・題目・戒壇=仏・法・僧

これがダメだとすると、次の括り方はどうだろうか?

本尊・題目・戒壇=仏法・僧・△△△

戒壇の部分をワザと穴埋め問題のようにしたわけだが、おおむね修正案の意図するところは了解できるかと思う。

今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。

わたくしは本尊抄のこの部分がひじょうに身に迫ってくる。いちおう穴埋め部分は、寂光土を想定しているが、別の言葉でもいい。ともかく仏法があって、修行者がいて、その場所・空間がある。

以上のごとく、単純には仏法僧を三大秘法に当てはめることはできない、というのが現時点でのわたくしの結論である。


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