2007/12/26

年末随想  
山門入り口氏から、教学試験の問題が掲載されているサイトを教えてもらった。ざっと見ただけだが、どれもこれも難しく感じた。

もしもである。今すぐに試験をしたら、おそらくは合格できないだろう。ヘタすると、全問不正解・・・ようは零点の可能性すらある。それほどに難しく感じるのである。
あるいは、もしも明日が試験だとして、これから一夜漬けで勉強して間に合うかと言えば、まるで自信がない。もちろん難易度によるわけだが、いちばん難しい試験だったら確実に不合格だろう。わたくしの能力では、一年間みっちり勉強してどうか、というところである。

ところで、創価学会の教学試験問題には、日蓮正宗を破折(?)するような内容が盛り込まれていて、その部分だけを見ていると顕正会の試験に似ているように感じる。正直なところ、わたくしはこれを邪道だと思っている。とりわけ顕正会の場合、登用試験の段階でこれをやってはマズイと思う。登用試験はあくまで純粋に、大聖人の仏法を学ぶべきなのである。
今のわたくしは、顕正会をそれなりに客観視できる自信がある。その目線から見ると、試験問題に宗門批判を盛り込むことは、洗脳教育にしか映らないのである。
前にも何度か書いているが、右も左もわからないような初心者に、いきなり阿部日顕だとか細井日達だとか教えるのはどうかと思う。根本的に何かが狂っているとしか思えないのだ。

さて、今日はめずらしく遅い時間になってしまったので、簡単に終わらせよう。顕正新聞の第1088号はいわゆる年末合併号であるが、特筆すべき事柄がある。ある言葉が復活したのだ。顕正会では半ば死語化しつつあった。それをわたくしは去年の九月に指摘しておいた。

思えば、かつては信行学兼備の人材という言葉がよく使われたものだった。

http://diary.jp.aol.com/ganko/495.html

まさにこれである。この「信行学兼備の人材」が復活したのだ。顕正新聞の当該号には、そこらじゅうにこの言葉が出てくる。正確には、

信・行・学兼備の人材

これが顕正新聞での表記であるが、これを十一月度各部班長会において、多くの登壇者が使っているのである。いくつか例をあげておこう。

全員が信・行・学兼備の人材に成長するべく

新旧共に信・行・学兼備の真にお役に立てる強き人材集団となって

信・行・学兼備の人材を打ち揃え


班長会は総幹部会の数日後に行なわれるのが通例である。つまり、十一月度総幹部会における浅井先生の講演を受けて、信行学兼備の人材を云々しているのだ。皆が口をそろえて・・・

熱心な活動会員は押しなべて、先生にお応えしたいという思いを懐いている。ゆえに先生が教学に力を入れる方向性を示せば、皆がその方向に全力投球するのである。

今回の新聞は、その典型的なパターンを示している。

もっともスローガンだけで終わる可能性も少なくないのだが・・・


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