2008/2/12

からぐらの風を中心に  
顕正会の状況をみますと、どうやら目の前の成果ばかりを追って、人を育てることをしていませんね。国家百年の大計も、教育すなわち人材の育成が根本です。内実はともかくも、石山系の中で学会が大きくなったのは、組織の中だけでええ格好をする人間ではなく、社会の第一線において通用する人材の育成に努めた結果といえます。興師も「内外の才覚なくしては国もやすからず、法も立ち難し」と言われておりますから、まずは法を立てるにも、“内外の才覚”にすぐれた人材の育成が第一です。顕正会の現状では、それが出来てないので、人材流失はむしろ当然の結果であろうと思います。

つい先ほど、れん氏より頂戴したコメントである。まったくもって、おっしゃるとおりだと思う。本部関係者は謙虚に受け止めるべきであろう。

さて、何やら先日分のコメント欄が賑わっているようであるが、それはそれとして、今日は少し話題を変えたいと思う。わたくしが密かに愛読しているサイトの一つに、「からぐらの風」がある。そこの最新投稿では、御書の真偽論について触れている。

絶対多数の信仰者は別に学問仏教をしているわけではないのだ。そのような方法論も学んでもいない。自らの生活の中で信仰を見つめ、御書を読み、御書を語ってきたわけだ。一巻の『御書全集』をそのまま日蓮(大聖人)のお手紙として受け取ってきたわけだ。

 そういう人たちにとって、「あなたの読んでいる、その御書は偽書ですよ」と言われることは、どれほどの衝撃となるであろうか。学問的方法論を持たぬその人は、ただ煩悶し、懊悩に突き落とされる。挙句の果ては信仰そのものが破壊されていくこともあろう。


これはその文章のほんの一部であるが、心情的な意味で相通ずるものがある。

宿坊というハンドルネームの人物がいる。創価学会員と思われるが、一頃は掲示板などでけっこう活躍していた。彼の主張で印象的だったのは、日蓮正宗に伝わる御書であるとか古文書、あるいは重宝類、これらを並べ立てて、あれもニセ、これもニセ、ぜんぶニセ、正宗に伝わるものはニセモノばかり・・・などと息巻いていたことである。
その頃は、わたくしもいくつかの掲示板に出入りしていた。それで幸運(?)にも宿坊氏と接触する機会があった。わたくしは氏に問うてみた。

御義口伝はどうでしょうか・・・

あれもニセ、これもニセ、という人なのである。かくも真偽にうるさい人物であるから、御義口伝についてもけっこう厳しい評価を下すのではないかと想像していた。ところがわたくしの予想とは違う答えが返ってきた。

創価学会員には有効でしょう。

これがその時の宿坊氏の発言である。もしかしたら、どこかに記録が残っているかもしれないが、今は記憶のままに書いているので、ご注意願いたい。

からぐらの風に戻ろう。少し前の文章に、次のようなくだりがある。

日蓮の門下が日蓮に肉薄することによってできた「御義口伝」には、次のような言葉がある。

これは・・・絶句である。

上掲は第三十六号であるが、第三十八号には次の文章がある。

『御義口伝』の成立については、もっと厳密な考察が必要となろうが、法然・道元・親鸞よりは、はるかに『三十四箇事書』等が思想的な親近性をもつことは否定できない。今後の本格的な研究に期待したい。

偽書という言葉こそ使わないものの、これは事実上、御義口伝は大聖人の直接の御指南ではない、という見解を示していることになると思う。
まさか、ここまで踏み込むとは思わなかった。この執筆者は創価学会員だったはずである。それがここまで書くのだから、驚きである。

もっとも、こういう引用は、本人には不本意だかもしれない。文章というのは全体を把握しないことには、執筆者の真意を損ねることになるからだ。ゆえに、それぞれが直接「からぐらの風」を訪ねて、文章の全体をよく読んでほしいと思う。

いずれにしても、一創価学会員の見解ながら、大いに注目すべきことである。


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