2008/2/27

雨にも負けずの精神  
今朝の沖浦氏からのコメントを拝見して、思い出したことがあった。

平成二十一年の結集・登山では諸天の怒りが爆発するに違いない。

これはフェイクの第886号である。昨年の大みそ日に発行されたものらしい。

諸天の怒りが爆発する・・・というのを読んで、わたくしは苦笑した。どこかの教団に似ているなあと思った。とうとう他力本願に宗旨替えしたのかとも思った。
おそらく創価学会では、ここ十有余年の間、謀略の限りを尽くしてきたのだろう。もちろん、日蓮正宗をやっつけるためである。ところが思ったほどの成果をあげられなかった。それでとうとう諸天の力に頼らざるを得なくなったらしいのである。

顕正会では諸天の働きを重視している。浅井先生が常にそれを教えているからである。
先生は以前、創価学会員は諸天の働きがわかっていない、ということを言っていた。しかし、この認識もそろそろ改めないといけないようだ。

さて、宗門が結集を行なうと必ず天候不順に見舞われる・・・というのは本当だろうか?

わたくしの現時点での所感を申し述べれば、今のところはかなり理想的な展開になっていると思う。ようするに、本年全国各所で行なわれている結集は本番のための予行演習なのだろう、ゆえに本番がどうなるか、それが注目されるのである。
予行演習ではすべて晴天に恵まれた、ところが肝心の本番は悪天候だった・・・これではガッカリであるが、その逆であれば、けっこう感動的だと思う。終わりよければ、すべてよし、である。
ゆえに、今のところは理想的であり、極論すれば本年の予行演習はぜんぶ悪天候でもいいくらいなのである。それに怯むことなく、最後の本番に大結集を実現すれば、しかもその日がまさに諸天も寿ぐ晴天であれば、これほどの感動はないと思う。

さて、どうなることか・・・

創価学会員は、間違っても雨の降ることを祈ってはいけない。そういうのを呪詛と言うのだ。それでは、もはや大聖人の仏法とは異質のものであることを、自ら証明しているようなものである。

其の上雨ふり、かぜふき、人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ。

基本的にはこの御文のごとくであり、天候ばかりは自然界の出来事であり、いつも自分の都合どおりになるものではないことを知らなければいけない。

しかし、例えば七月あたりに大雪が降ったりしたら、もはやそれは立正安国論に説かれるところの三災七難そのものと言わざるを得ないわけで、逆に今の季節はもっとも寒いのだから、雪が降ったところでさしたる驚きではないのである。針小棒大に言うのも大概にすべきだろう。

さて、問題は顕正会である。なんと明年、男子三万の結集をうたっているのだ。

実は顕正新聞の古いのを調べれば、過去にも浅井先生が男子三万人の結集をぶち上げていることがわかる。しかし、実現しなかった。詳細に調べたわけではないが、どうも当時の男子部の幹部たちは最初から実現不能と思っていたらしく、あまりそれを口にしていないようなのである。
ところが今回は違う。顕正新聞を毎回すべて読んでいると、どこかに必ず「男子三万」を云々する記事が載っているのである。枚挙に暇がないくらいだ。

もはや引っ込みがつかないのだろう。今さら、口をつぐんでも遅いわけである。

いずれにしても明年は、何が何でも男子三万を実現しないといけない。はたして現状の勢力で実現可能なのか・・・それは疑問と言わざるを得ないであろう。


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