2008/3/31

ジャン・ノレン  
各方面より種々の貴重なコメントを頂戴しました。昨日分の拙稿はそれほど深い考えがあって書いたわけではなく、何となく書いてしまったというのが本当のところですが、意外にも反響が大きかったので驚いております。以下、本日は少しばかり回り道をしますが、最終的には本尊問題に帰結させるつもりでおりますので、よろしくお付き合いくださいます様、お願い申し上げます。

●これでは一見、此の造像に賛成かと思えば、その次には「それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき」と宗祖が懐中に持っておられた仏像と雖も「第二転の始成無常の仏」とはっきり書かれています。

やぶからぼうに、よその掲示板から引用させてもらった。

仏法関係の掲示板というのがある。このところは法太郎氏がお出ましになっているので、楽しく拝見していた。もともとは日蓮宗系の在家信者と法太郎氏が議論していたのだが、そこにジャン・ノレン氏が参入して来られた。この人は滅多にお目に掛かれないが、ひじょうに鋭いことを書くので、いつも注目している。今回も大いに学ばせてもらった。

そうした中で、上掲の部分が気になった。

ジャン・ノレン氏のことだから、何かしらの根拠というか、考えがあるのだろう。けれども原殿御返事の当該御文は、大聖人御随身の仏を指して「第二転の始成無常の仏」と仰せられたわけではないと思う。

そうそう、事情を知らない人には不親切な書き方をしてしまっているようだ。詳しくは仏法関係の掲示板を確認されたいと思うが、ようするにここでの御文というのは御書のことではなく、日興上人が原殿へたまわった御手紙のことである。
大聖人御入滅後、身延山にはいわゆる随身仏と註法華経が残されていた。ところが日朗と日昭がそれらを持ち去ってしまった。そこで地頭の波木井実長は代替品の仏像を仏師に作らせた。この辺が日興上人の身延離山に至る経緯の一端である。
原殿というのは波木井実長の子息である。いわば日興上人は子息を介して父親の謗法を責めているのだろう、上掲に含まれる日興上人の御指南からはそのような意味が拝されると思う。

大聖人の随身仏は、いわば第一転だと思う。それを日朗が持ち去った。ゆえに波木井は第二転を作らせた。
つまり、日興上人は大曼荼羅正意の上から大聖人の随身仏といえども本尊として末法相応ではない、ましてやその代替品など何の価値があろうか、という意味を仰せられているのだと思う。

富士一跡門徒存知事には、

日興所持の本は第二転なり、

とある。これは御書のことを指しているわけだが、もちろん御書の場合は二転だろうが三転だろうが問題ない。内容が正確であれば、である。ゆえに、続きの御文には、

未だ正本を以て之を校せず。

とあるのだ。

さて、ここからが大問題である。大曼荼羅御本尊の場合はどうか、それが最重要の問題なのだ。

大聖人の御真筆御本尊は、第一転である。ようするに大聖人御自身を本体(法体)と考えた場合、それを文字に転ずるからである。
けれども人法体一という概念がある。この場合は御真筆御本尊を、無転(零転)と考えるべきであろう。

歴代上人の御本尊はどうかといえば、大聖人を仏宝として歴代上人僧宝と拝するならば、本尊書写という行為は第一転に相当するだろう。
けれども、ここでもまた「代々の聖人悉く日蓮」という重要な御指南があるわけで、この意味では無転である。

さて、それでは御形木御本尊の場合はどうか?

いちおう猊下を僧宝の立場として考えよう。猊下の御直筆であれば、それは第一転ということになる。しかし、それをさらに印刷に回せば、第二転となる。なるほど仮本尊とはそういう意味だったのか・・・

けれども、御形木御本尊を第一転とする考え方は可能である。すでに述べたように、猊下を仏宝の立場で拝するならば、問題ないわけである。それからもう一つ、御形木御本尊といえども猊下の御判断で行なわれているわけだから、御直筆御本尊と何ら変わらないという考え方もできると思う。

結論を書こう。

宗門の御形木御本尊は第一転であるが、それ以外の勝手に印刷されたものは第二転である。どう転んでも第一転にはならない。

何の欲しさに第二転を欲しがるものか・・・

日興上人の仰せが身に染みるものである。

2008/3/30

仮本尊未満の所有者は仮信徒未満か?  
浅井先生が創価学会版の本尊を批判しない理由については、アテーションプリーズ氏のおっしゃるとおりだろうと思う。ぶっちゃけ言えば、ヤマシイ気持ちがあるから、批判できないのである。
いや、もちろん、これは憶測に過ぎない。何しろ、この件に関して先生はまったく言及していないのだから、われわれの書いていることはあくまで憶測の域を出ないのである。
いずれにしても、創価学会版は可なのか不可なのか、おそらく顕正会の内部では不可ということになると思うが、浅井先生はそれを公式に表明すべきである。いつまでもアイマイにしたままで、御遺命違背を云々したところで、説得力を持たないだろう。御遺命守護は顕正会のアイデンティティではあるが、本尊の問題はそれ以上に重要である。ある意味、ここが本末転倒なのだと思う。
当然、よその本尊のことよりも、自分のところの本尊疑惑を解消することのほうが、さらに重要である。

さて、山門入り口氏は何やら資料を転記して下さったようであるが、わたくしにはよくわからない内容である。また、氏の意図が何なのか、それが不明である。しかし、せっかくだから、わたくしの素直な感想を書いておきたい。

まず、四世代を経ないと信徒になれない、という意味のことが書かれているが、だったら大聖人の時代の檀越はすべて信徒未満になってしまいそうである。上野殿にしても二代目であり、他の四条・富木・池上などの大檀越はすべて初代である。これは困った。

仮本尊というのは、折伏理論書にも出てくる言葉である。これは将来、常住御本尊を頂戴できるという夢があって、わたくしはそれほど気にはならない。
だが、仮信徒というのは、けっこうツライものがある。そのまま臨終を迎えたら成仏できるのかどうか、それが心配である。必ず一生のうちに常住御本尊をいただけるのであれば、それはそれでよいのだけれども、おそらくは大半の人が仮本尊のままで一生を終わるのだろう。それを考えると、やはりツライものがあると思う。

裏書には驚いた。すると、正宗寺院から貸与される段階で、御住職が何かしらの書き込みをされるのだろうか?
もし、これが事実だとすると、顕正会で流通(?)させている御形木御本尊が本物なのかどうか、裏書を確認すれば一発でわかることになるはずだ。

それにしても、裏書については、矛盾しているのではないかと思われる項目がある。次の二つを読み比べてほしい。

○裏書のない形木本尊は仮本尊未満である。

○脇書もしくは裏書のない墨書紙幅の本尊は仮本尊である。


いかがであろうか?

前者では仮本尊未満と言い、後者では仮本尊と言うのだ。
おそらく前者は御形木の説明であり、後者は常住のそれなのだろう。そのように読めば、いちおうツジツマが合うように思える。しかし、それにしても不自然である。そもそも脇書ないし裏書の存在しない常住御本尊など、存在するはずがないからである。
もしかしたら猊下が御本尊を書写あそばしている途中で、ぶっちゃけ言えば、書きかけの御本尊を誰かが盗み出したとか、そういう意味なのだろうか?
よくわからない項目である。

他にも理解できないような項目がたくさんある。けれども、いちいち取り上げても仕方がないので、これくらいで終わりにしよう。

資料の出所が気になった。まさか法華講員がこのようなものを出すとは思えないからである。むしろ反対勢力がまとめた資料なのでは、という気がしないでもないのだ。山門氏には出典の開示をお願いしておこう。

2008/3/29

顕正会版本尊  
昨日は予定どおり、御書講義の話題を取り上げた。そして予定ではもう一つ、総幹部会のことを書くと宣言してあった。今日の話題はそれである。

その前に、少し舞台裏を披露しておきたい。

今日は二月度総幹部会の「正義にめざめて」を取り上げるわけだが、すでに三月度総幹部会も済んだことであるし、その意味からすると、タイミングを失していることは否めないであろう。実は前々から取り上げるつもりではいたのである。ちゃんと書こうと思っていたことがあるのだ。
もちろん、今日はそれを書くわけだが、一昨日になってちょっと事情が変わってきた。ようするに、状況の変化によって、自ずと論ずべき内容も変化せざるを得なくなってしまったのだ。
そういうわけで、今日の話の前半は昨日の拙稿との脈絡で書くけれども、途中からはもともと書こうと思っていたことにスライドすることになる。
どこでどのように変化するかは、読者が各自で判断すればよいと思う。

私は平成十九年十一月、創価学会より入会させて頂きました。

そうそう、今日はあらかじめお断りしておくが、引用文にじゃっかんの加筆・修正をさせていただく。つまりは、原文どおりではない、ということに留意されたい。

私は平成六年、創価学会へ入会しました。

正義にめざめてのパターンはだいたい決まっている。この後、創価学会での出来事をあれこれと語っていく、もちろん良いことは書かない、悪いことばかり書く、やがて顕正会員から折伏を受ける、創価学会のいわゆる御遺命違背を聞かされ、顕正会の正しさを知る、晴れて入会、というパターンである。

創価学会版の本尊を返納し、顕正会へ入会させて頂きました。

わたくしは昨日、破却合戦という言葉を使った。しかし、顕正会に限っては、どうやらこれに該当しないようである。なぜならば、返納だからである。

顕正会に入会以来、自宅に御本尊はいらっしゃらずとも遙拝勤行で、より御本尊様に近づけたことを実感しております。

わたくしは思った。なぜ返納なのか、その理由についてである。

もし、創価学会版の本尊が謗法であれば、謗法払いをしなければならない。執着を断ち切るために、あえてハサミを入れるとか、あるいは燃やしてしまうとか、謗法の処分の仕方としてはそのような方法が思い浮かぶ。
けれども顕正会ではそうしないのである。あくまで返納なのだ。

おそらくは遙拝勤行がそのヒントなのだろう。いちばん明解なのは、代替品がないということだと思う。
法華講員だったら間違いなく言うはずだ。そんなニセ本尊は止して、正宗寺院からちゃんとした御本尊様をいただきましょう、と。
顕正会の場合はそれができない。創価学会版を謗法だとして破却しても、その替わりの御本尊がないのだ。
ゆえに、返納という形を取るのだと思う。さらには、日興上人の門流における御本尊授与の厳格さを口実にして、あなたはまだ御本尊をいただくほどの信心ではないのだから遙拝勤行からスタートしなさい、というような説明をするわけである。それ以外には道がないのだろう。

この辺から話の雲行きが怪しくなってくる。再び「正義にめざめて」からの引用である。

創価学会の組織内は人間関係がギクシャクしており、私自身も地区部長からバカにされたり、冷たくされたりして、ついに精神的に追い詰められてしまいました。

創価学会での出来事をあれこれと語る部分であるが、次のくだりはけっこう重要だと思う。

いよいよ創価学会への恐怖が強まり、まったく学会活動ができなくなりました。しかし御本尊様のことは信じておりましたので、勤行は続けていましたが、学会に籍を置いて生活が良くなるはずもなく、やがて勤行もできなくなってしまいました。

この後、顕正会員から折伏されて、ようやく入会に至るわけだが、わたくしは上掲の文章がひじょうに気になるのだ。これを総幹部会で発表したとなると、事実上、顕正会の公式見解とも受け取れるのではないか?

御本尊様のことは信じておりました・・・

これである。これがひじょうに気になるのだ。

申すまでもなく、この段階では創価学会版の本尊を意味しているわけである。何しろ、この人は平成六年に創価学会に入会したわけであって、それ以前には日蓮正宗に関係する諸団体とはまったく無縁だったと思われるからである。

ひじょうにマズイことになったと思う。

どうやら顕正会では、創価学会版の本尊を認めている、いや、認めてはいないだろうけれども、そのように勘繰られても仕方がないのである。
法華講員の視点からすれば、創価学会版の本尊はニセ本尊、顕正会版もしかり、ゆえに仲間意識が働いて、うっかりあのように書いてしまった、ということになるだろう。
逆の言い方をすれば、今回の「正義にめざめて」の発表は、間接的ではあるものの顕正会版の本尊を自ら暴露しているようにも思えるのである。

従来より、創価学会には不信感を募らせていたけれども大聖人様だけは信じていた、という発表はあった。ゆえに言葉としては、大聖人の部分が御本尊に変化しただけなので、善意に受け止めれば大聖人の御事を意味している、という会通は可能である。

けれども諸般の事情を勘案すると、善意の解釈だけでは済まされないのではないか、と思うのである。

2008/3/28

本尊切断事件に思うこと  
智証の門家園城寺と慈覚の門家叡山と、修羅と悪竜と合戦ひまなし。園城寺をやき叡山をやく。

報恩抄の一節である。顕正会員にはお馴染みの御文であるが、寺を焼いてしまうということは、当然ながらそこに安置されている本尊も焼いてしまうということである。ゆえに、当該御文の続きには、次のごとくある。

智証大師の本尊慈氏菩薩もやけぬ。慈覚大師の本尊、大講堂もやけぬ。

報恩抄ではごらんのごとく、慈覚大師の本尊を大講堂であると書いている。まさか建物が本尊という意味ではあるまい。撰時抄によれば、金剛界の大日如来が叡山・大講堂の本尊である。一方の慈氏菩薩は弥勒菩薩のことだろう。

ずいぶん乱暴なことをするものである。
かつて浅井先生は、これを宗門と創価学会の抗争に当てはめ、「修羅と悪竜の合戦」というフレーズを多用していた。どういうわけか最近は言わなくなったが、以前はしばしば、創価学会と宗門ではどちらが修羅でどちらが悪竜だろうか、などと冗談を飛ばしていたものだった。
しかし、上掲の御文を拝すると、当時のほうが現代よりも遥かに過激だったことがわかる。さすがに創価学会員が宗門寺院に火を放ったとか、法華講員が創価学会の会館に同様のことをしたとか、聞かないからである。

ただし・・・ここからが本題である。

日蓮正宗系統のわれわれは、謗法払いと称して他人の所有物を破却しているのだ。
顕正会員には一昨年のお守り切断事件がある。法華講員の場合は、今回の妙観講員の事件が相当するだろうか? それから、折伏大行進時代の創価学会もまた、ずいぶん乱暴なことをやっていたらしい。
平成三年以降においては、恐れ多くも日顕上人御書写の御形木御本尊が大量に処分されたと言われている。また、それとは逆に法華講員などによって、創価学会版の本尊が破却されているとも聞かれる。

結局のところ、程度の差こそあれ、本質的には報恩抄に御示しの「修羅と悪竜と合戦ひまなし」と変わるところがないのであろう。そして今や顕正会も、他人事では済まなくなってきてしまったのだ。

さて、顕正会では先般、久しぶりに御書講義があった。建治三年秋の四条金吾殿御返事である。実はこの御書にも、今回の問題と関連する御文が存在するのだ。

きるがごとく、やくがごとし

焼くがごとし、きるがごとし


日本に初めて仏法が渡ってきた時、蘇我氏はこれを崇重したけれども、物部氏は反対した。この時、物部氏は天皇を籠絡して勅宣を出さしめた。

早く他国の仏法を棄つべし

宜しく仏法を却くべし


物部氏は天皇の勅宣を大義名分として、仏法を弾圧した。

此に守屋と中臣臣勝海大連等の両臣は寺に向かって堂塔を切りたうし、仏像をやきやぶり、寺には火をはなち、僧尼の袈裟をはぎ、笞をもってせむ。

まさに大弾圧である。おそらくはこの罰なのだろう、物部氏は天皇と共に疫病に犯され、苦しんだ。その時の言葉が前掲の、きるがごとく云々である。
しかし、御書を丹念に拝するならば、この説明が不正確であることに気付くはずだ。
疫病に苦しんだのは、天皇と物部氏だけではなかった。蘇我氏も一緒だったのである。まさに、文字どおり一緒なのだ。
どういうわけか大聖人は、天皇・物部・蘇我の三人を一緒にして、御説明あそばしておられるのだ。天皇・物部は罰だとしても、蘇我が罰であるとは考えにくい。
これはどういうことだろうか?

今回の浅井先生の講義では、これにまったく言及していない。けれども、過去には同じ御書講義が何十回(?)も行なわれており、わたくしもいくつかの記憶がある。ある時は魔障であると説明していた。あるいは試練という表現をしていた時もあったと思う。もしかしたら今回も何らかの説明があったかもしれないが、顕正新聞掲載の講義録には出ていない。

わたくしは思った。もしかしたら蘇我氏も罰なのではないかと・・・

ようするに蘇我氏には一分なりとも、守護付嘱の大使命があるのだ。ところがその使命をまっとうできず、堂塔ないし仏像を破却されてしまうわけである。その報いとして、物部氏とまったく同じ苦しみを味わうことになったのではないかと・・・

さらに、わたくしは思った。これを今日的な問題に当てはめるならば、次のようなことが言えるのではないかと・・・

いちばん手っ取り早い話は、信心の弱い人に軽々しく本尊を授与すべきではない、ということなのだ。そういう人が狙われるのである。もし信心強盛の人であれば、妙観講が来ようが顕正会が来ようが、微動だにしないはずである。自分にとって大事な御本尊を酷い目に遭わせるような、そういう状況には絶対にならないはずなのである。
在家には一分なりとも守護付嘱がある。これは仏法において、とてつもなく大きな使命なのである。しかるにその自覚がない。だからこそ、御本尊が危険にさらされることになるのだ。
本来、日興上人の御門下においては、そういう人には御本尊を授与しなかったわけで、この原点に戻れば、当面の問題は解決するに違いないのである。もちろん、ここで言う当面というのは、日蓮正宗系統における破却合戦のことである。

ゆえに、その他の人たちが迷惑をこうむることは防げないけれども、少なくとも御本尊の授与を厳格にすれば、同門同士の破却合戦には終止符を打つことが可能だと思う。

しょせんは机上の空論であるが・・・

2008/3/27

独白ブログの舞台裏  
妙観講員逮捕の件については、書こうと思って、いろいろ考えていることはあるのだが、今日のところは見送りたいと思う。

いちおう、参考資料を提示しておこう。

http://diary.jp.aol.com/ganko/577.html

参考資料などと気取ったことを書いたが、何のことはない、かつての拙稿である。

ここからおよそ一週間、同一テーマで書き続けた。面倒でも目を通してもらえれば、嬉しく思う。
わたくしの考えは、おそらくはここに尽きていると思う。リンク先では顕正会員の起こした、お守り切断事件を取り上げているわけだが、わたくしの考え方は今も変わらない。ゆえに、妙観講員の事件においても、いまだ真相は不明であるにしても、わたくし自身のスタンスは一向に変わらないつもりである。
そんなわけで、これでこの話題はオシマイにしてもいいくらいだ。

予定としては、先般の御書講義と絡めて、あるいは二月度総幹部会の記事と絡めて、書こうと思っている。

さて、今日はもう遅いので、ちょっとだけ舞台裏の話をして、お茶を濁しておきたい。

わたくしはこのところ、顕正新聞から話題を拾っていたわけだが、実は今までとは少し違った工夫を凝らしていた。といっても、文体は相変わらずであるし、さほど変わったようには感じられないかもしれない。
けれども確実に言えることがある。実はまだ、二月度総幹部会の話題を、直接的には取り上げていないのだ。
普通なら、顕正新聞が届く、すると、そこから気になる話題を取り上げて、つらつら思うところを述べていくわけである。もちろん、基本的には今もそれに変わりはない。だが、ちょっと違うのだ。
実は総幹部会をすっ飛ばして、班長会の話題から入ったのである。

結局、班長会というのは総幹部会の直後に行なわれるものだから、内容的には総幹部会における会長講演のおさらいをしているわけである。

そんなことは前々から承知していたことであるし、顕正会関係者ならば誰もが知っていることではある。だが、それを深く掘り下げる人は、いない。わたくしはそこが狙い目だと思った。

会長講演のおさらい・・・前にはコピー機みたいとも書いた。けれども委細に見れば、幹部は幹部なりに咀嚼しているわけである。全員がまったく同じことを書いているわけではないのだ。会長講演のどこをどのように取り上げているか、換言すれば、班長会から会長講演を俯瞰するわけである。すると、今まで見えなかったものが見えてくる。

別の狙いもある。班長会での登壇にケチをつける。実は、もともとそれは浅井先生の講演なのである。つまり、浅井先生を直接批判せず、間接的に批判することになるのだ。先生の批判は恐れ多い(?)けれども、それ以外ならば大丈夫という人もいることだろう。そういう会員にも楽しんでもらえるのではないか?

もっともわたくしは、つい最近も、先生はズルイ、などと書いてしまっているので、ピュアな顕正会員には疎ましいに違いないのだが・・・

いずれにしても、班長会から逆次に会長講演を俯瞰する手法は、なかなか斬新であると思う。

だが、しかし、正直に告白しておこう。何もわたくしは、最初からそのような構想があったわけではないのだ。
ご存知のごとく、顕正新聞はしばしば出来が大幅に遅れることがある。それで今回はたまたま三号分が溜まってしまったのである。ほとんど手付かずのまま、まるまる三号分が残ってしまった。それで急いで読了した。
わりと短期間にまとめて読んだものだから、それぞれの内容が頭の中で交錯してしまったのだ。ゆえに順番がデタラメになってしまった。真相はそれだけの話である。

それが結果的に今までと違った見え方につながったのは事実であって、わたくしとしてはそれなりに得るものがあったと思っている。

読者にとっては、単に読みづらいだけだったかもしれないが・・・

2008/3/26

文脈的不整合の起因  
サイトウ氏からのコメントを拝見して、ひじょうに嬉しく思った。こういう人材がいれば、顕正会もまだ大丈夫だ。いや、大丈夫かどうかは知らないが、多少は救いがあると思った。わたくし自身も救われた気分である。

読者には煩瑣なようでも、昨日分の拙稿とサイトウ氏のコメントを、よく読んでもらえたらと思う。

総合女子部長の文章を再掲しよう。

 すなわち中国南部の歴史的な大雪害、海水温の上昇により、あと五・六年で北極海の氷が消滅することを先生は指摘されましたが、

わたくしは昨日、大雪害と海水温の上昇は整合しない、という意味を書いた。ところがサイトウ氏は、気象のメカニズムを簡略に図式化して、整合することを教えてくれたのである。確かになるほどとは思う。

だが、仮にそれが正解だったとしても、それでもなお、わたくしには上掲の文章が不自然に感じられるのである。
文章は善意に読むべき、というのがわたくしの主義なので、昨日は省略してしまったけれども、そもそも構文がおかしいのだ、少なくとも誤解されやすい構文になっていることは間違いないだろう。

すなわち、

中国の大雪害+海水温の上昇=北極海の氷解

と読めてしまうのだ。

さすがにこれは意地が悪過ぎるにしても、サイトウ氏の表記に倣って書けば、次のごとくなるだろう。

中国の大雪害→海水温の上昇→北極海の氷解

つまり、順番がおかしいのだ。マレには、倒置法みたいな構文もあり得るけれども、それはそれで効果を狙って書くわけである。残念ながら総合女子部長の文章は、どう読んでもそのようには受け止められないと思う。

せっかくだから、他の人の文章も紹介しておこう。次は第二婦人部長である。

 このたびの総幹部会において、中国南西部の大雪害、海水温の上昇による大旱魃、そして海水温上昇によって、北極海の氷があと五〜六年ですべて解け、地球全体が大規模な異常気象に包み込まれてしまうという世界規模の異常気象をお聞きして、

う〜ん、これもまた、悩ましい。

まず、どうでもいいことから書くと、地球全体が大規模な異常気象に包み込まれてしまうという世界規模の異常気象、という重複表現が気になった。これも効果的な場合と逆効果の場合がある。さて、どちらだろうか?
それはさておき、今度は大旱魃のことが出てきた。当然、浅井先生が述べていることであるが、この大旱魃はオーストラリアのことだという。これも海水温の上昇が原因であり、北極海の氷解も海水温の上昇が原因としている。確かに南半球から北半球にかけてのことだから、世界規模の異常気象ということになるだろう。
それと中国の大雪害がセットで論じられているわけである。ある意味、このアンバランスというか、一見すると不整合とも思える現象こそが、異常の異常たるゆえんとも表現できるのだと思う。
ただし、これはちょっと前に別の話題で書いたことだが、北半球は冬なのである、南は夏である、もちろん季節の話だ。であれば、中国で大雪が降ったとしても、それほど驚くべきことではないだろう。むしろ今の時期にオーストラリアで大雪が降ったりしたら、完全な異常気象である。

顕正会の場合、何事も大げさに表現し過ぎる傾向があるので、注意すべきだろう。

さて、もう一つ紹介しておきたい文章がある。次は男子部長なのだが、わたくしは意外にも好印象を受けた。意外というのは他でもない、わたくしは元来、城衛男子部長には辛辣なのである。ゆえに、ケチをつけたい気分ではあるのだが、そうも行かない。当該部分はひじょうにうまく書けているからである。前置きが長くなった。

 中国の歴史的な大雪害、オーストラリアの大旱魃、これに伴う農産物の高騰、そして海水温の上昇により北極海の氷解が早まる等、容易ならざる気象異変が次々と起こり、

同じじゃないか、どこがどう違うのか、と思う人には手取り足取り教えてあげたい気分であるが、さしあたっては面倒なので、やめておく。

一昨日も書いたように、五年ないし六年という年数を書いていないのは、男子部長だけである。この点もうまく書けている理由の一つであろう。先生の講演をどのように咀嚼するか、それが幹部には問われているのだと思う。

最後に興味深いことを紹介して終わりにしたい。
班長会特集号には代表決意が八本ある。八人の錚々たる大幹部たちであるが、全員が北極海の氷解について書いている。これは一昨日に書いた。
では、中国の大雪害はどうか、である。
これはすでに掲げたごとく、三人が取り上げている。実はその三人だけなのだ。
逆に言うと、八人中の五人はこれを書かなかった。おそらくは直感的に不整合を感じたのだろう。もし、そのとおりだとしたら、感覚的には、案外にわたくしに近いものがあるのだと思う。これもまた、一つの咀嚼のあり方である。

まさか、これで先生の不評を買うことはあるまいと思うが、ちょっと心配である。

2008/3/25

文脈的不整合の一例  
つい先ほど、コメントが入った。それがなぜに五日前のコメント欄なのか不明であるが、内容はけっこうセンセーショナルである。妙観講員が二人、逮捕されたというのだ。リンク先のニュース映像も見させてもらった。まあ、しかし、これは後日に譲ろう。わたくしがどうこう言うよりも、妙観講員のレスポンスこそが注目されるところである。それらを拝見してからでも遅くはないだろう。

さて、沖浦氏のコメントであるが・・・

 その災難を如何死して食い止めるか?

ひどい誤変換である。おそらくは「如何にして」と書くつもりだったのだろうが、それがどうしてこのようなミスになったのか、わたくしにはちょっと想像がつかない。一つ言えることは、こういうミスをする人はたいていが早打ちなのである。わたくしなどは遅打ち(?)なので、絶対こういうミスはしない。ともかくパソコンというものは、誤変換が生じやすいものである。逆に言うと、それさえ気をつけていれば、そこそこの文章は書けるのだと思う。

しかし、全体的な構成であるとか、文脈的整合性などは、別次元のことである。ようするに、誤字脱字は一切なく、文法的にも完璧な文章だったとしても、駄文ということはあり得るのだ。いわゆる言語明瞭・意味不明瞭というヤツである。

さて、次にご覧に入れるのは、顕正新聞第1096号二面に掲載されている、総合女子部長の文章である。

 すなわち中国南部の歴史的な大雪害、海水温の上昇により、あと五・六年で北極海の氷が消滅することを先生は指摘されましたが、

ごく一部の引用なので、イジワルに思えるかもしれないが、仮に全文を通して読んだとしても、この部分はひじょうにおかしな文章である。

おわかりであろう、この文章では二つのことが書かれている。すなわち大雪害のこと、それから氷の消滅である。ようは浅井先生がこれを総幹部会で講演し、今また総合女子部長がそれを復唱しているわけである。
実はわたくしもうっかり気がつかなかった。浅井先生はこれを異常気象の具体例として挙げているわけだが、段落を区切っているので、あまり気にならなかった。ところが総合女子部長は、どういうわけか一緒くたに書いてしまっているのだ。すると、ひじょうに不自然な印象を受けるのである。

今年の冬は寒かった。わたくしの実感である。なるほど、中国で大雪害があったことも、わたくしとしては納得できることである。
逆に、今冬の寒さからすると、地球温暖化は本当だろうか、と思ってしまうほどなのである。ゆえに、北極の氷が消滅するという話も、あまり実感できないわけなのだ。
それはもちろん、今冬だけの寒さで判断するのは大間違いだろう。そういうのを近視眼的というのだ。
だが、しかし、一つのセンテンスの中で、片や大雪害、片や温暖化を云々しているのだ。これほどの不整合もあるまいと思う。

ちなみに、日本の現状については「炉心溶解状態」としており、これはもちろん譬喩というか形容ではあるけれども、温暖化の事象とは整合性が取れていて、悪くないと思う。

かく言うわたくしは、何もそこまで考えて文章を綴っているわけではないのだが・・・

それから、これはあくまで余談だが、浅井先生ならば、炉心熔解と書きそうなものであるが、顕正新聞の表記では炉心溶解となっている。この辺も不整合と言えば、言えなくもないだろう。ようするに、先生らしくないのである。

2008/3/24

会長発言と幹部発言の微妙な誤差  
顕正新聞第1096号というのは、すなわち三月十五日号のことである。これは昨日も書いたように、班長会特集号である。
けれども、第一面のトップ記事は、日曜勤行の浅井先生指導なのだ。では、なぜに班長会特集号と言ったのか、それは残りの記事の大半が班長会関連だからである。
ちなみに、日曜勤行の指導はいつのものかというと、なんと昨年の十二月九日の日曜勤行なのである。今頃これを掲載する理由は、他に目玉がないからだろう。いや、もちろん、日曜勤行の指導が活字化されることは滅多にないので、それがいつの指導であろうと貴重だとは思う。
それはともかく、当該号は実質的に班長会特集号と考えて差し支えないだろう。

幹部連中は芸がない。その理由は昨日も書いたが、今日もまた、似たような例をあげてみたいと思う。

あと五年で北極海の氷が解けてなくなるほどの異常気象のテンポの速さには言葉を失い、

これは女子部幹部の文章であるが、すごいことを書いている。なんと、あと五年で北極海の氷が消滅してしまうというのである。
当然、これはこの人が勝手に言っていることではなく、浅井先生の講演を受けての発言である。
ようするに、班長会というのは総幹部会での会長講演を復習するというか、復唱する行事らしいのである。幹部の誰もが同じことを書いているのだから、そうとしか考えられない。だから芸がないというのだ。

ちなみに代表決意の記事は八本ある。なんと、このすべてが北極海の氷解について、云々しているのである。八人の錚々たる大幹部がこのテイタラクなのだ。もはや、失望を禁じ得ない。

いちおう付言しておけば、城衛男子部長だけは年数を書いていない。わたくしはこれが正解だとは思うのだが、しかし、そうは言っても他の幹部は浅井先生の講演を素直に復唱しているわけだから、まずは先生に問題があるとしなければならないだろう。

そこで一つ前の顕正新聞に戻って、浅井先生の講演から問題の部分を引用してみよう。

 これまで北極海の氷の消滅は「二〇四〇年」といわれておりました。しかし北極研究の第一人者といわれる英国・ケンブリッジ大学のピーター・ワドハム教授は「とてもそこまで持ちそうにない。あと五・六年ですべて解けてしまう」と言っている。すなわち二〇一三年には、北極海から全く氷がなくなってしまうということです。

ご覧のとおり、あくまで一研究者の見解に過ぎないのである。第一人者かどうか、わたくしは詳しいことを何一つ知らないけれども、多分こうした見通しは諸説紛々としているはずで、必ずしも絶対と言い切れるものではないはずなのだ。
ところが班長会における幹部連中は、あたかもそれが確実であるかのように言うのである。誰一人として、研究者の名前をあげずに、結論だけを書いてしまっている。
では、五年後になって氷が解けていなかったらどうするのか、わたくしはそれが心配になる。

こうして見ると、浅井先生はズルイと思う。

ようするに、自分ではちゃんと学者の説であることを断わっているけれども、幹部連中には省略させて、それが末端に行くにしたがって、やがては学者の説であることが忘却されてしまい、あたかも絶対的な事実のように錯覚してしまう仕組みになっているのである。

もし、これを意図的に行なっているとしたら、大問題だと思う。意図的ではないとしても、問題である。今回の先生の講演には「不作為の犯罪」という言葉が出てくる。わたくしには意味のよくわからない言葉だが、もしかしたらそれに当てはまるのではないかという気がしてならない。

http://diary.jp.aol.com/ganko/985.html

リンク先はごく最近と言ってもおかしくないくらい、ついこの間のことである。米国はあと十一年で石油が枯渇するという話なのだ。

「あと何年」が本当に好きである。

2008/3/23

「失せり」と「失せぬ」の狭間にて  
 私は宗教で人を差別しません。

一昨日分のコメント欄に、沖浦氏が寄せて下さった文章の一部である。

これは素晴らしいことである。おそらく沖浦氏は宗教だけでなく、あらゆる意味で差別をしない人なのだろう。以前にも書いたことだが、氏は弱い者イジメをしない人である。これと、差別をしないことは、相通ずるものがある。ゆえに、氏の言葉は口先だけでなく、事実なのだろうと思う。ひじょうに立派なことだ。

わたくし自身はどうかというと、ひじょうにアヤシイところだ。もしかしたら、あらゆる意味で差別をしているのではないか、という気がしてならないのである。しかし、これはまた、別の機会に譲ることにしよう。口であれこれ言うのは簡単だが、現実に即して述べなければ意味がないからだ。

さて、今日は顕正新聞の三号分をまとめて、というか、昨日の話題との脈絡で三号分を股に掛けて書きたいと思う。

いちおう、全体的な把握として、第1094号が御書講義特集号で、第1095号が二月度総幹部会特集号、そして第1096号は班長会特集号だと認識しておきたい。

わたくしは昨日、御書講義特集号では、「始めて」という表記が気になると書いた。
これは普通、現代国語では「初めて」とするべきなのである。ずいぶん、こだわっているように思われるかもしれないが、実はわたくしがこだわっているのではなく、浅井先生がこだわっているのである。われわれは現代人なのだから、現代の表記を使うべきなのである。
片意地を張っているというか、柔軟性がないというか・・・わたくしも先生の年になれば同じなのだろうか? そうはなりたくないものである。

さて、一つ抜かして、班長会特集号に話を移す。

法王すでに国に失せぬ

報恩抄の一節であるが、顕正新聞の第1096号には、この御文がそこらじゅうに出てくる。ある意味、ウンザリするくらいだ。
御書にウンザリなどというと叱られそうだが、そうではない。ようするに、これは二月度総幹部会で浅井先生が引用した御文であって、それを幹部連中はまるでコピー機のようにそっくりそのまま転用しているわけである。つまり、わたくしは幹部連中の芸のなさにウンザリしているのであって、けっして御書にウンザリしているわけではないのだ。
二面から四面にかけて、代表決意と活動報告が十二本掲載されている。他に新任決意もあるが、それは文章が短いので除外するとして、十二本中なんと九本に、くだんの御文が出てくるのである。これでウンザリの意味がよくわかったと思う。

ここで、一つだけ気になることがあった。どういうわけか、一人の記事だけ、御書の表記が違っているのである。

法王すでに国に失せり

あれ? これはどういうことだろう?

そこで総幹部会特集号に移ることになる。

二面から三面にかけて、浅井先生の講演が載っている。
当然、くだんの御文があるわけだが、なんということだろう、大見出しには、「法王すでに国に失せり」と書かれているのだ。
ところが、段落ごとの小見出しには、「法王すでに国に失せぬ」とある。さらに本文中に「法王すでに国に失せぬ」が三回も出てくる。

わたくしは、訳がわからなくなった。
あれ? 御書の表記はどちらが正解だったろうか?
自分ではどちらが正しいか判断できなかった。

結論的には「失せぬ」のようである。平成新編も全集もそのようになっていた。
そうすると、なぜに大見出しだけが「失せり」なのか、単なるミスなのか、そこが疑問である。もし、誤植だとすると、バカである。オオバカヤロウである。
けれども、そんなわけがないと思う。さすがにそこまでバカではないだろう。おそらくは意図的なものに違いない。

わたくしの推測では、「失せぬ」よりも「失せり」のほうが現代的であり、理解しやすいのだと思う。それであえて大見出しだけは、そのように表記したのだろう。
おそらく「失せぬ」は、文法をまったく知らない人にとっては誤解しやすいに違いない。現代人には語尾の「ぬ」が、一見すると否定の意味に感じられるのだと思う。
それよりは「り」のほうがまだ馴染みがある。いや、馴染みのない人も多いかもしれないが、少なくとも否定の意味には誤解しないだろうから、漢字の「失」の意味をそのままイメージすれば正解になるわけである。

もし、このような配慮から「失せり」を使ったのであれば、同様の意味で「始めて」ではなく、「初めて」を使えばいいのである。

今日はこれが言いたかった。

しかし、「失せり」だの「失せぬ」だのと、アゲアシ取りみたいなことを書いていると、今に「失せろ」と言われかねないので、ほどほどにしないといけない。

2008/3/22

顕正新聞批評の仕事  
今日は読者の期待を裏切って、話題を変えることにする。というよりは、顕正新聞の話題をやっつけないことには、落ち着かないのだ。最近は毎号のように取り上げているので、これをやらないと何か忘れ物をしているような不安感に襲われてしまうのである。おそらく編集部にしても、わたくしが何も書かないと不安であろう。いや、それはウヌボレだろうか?

顕正新聞第1094号は、御書講義特集である。今回は建治三年秋の四条金吾殿御返事であるが、第一面から四面まで、まるまる四ページが講義録に使われている。
これについて、何かしら書かないといけないわけだが、それほどマズイところはないように思った。
強いて言えば、内容ではなく、御書講義そのものの回数が少ないことが問題である。これは後述することになると思う。

前にも取り上げたが、わたくしは「始めて」がひじょうに気になる。今回の講義でもこれが出てくるのだ。
ようするに、現代国語としては「初めて」が普通なので、「始めて」は絶対的な間違いとは言えないまでも、わたくしにはひじょうに違和感があるのだ。
浅井先生としては、大聖人の用語例に倣っている意味があるのだろう。それはわからないわけではないが、しかし、何でもかんでもマネをすればいいものでもあるまい。御書には「始めて」が多く出てくる。確かにそれはそのとおりである。けれども、委細に調べれば、「初めて」も存在するのである。

次の御文はけっこうインパクトがあると思うが、どうだろうか?

仏滅後二千二百余年に、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然たり、外は時の宜しきに適ふ」云云。天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈其の人に非ずや。

文永八年十一月の富木入道殿御返事であるが、竜の口を経て、佐渡に御渡りになった、その直後くらいであろうか・・・その背景を思えば、よりいっそう強烈さが伝わってくるものである。
ちなみに、この御書には顕正会員もよく知る有名な御文が出てくる。どのような御文かは、各自が確認されるとよいだろう。ひじょうに短い御書なので、すぐに見つかるはずである。

さて、顕正新聞当該号の第五面には、各地の集会の記事が掲載されている。そこに、「四条金吾殿御返事」講義を聴聞して、という婦人部支区長補の文章がある。以下、見出しを含めて、いくつか紹介しよう。

聖徳太子、始めて仏法根底の日本を

日本に初めて仏法が確立された厳然たる事実

日本に始めて現出した秩序整然たる統一国家

総班長となって初めて御書講義に参加した○○総班長


これについては、もはや、どうこう言うつもりはない。わたくしが気になったのは四番目の文章である。

総班長となって初めて・・・

これはどういう意味か定かではないが、読みようによっては、顕正会に入って初めて御書講義に参加したとも受け取れるだろう。

いかに御書講義が少ないか、ということなのだ。

昨年の四月に御書講義があって、それから約十ヶ月の空白がある。これはヒドイと思う。他の行事を言い訳にしてはいけない。極論すれば、五十周年よりも御書講義のほうが重要なのだ。

それはともかく、わたくしの読み方が正しいとすると、くだんの総班長は一年足らずで総班長になったことになる。もし事実ならば、考えものであろう。

最後にもう一つ、同じく第五面に別の人の記事で、次のような文章があった。

浅井先生は日興上人の一直線上の先に立つお方

これは原文どおりではないが、言っている意味はまさにこのとおりである。

どんどんエスカレートしていくような気がしてならない。


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