2008/10/20

しぶとい秘訣  
渡辺氏よりお返事をたまわった。

シブトイ・・・

文中、わたくしのことをこのように言っておられるが、ある意味、これは最上のホメ言葉である。正直、嬉しいと思う。

今さらながら、わたくしは顕正会員の中では異色の存在だと自覚している。おそらくはネット上に出没する顕正会員の中でも、とりわけ異色の存在に違いないと思う。
早い話が変わり者なのであるが、具体的には何がどう違うのか、平均的な顕正会員とどこが違うのか、それが問題である。
会員でありながら、顕正会批判をしている。まあ、そういう人は他にもいるかもしれない。けれども、それをいつまでも続けているのは、めずらしいことだろう。ゆえに以前には、日一氏から鋭い質問が発せられたのだ。巌虎は顕正会に対する憎悪が誰よりも強いのではないかと・・・
しかし、わたくしはそれには答えなかった。というか、答えをはぐらかしてしまった。

ともかく拙ブログに興味を持って下さっている人は、いったい巌虎とはナニモノなのか、とお思いのことであろう。それに対する答えは、ただの落ちぶれ顕正会員である、と申し上げるしかない。今のところは、そんなところである。

一つ言えることは、平均的な顕正会員よりも多少は御法門に詳しい、ということだろう。換言すれば、引き出しが広い、もしくは引き出しが多い、ということだ。

さて、渡辺氏は他にもいろいろ書いて下さっているが、わたくしは次の言葉が気になった。

莫迦者の問題・・・

いったい、何のことだろう?

>莫迦は自分の矛盾に気付くことなどできない。謗法の害毒で悩乱してしまっているのであろう。しかもである。 久遠下種が釈尊の化導であると主張するのなら、なぜ釈尊が末法に生まれて衆生救済をしないのか、説明してみろと言いたい。


説明しましょう。
渡辺さん、多くは言いますまい。

貴方が朝夕読んでいる「寿量品第十六」から
「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず。諸の善男子、我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり。
然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち、唱えて当に滅度を取るべしと言う。如来、是の方便を以って、衆生を教化す。所以は何ん。
若し仏、久しく世に住せば、薄徳の人は善根を種えず、貧窮下賎にして、五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入りなん。
若し如来、常に在って滅せずと見ば、便ち?恣を起して厭怠を懐き、難遭の想、恭敬の心を生ずること能わじ。是の故に如来、方便を以って説く。比丘当に知るべし。
諸仏の出世には、値遇すべきこと難し。

所以は何ん。

諸の薄徳の人は、無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見る有り、或は見ざる者あり。此の事を以っての故に、我是の言を作す。諸の比丘、如来は見ること得べきこと難しと。
斯の衆生等、是の如き語を聞いては、必ず当に難遭の想を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、便ち善根を種ゆべし。

是の故に如来、実に滅せずと雖も、而も滅度すと言う。


渡辺さん、なぜ釈尊が末法に生まれて衆生救済をしないのか、とのことですが、
しているのです。ず〜と、今も。

久遠五百塵点劫の成道から今日までそして又未来永劫まで衆生救済していますね。なぜ見えないのか、お解かりになりませんか?
「朝夕、教えていただいているんですけどね。仏はそこにいる」と

大聖人もこのようにあります。
「此の文を見るに法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり。」「守護国家論」〔学会版66頁〕


唐突であるが、法輪のBBSから転載させていただいた。この執筆者は相木という人である。

察しのいい人はおわかりだろう、渡辺氏の書いている莫迦者の問題とは、相木氏とのやり取りを意味しているのだ。

読者のご記憶に新しいことと思うが、以前、拙ブログには前田氏が来訪されていた。上掲はその時の議論と似ている。どうも日蓮宗系統の人は、同じ文証がお好きなようである。
なぜ釈尊は末法に出現しないのか、という渡辺氏に対して、相木氏は寿量品を引用しておられる。これはわたくしと前田氏のやり取りと一緒なので、興味のある人は拙ブログを八月中旬にさかのぼって確認されるとよいだろう。

問題は守護国家論である。

此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏の在世なり。

これには類文と思しき御文が存するのだ。以下は、弘安三年の上野殿母尼御前御返事である。

仏も又かくの如く、多宝仏と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅、此の経をよむ代には出現し給ふ。釈迦仏・十方の諸仏も亦復かくの如し。

類文と書いたものの、ご覧のごとく、決定的な違いがある。すなわち釈迦と多宝が入れ替わっているのだ。いったい、これにはどういう意味があるのか、とりわけ日蓮宗系統の人たちに聞いてみたいものである。


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