2008/11/30

文底秘沈の大法  
渡辺氏よりお叱りの言葉をたまわった。毎度のことながら、ありがたいことである。今後も氏の叱責をたまわりつつ、精進していくつもりだ。

>一念三千イコール妙法五字ということでよいのではないかと思う。

仰るようであれば、妙法五字に法華経が先行するというご認識でしょうか。当然のことながら、妙法五字は、経典成立後に付けられた名称ですので、私も経典が経題に先行すると考えております。


新しい人がお見えになった。

上掲のごとく書かれているけれども、しかし、質問の意味がよくわからない。逆に言うと、あるいはわたくしの文章を読み間違えて、見当ハズレのことを書いておられるのではないか、という気がする。
いちおう、質問の文面に対応する形で答えると、まず、妙法五字に法華経が先行するかどうか、という問いについては、先行しない、というのが回答である。
見当ハズレと書いたのは、わたくしは法華経には二意があると主張しているわけであるから、一意においては妙法五字イコール法華経なのである。ゆえに、先行も何もないわけで、強いて言えば同時ということになるはずなのだ。
しかし、質問者はその後において、経典・経題と書いている。ゆえに、その意を汲んで答えるべきなのだろう。これが二意目であるが、これもまた同時でいいのではないか?

妙法五字は経典成立後に付けられた名称・・・

これがわからない。なぜに成立後なのか、成立時ではいけないのか、逆に教えてほしいものである。
もし、これが、いわゆる経典成立史のようなものを根拠に言っているのであれば、わたくしの知ったことではない。それこそ見当違いも甚だしいだろう。なぜならば、わたくしは経巻としての法華経ではなく法としての法華経・・・こちらに主眼を置いているからである。
ちなみに、拙ブログはたいてい先に文章を書いて、最後にタイトルを付けている。けれども、マレには最初に表題を付けることもある。いずれにしてもブログ投稿時には必ずタイトルを入れる。なぜならば、そうしないと投稿ができない仕組みになっているからだ。ゆえに、先か後かは大した問題ではなく、投稿時には必ず入れるわけだから、それを同時と言っても一向に差し支えないはずである。
同様の意味で、経典の成立史などまったく知らないけれども、まさか経題が大幅に遅れて付けられたと言うなら話は違うだろうが、常識的に考えれば経典の成立時には同時に経題も成立していたとして、いったい何が問題になるのか、そこを教えてほしいものである。

そもそも、一念三千イコール妙法五字、という拙文に対して、いったい何を言わんとして先行だの成立後だのを持ち出してきたものだろうか?

相手の立場が明確ではないのであくまで推測に過ぎないが、おそらくはまず法華経ありきなのだろう。この場合の法華経は経典・・・わたくしはこれまで経巻と書いてきたが経典も同義ということで話を進めるが、その経典は釈尊が説いたものであるから釈尊の証悟であり、妙法五字はその題名なのだから、これまた釈尊の証悟であると言いたいのだろう。
ちなみに、この証悟というのはあまり馴染みのない言葉であり、わたくしは自ら積極的に使用したことはない。あくまで日蓮宗側の言い分として、おそらくはこうだろうという意味で書いたまでである。

同じことを何度も言わせるものではない。だったら、法華経は教主釈尊の本師、という大聖人の御指南をどのように会通するのか、それをわたくしは聞きたいのである。

この回答を待っていても仕方がないので、少し話を進めよう。法華経の経典が成立する以前において、すでに法華経が存在したことは先日来の当体義抄を中心とした話の中で明確であるが、それとは違った角度からも説明が可能である。

撰時抄の冒頭には、

今の教主釈尊は四十余年の程、法華経を説き給はず。

とある。

仏が法華経を説かなければ、弟子は経典の編纂をしたくてもできない。けれども、仏の胸中には厳然と法華経が存したのだ。ようは、説時未だ至らざるが故に説かなかったのであって、法華経がなかったわけではないのだ。もともと法華経そのものはあったのだ。煎じ詰めれば、久遠の昔からあるわけだろう。とりわけ上掲の「今の教主釈尊」という御表現がきわめて象徴的である。

また、やや切り文の感が否めないが、

仏此の法華経をさとりて仏になり・・・

との御文を祈禱抄に拝する。

申すまでもなく、釈尊三十成道八十入滅というのが大聖人の御認識であられるわけだから、釈尊三十歳の時点ですでに法華経は厳然と存在したことになる。もちろん、それは経典・経巻ではない。

最後に、一念三千イコール妙法五字、の意味について、手の内を明かしてしまおう。つまり、妙法五字は一往の辺においては法華経の経題であるが、再往これを深く見るならば、開目抄に御指南のごとく、法華経の本門寿量品の文の底に存するところの妙法五字ということなのである。

2008/11/29

法門集大成?  
れん氏と沖浦氏からコメントを頂戴しているわけだが、今日は挨拶抜きでさっそく本題に入りたい。

一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。

開目抄の有名な御文である。これを使って不用意に文底秘沈を主張すると、日蓮宗のほうから反撃を食らうことになるわけだが、わたくしはここ一ヶ月有余にわたって周到なる準備をしてきたつもりである。

大聖人が法華経のことを仰せられる場合には二通りあって、単に経巻を意味する場合もあれば、そうではなくて「法」を意味する場合もある。このことはすでに繰り返し書いてきたことである。これを踏まえて上掲の御指南を拝するならば、人によっては新発見があるかもしれない。もちろん、そんなことはオマエに言われなくてもわかっていたよ、という人もいるだろうが・・・

法華経の本門寿量品には久遠実成が説かれている。その文の底には一念三千の法門が沈められているというのだ。
これはおそらく、釈尊が五百塵点の当初に成道を遂げたという事実はひじょうに重大なことであるけれども、それよりも一歩踏み込んで、その悟りの中身こそが大事なのだということだと思う。別の角度から言えば、仏になるための原因、もっと言えば、仏になるための種ということだろう。
後年、御書の各所に、法華経は仏に勝る、と仰せられている意味について、わたくしは法華経には二意があって、この場合は経巻の意味ではなく法そのものを意味すると書いたわけだが、上掲の御指南においてはそれを一念三千の法門と表現あそばしていると考えればツジツマが合う。文底ということは、文面にはあらわれていないわけだろう。つまり、経巻としての法華経ではなく、法そのものを意味しているのだ。

二乗作仏・久遠実成は法華経の肝用にして諸経に対すれば奇たりと云へども、法華経の中にてはいまだ奇妙ならず。一念三千と申す法門こそ、奇が中の奇、妙が中の妙・・・

文永十年の小乗大乗分別抄である。前掲の開目抄だけでは、わたくしの勝手な解釈のように思う人もいることだろうが、この御文を拝するならば決定的であろう。あるいは文永十一年の聖密房御書を拝するがいい。

天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は、仏の父仏の母なるべし。

おそらく御書に詳しい人であれば、ここで立正観抄を引き合いに出してくることだろう。ひじょうに難しい問題であるが、わたくしの現時点における考え方を簡略に示しておきたい。

佐渡期の御書においては、あの本尊抄からして一念三千が頻出するわけであり、いわば主要なテーマだったのだ。そこであるいは門下の中に誤解をするものがあったのかもしれない。ようするに、釈尊よりも天台のほうが偉いとの誤解、専門的には止観勝法華というのだろうか、ともかく大聖人はそれを早くに察知して、修正を試みた。それが立正観抄ではないかと。
すでに開目抄に明確なごとく、一念三千の法門は法華経の文底に沈められているわけである。つまり、法華経は天台よりも先行するわけだから、天台が出現する以前において、すでに一念三千の法門は存在したことになる。
わかり切ったことであるが、天台はそれを整足し体系化したということなのだ。

わたくしの拝する限りでは、佐渡期における上掲のような御指南は後年、見当たらないのではないかと思う。けれども大聖人はそれを取り消したわけではない。誤解の生じる部分を修正したまでのことだ。ゆえに、代替案とも申し上げるべきであろうか、法華経は仏に勝る、法華経は教主釈尊の本師である、との御表現をあそばすようになったわけである。

一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ。

実はこの御文もまた、止観勝法華の誤解を生じかねない危険性がある。

ようするに、五字の内の此の珠を裹み、という部分である。これは受け取り方によって、此の珠すなわち一念三千こそが主役であり、妙法五字はその包み紙に過ぎないとも読めてしまうからである。
しかし、これは言葉のアヤというか、文章表現の難しさを示す典型的な例であって、ここは総合的に判断して、一念三千イコール妙法五字ということでよいのではないかと思う。
その上で次の御文を拝して、本稿を終わりにしたい。

在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。

一品二半とは寿量品を中心とした前後半品のことなのだろうけれども、これはすでに述べてきたごとく、久遠実成に主眼があるわけだろう。大聖人の御法門はさらに一歩踏み込んだものであることが了解されると思う。

2008/11/28

出張マグマグ氏のこと  
前田氏との議論は振り出しに戻ってしまったようだ。

氏はわたくしに文証を求めてきた。だが、何を今さら、である。具体的な御文はすでに示してあるし、氏もまた先刻承知のはずなのである。ゆえに、ここでは再掲しないが、いずれにしても前田氏は、わたくしの問いに答え切れていないと思う。

せっかくだから、逆にこちらから一つ、文証の提示をお願いしておこう。

彼の金口から説かれる教えが「法華経」であれば「仏は法の母ともいえる。」

「仏は法の母」は、いずれの御書にあるのだろうか?

さて、話は変わる。めずらしい人が登場した。まずは紺碧氏であるが、この人は二年半ぶりくらいであろうか、はたして何が目的で今頃になって再登場したものか、よくわからない。失礼ながらコメントも何となく舌足らずな感じで、こちらに何を求めているのか、よくわからない。

中古天台思想・・・

拙ブログを長年にわたって読んで下さっている人ならば、わたくしがこういう問題にはまったくタッチしてこなかったことがわかるはずである。まあ、これが答えのすべてであるが、せっかくだから少しだけ書いておこう。

中世だとか近世だとかいう言葉がある。これはいわゆる歴史の時代区分のことだ。一般的に鎌倉時代は中世に相当すると思われるが、大事なことというか、わかり切ったことを言えば、その時代の人は何も中世を生きているとか鎌倉時代を生きているなどという意識はなかったのである。まさに鎌倉時代の人にとっては、現代なのである。

在世は今にあり、今は在世なり。

大聖人は末法という仏法上の時代区分を御自覚されていたわけだが、上掲の種々御振舞御書の御文を法義上の解釈を抜きにして素朴に拝するならば、わたくしの言わんとしていることが何となくは伝わるのではないかと思う。

わたくしは中古天台思想という言葉を耳にしても、何のことだかさっぱりわからない。一つだけ言えることは、おそらく中古天台思想の人たちは自分たちが中古天台思想だとは思っていないのではないか、ということだ。
つまり、後世の仏教学者たちが勝手にそのように名前を付けているだけであって、必ずしも最初からそれがあったわけではないのだと思う。ゆえに、その名称がどうのこうのではなく、その中身が問題なのだ。ところが末端のわれわれのレベルでは、そこまで詳細に研究している人など、ほとんどいないと思う。

ここが問題なのだ。ただ単に、当体義抄は偽書である、というよりも、当体義抄は中古天台思想の色濃い偽書である、と説明したほうが説得力がある。けれども、中古天台思想とは何か、よくわかっていない。わかっていないけれども、ああ、そうか、偽書なのか、と納得してしまうのである。

紺碧氏、あるいは前田氏が、どういうレベルで中古天台思想を云々しているのか知らないが、わたくしは上述の理由により、この問題には深入りしない、以前より一貫して書いているごとく、御書の真偽にはタッチしない、ということなのである。

さて、中国に長期出張中のマグマグ氏であるが、氏の出張マグマグの意味はそれとは違う。
氏は富士宮ボーイ掲示板をホームグランドに大活躍をしていた。確か昨年の春くらいまで健筆を振るっていた。中国への赴任が決まって、向こうで落ち着いたら、また投稿すると言い残して、消えてしまった。まあ、消えてしまったというのはオーバーであるが、一向に投稿を再開する気配がなかったので、よほど仕事に忙殺されているか、あるいは中国のインターネット事情の劣悪さなどを想像していた。
けれども、どうやら最近は落ち着いたらしく、ちょこちょこ富士宮ボーイに書き込みをするようになった。特に沖浦氏のゴタゴタには、関心があるというか黙っていられなかったのだろう、かなり長文の投稿をしており、マグマグ氏の健在ぶりを遺憾なく発揮した格好である。申し訳ないがわたくしは面倒なのでざっと流し読みをした程度ではあったのだが・・・

しかし、まさか拙ブログにお出ましになられるとは、思っていなかった。ちなみに、「出張マグマグ」の意味は、富士宮ボーイ以外のところに投稿する場合、氏は必ず「出張」を冠するようにしているのである。

参考資料については、特に申し上げることはない。マグマグ氏のことはかなり以前より存じ上げており、掲示板でやりとりをしたこともあった。けれども、拙ブログへの投稿は今回が初めてであろう。わたくしにとっては、それがいちばんの収穫である。ここ一連の前田氏との議論が、拙いながらもそれなりに氏の関心を惹いたとすれば、わたくしもブログを続けてきた甲斐があったというものである。

最後に沖浦氏のことにも触れておこう。

沖浦氏の人本仏迹論は邪義であると、仲間であるはずの創価学会員から徹底的に破折されてしまって、今さらわたくしの出る幕もないだろうということで、これまで取り上げたことがなかった。
実はけっこう複雑な背景があるので、それで避けてきた意味もある。
どういうことかと言うと、沖浦氏の持論は以前から一貫しており、別に最近になって言い出したことではないのである。ところがどういうわけか、以前は特に問題にはなっていなかったにもかかわらず、俄かに問題視されるようになり、今や多くの創価学会員から批判される有様である。
これ以上は書かないが、これだけでも何かしら複雑な事情があることが感じ取れるはずである。

沖浦氏の邪義の中身であるが、おそらく、これだけは言えるだろう。自分の考えを表現する場合においては、その用語に細心の注意をしなければならない。
つまり、本と迹の関係というのは、いわゆる本迹相対という既存の概念があるわけだから、これとの混同を避けなければならない。早い話が本迹を使わないで、別の言葉を使って説明すればいいのだ。
わたくしは氏の言わんとしていることが理解できないわけではない。おそらく他の人も同様だろう。
ゆえに、本迹ではなく、別の言葉で再構成し直せば、あるいは多くの人を納得させる素晴らしいものになるかもしれないのだ。

今のままでは、国立戒壇という名称に固執している浅井先生と同じであって、ようはただの意地っ張りのジイサンに過ぎないことになるだろう。

2008/11/24

満身創痍のままで  
前田氏のコメントを拝見して思うことは、わたくしの問いには答えていないのではないか、ということである。

まず、法華玄義については、申し訳ないけれども意味がさっぱりわからない。もちろん、わたくしの勉強不足に他ならないわけだが、基本的には大聖人の仰せを文証とすべきである。台家を引用する場合は、少なくとも大聖人が御使用になられているかどうか、そこが重要だと思う。法華経そのものにしても、大聖人がまったく引用あそばさないような部分は、まさしく余経も法華経も詮無しと考えるべきである。

次に、これは確認しないといけないことだが、当体義抄における聖人の意味である。

「法」、ここで云う「法」とは「之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、」の「成仏を得る法」を指します。

「聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり、」
のこの「聖人」とはこの「成仏を得る法」を師と為して「如来と成り給う人」。

「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り」との「不思議の一法」とは「未だ、このままでは「成仏の法」ではない」。

聖人が「之を名けて妙法蓮華と為す」(この時点でも、このままでは未だ「成仏の法」ではない)。

「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し」

聖人が名づけた「妙」「法」「蓮」「華」の一法に「十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し」

聖人自身が智慧を以って「成仏の法」を完成させる。(経相として整える・こうしてここで始めて「成仏の法」・妙法蓮華経が誕生)衆生の成仏が可能となる「法」の誕生なのである。


「聖人理を観じて」の聖人と、「聖人此の法を師と為して」の聖人は、同じなのか違うのか、それが大問題である。わたくしは同じだと思っているのであるが、前田氏の説明によれば、別の存在でなければツジツマが合わないだろう。
おそらく何を言っているか、わからない人もいるに違いない。また、アゲアシ取りのように感じる人もいるかもしれない。
けれども、ここが重要なのである。大げさに言えば、氏の説明は論理が破綻しているわけであり、もし、それに気がついていないとすれば、もはやオシマイなのだ。

あるいは、わたくしのほうに致命的な錯誤があるのだろうか?

前田氏の説明を敷衍すると、

一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ。

この本尊抄の御文が重要な意味を持つものと思う。

つまり、この場合は一念三千こそが「法」そのものなのだと思われる。凡夫にはこれを自力で覚知することはできない。ゆえに、仏は大慈悲を起して妙法蓮華経の中に一念三千を裹み、凡夫に授与して下さるわけであろう。
前田氏の言うように、妙法蓮華の四字ではダメなのだ。ようは一念三千を裹むことができない。ゆえに、妙法蓮華はいまだ成仏の法ではない、ということなのだろう。

これはまあ、いちおう、そのとおりだと思う。

だが、これまでにも繰り返し書いてきたように、当体義抄における「聖人」は法を師と為して修行覚道したわけである。つまり、聖人にとっては、法そのものが成仏の法なのである。
ここで今一度、前田氏の文章を読むと、ワケがわからなくなる。
最初には「成仏を得る法」と書いてあって、これを師として成道を遂げた意味のことが書かれている。しかるに、その続きにおいては、「成仏の法」という表記に変わっていて、不思議の一法ないし妙法蓮華はいまだ成仏の法ではないと書いているのである。
そうすると、聖人にとっては成仏の法であるが、凡夫にとっては成仏の法ではない、という意味になるのだろうか?

もちろん、わたくしのほうに重大な錯誤があるかもしれないので、もしそうであれば、指摘していただければと思う。いずれにしても前田氏の文章には不明な点があるので、そこを整理し直して再投稿されることを望みたい。それが読者に対する良心というものだろう。

ここで前田氏にズバリ聞いてみたい。

わたくしは大聖人が、法華経は仏に勝る、法華経は教主釈尊の本師である、と仰せになられる場合は、前田氏の言う、

聖人自身が智慧を以って「成仏の法」を完成させる。(経相として整える・こうしてここで始めて「成仏の法」・妙法蓮華経が誕生)衆生の成仏が可能となる「法」の誕生なのである。

ではなくて、「不思議の一法」ないし「妙法蓮華」を意味しているのではないかと思うのであるが、いかがであろうか?

2008/11/20

議論の歯車  
コメント欄では、れん氏と前田氏との間で、激しい応酬が繰り広げられている。この一々については煩瑣になるので触れないが、一連のコメント群の中に次のような文章があった。

また、巌虎師におかれましても、先に私が用いた「当体義抄」の説明は、

この無始の古仏である釈尊は、真如実相(本有の妙理妙法蓮華経)を悟り成道したのであって、「先仏所説の経典としての法華経」によって覚ったのではない旨の証文として挙げたことがご理解いただけなかったようですね。


前田氏の文章であるが、まず第一に、わたくしは師ではない。次に、氏の説明を理解できていないというのは誤解であって、むしろ前田氏のほうこそ理解が足りないのではないか、と言いたいところである。

法華経と云う「既存していた経法」を受持信行して開覚したのでなく、
名づければ妙法蓮華経という至理、すなわち実相に基づいて修行し開覚したと。

最初開覚の仏で有ると仮定すれば、先仏所説の経法としての法華経は無いわけですから、
至理(実相真如)を自ら証悟して開覚したと。


これも前田氏の文章である。ほぼ前掲と同趣旨であることがわかる。つまり、氏は同じことを何度も繰り返し主張しているのである。こう何度も同じことを書かれれば、愚鈍のわたくしとて、相手の言いたいことがわからないわけではないのだ。

わたくしは前回の末文において、どうやら部分的ながらも前田氏と意見が一致した旨、書き残しておいた。
法華経という既存の経法ではなく、真如実相を悟り成道した。これが前田氏の意見である。
前回の拙稿では、大聖人が仰せの法華経には二通りあって、経巻としての法華経と、法そのものを指して法華経と仰せられる場合がある・・・という意味を書いた。
いかがだろうか、前田氏とわたくしの言っていることはほとんど同じではないかと思うのだが、それとも違うのだろうか?

先仏・・・

氏の文章にはたびたび先仏が出てくる。ここで気をつけないといけないのは、あたかもわたくしが先仏の存在を主張しているかのごとく読者が錯覚することである。そんなことは一度たりとも書いていないのだ。

また、前田氏は別のコメントにおいて、無師智という言葉を出してきた。

つまり、久成釈尊の前には、仏は存在しない。ゆえに、久成釈尊には師匠がおらない。すなわち、久成釈尊こそが根源の仏である。よって、日蓮本仏論は間違いである。と言いたいらしいのである。

何を言っておるものかと思う。理解不足も甚だしい。

当体義抄がベースの議論だったはずである。
同抄には、法を師として修行覚道云々とあるのだ。わたくしはこれを言っているのである。つまり、先仏を師として論じているわけではなく、法を師として論じているわけだから、先仏の有無など関係ないのである。
ちなみに、開目抄に見られる無師智について言えば、単純に人格的な意味での師を持たないと考えれば矛盾はないのである。法を師とするのは、いわば特殊な概念であり、通常ではあり得ないことだ。ゆえに、諸仏の師とするところは法であると言うのであって、そこいらの凡夫のマネすることではないのは自明のことであろう。
卑近な例でいえば、独学ということが言えるかもしれない。たとえば、ピアノを独学で習得したと言う場合、それは直接的なレッスンを受けなかっただけのことであり、まったく教材であるとか手本を使わず、それでピアノが弾けるようになったなどという話ではないはずである。
つまり、仏の場合は人格的な師を持たないけれども、世のあらゆる事象がすべて学習材料となって開悟するわけで、世のあらゆる事象こそ、前田氏の言う真如実相に他ならないのだ。

以上、当体義抄をベースに論ずるならば、法を師とするわけだから先仏などは論外のことであり、それを持ち出しての議論は筋違いである。

ようやく本題である。と言っても、前回の繰り返しであるが、ともかく仏と法華経の関係を考える時、法華経には二通りの意味があるのではないか、ということなのだ。法華経は教主釈尊の本師であるとする場合の法華経は、前田氏の言う真如実相そのものを意味するのではないか・・・これが一点。そして、法華経は釈尊である、釈尊は法華経である、という場合においては経巻を意味しているのではないか、ということなのだ。

わたくしは前田氏の主張を整理し、かつ問題点を指摘した上で、このように結論しているのであるが、はたして前田氏の返答はどのようなものであろうか?

2008/11/16

文底下種の法華経とは?  
釈尊と法華経の関係を人法一箇とすることもあながち間違いとは言えないことである。けれども、大聖人は法華経の優位を仰せられてもいるのである。ゆえに、これをどのように整合させるか、それが大問題なのだ。

今日は先月三十一日分の拙稿の続きである。わたくしは、法華経は教主釈尊の本師である、すなわち、釈尊よりも法華経のほうが勝れている、との大聖人の御指南を素直に拝しているわけだが、一方で、法華経と釈尊を人法一箇とする御指南も存在するので、これをどのように整理すればいいのか、いわば先回はこの問題提起をして終わったわけである。ゆえに、続きを書かねばならない。

いちばんシンプルな捌きは先判後判であろう。妙心尼御前御返事には次のごとくある。

この御まぼりは、法華経のうちのかんじん、一切経のげんもくにて候。

御守りというのは大曼荼羅御本尊のことであるが、ようするに大聖人の御化導を順番に拝して行くといわゆる仏像信仰から大曼荼羅信仰へのシフトがあるのだと思う。

大覚世尊は我等が尊主なり、先づ御本尊と定むべし。

文永七年の善無畏三蔵抄である。わたくしは「先づ」に注目した。強引であることを承知しつつも、これに現代語訳として、「さしあたって」を当てはめると、ひじょうに具合がいいのだ。あるいは「序分」としてもいいだろう。
ちなみに、前掲の妙心尼御前御返事は建治元年である。先判後判で考えると、大聖人は御晩年に向かうにしたがって大曼荼羅信仰へシフトして行くことが明瞭であると思う。これが正宗分だ。
いわゆる佐前佐後でもいいのだが、ご存知のごとく、佐後の御書にも仏像を肯定する御指南が存在するので、単純には割り切れない。ゆえに、わたくしは先判後判を用いるわけだが、いずれにしても身延期においてすら仏像と曼荼羅の両種の御指南が混在しているので、なかなか決着がつかないところである。ただ、法華経は仏に勝る、との御指南を踏まえるならば、大曼荼羅信仰へのシフトは間違いないだろう。さらに言えば、現存する百有余の御真筆御本尊もまた、後判を決定づけるものである。

結論を書いてしまうと、釈尊と法華経の関係を人法一箇とするならば、おそらくは大聖人と大曼荼羅の関係が人法一箇になるのだと思う。ゆえに、法華経は仏に勝るとの御指南は、元意の辺において、大曼荼羅は釈尊に勝るということではないかと思うのだが、こうすると日蓮宗のほうから反発があることだろう。

今一度くり返すが、大聖人の御指南には法華経と釈尊は同一であるとするものもあれば、法華経は釈尊に勝るとするものもある。これをどのように整理するかということで、これまでは先判後判の捌きを用いた。今度は少し角度を変えてみようと思う。
大聖人の仰せられる法華経にはいくつかの意味がある。大雑把に言えば、二種類あるのだろう。このように考えれば、仏と法華経を同一視する場合と、勝劣を仰せられる場合の、一見すると自語相違のように思われる問題が解決するはずである。

文上脱益の法華経と、文底下種の法華経

ああ、これもダメだろうか、日蓮宗の人には通用しない言葉なのだろうか・・・

世界中にはいろいろな言語がある。その言語そのものには勝劣はないと思うのだが、どうだろうか?
ただ、日本語では表現できても英語では表現できないとか、逆に英語にはあるけれども日本語にはない言葉だとか、そういう違いはあると思う。つまり、しょせん言語は人間が作ったものだから、完璧ではないということである。
釈尊は印度に出現したわけだから、そこの言語を用いて説法した。仮にアメリカに出現すれば、英語で説法することだろう。同じ法華経ではあるが、おそらく内容的には完全に一致することはないと思う。なぜならば今説明したごとく、言語にはそれぞれメリットデメリットがあるからで、英語ではどうしても表現し切れないようなこともあるはずなのだ。もちろん、英語のほうがいい場合もある。

つまり、経巻としての法華経というのは、本当の法華経ではない。

いわゆる羅什訳の法華経がある。大聖人はこれを完璧の翻訳であるとして大絶賛あそばしている。
これはそのとおりなのだろう。ただし、あくまでそれは印度の釈尊が説いた法華経を完璧に翻訳したという意味であって、本当の法華経ではないのだと思う。
こう書くと、まるで釈尊の説いた法華経がニセモノのように誤解されそうだが、わたくしの言っていることはそうではなく、いわゆる言語道断ということである。大聖人もまた、書は言葉を尽くさない、言葉は心を尽くさない、とたびたび仰せられている。つまり、釈尊の悟った法華経は、それを言語化した時点で本当の法華経ではなくなっているのだと思う。
しかし、これを言ったら元も子もない。ゆえに、経典としての法華経を釈尊そのものとして尊ぶ。御書に出てくる釈尊と法華経を同一とする御指南の意味はここにあると思う。

一方の、法華経は仏に勝るとの仰せは、経典としての法華経ではなく、言語化できないところにある法華経なのだろう。これを日蓮正宗では文底下種の法華経と呼称しているのだと思うが、言語化できないとするといったいどうなるのか、そこが問題である。わたくしの思うに、そこをあえて言語化したものが大聖人のあらわされた妙法五字の大曼荼羅なのではないか、ということなのである。

無難なまとめ方をすると、大聖人が法華経について仰せられる場合には、経巻としてのそれと、経巻ではなく法そのものを指す場合の二通りがあるのではないか、ということになる。

いまだ舌足らずの文章だけれども、おおむねこんなところでどうだろうか?

そうそう、忘れていた。実は三十一日分のコメント欄を見ると、前田氏もかなり近いことを言っておられるのである。もちろん、部分的な一致に過ぎないが、それでも大きな収穫である。

2008/11/13

能証所証についての考察  
今日は、コメント欄の最新の動向とは一致しないのだけれども、そこはご容赦願いたい。

法を証悟したのが仏で、法は悟られたものと云う、能証・所証の関係から云えば、人勝法劣。

十月二十八日分のコメント欄にある前田氏の言葉である。わたくしはこれに疑義を呈した。以下、十月三十一日分の拙稿である。

能証所証がなぜに人勝法劣なのか、それが大問題だ。そもそも能証所証とは何か、どこにそのような御指南があるのか、そこから説明しなければならないだろう。

今日までのところ、これについての前田氏からの回答はない。けれども、灯台下暗しというべきか、三十一日分のコメント欄に、間接的ながら回答らしきものがあった。

「当体義抄」は偽書論も有りますので、
引用文は大聖人様のお言葉だと思わずに、
大変整理された文章なので、私、前田もこういいたかったという程度の「参考」にしていただきたいとの思いで引用します。

「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時因果倶時不思議の一法之れ有り
之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、
聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果倶時に感得し給うが故に
妙覚果満の如来と成り給いしなり、・・・

問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、

答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、
今日又中天竺摩訶陀国に出世して」
「当体義抄」(学会版・513頁)

とあります。この文は、
法華経と云う「既存していた経法」を受持信行して開覚したのでなく、
名づければ妙法蓮華経という至理、すなわち実相に基づいて修行し開覚したと。

最初開覚の仏で有ると仮定すれば、先仏所説の経法としての法華経は無いわけですから、
至理(実相真如)を自ら証悟して開覚したと。


前田氏は、真偽不確定の御書は用いない、という縛りを作ってしまっているので、ご覧のごとく引用の冒頭に、偽書論云々と書いている。実に窮屈な話だ。
わたくしは今もなお、平成新編記載の御書をすべて真書と拝している。それが信仰者のあるべき姿であり、他門に遠慮してわざわざ真蹟があるだのないだの、そんなことを書く必要はないというのが、わたくしの方針である。
それはともかく、前田氏は能証所証について、直接的には何も語っていない。それには二重の意味があると思う。まず、前述のごとくの自縄自縛がある。真偽のはっきりしない御書で論証しても説得力を持たない、というような意識が働いているのではないかと思われる。
もう一つの意味は、当体義抄に出てくる能証所証は必ずしも前田氏の言う人勝法劣とは限らないことである。

釈尊五百塵点劫の当初、此の妙法の当体蓮華を証得して、世々番々に成道を唱へ、能証所証の本理を顕はし給へり。

なぜ、これが人勝法劣となるのか、簡単には説明がつかないだろう。

こういう場合、類文を求めるべきである。つまり、他の御書に能証所証についての御指南があれば、それを参考にして大聖人の御本意をさぐるわけである。ところが、この能証所証という用語はあまり例がない。ゆえに、いったいどのような意味があるのか、はっきりとしたことは言えないはずなのだ。

わたくしの拝するところでは、これは人法一箇の御指南だと思う。いや、実はその前提として法勝人劣がある。れん氏の言葉を借りれば、法前仏後ということだ。

聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば・・・

との仰せがある以上、むしろ人勝法劣の線は限りなく薄いことにならざるを得ないだろう。ゆえに、いちばん最初に紹介した、法を証悟したのが仏で法は悟られたものと云う能証所証の関係から云えば人勝法劣、との前田氏の主張は、当体義抄を拝する限り正解とは言えないはずである。
これは釈迦多宝の関係を考えてもわかるはずだ。もし、能証所証の関係に当てはめるならば、多宝(能証)>釈迦(所証)となることだろう。多宝が勝で釈迦が劣、理屈ではそうなるはずだが、あくまでこれは一面的な捉え方でしかない。まさか釈尊と多宝仏の立場が逆転するなどとは絶対に言わないはずなのだ。
つまり、法を師とすることが前提としてあって、その修行の結果として、いわば法との一体化が実現する。これが当体義抄における人法一箇の意味ではないかと思う。

当に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称ひて一身一念法界に遍し

本尊抄などに出てくる妙楽の言葉であるが、何もわたくしは本理という言葉の共通を云々したいわけではないのだ。内容的にひじょうに近いものを感ずるがゆえに、引用させていただいたのである。
身土は一念の三千、一身一念法界に遍し・・・
まさにこれは、人と法の一体化ではないかと思うが、いかがだろうか?

以上のような理由から、能証所証の本理を顕わす、との仰せをわたくしは人法一箇の御指南ではないかと拝するのである。

2008/11/8

例文作成  
つい先ほど、前田氏からコメントを頂戴した。わたくしが問うたことに、正面からお答え下さったこと、まことにありがたいことである。

しかしながら、どうも説明が弱いというか、まず結論ありきのような論の運びになっているように思えてならない。

つまり、久成釈尊は無始古仏なのだから法華経に劣るわけがない、だから大聖人が「法華経は釈尊よりも勝る」と仰せられる場合は、久成の釈尊ではなく始成の釈尊のことを意味するのだ、というのが前田氏の一貫不変の主張なのである。

ゆえに、日女御前御返事については、

法華経品品供養した日女殿を称賛する対機説法の御返事なので、その功徳大なるを讃えるために、法勝人劣の立場を表にして書かれているのでしょう。

と前田氏は言う。

煩瑣ながら当該御文を再掲させていただく。

召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行なひしはいかに、不便不便。而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給ふは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給ふなり。此の功徳をもてる人一閻浮提の内に有るべしや。

前後の御文を加えたわけだが、わたくしの意図が読めるだろうか?

確かに前田氏の言うように、法華経の品々供養は事実であり、当該御書にはその記述も見られる。だが、前回の拙稿で書いたごとく、その背景もまたひじょうに重要なのである。同御書の冒頭を拝するべきだ。

御布施七貫文送り給び畢んぬ。

これは申すまでもなく、身延山中にまします大聖人への御供養に他ならない。これを踏まえて末文を拝するならば、とりわけ「而るに女人の御身として・・・」の「而るに」がひじょうに強く迫ってくるはずなのである。日本国中が大聖人を怨嫉し、あろうことか御生命までも奪わんとしている最中において、大聖人への信仰を貫いている、そのことへの称賛の意味が拝されるのだ。この功徳をもてる人一閻浮提にあるべしや、とは、まさしく大聖人こそが一閻浮提第一の聖人なるがゆえのことなのである。

わたくしの拝し方は、それほど的をはずしていないと思うのだが、いかがだろうか?

始成仏だとか久成仏だとか、対機説法だとか法勝人劣だとか、そのような概念を持ち出す必要はないのではないかと思う。
いったい対機説法とは何なのだろうかという疑問がある。もちろん、当該御書における対機説法の意味だが、であれば、代替案として次のごとくの文章ではいけなかったのだろうか?

女人の御身として法華経の御命をつがぜ給ふは、教主釈尊の御命をつがせ給ふに等しきことなり。

前田氏は法勝人劣などと言っているけれども、別に法勝人劣の御指南をあそばす必然性はどこにもないと思う。ゆえに、いったい日女御前はいかなる機根であったのか、そこのところから説明していかないと、氏の主張は成り立たないのではないかと思う。

わたくしは前回、もはや三仏が登場するに至っては久成仏と拝する以外にない、と書いた。観心本尊抄副状には、次のごとくある。

乞ひ願はくば一見を経来たるの輩、師弟共に霊山浄土に詣でて、三仏の顔貌を拝見したてまつらん。

この期に及んでもなお、始成仏であると主張するのであろうか?

さらに、本尊抄の本文を拝してみよう。

其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、(中略)十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。

十方の諸仏は迹仏である。この点に留意していただければ、あとは言わずもながのことであろう。

2008/11/6

引用御書の再検証  
今日未明、前田氏から長文のコメントが寄せられた。わたくしのような教学未練の者は引っ込んでいて、れん氏の登場を待ったほうが賢明なのだが、今日はもともと書く予定でいたので、このまま書き進めることにしよう。

すべては、御本尊さまの相貌に集約される。

のび太氏のこの言葉に尽きていると思う。わたくしはこれでじゅうぶん納得できるのであるが、日蓮宗の人はどうも納得しかねるようである。ゆえに、いろいろな角度から論じる必要があるのだ。

わたくしは御書の中に、釈尊よりも法華経のほうが優位であるとする御指南があることに注目し、その意味を探ろうとしていた。ところが前田氏は、この前提自体に異論を差し挟んできた。
氏は前回の拙稿に対する最初のコメントにおいて、始成仏と久成仏の概念を持ち出してきた。すなわち、釈尊と法華経は同等のはずであるから、御書に釈尊より法華経が勝れていると書かれていても、それは久成釈尊ではなく、あくまで始成の仏である、というのが氏の意見である。

今まであなた方のご提示の御書に出てくる仏はすべて始成仏。
したがって始成釈尊と法華経の対比でしょ。

乗明聖人御返事・九郎太郎殿御返事・兄弟抄・日女御前御返事・等々です。


わたくしは前回、三つの御文を引用させていただいた。ゆえに、今日はそれを今一度、検証してみたいと思う。まずは上野殿御返事から行こう。

仏はいみじしといゑども、法華経にたいしまいらせ候へば、蛍火と日月との勝劣、天と地との高下なり。

これは凄まじい御指南である。もしこれが久成仏のことであったならば、前田氏の主張は一気に瓦解することになる。さて、実際はどうなのだろうか?

仏の在世には徳勝童子・無勝童子とて二人のをさなき人あり。土の餅を仏に供養し給ひて、一百年の内に大王と生れたり。

これに続く御文が前掲の「仏はいみじしといゑども・・・」なのである。つまり、この仏が釈尊であることは間違いない。問題は始成か久成かであるが、どうやらこの故事の出典は小乗経らしいので、ここでの釈尊はいまだ始成仏ということになりそうである。

だが、しかし、こういうのを論語読みの論語知らずというのだろう。これは後述する。

 夫法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。
(中略)
 さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。

兄弟抄であるが、この後は「・・・此の法華経はさてをきたてまつりぬ。」となっていて、別の話題に移ってしまう。ゆえに、冒頭からの約二ページ分だけで判断せざるを得ないが、結論から言うと、どちらとも言えないのではないか、ということになる。
わたくしの感性を頼りにするならば、教主釈尊の響きからして久成仏を意味しているように思えてならない。
すると、これを予想してのことか、未明の前田氏のコメントには次のごとくあるのだ。

しかも、悉達多太子は「教主釈尊」(始成仏)と呼ばれている。

つまり、教主釈尊という響きからして、一見すると久成仏のように錯覚しがちであるが、御書の中には始成仏を意味する用語例もあるのだ・・・と言いたいわけなのだろう。

煩瑣になるので、これは仮にその通りだということで話を進めるが、それでは兄弟抄における教主釈尊が始成仏であることはどこに根拠があるのかということになる。結局、当該御文からは直接的な根拠を見出せないわけで、同様の意味で、久成仏とする決定的な根拠も見当たらない。ゆえに、どちらとも言い切れないとするのが公平な見方ではないかと思うが、どうだろうか?

而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給ふは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給ふなり。

さて、日女御前御返事であるが、ここでの釈迦が始成仏であるというのは、いかがなものかと思う。もはや三仏が登場するに至っては、久成仏と拝する以外にないであろう。前田氏のコメントには、この辺のことがまったく書かれていないので、もし次にコメントを下さるようであれば、ぜひともお願いしたいところである。

ちなみに、上記の御書の背景を考えると、すごいことに気がつく。法華経の命を継ぐというのは大聖人の御生命を継ぐことに等しいのだ。なぜならば、日女御前は身延山中の大聖人に対して御供養を申し上げているからである。そして、それが実は三仏の御父母に当たるという文脈になっているのだから、凄まじい御指南である。

それでは最初の御書に戻ろう。

徳勝・無勝の故事は小乗経の話だから、ここでの仏は始成仏である。それはそうだが、いったい小乗の仏と法華経を比較相対する必然性がどこにあるのか、それが大問題である。仮にもし上野殿に小乗経への執着があったとするならば、わからなくもない。けれども上野殿というのはすでに父親の代から大聖人に帰依していたわけであり、小乗経への執着などあろうはずがないのである。
答えはここに出ている。土の餅の話はあくまで譬えを借りているだけであって、小乗の仏と法華経を比較相対するなどというナンセンスなことを仰せられているわけではないのである。
それが証拠には、同御書の続きには次のごとくある。

釈迦仏・多宝仏・十羅刹女いかでかまぼらせ給はざるべき。

十月二十四日の拙稿で、釈尊もまた諸天善神と同様に守護の役目を担っている、と書いたけれども、この御文もまた同趣旨である。

さらに末文には、

又、釈迦仏・法華経の御そら事の候べきかと、ふかくをぼしめし候へ。

とあるが、これが久成仏であることには異論がないはずである。

はたして、この短い御書において、前半の仏は始成仏であり、後半の釈迦仏は久成仏を意味するなどという紛らわしい使い分けをあそばすだろうか、ということである。繰り返しになるが、大檀那の上野殿に対して、始成仏と法華経の勝劣を論ずるなどという、今さらそんな馬鹿げた御指南をあそばすだろうか、ということなのだ。ずいぶん馬鹿にした話ではないかと思う。


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